[2]車争いと、その前後


 コトは、帝の代替わりに伴って替わる賀茂の斎院の新任に、源氏の姉妹(とりもなおさず新しく帝になった朱雀帝の姉妹でもありますが)が立つことになったことから始まります。
 そう言う年の賀茂の祭りだったので、いつもの行事にいろいろと派手さも加わって、源氏も、新斎院が禊をするという、その祭事の行列に加わることになったのです。

 当日。
 そのころ葵は懐妊の身の上でありました。外出などもともとめったにしない超深窓のお嬢様な上に懐妊中、気分が悪くて見物どころじゃない、という様子だったのですが、周りの侍女達が、
「家族ぐるみで田舎からわざわざ手弁当で見に来るものもいるのですよ、侍女の私達だけで、奥様が旦那様をご覧にならないなんて」
と言い出し、母・三条の大宮(桐壷院の妹)も、
「ああして侍女も退屈しているのだから、気晴らしに言ってらっしゃい」
と用意させて、見物に出発となったのです。

 当時の車は当然牛車です。その牛車を何台も繰り出して、行列のよく見えそうな場所を見つけ…いうなれば、割り込みというか、「行列に参加なさる光源氏の君の奥様のお車だ、場所をあけられよ」と言ったふうに(あ、このセリフは清原の想像です、あしからず)無理に場所を譲らせ始めたのです。
 ところが、どうしても動かない車がありました。従者たちは「そんな強引に追い払っていいお方の車ではないのだ」と言って拒否をしたようです。お祭りということもあって、従者たちには一杯ならず入っています、譲れ譲らんがだんだん騒ぎに発展してゆきます。
 言うまでもなく、動かなかったのは御息所一行の車でした。源氏の愛人という立場としては、こういう場所には出控えるところを、源氏の姿がどうしても見たくて出てきたのです。出自が簡単にはわからないように車は質素にしていたのですが、わかるヒトにはわかってしまうものです。
 騒ぎのあげく、「旦那様の愛人でいることがそんなに自慢か!」みたいにいわれ、とうとう車は奥に押しやられてしまいました。葵一行の車の後になって、見物どころか、道も見えないような場所です。牛車を停めるための支えなども騒ぎの際に折られてしまって、よその車に支えてもらっている有り様です。帰りたくても、この場所から帰ることもできません。
 やがて、行列がやってきます。おそらくは、源氏が通るのに合わせてどよめきなどが移動して行くのでしょう、「行列が来たぞ」の声に、御息所は時めいたりするのですが、葵の車の前できりっとして通り過ぎてゆくその姿なども、見ることなどできません。
 御息所はそんな惨めな自分が目地目でたまらなかったのですが、やはり、源氏の姿を見たい心には逆らえなかったのでした。

 この顛末を、祭事の終わった後、源氏は聞くことになります。そっけのない性格で、本妻としての、愛人への配慮など(超お嬢様ゆえに)理解しているわけもない葵の指図ではあるまい、従者の起こしたことなのだろうと思います。気の毒に思って、御息所の元を尋ねたりするのですが、御息所の娘(のちの秋好中宮)は斎宮として伊勢に下向する前の精進潔斎中の身、御息所も異例ながらそれにともなっています。それを口実に、御息所は源氏に会いませんでした。

 「どうして仲よくできないの」とぼやく源氏でもあったのですが、そら、ムリってものかと。