デルムッドは、依然として、釈然としないまま憮然とした気持ちを漠然と抱いている。
 母が出現したその真意と言うものがまたはかりかねる。
「ジャンヌ、母上が言いたいことって、一体なんだと思う?」
「さあ、それは、私には分かりません」
ジャンヌはあっさり、それに返した。
「そのことについては、ラケシス様は、今はどなたにもおっしゃりたくない様です。その時が来るまで、そっとしておいて差し上げましょうよ」
「…」
「ラケシス様は、きっと、お一人でいることが辛くなったのだと思うの。だって、今までお一人で大丈夫でいらしたのだもの」
「…」
突然あらわれてくれて、嬉しくないと言ったら、それは絶対嘘になる。だが、そのあらわれた母の視線が、時として自分を見ていないというのが、ハッキリとわかるからこそ、デルムッドはそこが寂しいのかもしれない。
「楽しそうに見えるけれど、きっと今は…」
ジャンヌが、それを肩代わりすることが出来ないのが辛い、といいたげな表情をした。

 自分が生まれてすぐはなされた、その理由は聞いた。迎えに行くのを途中でやめた、その理由も聞いた。
 ただ、一つだけ、聞き出したいことが、残っている。
 大袈裟に言ってしまえば、自分の命、その前に、何があったのか。
自分でも、何故そこにこだわるかわからない。いつか父が適当にはぐらかした質問を、今度は当事者である母にぶつけてみる。ひょっとして、それが実現可能なことになったからか。
 ジャンヌの言葉が蘇る。
「ナンナが心配していたわ。デルムッドはお母様と話をしないって」

 とはいえ、この母に一体何をどう尋ねたらよかろうか。
 デルムッドの目の前には、よい加減にメーターの上がった母が、とろとろと、やっとソファに起き上がっている。時間といえば、ほとんど深夜だ。
「そこまでお酒を召し上がるとは初めて知りました」
単純に、その場の感慨を抑揚なく口にすると、
「勇者の槍亭にいたの」
ラケシスは手で顔をあおいだ。
「おかみさんとひさしぶりに会ったの。ずいぶんおごられてしまったわ」
「それは、よかった、ですね」
デルムッドは、母の言葉の中身を半分ぐらい飲み込めないままに言った。ラケシスはしばらく、アルコールで程よく熱く潤んだ瞳を宙に泳がせていたが、やがて、とろりとした眼差しを目の前の息子にむけた。
「デルムッド、いらっしゃい」
ソファの空いた場所をてでたたく。座ると、ラケシスはその息子の首にかじり付いてきた。
「うわ、わ」
勢い、息子が母を押し倒したような格好になる。
「は、ははうえ」
離れようとしても、その力が存外に強い。ついで、この台詞。
「やっぱり、親子なのねぇ…」
「は?」
「抱き心地が同じ」
デルムッドは真っ赤になって戸惑う。
「あ、あの、やっぱり、こういうのは、まずくはないでしょうか」
「どうして? あなた、私にだっこされるのが大好きだったのよ?」
「そんな昔のこと覚えてないですってば」
「…つれない息子」
ラケシスはまるでうそなきするような顔をする。
「…私の中にあなたがいる。それに気がついた時、もう驚いたのなんの」
「…」
「知らないでしょうけど、あなたの名前は、あの人が用意してくれたのよ」
「…」
「ねえ、デルムッド」
「…はい?」
「傭兵仕事をしている間に、変な話を聞いたわ」
「変な話?」
「アレスが私の息子じゃないかって」
ラケシスは、デルムッドの胸の下でくくく、と小さい笑い声をあげた。
「そんなわけないわ、それはこの私が知ってる」
「そ、そうでしょうね」
「でも」
ラケシスが話を翻そうとする。デルムッドはつい、続く言葉に神経を傾けてしまう。
「嘘と本当なんて、紙一重なのよ。嘘みたいな本当もあれば、まことしやかな嘘もある」
「…」
「その話、嘘でなかったかもしれないの」
「…」
デルムッドはじわ、と、冷えた汗を背中一杯に感じる。
「もう子供ではないものね。わかるでしょう?」
「…はい」
呆気無い話だ。母は事実を肯定した。
「たった一度だけ… 亡くなる前の晩を一緒に過ごしただけ。
 でも、それを知っているはずなのに、あの人、何も言わなかった」
「…」
「だから私決めたの。あの人には嘘をつかないって。
 でも、だめね。大切になってゆく程、嘘をつきたくなる」
ラケシスは、今度はすすり上げはじめた。感情の抑揚の激しい人だと、デルムッドは、冷静にそれを受け止めていた。返す言葉をなくした。ただ、涙する母に黙って付合っていたくなっていた。父程には、たよりにはなるまいが。
「母上」
「なに?」
「父上が帰ってくるまでに、一度イザークまで、行ってきます」
「イザーク? 何故?」
「…待たせている人がいるもので」
すると、ラケシスは、がばっと息子をはね除けた。
「それ、本当?」
「…はい」
頬を染め、面喰らうデルムッドの顔を母はいかにも食指が動いたふうに眺め回す。
「そう。絶対ここに連れていらっしゃいよ。そのままアグストリアに帰るなんて許しませんからね」
「ええ。それは、もちろん」
今ないた烏がもう笑う。母はうきうきと、踊るような足取りで、
「その方に宜しく。おやすみなさい」
と、部屋の奥に入ってしまった。

