「うわあ、なんて人込みだい」
夜の大通りは、一体どこからこの人数が湧いて出てきたのかと思う程だった。
「そうか、ハイラインはこの二三日守護聖人の祭りなのだ。バーハラからエッダの最高司祭まで招いてはでにやるらしい」
ゥイグラフが思い出したように言う。
「そういうことは早く言え」
ベオウルフはそういいながらラケシスの手を引いた。
「ほら姫様、前の方に出るぜ」
「はい」

 守護聖人の像をかかげた聖職者の列が教会の方に消えてゆくと、大通りはそのまま飲めや騒げの有り様となった。
「…と」
人がきれた路地の入り口当たりで三人は息をつく。
「さすがに人いきれが参ったな」
「お祭り、楽しいわ」
ラケシスは目を輝かせる。
「ねえねえ、あれは何」
「あれ? 屋台だな」
待ってな。やはり、金が入ると人間気が大きくなり、大きくなった分だけ緩むものなのだろうか。ベオウルフは財布を一度高く放り上げてから、屋台に向かってしまう。

 そして
「ほい、お待ちどお」
と戻ってきた時には、そこにいたはずの二人の姿はこつ然とない。
「!」
ベオウルフは左右を見回す。そして呆然とする。ややあってそばの老人が、
「ここにいたお方達のことかい?」
と焦ったふうに声をかけた。
「ああ」
「柄の悪そうな一団に女の子が無理矢理連れ去られていったよ、若いお方が後をおっていったけど」
「え?」
ベオウルフは裏返った声を上げた。
「そうか、ありがとよ」
だがすぐに合点のいった顔になって、彼は老人に屋台で求めたものをぽい、と投げた。

 宿から馬を出して、大通りを駆け抜けて、しばらく東に走ると、ウィグラフが走る後姿にあった。
 疲れの見えるその背中を後ろから馬に乗せあげる。
「姫さんはどっちにいった?」
「わからん…街道にそったと思うのだが」
「いや、途中でどこか目立たない場所に入ったよ。ここからノディオンまで、悪党の隠れ家になりそうな場所はないからな」
 ウィグラフの呼吸がおさまるまで、ベオウルフは馬をとめた。どうも、いつかであった悪党達とその背後が気にかかる。
「ウィグラフ」
「何だ」
「ハイライン周辺に、貴族の別荘みたいなのはあるか」
「…」
ウィグラフはしばらく無言になって、
「ハイライン北の森の中に、エリオットが好んで使う館がある」
と言った。
「やっぱりな」
ベオウルフは馬を回頭させた。
「つかまってろよ、大事な姫様の一大事だぜ!」

 西に傾く月を頼りに、二人を乗せた馬は街道を疾走する。その道々。
「姫は…ラケシスは、誰にも、渡せない」
ウィグラフが言った。
「大声出すなよ、舌噛むぜ」
「私がノディオンの人間と知った時に、なぜ自分は手を引かなかった」
「まだあの時は雇い代の金貨一枚の範囲だったんでね」
「…分かっているのだろう。私が、ノディオン王だ」
「は?」
ベオウルフの方が、舌を噛みそうな大声を出してしまった。
「マディノ王が海賊と手を結び、アグストリアの和を乱そうとしている事、それに先立って、マディノにとどまるクレイスとその娘…ラケシスとを、ノディオンに迎えようとしている事、すべて事実だ」
「合点が行かねぇな、なんで身分をかたる必要がある。
 ウィグラフという名前だって、本当のものじゃないだろう、王様よ」
「王の姿では見えないものと言うものがどうしてもあるのだ。
 しかし、察しがいいな」
「目の前の人間の力量を簡単に見抜けなくて、傭兵が勤まるものかね」
「傭兵と言うものはおしなべて金次第と聞いたが」
「みんながみんなそうとはかぎらねぇよ。いくら稼ぎが良くても、傭兵を人間扱いしないようなヤツには雇われたくはない」
「変わり者か?」
「ありがとうよ…
 で、どうなんだい、マディノは救われそうかい」
そういうベオウルフの問いに、ノディオン王ウィグラフ(仮名)は申し訳無さそうにかぶりを振った。
「そうか、やっぱり戦うか。ならなるべく、町は助けてやってくれや。いろいろ、なじみもいるんでね」
「努力はするが…すまない」
「それもときのながれってもんだ。
それより、もすこし話しちゃくれんかね、クレイスさまとやらのことを」
「クレイスの?」
「あの姫様をそうと信じ込むぐらいだ、そうとう御執心なんだろ?」
「…父上の、一番若い侍女だった。私と余り年がかわらず、彼女が故郷のマディノに戻るまで、いつも一緒にいた」
「いわゆる初恋のひとってやつかい」
ベオウルフの混ぜ返しに、ウィグラフはしばらく泰然と無言になりその言葉を受けた。
「時の王太子さまには、小娘の一人も自由にならなかったのかい」
「私が、十才になったとき、クレイスは突然ヒマを出された。
 私には、かねてより許嫁のきめられる事が決まっていたから、私のそういう心づもりを察した周囲の仕業かとずっと思っていた。
 だが、父上の遺品を整理していた時出てきた文書で、それが私の思い違いと分かったのだ」
「ウラがあったのかい」
「クレイスは父の子を身ごもった故にヒマを出された。文書はそれを認知するものの写しだった」
「は? 今、その人はお前とほとんど年がかわらんて」
「その時、クレイスは十四だった」
ウィグラフは言って、また黙った。ベオウルフが、森の木々の切れ目から、背後から月光を受けて立つ館を見ながら言う。
「辛いな。ほれた女の娘が実の妹って言うのは」

