ツキヲ・トラエロ

まくらさんに。

「ねー、シャナン様ってばぁ」
ある城の練兵場に、手持ち無沙汰がにじみ出たような声がする。
「町に一緒にいってくれるって約束だったじゃない〜」
「あーもう、ちょっと黙ってよパティ!」
シャナン本人の返事はなく、パティから何歩か離れたあたりのラクチェが言う。
「見てわからないの? シャナン様は大事な考え事をしてらっしゃるのよ」
「ラクチェ、お前も黙っててくれ」
確かに、シャナンはしばらく、おのが手を顎に当てたまま考え込んでいた。
「うむ」
そして、何かに納得したような声を上げ
「パティ」
と手招きをした。
「なに?」
人なつこそうに近寄る彼女に、シャナンはぽん、と、自分が持っていた模造剣を渡した。
「え?」
「暇だろうから、ラクチェと手合わせでもしていてくれ」
「はぁ?」
パティは剣を持ったまま立ち尽くした。
「ラクチェ、お前にはハンディを与える。その場から動くな。以上」
「はぁ?」
ラクチェも変な声をあげる。しかし、シャナンはそれいじょう、彼女らの異義を聞く様子もないようだ。

 パティは、ハンディがあるとはいえ、自分ではラクチェの相手になんかなるはずはない、と、やる気が無さそうに剣を構えた。
 なんといってもラクチェの母は、正統にバルムンクを継承するシャナンの父をして「オードの愛娘」と讃えさせしめた彼の妹…手っ取り早く言えばシャナンの叔母…である。その母を生き写しにしたようだと、シャナンをはじめとした解放軍の古い面々が思わず唸ってしまう剣は、気合い一つで目にもとまらぬ切り込みを相手に与える通称「流星剣」だ。
 この間の模擬戦でだれかがそれを食らってぼろぼろにされたっけ、そんなことを考えてると、
「大丈夫、あなた相手に流星剣なんて勿体無さ過ぎるから」
とラクチェの声。
「はやくかかってきなさいよ」
「あんた可愛くないわよ」
「じゃ、こっちからいくからね!」
ラクチェがひゅ、と横に動いた。パティの構えていた模造剣に自分の剣をかん、と当てる。
「ひゃっ」
「町なんていつでもいけるじゃない。今の時間は私と剣の稽古をしているって、知ってるでしょ」
「そーやって、いつまでもシャナン様離れができないと、ヨハルヴァが泣くわよ」
「まさか、シャナン様は私の剣の師匠だもの、ヨハルヴァだってわかってるわ」
「こら、喋りながら戦うのがあるか!」
シャナンが遠巻きに見ながら声を上げた。
「ほら、おこられた!」
「私のせいにするのっ?」
パティが、見えたラクチェの肩当ての当たりに模造剣を降りおろそうとした。かすかな手ごたえ。
「あたった!」
パティは思わず声を上げた。だがすぐ、ラクチェは振りおろしたままのパティの剣をきん、と撥ね上げた。
「きゃっ」
手がびりっと痺れて、すぐ、剣が転がる音がした。
「油断大敵。よくそんな注意力散漫で泥棒稼業が勤まったね、いままで」
「ふんっ」
パティはその場にとんび座りにへたりこんで腕を組む。
「あたし別に剣で食べてるわけじゃないもん」
「そこまでそこまで」
シャナンが近付いてくる。
「ラクチェ、その場から動くなと言っておいただろう」
「でも」
「マメに動いて敵をかく乱するのも、あるいはいい戦法だ。しかし、乱戦の中や、周囲にゆとりのない場所に追い込まれた時、はたしてそれが有効かどうか」
「…はい」
「パティ。動くラクチェを一回でも捕らえられた事は評価できる」
「ほんと?」
「うむ。だが、彼女の言う通り、やや注意力にかける。敵の動きに集中する努力が必要だな」
「はい」
「よし、訓練終わり」
シャナンは二人から剣を受け取る。
「ラクチェはヨハルヴァを呼んでくるように。町には四人で行こう」
「えーっ!」
ラクチェとパティはほぼ同時に不服の声を上げた。
「この頃、私と修行ばかりでヨハルヴァが拗ねているらしいと聞いたからな」
「…わかりました」
ラクチェがくるりと背中を向けて去る。
「確かに、いつまでも私の手を離れないと言うのも、心配と言えば心配だ」
シャナンが唸った。
「シャナン様、私のことでもそれぐらい心配してくれてる?」
パティがその顔を下から覗き込む。
「え?」
「なんか、シャナン様も、ラクチェ離れができてないみたい」
「まさか、これは純然たる従兄としての心配だよ」
シャナンが下からの視線を受けて気まずそうに相好を崩した。
「なにぶん、彼女と言いスカサハといい…物心つく前から私が親のようにして育てたから…従弟妹というよりは子供みたいなものだ。
 二人ともいい子に育ったと思うよ。
 ただ、ラクチェに関しては」
「関しては?」
「何もかもアイラに似過ぎた。選んだ男の趣味が悪いところまで同じだ」
「はぁ」

