ミレトスの町には、光と影がある。
 華やかな貿易の町。自由で、闊達で、決して後ろを振り返らない、そういう世界が光とすれば、その光の届かぬ先で、ゆめ破れたものが当てもなくすだく、そういう影の世界がある。

 とまあ、まるでファバルが赤面でもしそうな出だしだが、そういうミレトス自由都市群の華々しい光の一つの象徴として、一人の女性がいたとする。
 アンジェラ・ド・マリネール夫人といえば、ユグドラル各所の知識人も舌を巻くだろう。
 若い頃は、某東の国のやんごとない筋の公称愛人のひとりだったこともあるらしい。その後ミレトスにやってきて、娼館と美術骨董品の店を開いたのがふた昔程前、彼女が専門に扱っているイザークわたりのエキゾチックな品々には、これまた大陸各所の王侯貴族もその顧客ではないかとのもっぱらのうわさなのである。

 それはともかく。
 彼女の興味は今、ミレトスに入ってきたという解放軍にあった。
 古の聖戦もかくやともうわさされるその現象は、同時に、「神器の集結」とも言える。
 聖剣、神剣、魔剣、地槍、聖弓、神風。うわさ通りとすれば、12ある神器の内の実に半分が「そこ」に集結しているとなる。
「ええ、プラムセルとかいう野暮なお貴族様のことは、わたくしも先刻承知ですわ。なんでも、ミストルティンを我がものにしようと当代の使い手を懐柔しようとして、失敗したそうじゃありませんの」
神器について言葉を求められた時、マリネール夫人はそう言った。
「でもね、骨董を趣味にするものにとって、『神器』ってある意味の目標だと思いますの。
 奇跡を秘めた、100年の重さがなんとも言えず慕わしいですわね。
 …ええ、とくに、バルムンクの輝きは、私一生忘れませんわ。あとにも先にも、あの剣より美しいものを、私は見たことはありませんもの」

 「あれ?」
そして、てん末の切っ掛けになったのも、ラクチェだった。
 城下の武器屋から、修理依頼しておいた各人の武器がとどけられた時、ラクチェがこんな声を揚げた。
「バルムンクって、こんなに重かったかな?」
バルムンクも、他の神器の例にもれることなく、百年前の奇跡と百年間の歴史がしみ込んだ精緻な象嵌と彫金が、柄とさやに施されている。だが、その重厚そうなその外見とは裏腹に、イザークの独自で高度な技術で維持されつづけた反り身の刀身は、薄くしなやかで同じ威力の他の剣にくらべても半分の重さでいられることを可能にさせている。
 その母が「娘」なら、さしずめラクチェは「オードの孫娘」である。そのラクチェにも伝わった違和感について、言うまでもなくシャナンは一見でそれを偽物と断じた。
「これを修理に出したのは、だれだったかな」
おこっているのか、うろたえているのか、それもにわかには分からない落ちついた風情で、シャナンはラクチェに尋ねる。
「さあ」
ラクチェもパティも首をかしげた。そこに、
「修理、終わりましたの?」
と声があって、ユリアが顔を出してきた。そして、シャナンの手にあるバルムンクを見て、
「やっぱりきれいに直ってますわ」
と目を細める。
「…ユリア、君がこれを修理に出したのか」
「はい。シャナン様もアレス様も、ご神器をお城の大広間に飾っておきますでしょ?」
「確かにな、みだりに使うことはないが」
「修理屋のおじさまがそれを見て、柄に巻いてある皮が弱ってるとおっしゃいましたの。それが剣の品位を落としているとかで、修理をしたいけれど、柄と刃をはずしたり、手間が多くてすぐにはできないからといわれたので、預けましたの」
「はあ」
「おじさま、見たこともない美しい剣だと、とてもほめてらっしゃいましたわ」
シャナンは
「そうか」
と、ぶ然そうに言った。ラクチェがそのユリアに食って掛かろうとする。
「ユリア、シャナン様はね、どんな修理も自分の目の前でさせてその日の内に自分でもって帰ってくるのよ!」
「ラクチェ、お前がいるとはなしがややこしくなる」
シャナンはラクチェをその場から離した。
「どこの修理屋だと言っていた?ユリア」
「さあ」
ユリアは、自分のリライブを抱えて小首をかしげた。
「いつも、来てらっしゃる方ではありませんでした」

 「で?それでどうするの?シャナン様」
話を聞いてぱてぃのは目を丸くした。
「どうするもこうするも」
シャナンは顎をひねって、すっかり考え込んでしまっている。
「…私には方法が」
「ないの?」
「こんな詐欺まがいの目にあったのは初めてだからな」
「まがいじゃなくてほんとにサギなんだってば…
 で、ユリアはどの修理屋に頼んだって言うの?」
「さあ」
「…もう!」
パティは、取りすがっていたシャナンの背中をぱんぱん、と叩いた。
「頼り無いっ」
「…すまん」
シャナンはうなだれる。
「いつもくるのは、目が細い、ヒゲのはえたおじさんなんだよね…」
パティはそう呟きつつ、思い付いたような顔をあげた。
「わかった! 私が何とかしてみる!」

 とはいったものの、取り急ぎできそうなことと言えば、ユリアをつれて街中の修理屋を尋ね歩くことだった。
「このひと?」
と、パティが主人の顔をおもむろにさすが、ユリアはふるふる、と頭をふった。
「そうなの?」
「おいおい、それじゃ一体誰なんだよ。その修理屋って言うのは。今ので最後だったんだぜ?」
 もう一度往来に戻ってから、「かよわいヲトメ」(パティいわく)の用心棒としてつれまわされているファバルが呆れたような声を揚げた。
「…、そうおっしゃられましても、わたくし…」
ユリアは、やや面を伏せて、恨めしそうな声を揚げて横目でファバルを見た。ファバルは慌てて言う。
「あーあー、ちがうよちがうよ、ユリアは悪くないって。悪いのはその詐欺師だって」
「お兄ちゃんてば…」
パティも呆れる。ファバルは持て余した気持ちを他人にぶつけた。
「大体、魔法には、そういう…なくしたものが見付かるようなのはないのかよ?」
「聞いたことはございませんわ、わたくし」
「それ、私も考えた。
でもねぇ、セティ様もレヴィン様も知らないってさ。
レヴィン様なんか、『魔法はそんな不精をするためにあるんじゃない』だってさ」
「そうかいそうかい。
とにかく、ユリア泣かすなよ? あとでアーサーが恐いぜ?」
「わかってるってば」
「そう!」
ユリアがぱっと顔を揚げた。
「あんなふうに…」
と、往来の中をさした。
「歩くと鈴の音がする人でしたわ」
「鈴?」
後の二人も、耳をすました。往来の中で、確かに、鈴のような音がする。

 「だったら、アンジェラ・ド・マリネールの『鈴のギルド』じゃねぇの?」
声がして、三人はぎょっとして後ろを振り向いた。
「何やってんだ、お前ら、挙動不審だぜ?」
「…アニキ!」
「…おじちゃん!」
瞬間、パティの頭にだけ、ごちん、と、目の奥が光るような感覚がした。
「いたーいっ」
トレードマークの帽子のおかげで痛みは実はさほどではない。だが。パティは、おこられてげんこつを食らった子供のようなオーバーアクションをした。
「だれがおじちゃんだ、いたいけな32才をつかまえて!」
「32才でなにがいたいけよ!」
「とにかくアニキ、どうしてここに?」
振り返った三人の目の前にいるのは、誰あろう、先の戦乱を妙ちきりんな才覚と度胸と強運で生き延びた、元盗賊デューであった。