 館の中は静かだった。衛兵もいないトビラをあけると明かりだけが静かに揺れている。
「姫さんはどこだろうな」
「ここには何度か来た覚えがある。主人の部屋はあの階段の奥だ」
ウィグラフは、毛足の長い悪趣味なまでに真っ赤な絨毯に仁王立ちになって、さやに刺さったままのふだん使いでない剣でその方向を指した。その後、奥にまで聞こえるような大声を出す。
「エリオット、お前の魂胆は分かっている。お前のかどわかした方を返してもらおう」
すぐ、脇のほうから、いつかの町で見た一団も含めた男達ががぞろぞろとやってくる。彼等は二人の周りをぐるりと取り囲んだ。だが、ウィグラフに手傷を負わされた男だけは、慌てたふうに奥へとかけてゆく。残りは目の前の人物の正体を知っているのかいないのか…中には、明らかに忘れたのもいるようだ…、取り囲む輪をじりじりと狭くしてゆく。
「問答無用って風情だな」
ベオウルフとウィグラフはふと背中合わせになった。
「存分にやってくれや、王様よ、背中は守るぜ」
「…」
ウィグラフは持っていた剣を鞘ごと中段に構える。その行動に男達の一部は大いにプライドを傷つけられたようだ。
「なめやがって!」
そう言う声とともに切り掛かってくるが、ウィグラフはそれをその場で受け流した。返す剣で傭兵の胴をしたたかにたたく。
「うをっ」
男はじゅうたんの上にのめり、動かなくなった。
「死んではいない」
ウィグラフはそう言う。男達を眼光鋭く見据えたままで。
「ベオウルフ、私には聖ヘズルの恩恵がある。背中を守る必要はない。行け」
「お、おう」
流れるような一連の動きを圧倒した顔で見ていたベオウルフは、駆けながら、さやにおさめたままで決して抜かない剣、あれが世にいう「砦の奇跡」で下された三振りの剣のひとつ、ミストルティンなのだと、実感していた。

 薄暗い廊下を歩いてゆくと、人の話声のもれる気配がした。
 尋ね当てた、出所と思しき扉からは光ももれていて、ベオウルフはそっと耳を当ててみる。
「…あんな手荒い方法をとった事は謝る。だがふつうに声をかけさせたのでは、ダメだと思って」
「ま、人間の風下にもおけない方ですのね」
「風上だろ」
「お頭、本当なんですってば」
「うるさい、お頭と呼ぶな、それに、ここにやつがくるはずがないだろう!
 な、ラケシス、明日には返してあげるよ、そして父上にもお願いして、きっと正式にノディオンに行くから」
「イヤです」
会話を聞きながら、ベオウルフは、いかに扱いかねた先方の様子に「ふふ」と笑い声を上げそうになった。だがあの珍妙なやり取りもいいかげんにさせないとならないだろう。実力行使に訴えられたりすれば、いかに気丈な姫様でも、その細腕では自らの貞操は守りおおせまい。
「ごめんよ!」
ノブの当たりに足をかけておもむろにひざをのばすと、壊れそうな音をたてて扉が開く。
「な、なんだ、不粋な!」
ウィグラフと同類とはとても思いたくない、下品そうで貧相な貴族が、寝台の面に座り込んで、同じように差し向いに座るラケシスに手をのばそうとしていた。
「ま、私がいいと言うまでその剣よりこっちに来てはいけないと言ったはずですわ」
エリオット本人のものなのだろう、剣が一振りおいてあって、
「約束を守らない方は嫌いです」
ラケシスはそうぴしゃりと言いおいてから、改めてベオウルフに向き直る。
「迎えに来てくれましたのね?」
「あのなぁ、迎えにきたんじゃなくて、あんたが突然連れ去られたって聞いたから、ウィグラフと一緒に後を追ってきたんだ」
「ウィグラフは?」
「心配するな、あんなぐらいで死ぬわけがない」
「ああ、よかった。実はあなた達に何も言ってなくて、どうやって迎えに来てもらおうかと思っていたの。
 たすかりましたわ、帰りましょ」
「ああ、早くこっちにこい」
ラケシスはぽん、と寝台から飛び下り、ベオウルフに向かって小走りに歩み寄る。
「ちょっとまて!」
エリオットが声を上げた。
「はいそうですか、なんて、簡単には引きさがれないぞ!
 傭兵、貴様彼女が誰か知っているんだろうな」
「知ってるも何も、俺ぁこの姫様の一の家来さ」
なぁ。安心を促すようにぽん、と肩をたたかれて、ラケシスも
「ええ、そうよ」
と言う。
「大体だ、後から正式に話をしに行くったって、それでノディオンの王様が、それこそはいそうですかと納得するかねぇ」
なぁ、ウィグラフ。ベオウルフはちょうどやって来て背後に気配のしたウィグラフに言う。
「それよりまず、この非道をその筋に訴えられるのが先だろう」
「お、おま、おまおまま」
エリオットはウィグラフの顔を見て震えて腰を抜かしかけるが、ウィグラフ本人はこんなヤツなど知らん、という顔をしている。
「もっとも、この一両日中に城下や近郊でおこしたもろもろの所行について、『私の報告をお聞きお呼びになった我が主人は、きっとご看過はされまい』。
 姫を解放されよ、エリオット王子。ならば私は報告はしない」
 エリオットは「はひぃ」と本格的に腰を抜かした。