 その後、
「…はは、うえ」
その言葉が自然に出ていた自分に気がつく。

 そして、デルムッドがイザークから戻ってくると、なぜか
「…アレス陛下?」
アレスがちゃっかりとレンスターにいる。
「ど、どうされました? リーンは?」
「リーン? 安心しろ、太鼓判付きの安産でおまけに続けて息子だ」
「それはおめでとうございます、が」
「ここまできて説教は勘弁してくれ。いやなに、叔父殿がそろそろ帰りそうなことを聞いてな。こうしてやってきたんだが」
「だから何故」
「わからんか」
「わかりませんよ」
「お前と俺と、ここに二人が揃わんことには、叔母上の旅の目的が達成されないんだよ」
「…あ? …ああ」
「母上を独占できんで悪いな」
アレスはもっともそうに言ってグリンした。ラケシスは、それを笑ってみている。

 そしてその日、レンスターの城の表で花々しく、宰相帰還の式典が営まれている間、ラケシスは盛装で来る人を待っている。彼女の持つ天の配剤と言うものに、関わる人々はそれぞれに納得のため息をつく。
「お母様、きれいだわ」
ナンナが、寝台から仰ぐように母を見た。
「ありがとう」
「私、できれば三つからの時間をもう一度、お母様と過ごしたい」
「あらそう。どうして?」
「お母様がこんなにお美しくなるのを、見ていたかったです」
「ええ、それは私もよ。三つのナンナがここまで大きくなって、きれいになっていったのか、話きくだけなのがもどかしいわ。
 そのぶん、あなたの赤ちゃんはじっくりと、見守らせてもらうわよ」
「はい。
 でも、お母様?」
「なに?」
「何故、お母様がここにいることは、お父様に秘密なのですか?」
「さて、何故でしょうかしらね」

 やがて、ナンナの部屋の付近がばたばたと慌ただしくなる。
「さ」
ラケシスは立ち上がった。盛装のすそをさぱ、とさばいて、立ち上がり、扉を注視する。
 そして、入ってきた影にむかって、
「おかえりなさい」
と言った。しかし。入ってきたフィンは、彼女に、一瞥を投げただけだ。
「なんだ、起きていて大丈夫なのか」
「はい」
「身体の方はもういいのか?」
「はい」
「無理はするなよ。人の話によれば今が最後の正念場だそうだ」
「はい」
「今日は客が多かろうが、疲れたと思ったら面会は遠慮してもらうのがいいだろう」
「はい」
「お前の出産までに帰って来られて何よりだ」
「はい」
「いつかお前が生まれてくる時には立ち会って差し上げられなかったのが心残りで…」
「はいはい」
フィンはそこで、はた、と立ち止まった。ぐる、と、目もくれていなかった後ろを振り返る。
 一瞬、彼の動きが止まり…その身体が後ろに倒れてゆく。
「さ、宰相閣下!」

