花咲く旅路ver-4.1

Yさんに。

 グラン歴780年。
ノディオン城下町、闘技場に隣接した酒場「獅子王の酒蔵」亭は、ちょうど終わったばかりのこの日の試合について熱い議論が戦われていた。
「いやあ、あの試合は凄かった」
「あの黒い騎士はなんだったんだ?」
「あらわれたと思ったらあれよあれよと7人抜きで、」
「賞金丸ごと教会に寄付したらしいぞ」
「ほら、いるよ、あそこに」
「あ、ほんとだ」
観衆だった酒場の客達が、ぼちぼちとカウンターのすみに目をむけはじめる。いぶし銀のように黒光りする鎧の袖。着慣れたふうのサーコート(鎧の上に着る服・日本の陣羽織とはまた違う)の肩に豪勢な金髪がかかる。
「黒い鎧の騎士といえばさあ、この間の戦争の時、いたらしいよな」
「ああ、黒騎士…アレスとか、いったっけ」
「どっかの国からあかんぼの時に落ち延びた王子様だって」
「国に帰ったらしいよな」
そこに本人がいることも知らず、うわさ話がそこかしこによどんで、酒場はそこそこににぎわしい。
 と。
「アレス陛下!」
と張り詰めた声が当たりに響いて、客が一斉にしずまった。
「まったく、政務官の方々が口を酸っぱくして何もいわず町に出るのは止めるようにおっしゃっているのに」
声はつかつかと、酒場の中を進む。
「べつに、完全に禁止したわけではないのに、どうしてこう黙ってお出かけがお好きなのやら」
カウンターの、黒い鎧の金髪の男の前でその声はとまる。
「もうじきお子さまが二人になるのですから、お父上という自覚もきちんと持ってですね、」
そして、その男の首根っこをがっと掴んだ。
「ぐ!」
うつむき加減だったカウンターの男は勢い仰け反りそうになる。
「知らぬ存ぜぬは往生際がわるいですよ、…アレス陛下」
「…」
アレスは猫のように肩を竦めて、襟首の手の主を見た。相手は平然としたものである。
「覚悟されておいでなら、お早く城にお戻りを」
「…わかったから、この手をはなしてくれデルムッド」
「そう言うわけには参りません。
 首にナワをつけるべきところですからね、本当なら。
 今日こそ、何の反抗もなく、まっすぐお城に戻っていただかなくては、クロスナイツ隊長として私の面目が立ちません」
デルムッドはそのままアレスを酒場から引きずり出そうとする。
「わかった、ちゃんと歩くから、はなせデルムッド」
「リーンからもきっちり頼まれてますから」
つんのめりそうになりながら、ガシャガシャ歩くアレスをデルムッドは半ば引きずるようにして、城までの往来を歩こうとする。
「…お前、国王の扱いっていうものをだな、オヤジに一度教わった方が良いぞ」
「お言葉痛み入ります。今度そうしましょう」
「…まったく」

 観念してアレスは、まっすぐ城に戻ることにした。デルムッドはもう彼の首を押さえるのを止めている。
 朝の謁見、会議、山のような書類に署名して… 少しでも弱音らしきものを吐こうとすれば、昔気質の政務官は
「なんの、お父上はこんなことでは息切れ一つ為さりませんでした」
とくる。顔も分からない(そう言ったら「鏡を御覧なさい」と混ぜ返された)父親の影におびえた風な城の中の自分。国王というのはなかなかに、傭兵よりつらい仕事なのかもしれない。
「みんな思ってると思うぞ。
 傭兵上がりの国王に踊り子の王妃、そういうのに大切な公文書の決済をだな、任せて良いのかよ」
「その決済がないと成り立たないのが公文書というものらしいです。
 それに、まだ人生の年期ということで、まだまだ陛下は期待されておりません」
「いやにはっきり言うな」
「それに、ノディオンを出れば、旧勢力との様々な確執… 魔剣の出番もまだまだ多いでしょう」
「結局それか」
「仕方ありません。
 そう言う中で、リーンは陛下以上に努力しているのですから、彼女を見習うと共に、支えになって差し上げなければ」
「…」
アレスはふと立ち止まった。四方をぐるりと見回した。
「どうされました」
「いや…今何か、変な感じがした」
気のせいだろう。二人はまた歩き出す。門の見え始めるあたりまでやってきて、二人は、何ごとか言い合う声が進む方からするのに気がついた。

