翌日。アレス・デルムッド・リーン、それにレンスターから使者としてきたジャンヌもそろえた中で、これまでの動静を説明したところ、ラケシスは納得したような顔をした。
「ほんと、レヴィンの言う通りね、私が気を揉ませる必要なんてなかったのだわ」
「は?」
デルムッドが変な声をあげる。
「それじゃ、説明しましょうね、デルムッド、あなたを迎えにいけなかった理由を」

 案の定、知識もなく単身砂漠に入ったラケシスは危うく遭難しかけた。
 砂漠に倒れ込んで意識が遠くなり、目がさめた時にまず入っていたのがレヴィンの顔だったのだ。
「あんた…こんなところで何しようとしていたんだ?」
「私、生きてるの?」
「隊商のダンナが見つけなければもうだめだったね」
レヴィンは、思うところあって各地を旅していると言う。ひとみに若干の思慮深さと何かを超越したものがやどるより他は、いつか知っているレヴィンとそうかわるところはない。
 レヴィンは、ラケシスの単独行の事情を聞いて、
「…それは、おそらくしない方がいいことだよ」
と、言った。
「どうして!」
ラケシスは思わず食って掛かる。
「どうしてもこうしても、それは子供達のためにはならないよ」
レヴィンはひょうひょうと言った。
「いいかいラケシス、今ここで、あんたがアレスをさがしてデルムッドを迎えに行って、レンスターに帰ることは簡単なことだ。
 でも、本当は違う。子供達が自分で乗り越えなければならない試練は、もう始まっているんだ」
「試練?」
「子供達は、時間が立てば自然に集まる。そして、宿命とロプトを克服する。あんたがしようとしていることは、その流れにさおを刺すことだよ」
「…」
「アレスもデルムッドも、あんたにとって大事な存在と言うことは、俺にもわかってる。
 でも、…血が一所に集結したら…だめなんだよ」
「…」
「だからラケシス…悲しいことかも知れないけれど」

 レヴィンは、ラケシスが加わると同時に、隊商から去っていった。
 ラケシスは隊商に加わり、手ごろな町に連れて行ってもらった。
『すぐ帰るなんて、勿体無いことはしない方がいい、いろいろ、見て回ってみな。俺の言ってることが、少し分かるよ』
そういうレヴィンの言葉に少し乗ってみようと思ったのだ。

 「隊商の護衛や、傭兵の仕事をして、いろいろ世界を回ったの」
ラケシスはそう言ってまとめた。
「傭兵の仕事は楽しかったわ。 あなたたちのことをわすれてしまいそうになるほど、ね」
アレスが質問する。
「では、どうしてここに」
「あなたが、アグストリア旧勢力を早く一掃したいと、大々的に傭兵をつのったでしょう。そこが故郷と言ったら、帰った方がいいと言われたわ」
ラケシスはぐるりと面々を見渡した。
「ほんとうに、レヴィンの言う通りにして良かったわ。私がいたら、きっとあなたたちをだめにした」
「そんなこと」
アレスは座っていた腰を浮かせる。が、すぐへた、と脱力して
「…なかったとおもいます」
「どうしたの? 大丈夫?」
リーンが耳打ちする。
「…大丈夫」
アレスはぼつぼつ言って、暫くしてから、
「…叔母上と、二人にさせてくれ」
と、言った。

 「手紙、読みました」
まずアレスは、それだけ言った。しかし、その後が続かない。それにラケシスがふふ、と笑った。
「何も言わなくていいわ。わかってもらえればそれでいいの。
 嫌なことにかぎって、みんな信じるものね」
「俺、ほんとにいっぱい、誤解してたんです。いろんな人を、恨みました」
「…」
「叔母上」
その呼び方には、まだ若干の面映さがあった。ラケシスが、もう一度言う。
「迎えにいけなくて、ごめんなさい」
「そんなこと言わないで下さい。俺も、叔母上と同じです。傭兵でいた時間は…それも、俺なんだと、思います」
「そう」
ラケシスは、アレスを近付けて、子供にさせるように、自分の膝を枕にして横にさせた。
「あなたは誰の膝枕も大好きだった」
「…」
「国王って、つらい?
 ブロイ夫人やリーンからいろいろ聞いたわ」
「…少しだけ」
懐かしい香りが、ごく微かにかおってくる。髪を撫でてくれる手が柔らかい。
「お父様と、くらべられてる?」
「はい」
「しょうのない人たちだこと」
アレスにとってはまだまだ食えない家臣達をまとめて、ラケシスはそう笑った。
「気にしなくていいのよ、あなたはあなた」
アレスは、閉じかけていた目をぱち、と開けた。
「拍子抜けしました」
「何が」
「叔母上なら、父上のようになれと、きっと言うと思って、覚悟してたんだけど」
「昔の私だったら、そう言うでしょうけど、お生憎様だったわね、それは」
「だから、少し安心しました」
アレスは、起き上がろうとしたが、ラケシスはその頭を離さない。
「アレス」
「…はい」
「どうしても、辛くなったら、リーンにこうしてもらいなさいな。あの子は母親に似ているから、きっと人の心が分かる子よ」
「…」
アレスはもう一度目を閉じた。そのまま、眠りそうになった。

