「そんな、シレジアに戻られないなんて」
「あの国に、俺はいない方がいいんだ。欲しいやつにあげればいい」
そういう声が、よくするようになる。
 天馬騎士フュリーは、王子として接することによって、吟遊詩人レヴィンの化けの皮を剥がしてしまった。
「王子は、ただ一人の…」
「そんな話はもう御免だ。帰って、おれは死んだとでも母上に伝えてくれ」
「そんなことできません!」
三日とあけずそんな会話がくり返されて、フュリーの滞在は一月二月を数えるようになった。結局折れたのは彼女で、一騎のみで遊撃隊を組織し行動することになった。
 オイフェは、地形に関わらず移動できる利点に目をつけて、特殊任務を依頼した。
「天馬は、矢に弱いそうですね… 城の近くを移動する時には、弓兵やシューターに気をつけて下さい」
「わかりました軍師様」
フュリーはかつん、と槍の石突きで床を叩き、拝命の姿勢を取る。
「…すみません。来たばかりのあなたにこんな危険なことを頼んでしまって。
 シグルド様は、戦乱に乗じて動く盗賊に、村を襲われることにも気をかけておられて…」
「そういう誠実なところが、シレジアでも名声高いのですわ、シグルド様は」
フュリーは笑った。

 再び、シレジア城。再び、模擬戦の日を迎えていた。
「剣なら負けないのに?」
あざになった腕をおさえ半ベソになっているラケシス。輪の中央では、教練用の穂先のない槍で、フュリーのペガサスが仮想敵を討とうと飛び上がったところだった。
 定石通りに、フュリーは太陽を背にする。逆光が彼女を消そうとする。だが、「飛んでいるもの相手に戦う」ことになれている仮想敵は、そんな方法などお見通しのように、馬の手綱を捌いて光を背に背負った。降りてくるペガサスの腹が無防備にさらされる。
 ばちっと、槍のシャフトがペガサスの腹を叩いた。
 バランスを失うペガサスから落ちないようにするのが精一杯で、フュリーは槍を落とした。落とした槍の行方を追おうと首を左右に巡らした時に、その首筋にシャフトが当てられる。
「勝負あり!」
キュアンが笑った。
 対戦終了の礼をかわして、フュリーはペガサスの手綱を引いて輪に戻ってくる。
「お疲れ様でした」
と、オイフェが言うと、そのまた隣にいたレヴィンが
「ばかだね、ドラゴン相手に戦う連中にそんな戦法通用しないって」
と言った。
「シレジアの天馬騎士は、トラキアの竜騎士も同じく、高低差を利用して槍を直線的に振り下ろす。地上にいる敵を相手にする時には、無防備な部分に槍が届かないようにある程度の高度を保つことが必要だ。
 お前はその高度が足りねんだよ。
 相手がフィンだったから、とどめだってあんなに軽くしてもらえたけど、キュアンだったらアザの一こもできてたぞ」
「はい」
フュリーは槍を抱えてうつむく。
「分かって無いよ、前にも同じようなことを、マーニャにも言われているはずだ」
「はい」
「それがセイレーンの守備隊長で」
「はい」
「何十人からの天馬騎士を預かってるんだってから、笑っちゃうよな」
「…」
フュリーはきゅ、と唇を噛んだ。天馬の手綱を引いて、輪から消えていった。

「…なにもあんないいかたはしなくてもいいとは思うのですけど」
オイフェがぶ然と呟く。だがシグルドは短い笑いをしてから
「そういうこともないさ」
と軽く言った。
「…シグルド様も、フュリーさんの戦い方が悪いとおっしゃるのですか?」
「そうじゃないよ」
「じゃ」
「オイフェ」
シグルドはオイフェにむきなおってその鼻を摘んだ。
「!」
「そういうことは、あと二三年たってから言いなさい」
シグルドはにっと笑った。