 「ねえねえ、シャナン様」
その夜。パテイはちゃっかりとシャナンのところに顔を出している。結っていた髪に指を通し、ついで頭をふるふると振って振りおろす。
「何を考えていたの? 昼間」
「ん?」
眠る前の陶然とした時間を味わっていたシャナンは、その声に再び呼び戻される。
「なんと言う事はない」
「教えてよぉ」
「…昨日、私とファバルが剣の稽古をしていたのは見ていただろう」
「うん」
確かに前日、シャナンとファバルは剣の稽古をしていた。稽古と言っても、ファバルの専門は弓なのだから、お遊びか余興程度に終止していたのだが。
「そして今日、ラクチェの相手をしたとき、ファバルの剣の動きがなんとなくラクチェに似ている気がした」
「なにそれ」
「私にも詳しい事はまったく分からない」
「お兄ちゃんの剣はチャンバラぐらいだよ? それと十何年と修行しているラクチェと似てる?」
「私も最初はそう思った」
シャナンは眠るのを止めてむくりと起き上がる。
「だが厳に、素人同然のファバルの剣には、素人には絶対できないはずの機微があったのだ」
「キビ?」
パティはふとんに潜り込んで、シャナンの足をまくら代わりにして丸くなる。
「しかし、今日、お前とラクチェとが手合わせしているのを見たが、やはりお前の剣には素人を感じない」
「まさか」
「正確には、ファバルとお前は『翡翠の原石』だよ。ちゃんとした師匠につき、真面目に修行してゆけば、ラクチェほどにとはいわないが、ひとかどの剣士として身を立てられる」
「ほんとかなぁ」
「これはまだ私の憶測の域を出ていないが、お前達にある剣使いに関するキビというのは、きっと」
シャナンは、実った小麦の穂の色にも似た、輝くようなパティの髪にかくれるようにしてある、右のうなじの淡いオードの印に触れた。
「これのおかげだ」
「ひゃっ」
しかし、パティはその一瞬のシャナンのセリフを聞いていなかった。手が触れた瞬間、肩を震わせる。
「いきなり何するのよシャナンさまってば! 鳥肌立っちゃったじゃない」
くいと顔をシャナンの方にそらせて文句を言う。
「もう!」
そしてお返しとばかりに、シャナンの脇腹をつねった。
「…ふぅん」
しかしシャナンはその行動に対しては特段の反応はしなかった。すぐには。
「そうくるか」
彼はパティに見えないところで唇の端をに、と持ち上げた。そしてやおら、ふとんの中からパティをすくいあげ、ぽん、と自分の上に乗せ上げた。
「『倍返し』だと、前に教えなかったかな、そういうオイタは」
「へ?」
パティは、その言葉について聞き返す余裕も与えられなかった。

暗転。