フェザーピンク

 何も言わずに、自分の部屋に駆け込んだ。
 トビラを閉めるなり、その場に膝をついた。
 「この頃お前は、見てる間に大きくなるからなあ」と、シグルドが笑いながらあつらえてくれた、この日のためにとっておいた一着の袖で、乱暴に涙を拭った。
 窓の外はまだ、雪の止む気配は無い。

 シレジアでの暮らしは、これが果たしてグランベル当局から反逆者と認識されている面々の逃避行なのかと疑わせるほど、活気に満ちて穏やかだった。
 たしかに、シレジアでは、高貴な客人として遇された。セイレーンの城を丸ごと一個貸し与えられた。
 この二年ばかりに、あまりに多すぎた重い出来事の数々で、荒んでいた面々の感情も、しだいに柔らかさを取り戻す。
 オイフェだって、例外では無いのだ。

 「町に行ってみてもいいんじゃないのか?」
シレジアに送る書状に署名をしたところで、その様子をじっとみていたシグルドが、ぽつりと言った。
「町にですか?」
「私のかわりに、いろいろ見てきてほしい。…この頃、そういうことがひどく億劫になって、な。
 たのむ」
「はあ」
オイフェは、しぶしぶ、というていの生返事をかえしてから、シグルドの後ろ姿を見た。シレジアにこれから送ろうとしてるものも、シレジアのラーナ王妃を介して、その筋にディアドラの行方を探させてほしいと言う、梨の礫に気乗りしていなさそうなその筋を説き伏せる内容のものだ。
「すまない。シアルフィを発つ時に、がんとお前の要求をはねつけていれば、お前も結果的にこんな気苦労をかけなくてもすんだはずなのにな」
「それはお気になさらずに。これが私の使命ですから」
「使命、ね」
シグルドははは、と力無い笑いをした。
「では主人として命令しよう。オイフェ、今日はもう仕事しなくてよし。町に行って、羽をのばすように。以上」
下がりなさい。シグルドは手をはらはらと振った。

 廊下に出たところで、なにだか大荷物を抱えたデューと抱えさせたラケシスが通る。
「あらオイフェ」
立ち止まり、声をかけられて、オイフェは反射的に立礼を返す。
「オイフェ? ちょうどよかった、半分持って!」
デューは荷物の中から剣の束を適当に投げてよこした。
「みんなの武器を修理に行くのよ。一緒に行きましょ」
そういうラケシスは、大事そうに槍を一本抱き締めている。
「オイラが支払い。姫様に頼むと向こうの言い値だからって」
「仕事は大丈夫?」
「は、はい」

 本当は、シグルドにああ言われておきながら、自分の部屋で何か適当に時間を潰そうと考えていたオイフェだったが、その適当が何なのか自分でも分かっていなかったのだ。
 一応防寒にコートを羽織ってから、城の外に出る道を、二人の後についていく途中で、練兵場から声があがる。
「その槍の動かし方だと、自分のペガサスの羽を刺してしまうわ! 死にたいの!?」
「乗っているのが本物じゃ無いからって、油断しちゃだめ! 手綱はなすなんてとんでもないわ!」
時間的に、セイレーン駐屯の天馬騎士の訓練のようだった。
「…あいかわらずえらいケンマクだね、フュリーさん」
「ほんと。…レヴィンの前だとあんなにしおらしいのに」
何の気なしに、前の二人は会話する。
「この間の模擬戦、彼女から一本もとれなかったの」
「剣はともかく槍じゃねぇ… 途中からフィンさん真っ青になってたよ」
「本当? …もともと青いのに」
あはは、と健やかな笑いがひびく。オイフェは練兵場の壁の向こうをぽつりとたたずんで眺めていた。
「オイフェ、どうしたの?」
「あ、はい」
促されて駆け出しはしたが、何かがその場に残ったような、変な気分だった。