 デルムッドは、ラケシスが来てからというもの、終始憮然とした様子をしていた。
 もちろん、相手が自分の母であるから、つっけんどんとした態度はしない。が、一般的な貴婦人に対する態度以上のものでもない。
「嬉しくないのかしら」
といぶかしむリーンに、アレスは、
「嬉しくないはずはないはずなんだが」
と変なことを言った。
「なあ」
ちょうど、そこにデルムッドがいた。
「陛下と同じですよ。
 言いたいことと聞きたいことと、今も整理がつかないだけです。
 だいたい、ブロイ夫人が確認しただけで」
「なるほどね」
アレスが、チェシャ猫のような笑いをした。
「とかいって、叔母上がいること自体は悪くはないだろう」
「そりゃ」
「叔母上がおられる時は、お前の目が嬉しそうだ」
「…」
デルムッドは混ぜ返されて、肩を竦めた。アレスは続ける。
「…叔母上がも話したがっておられたよ」

 中庭にデルムッドがひとりで出てくると、日ざしよけの四阿にラケシスがいた。まわりでちょこちょこと動くのは、今年二才になるアレスとリーンの息子、小さなエルトシャンだ。
「この子ったら、アレスの小さい時にそっくりよ」
ほら。ラケシスは嬉しそうに、小さなエルトを遊ばせている。
「…」
何か呼び掛けなくてはいけないはずだ。だがデルムッドは、その言葉を飲み込んだ。
 この、傍目には、世の左右も噛みわけていない風情を持つ貴婦人が、縁あって自分を産んだ。
 それを考えると、自分の中で何かが暴走しそうだ。
「…私がなにを言っても、にわかにあなたが信じてくれないことは、覚悟はしていたわ」
と、ラケシスが言った。
「あなたを育ててくださったエーディンやオイフェが、どう言ってくれたか、私は知らないけれど」
「…ヘズルの眷属として果たす使命があった、と」
デルムッドは、言葉を飲み続けていた。解放軍に加わるようになってから聞いた、その血にまつわるいくつかのこと。それが、今この貴婦人の中で、どんな意味を持っているのか。
「ねえ、デルムッド」
「はい」
「…」
ラケシスは、何も言わなかった。なにか言葉があるかも知れないと、彼女の顔を注視する息子と、視線をあわせてふふ、と笑った。
「何をしていいか分からない目をしてる」
「な」
小さいエルトを抱き上げて、立ち上がったラケシスは、
「アレスからしはらくお暇を戴きなさい。ちょっと忙しくしすぎだわ」
「でも」
「いいから」
有無もないいい口だったが、デルムッドにはなんとなく、それに抵抗はできなかった。奥底で、そうあしらわれるのが、ふと楽しかった。

 ジャンヌがノディオンに来ていたのは、レンスターのナンナ懐妊の報に際して、見舞いをうけたその返礼だった。うまく行けば、リーンの第二子の少しあとほどに、初めての出産を迎える計算になる。
「ラケシス様がお帰りになられて、本当によかった。ナンナにも励みになります」
「あまり力にはなれないかも知れないわ、母親としては失格の方だもの」
ラケシスは、ことさらにデルムッドを見て、こう言った。
「本当に、お変わりなくて」
「ジャンヌは綺麗になったわね」
ジャンヌの額際に、ひたとラケシスの手が当てられる。
「痛くない?」
「もう何年も前の話ですから」
「ごめんなさい。あなたにこんな傷を残してしまって」
「いいんです。これがあるから、私はがんばれるのですから」
話は、二人がともにいた時代のころに戻って行く。デルムッドはひとり取り残されていた。血をわけているのに、自分と彼女との間には、接点になるべき話題がほとんどない。
「ナンナがお母様、ね」
感慨深そうなラケシスのセリフで、は、と、立ち止まるように我にかえる。
「そうしたら、デルムッドが伯父様なのよ?」
「ラケシス様はお祖母様です」
ジャンヌが珍しく混ぜ返した。
「…私がこの子を産んだのは、二十歳になってすぐだったわ。
 一ヶ月ぐらいで手放してしまったの。それは後悔してる」
「…」
ほとんどはじめてみる、実に悲しそうな顔だった。
「でも、いいわ、こうして会えたもの」
「?」
ラケシスは、言ったきり黙ってしまった。妙な沈黙だった。ジャンヌが言う。
「…ラケシス様、レンスターについたら、ゆっくり、休みましょう」