 「あ、そう。どうしても私を城に入れられないのね」
「百歩譲って王とお知り合いと言ってもね、すぐには会えないのだよ」
「私だと分かればすぐにでもあうでしょうよ」
門の衛兵が、女性らしき旅人に絡まれていた。
「あまりしつこいと、然るべき筋に差し出すことになるぞ」
「ええ、だしてごらんなさい、その方が話が早いわ」
女性の剣幕はたいしたものだ。若い門兵はへこまされそうになっている。
「そう、プロイ夫人をここに呼んで! あのひとならすぐ分かるはず」
「たしかに、そういうかたがいらっしゃると聞いたが… 王と同様に御会いになるかどうか」
「どうした」
見兼ねたデルムッドが声をかける。女性の声が往来に通って、野次馬が集まりはじめていたのだ。
「あ」
門兵は近付いてくる二人をそれと認めて、持っていた槍を捧げて礼をとった。
「あまり往来の前で言い争いなどするな、迷惑になる」
「は、はい、すみません、でも、このおばさんが城に入れろとしつこくて」
そのとたん、女性は烈火のごとく門兵につかみかかった。
「おばさん、ですって! そんな没個性な呼び方されたのは初めてだわ! 言っていいことと悪いことの区別もつかないの、このトンちき!」
「まあまあ」
デルムッドは背後から女性を押さえる。それにアレスは話し掛けた。
「今、ブロイ夫人と言っていたな」
「ええ、そうよ、まだお城にいればここに呼んできて」
「いるは確かだが」
アレスは、野次馬に混じっていた城の兵士によびにやらせた。暫くして出てきたブロイ夫人も怪訝そうな顔をしている。しかしまず、城の書斎で静かにしているはずのアレスを見つけて、呆れた顔をした。
「またお忍びだったのですか」
「それについては後にしてくれ」
アレスは女性をたてにするように前に押し出した。
「どちらさま?」
「私よ」
女性は道行きの外套をはずした。相応に年月を重ねてはいるのだろうが、ふた昔前も見てみたかったと唸らせるような美貌があらわれる。デルムッドは思わず、その顔だちが琴線に触れたか感心したような顔をしてしまった。
「…」
ブロイ夫人はその顔をしばらく見つめた後、いえ・まさか・でも・もしやとしばらく繰り替えした。
「考える必要なんてないわよ。私よ。帰ってきたの。
 私、あなたの話してくれた物語の『六華の騎士』が大好きだったもの。忘れてないもの」
「まあ」
思い当たる節があったらしい、ブロイ夫人は女性の手をとって
「では正真正銘姫様ですわ! あの物語は姫様のためだけに作った物語でしたもの」
と声をあげた。
「ど、どういうことですか」
と、デルムッドが言う。するとブロイ夫人は
「はい、この方はあなたの母上様、陛下には叔母上様になります」
そう言う。
『え』
アレスとデルムッドはほぼ同時に声をあげてしまった。

 ばたばたと、式典の準備が整えられる。アレスとデルムッド、そしてリーンは、城のなかのある年代を越えた面々が、揃って嬉しそうなことに目を点にしていた。
「…よっぽど嬉しいのね、ブロイ夫人、泣いてたわ」
リーンが言った。
「例の方は今どうしている?」
アレスが聞くと
「は、現在お支度の途中かと」
デルムッドが答えたが、すこしく憮然としていた。
「…正直、信じられませんが」
「まあね」
死んだとばかり思っていたノディオン先王妹ラケシスの帰還。城にとっては大激震である。
「いろいろ…言いたいことも聞きたいこともありますが」
「お前は特にそうだろう」
うつむき加減に言うデルムッドに、アレスもなんと言葉をかけていいかわからない。彼だってそうだ。
 生きているならなぜ、自分を探し出してくれなかったのか。
「まあ…幸いに御本人がいる、聞けばいいことだろう」
「はい」

 ラケシス入城の式典は無事に終わった。ノディオン城下の民にも、急なこととは言え、城門前の悶着が伝わっていたから慌てることなく迎えられた。
 式典の後、身内だけの晩さん会があって、その後。アレスそしてデルムッドが、城の西の棟に招かれた。
 二人は今になって、その西の一角を使うことが彼等に許されなかった理由が分かる。ラケシスは、どこかで、ただの王女以上の存在であったらしいのだ。
 ブロイ夫人が、部屋の前で立っていた。
「姫様お待ちでございます」
 そして、トビラを開けた。そして、ラケシスが立っていた。
「呼び出してごめんなさいね」
と言う。誰も言いとがめなかったことだが、王を呼び出すなど本当は誰にもできないことだ。
「…いえ、それはおきづかいなく」
アレスが、すこしく震える声で言った。ラケシスはもう少し近くに来るよう二人を招き寄せて、そして二人をまとめて抱き締めようとした。
「…二人とも、腕におさまる程小さかったのに」
彼女には、この二人の子供達の記憶は、同じように小さいままでとまっているようだ。その証拠に二人には、今日見た彼女の印象が強く入って、話に聞くばかりのその昔を思い起こすことができなくなっている。
「ごめんなさい。もっと早く、あなた達にあうことができなくて」
急に涙声になってくる。
「…なにか、理由があったのですか」
デルムッドがやっとのことで口を開いた。でもラケシスは何も言わなかった。