 武器を修理に出して、支払いをデューに任せてラケシスと帰ってきたオイフェは、ちょうど教練を終えたフュリーと鉢合わせになった。
「ラケシス様!」
「おつかれさまフュリー」
「はい、ありがとうございます」
フュリーは優雅な立礼を返す。
「一週間後の今度の模擬戦、絶対あなたから一本取るから」
うふふ、とラケシスは笑いながら、フュリーの二の腕をかるく叩いて去ってゆく。
「オイフェは、今日はラケシス様のお供?」
ついていこうとしたが、フュリーにそういわれて、オイフェはつんのめりそうになりながら立ち止まる。
「はは、はい」
「シグルド様のところに戻る?」
「はい」
「あとで、レヴィン様のことでお話があるって、言っておいてくれないかしら」
「はい」
「お願いね」
くるりと、庭のあっちとこっちとに、二人は離れていく。振り返らないフュリーの、夕方近い長い影が消えていく。

 シレジアの城に行き、実母ラーナと会うのに、レヴィン本人はそれ程乗り気で無いという、夕食後シグルドの部屋を訪れたフュリーの話である。
「…たった一人のお母様に会いたく無いなんて、そんなわがままを今は聞き入れる時期では無いのですが」
「シレジアから矢の催促が来ていることは、私も知っているよ。君も、いろいろとつらいだろうね」
「有り難うございます。御心配いただいて。…お見苦しいことを、見せてしまいました」
今日の昼前のことである。数騎の天馬がセイレーンに降り立ち、一人の天馬騎士がフュリーに面会を希望した。
 天馬騎士マーニャ。四天馬騎士筆頭、シレジア城守護隊長、フュリーの実姉である。
 フュリーが兵舎から出てきて、マーニャとしばらくかたった後、マーニャのこんな高い声が中庭に響いた。
「あなたは王子を甘やかし過ぎてるのよ!」
その後も短いやり取りがあって、マーニャ達は帰っていく。シグルドとオイフェは、小さいセリスを庭に連れ出していた時に、偶然この光景を見ていたと、言うわけなのである。
 シレジアの王位継承問題にからんで、レヴィンが王都に入りたがらないことは、オイフェにも分からない事情では無かった。王子が王子として王都に入ることは、辺境で機をうかがう王弟たちを脅かす行為である。ラーナ王妃だって、それを知らないわけでは無いだろう。
 それでも、王子を王都に呼び寄せたい理由って、一体なんなのか。
「おいでになりたく無いとレヴィン様が仰っているなら、そのままにして差し上げてもよろしいのではないのでしょうか」
オイフェが言うと、シグルドがそれを手で制する。
「…姉の言うことには、親子お二人でどうしてもお話しておきたいことがあるとか。このさい体裁も問題なく、ただ、王子のお身柄があればよしと」
フュリーは問わず語りに答えて、立ち上がる。
「もう少し、よく考えてみます。失礼しました」
「…何も力になれなくて、すまないね」
シグルドがせつなそうな声をあげた。
「いえ。姉の言うように、毅然と王子に臨んでみます」
ありがとうございました。フュリーは一礼して扉を閉めた。シグルドがちらりとオイフェを見る。
「すみません。出過ぎました」
と言うと、
「…こればかりは家庭の事情が絡んでいるからな」
シグルドは言って、セリスの様子を見に寝室に入っていく。
「オイフェ、今日はもうさがっていいよ。…結局、お前はここにいるのだな」
「…はい」
本当に、気がついたらここにいた。

 ノディオンの物見に、ふわりとペガサスが降りてきた。
 人の話や書物でしか触れたことは無かった。本物を見たのは初めてだった。
 緑の髪の長い天馬騎士は、毅然とした面持ちでオイフェを見た。
「レヴィン王子のことで、こちらの指揮官・シグルド公子様に申し上げたいことがあって参りました」
レヴィン。たしか、そんな名前の吟遊詩人が軍に出入りするようになったことは聞いている。風魔法を使う、腹に何かありそうな吟遊詩人。オイフェはそんな印象を持っていた。
 その吟遊詩人が王子? 話が見えるより先に、シグルドはマッキリー攻略でノディオンにはいない。それをつたえると、
「わかりました」
天馬騎士はペガサスに乗って、見る間に高く飛び上がる。翼から、羽が一枚落ちた。
 見たことのない、ほのかに血の通ったような白。
 そして。


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