 「頭、大丈夫?」
「ええ、まだ多少目がくらみますが」
夕刻の中庭。
「しかし…王女もお人が悪くなりました。何故口止め等」
「そのほうが楽しいと思って」
ラケシスはあっさり言う。失神のさいに強かに床に打ち付けたフィンの後頭部を冷やしつつ。その間に二人は、それぞれのこれまでを有り体に語り合う。
「しかし、傭兵をして来られていたとは…驚きました」
「解放軍に雇われていたこともあったのよ。もっとも、知らないでしょうけど」
「え!」
「私のことが知られたらちょっと困ると思って、すぐ離れたけれど」
「…そうでしようね…」
と、フィンは納得したような声を出したが、その声には、その間に何故名乗り出てくれなかったと言う思惑がありありと浮き上がる。
「傭兵をし続けていられる程、若くもなくなったもの。潮時なのだわ」
「若くないとは…なんというおっしゃられようですか」
「ここにきて実感したわ。私達に、孫が生まれてくるのよ?」
ラケシスはそう言って肩を竦める。
「それが時間と言うものなのでしょうけれどね」
「その流れてゆく時間にしがみついて今まできました」
フィンが、服をごそごそとかき回しながら言う。
「…これを。旅先でお目にかかることがあれば差し上げようと思い」
「あら」
ラケシスは、箱から耳飾りを取り上げた
「これ、ナンナにあげたのよ?」
「そのナンナが王女にお返しすると」
「そうね、あの子はリ?フ様から、もっと立派なものを戴いているものね。
 こんなおもちゃみたいなの」
いいさして、ラケシスはは、と口を塞ぐ。
「ごめんなさい」
「いえ、ほんとうのことですから」
フィンは複雑な仏頂面をしている。しかしラケシスは、口が滑った自分を恥じたのか、長いこと俯いて、黙っていた。
「…じゃ、私も」
そして、服に隠してあったロケットを取り出し、フィンの手ににぎらせる。
「?」
「開けてみて」
あけると、細密画の肖像なりおさまるべき場所に、なにやら青く輝くものが入っている。
「…髪の毛?」
フィンがいぶかしげな声をあげると、ラケシスは「そうよ」と、あっさり言った。
「沙漠に入ってすぐ、気がついたの。その子が、私の中にいることに」
「は?」
「三人目よ。ナンナの次よ」
「…はあ」
「遭難したところを助けられたキャラバンで、身重のままの旅は自殺行為だと言われたわ。だから、生まれて、しばらくたつまで、キャラバンといっしょにいようと思ったの」
でも。ラケシスはまた言いさした。
「数カ月も生きられなかった。生まれつき、弱い子だったって言われたわ」
「…」
ラケシスはぐっと身をちぢこませる。しゃくりあげようとするその気配を察して、大きい手はその肩をあたためるように抱く。
「ここにきて、ナンナが身重と聞いて、私は…その子の命は無駄にならなかったと思ったわ。きっと、これからの私達を見守ってくれるはず」
「…王女…」
「セレナといったの、その子」
ラケシスが、フィンの手にあるロケットに、自らの手で覆うようにして触れる。
「セレナ、今あなたのいるところが、お父様よ」

 ラケシスは、長いこと、涙をながしていた。フィンは、かけるべき言葉を、長いこと探していた。
「王女」
人生の半分近くを、この人への思いを糧にして生き抜いてきた。明日には帰る。明日には、と、沙漠の方を遥拝する毎日があった。
 そして、今言うべき言葉を言う。
「これからもこうして、お側にいることをお許しいただけますか?」
その言葉に、ラケシスは涙が引いてゆくのを感じた。その言葉に、思いあたる節があった。
 ブロイ夫人の語ってくれた物語で、「六華の騎士」は、愛する姫にこう求婚する。
『いつまでも、お側にいることをお許しいただけますか?』
ラケシスは、くすっ、と短い笑いを漏らした。彼には分かっていない。そして、自分の気持ちを思い返した。おそらくきっと、その言葉に応えた姫の気持ちとは、果たして今の自分と同じにちがいない。
『ひどいわ、私の言いたいことを先におっしゃってしまうなんて』
一抹の悔しさ、嬉しさ。杓子定規で融通がきかないから、今の今まで諦めてくれなかったその心にあわせて。
「ひどい人ね、私の言いたいことを先に言ってしまうなんて」

 数日後、レンスター城を七転八倒させた果てに生まれてきたのは、天使が羽を忘れてきたように愛らしい女の子だった。
 リーフの曰く
「この子には…ラケシス様、あなたの名前を戴きたいのです。ですが、同じ名前では紛らわしいこともありましょう。どうか」
このように命名を依頼されたラケシスは、ほぼ即答といっていいはやさで、「セレナ」の名を与える。
 つまり、この子の名前は、セレナ・ラケシス。後にアルテナが養育し、南トラキア女大公とよばれ、また「青い竜騎士」の二つ名のもとに武勲の誉れも高い、祖父譲りの青い髪と瞳の美貌の女性に成長する。

 でもそれは、別の話。

花咲く旅路  をはり。

<コメント>
Yさん、たいへんおまたせしました。
やっとできあがりました。どうぞ楽しんで下さい。
書きたいものをなんでもかんでもいれてしまったら、なんだかまとまりのないものになってしまいましたが…
 

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