 「フュリーさん!」
オイフェはつい駆け出して、兵舎に戻ろうとするフュリーに声をかけていた。フュリーは振り向く。
「どうしたの?」
どうしたもこうしたも、レヴィン様にああまで言われて、なんとも思わないのですか?」
「本当のことだもの」
フュリーはふふ、と笑った。
「どんなにどんなにがんばっても、レヴィン様お気に入りのマーニャお姉様のようにはいかないわ」
「そんなことないです、フュリーさん、十分強いです、立派です!」
「ありがとう」
オイフェの言葉に返ってくるフュリーの言葉は、どうにも心が入っていないように感じた。
 彼女の気持ちが分かるから、分かっているから、オイフェは何とかしてあげたかった。だがフュリーはそれ以上彼に質問を許す雰囲気では無く、ちょうどだれかに呼ばれた彼は、それに応じなければならなかった。

 自分にくどい程言い聞かせた。
 フュリーの気持ちを分かっていないわけではないのだろう?
 あんなに彼女は一生懸命なのに、努力しているのに。
 今日の模擬戦だってそうだった。取られたのはあの一本だけだったじゃないか。
 レヴィンさま、それぐらいであそこまで言う必要は無いのに。
 …でも、自分がフュリーを面々の前で弁護していたら、みんなどう思うだろう。
 …ひやかすだろうな。笑うかも知れない。
 …彼女を弁護できるようになりたい。
 …認められたい。
 …あの人の、あんなに悲しそうな顔を見るのは、嫌なんだ。…
 オイフェの夜は輾転反側と、眠ることは無かった。

 雪の目立ちはじめた、日当たりのいいあたりで、小さいセリスを遊ばせていたオイフェは、前夜の眠気をそのまま引きずっていたから、呼び掛けられていたことも知らなかった。
「オイフェ!」
「はいっ」
作られた太い声に条件反射的に返事をしてからあたりを見回すと、シルヴィアが腹を抱えて肩を震わせていた。
「…いたんですか?」
「何回呼んだと思ってるのよぉ、もう」
シルヴィアは笑いながらいい、
「何考えていたの? 今」
と尋ねてくる。オイフェははたと返答につまり、ふるふると首を振った。
「別に」
「当てましょか?」
シルヴィアはうふふ、と余裕ありそうな笑みをしてから
「好きな娘のこと?」
と耳打ちした。途端、オイフェの顔は爆発したように紅くなる。
「な」
口はそう言ったがでも、そうかもしれない。頭の中で、ずっと、あのヒトの顔を、描いては消し描いては消しをくり返していたのかも知れない。
「女のカンを甘く見ちゃだめよ」
とシルヴィアは胸をはった。
「だれ? その娘。なんだったら、仲取り持ってあげてもいいのよ」
「いいです。大丈夫です」
シルヴィアは、小さいセリスの世話をしている侍女の名前を数名あげた。だが、オイフェはそれを全員否定したので、首をかしげた。
「…モクヒケンを決め込むってわけね? いいわよ、あとでシグルド様に聞けばすむことだし。
 あ、そうだ、今度さ、ティルテュとアゼルが式挙げるの知ってる?」
「え?」
「知らないの?」
「いえ、前からそのおつもりがあるとは聞いてましたけど」
「『用意したドレスが着られるうちに』挙げたいから急ぐんだってさ」
シルヴィアはあはは、と笑った。
「あたしね、絶対ティルテュのブーケもらう。で、すぐ神父様と式挙げるの」
じゃ、ね。シルヴィアは言うだけ言って踊るようにくるりときびすを返す。
「セリスちゃん、またね」
彼女の脚に突進して行った小さいセリスの頭を撫でて、シルヴィアはつと立ち止まった。
「そうだオイフェ、そのヒトさ、ホントに好きだったら、絶対目を離さない方がいいかもよ」
「…は?」
「いろいろ壁が高いから」
「!」
女の勘とはかくも恐ろしいものであることを、その時オイフェは、初めてかつ嫌と言う程思い知らされた。


prevbacknext