ストーリー=主人公の人生、の法則。


 この物語は、源氏の誕生の少し前から始まっています。
 宇治十帖を計算に入れなくても、源氏が主人公の時間だけでも五十数年になんなんとする、これは膨大な一代記です。
 一代記であるから、源氏の人生がそのままストーリーダイジェストになるのもむべなるかな、というわけです。
 源氏物語は、前から、三部構成として内容が分けられるといわれているのですが、三番目は宇治十帖なのでおいておくことにして、ここでは、一部と二部(源氏だけ)を、
・誕生そして一流の公達としての栄光と恋愛の日々(第一部前半)
流浪の年月から政界復帰、新しい栄耀栄華へ(第一部後半)
・光差すところ影のあり、紫のゆかり妖しくからむ日々(第二部)

の三つに分けて行くことにします。↑の各行をクリックすることで、当該のページにリンクするようにして行くので、びゅーんと飛んでみちゃってください。

1.誕生そして一流の公達としての栄光と恋愛の日々
 <<凡例>>
年齢は数え年で、暦は旧暦です。
特に断っていない年齢は源氏の年齢です。
源氏にあまり関係のない事柄はイタリック表示です。

No.巻名(年齢)
1桐壷
(0〜12才)
時の帝の第二皇子として生まれる。母桐壷更衣(1才)
3才の夏、周囲の嫉妬から体調を崩していた母更衣死去。
 4才の春、兄(後の朱雀院)春宮になる。(春宮7才)
高麗の人相見から、「帝になる相だが登極すれば天下乱れる」との結果あり、臣籍降下、源姓を名乗る。
 先帝の四の宮、入内して藤壷を賜る(藤壷女御16才)
12才の時元服、左大臣(帝の妹の夫)の娘(葵)を娶る。
2帚木(17才) 十七歳の夏5月、五月雨の夜に頭中将らと女性について語
方違え先の紀伊の守の屋敷で空蝉に会う。
3空蝉(17才) 再び空蝉を忍び訪ねるが、誤って軒端荻と逢う。
4夕顔(17才) 大弐乳母(惟光の母)の病を見舞いに五条に向かい、夕顔を知る。
秋8月16日、某の院に伴わせて夕顔、物の怪に取り付かれ急死。夕顔に伴っていた侍女・右近から、夕顔の出自を知る。
5若紫(18才) 18才の春3月、わらわ病みに悩む。
静養先の北山で、10才程の少女を見つけ、執心する。
 6月、藤壷懐妊
冬、北山の少女(若紫)を二条の自宅に拉c…引き取る。
6末摘花(18才) (5若紫・7紅葉賀のサイドストーリー的に)
18才の春、末摘花の存在を知り懸想する。
秋、末摘花に逢う。
 冬、朱雀院(源氏の兄とは違う)行幸準備。
7紅葉賀
(18〜19才)
 懐妊した藤壷を慰めるために行幸に先立ち試楽(リハーサル)が行われる。
18才の秋10月、行幸。青海波を舞う。正三位になる。
 19才の冬2月、藤壷女御男宮出産。
19才の秋、藤壷立后(中宮)。源氏参議になる。
8花宴(20才) 春2月、南殿の桜の宴の夜、弘徽殿の細殿で、「朧月夜にしくものぞなき」と謡う女性と逢う。
同3月、右大臣家の藤の宴に招かれ、「朧月夜」の女性が右大臣六女であると知る。
(9葵が始まるまでの一年間の聞記録なし、源氏21才の間に、桐壷帝退位、朱雀帝即位、藤壷の若宮立坊、源氏右大将)
9葵
(22〜23才)
 22才の夏、賀茂祭に関係する行事の見物において、葵の上と六条御息所の車が居場所を争う。
秋、源氏に長男(夕霧)誕生。直後、葵のもとに御息所の生き霊現れ、葵急死。
23歳の冬、若紫と新枕。
 右大臣、朧月夜を源氏にとの考えに、弘徽殿大后反対する。
10賢木
(23〜25才)
 23才の秋9月、六条御息所、娘・斎宮に伴い伊勢に下向。
同冬11月、桐壷院死去。
24才の冬12月、桐壷院一周忌。藤壷中宮出家。
翌年(25才の年)から、右大臣側の専横甚だしく、源氏を含む左大臣側の冷遇が始まる。
25才夏、源氏と朧月夜の関係が露見。
11花散里
(25才)
25才の夏五月、桐壷帝時代の後宮・麗景殿女御宅を訪れ、女御及びその妹(花散里)と語らう。
12須磨(26才) 春三月、須磨に退去。
 明石の入道、この噂を聞き、娘を源氏にと思い始める。
同じく、上巳の祓い。暴風雨が起こる。
13明石
(270〜28才)
 暴風雨が続き、朝廷では政務も執れない状態。
桐壷院、源氏の夢枕に立ち、須磨を出よと告げる。
翌朝、明石の入道、住吉明神のお告げのままに源氏を迎えに来、明石に移住する。
27才の秋8月、入道の娘と逢う。
28才夏、明石の娘懐妊。
同秋7月、源氏に召還に宣旨下る。
同秋8月、源氏帰京。権大納言になる。

源氏の人生は、まだまだこれからです。