 入ってきた階段の間にもどると、ナワにした傭兵の固まりの傍らに、騎士風の男が三人ほどいた。
「御無事で良うございました、御主人様」
「お早くお戻りを。クロスナイツはすでに出撃しております」
「クレイス様も御無事でマディノを脱出されております」
同じような風体ゆえに、ますますその判別を困難にさせる同じような顔が同じような声で口々にウィグラフに報告する。ウィグラフはそれをまとめて
「うむ」
納得した返事を出し、ベオウルフに向き直る。
「…『王は、お前を直属の傭兵として雇い入れたいとおっしゃっている』。姫をここまで守りとおした実績を見込んで」
「へぇ」
「礼は、言い値だぞ」
「願ってもねぇな、でも、どうして」
「イムカ王がとうとうご決断されたのだ。マディノ王よりその領地を召し上げ、王都の直轄地にするのだ」
『姫』、と、ウィグラフはラケシスに向き直り、三人の部下を指した。
「『この者達が、ノディオンまでお供いたします。クレイス様をノディオンでお待ちしてください』」
「あなたたちは?」
ラケシスが少し寂しそうな声をだした。
「『マディノ遠征の兵を出された王を追って、そのままマディノまで参ります』」
「いやよ!」
ラケシスはウィグラフに飛び込んだ。
「二人とも、ノディオンまで一緒にいてくれると言うのが約束でしょう!」
「…すまねぇな。でも、ウィグラフの言う通りにした方がいいぜ、姫様」
ベオウルフはかがみこんで、ラケシスと目線をあわせた。
「なあ、いつまでも聞き分けのねぇことは言ってられねぇだろ、姫様のわがままって言うのは最悪国をダメにするんだぜ?」
「家来が口答えするの?」
「そう言う問題じゃねぇ。おれたちといるより、ずっとこの騎士様といた方が安心だ」
「ノディオンに戻ってくる?」
「ウィグラフにとっては国元だからな、きっと戻る。
 俺は、わからねぇな」
「帰ってこないの?」
「傭兵ってな、一つところに長くはいないもんさ」
「また会える?」
「…姫様、傭兵と『いつかきっと』の約束はしちゃいけねぇよ」
「どうして」
「簡単に死ねなくなる」
「…」
「な、いい子だから、聞き分けてくれ」
「…」
ラケシスはくっと唇を噛んだ。
「わかりました。
 でも覚えてて。あなたはずっと私の家来よ、私がいいって言うまで、ですわ」

 「ま、私そんな事言いましたの?」
ラケシスは数年前の自分をそうやって笑った。
「しかし、忘れられていたとは、俺も落ちたね」
ベオウルフは肩を竦める。
「…いろいろ、あれから私にはあったもの。お母さまはノディオンの水があわなくて、結局お早く亡くなってしまって、それを悲しんでいたからあなたのことを忘れてしまったのだわ」
「うまい言い訳だな」
「言い訳ではなくてよ」
ラケシスは、肩にからんだでいたベオウルフの腕を軽くつねった。
「マディノのことが一段落ついて、帰ってきたウィグラフが兄だったとわかったときには、それは驚きましたわ」
「だろうな。今まで俺とまとめて家来扱いしてたのがな」
「それから、お母さまのことを聞いて、兄に大切にしてもらって、幸せだわ、私」
「だろうね」
「いつかきっとの約束も、かなってしまったし」
ラケシスはそう付け加えてくすくす、と笑った。
「まさかあの姫さんがこんないい女になるとはな」
「ありがとう」
「…な、ラケシス」
「はい」
「あの金貨一枚はまだきいてると思うかい?」
「…どうかしら」
ベオウルフに耳もとで囁かれて、ラケシスはふふ、とじらすように笑った。
「でも、きっとそうよ」

天使のいる場所 をはり。

<コメント>
月読さん、確率変動カウント7777おめでとうございます。
おもえば、「ベオ書きますね」と約束したのが半年近く前のことになりましょうか(汗)
お待たせしておまけにこんなものにしかならなくてほんとにもうしわけないです。
(ラケシスの造作が他の創作と違うのは大目にみてやって下さい)
ほんとにありがとうございます。いい経験になりした♪

19990920 清原因香


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