[3]須磨下りに至るまでの源氏への逆風


 その事態は、桐壷院危篤の時から始まります。
 院は、帝を前に遺言めいて言います。
「春宮(冷泉帝)はお前の後なのだから大切にしなさい。そして、私がいなくなっても、かわらず、弟(源氏)と何でも話しあいなさい。年に似合わず、重く扱っても全く力不足な所などない人物だ。彼がいるかぎり、夜はうまく収まるだろう、そう言う占いを信じて、私はあの子を臣下に降し、源氏としてお前を助けるようにしたのだ。私の子の心釣りを、決しておろそかにしてはいけない」
帝は、院の言葉通りにすることを約束します。それに合わせて、源氏にも、帝と、とりわけて春宮を大切にするように繰り返し頼み、院は崩御します。
 桐壷院は、帝の地位を退いても、政治への影響力を全く失っていませんでした。それが、この崩御によって残された帝はまだ若い、外祖父になる右大臣は、帝の母・太后ににて「さがなき」人物であるから、そのうちそういうふうに、朝廷もなってゆくのだろうなあと、殿上人たちは心配をしたのです。
 案の定、帝は、院の遺言通り、源氏を重く扱いたかったのですが、やはり、例の二人の発言は勢いが強く、思うような政治ができません。
 そして、殿上人以下の、いわゆる受領階級は、この勢いの流れの変化を一番敏感に感じ取っていました。毎年春の地方官人事(県召の除目)のために、口利きを頼もうとするスジは、手のひらを返すように右大臣側へと行ってしまいます。源氏は、今後はこういうことがしばしばになるんだろうなあと、世の中がつまらなくなってくるのでした。

 さて、いつかの桜の宴で出会い、以来タイトロープなつき合いを続けていた朧月夜は、尚侍として出仕しました。本当は、女御入内させたかったのですが、(後述夕立の後事件とは別の話として)源氏との仲が噂された彼女を今更の顔で入内させることはさせられなかったわけです。ですが、宮中の居場所として与えられたのは姉・太后の弘徽殿でありましたから、帝との既成事実発生の後、女御に叙される方向を狙っていて、それが成功する自信にあふれていたことが伺えます。(続柄がヤバいんじゃないかというツッコミはこの物語ではしてはいけません)
 しかし、そう言うもくろみの隠された朧月夜から、源氏の足が遠のくということがありません。帝も、「向うが先口だし、しかも似合ってるしまあいいか」と思っていたりします。

 そんな崩御の翌年から、中宮や春宮を支持する者たちに、冬の時代はあからさまに訪れます。
  院の崩御で帰っていた藤壷中宮の三条の屋敷は、正月でもひっそりしています。向かいになる二条の右大臣の屋敷は逆ににぎやかで、藤壷も、勢いを失ったものはこういうものだと思っていても、心寂しいものを思ったのでした。
 やがて、院一周忌をきっかけに、藤壷は出家します。すると、藤壷に仕えているものには昇進が全くなく、彼女本人に毎年与えられる一年の生活費支給が止まります。出家をしたからというのが理由らしいのですが、出家をしたとしても中宮を降りたわけではないのに、です。藤壷は、無事春宮が帝になるように、又春宮の出自が公になってしまわないようにと、祈るのでした。
 葵の父であった左大臣も、右大臣とはソリが会わず、大臣職を返上して隠居してしまいます。葵の兄で、右大臣の四女(太后の妹・朧月夜の姉)の婿になっていた頭中将も、源氏に親しかったため左大臣側に回され、その左大臣側は全く昇進しなかったという事もありました。時局を疎んで出仕をしない源氏に、この先厄介なことになりはしないかと心配するものもあったのです。

 さて、ここで、あの有名な「夕立事件」がおこります。
 子細ははしょりますが、宿下がり先の右大臣邸までやってきて朧月夜に会いに来るという源氏について、彼のために妹の入内をフイにされた太后はこんなことを言います。
「我が子は帝といっても、前々から源氏の次のように扱われていたこと、引退した左大臣も、春宮だったあの子に差し妥当と大切に育てていただろうはずの一人娘を、入内させずにあの弟にくれてやってしまった。
 その上、私の妹までも入内をフイにされて、左大臣の娘が亡くなった時に、あの子をとお考えになったようですが父上、私はそう言うあの子があまりにも不憫で、せめて尚侍と言う遠回りをしてでももり立てようと、心を配ってきたのですよ、帝の覚えがめでたくなるようなことがあれば、少しはアレも思い知ろうと思いましてね。
 ところが、あの子は、まだあの男を忘れかねている。その上アレは斎院(朝顔の君)にまで食指を動かしているとか、いかにもやりそうなこと。
 何かにつけ、帝のご安泰にサオを差すようにみえるのは、いずれ来る春宮の時代を格別に心待ちにしている証拠なのですから、尤もかもしれませんけどね」
この言葉に、さしもの右大臣も、
「このことは、帝には申し上げませんよ。尚侍は帝があまりにおかわいがりになるので、そのお心にあまえて、羽目を外してしまったのでしょう。太后からのご注意が届かないようなら、私が何とかしますから」
と言い繕うのですが、太后はまったく機嫌を直そうとしません。ひとつ屋根の下にいる妹に、ずけずけと会いに来るとは、ずいぶん甘く見られたものだと思うと、さらに腹立ちがやまず、源氏排斥への決心を新たにするのでした。

 源氏サイドの不如意の日々は続きます。そのうち源氏は、「もしかしたら自分は『帝をないがしろにした』という、ありもしない罪を着せられるのではなかろうか」と思うようになります。そして本当に、その罪がかぶせられ、流されるかも知れないと言う話が耳に入り、彼は自分が潔白であることを証明するための行動を先に起こします。
 それが、須磨下りです。