天使のいる場所(太陽と月と狼男リターンズ)

ふたたび、月読さんに。

 いきつけの宿「イザークの翡翠」亭は、相変わらず静かだった。
 そういうと、
「嬉しい事をいってくれるね、ただうらぶれてるだけの宿屋に」
マスターは照れくさそうに笑いながら、やってきて常連の一人を迎えてくれた。
「で、ベオウルフ?何の仕事だい、今回は」
「ああ、それがな」
ベオウルフは、馬からはずしたばかりの荷物を脚で挟み込むようにしてカウンターの止まり木に腰をかけ、出されたジョッキを一回傾けた。
「ここ(マディノ)とアンフォニーが、海賊に絡んで一悶着起こすらしいとかいう情報を信じてはるばる来てみれば、ガセと来たもんだ」
「あれまぁ」
マスターは、傭兵には良くありそうな失敗談にはは、と短く笑った。
「珍しくエラい話掴まされたな」
「まあここしばらく金になりそうな話に縁がなかったからな…カンも鈍るってモンさ」
「それはそれ、しばらくゆっくりしていきなよ、そのうち確かな話も舞い込むさ」
もう一杯行くかね。マスターが声を上げた時、
「あなた」
と、声がかかった。ベオウルフが「ん?」と振り返ると、寂しい酒場兼宿屋には勿体無いような風情の少女が一人、道行きらしく、荷物を抱えて立っている。
「あんたか、俺を呼んだのは」
凄むように首をかしげながらぶっきらぼうに声をかけると少女は
「そうよ」
平然と答える。
「あなた、お金ないの?」
そしてのっけから聞いてくる。
「は?」
「あなた、傭兵なんでしょ?」
「ああ」
「よかった」
少女は一瞬だけ、相応に顔を綻ばせる。だがすぐ毅然とした顔に戻り、
「お金なら差し上げます、あなた、私の家来になりなさい」
と言った。
マスターもベオウルフも目を丸くする。ややあって、
「おいおいお嬢ちゃん、本気かい?」
とマスターが言った。
「お嬢ちゃんみたいなのが傭兵を雇って一体どうするつもりだい? だいいち、お金はあるって、どれだけ」
「お金ならちゃんと持っていてよ」
ほら。少女は、荷物の中から小さな袋を取り出して、そこからきらりと光るものを出した。
「これでよいかしら?」
直後、ベオウルフとマスターはほぼ同時に爆笑した。
「お嬢ちゃん、確かにそれはお金だわな。だが、いくら金貨だっても、たった一枚じゃどうにもならないね」
そしてマスターが笑いながら言う。
「さ、おままごとは終わりだ、おうちにかえりな、お嬢ちゃん」
ベオウルフは、そう言われた彼女のかおに、ほんの一瞬だがハッキリと怒りが見えたのが見えた。だが、この少女は、その表情を隠すのが実にうまいらしく、すぐもとの平然とした表情になって
「わかりました。コウショウはケツレツですわね」
と言うや、くるりときびすを返して、扉を外に出ていった。
「…子供って、なに考えてるんだかねぇ」
マスターが、呆れるように言った。ベオウルフも、返す言葉がなかった。

 そのすぐ後、外の通りがにわかに騒がしくなる。
「なんだ?」
「喧嘩か?」
入ってきた人間に聞くと、
「たいした事はないよ。変な女の子が言い掛かりつけてきたとかで揉めてるだけだから」
という返事。だが二人は、それがすぐ例の少女であろうと察した。ベオウルフは考えるより先に外に出る。
 案の定、と言うべきか。
「あ?? 金貨一枚でおれを雇いたいだと? いい度胸してやがるなこの小娘!」
そんな声が聞こえる。どうも、彼女はあまりタチの良くないクチに声をかけてしまったものらしい。
「しょーがねぇな」
彼は軽く舌打ちをして、騒動の中心に
「ちょっとごめんよ」
と近付く。果たして少女は、やさぐれて、のみならずメーターもあがって凄む傭兵を前にして泣きべそひとつかいていない。
「私の依頼を受け入れられないと言うのなら、もう用はなくてよ」
「黙れやアマっ子! おまぇは俺様のプライドズタズタにしてくれたんだぜ? おとしまえつけてもらわにゃわりにあわねぇ」
そういうやり取りを前にしつつ、人だかりはただひそひそとさざめくだけで事態を収集しようとする気はないらしい。そういうところにベオウルフは飛び込んで、少女の腕を乱暴に掴もうとしたヤサグレの腕を逆に掴んだ。
「よさねーか」
「んだよ手前ぁ」
「こんな小娘ひとりにバカにされたぐれーでアツくなるな。そのほうがずいぶんみっともねぇ」
「うるせー、はるばるやってきて傭兵仕事のクチがガセなのが悪りぃんだ」
「じゃ、自分のカンの悪さを恨みな」
ベオウルフは男の手を離し、少女の手を取り直すや、彼女を
「ちょいとごめんよ」
と、人だかりから引きずり出した。
 折から、夕刻が差し迫る。

 「オヤジ、酒でないのなんかあるか」
店に戻って、自分のいた席の隣に少女を座らせると、ベオウルフはマスターにそう言った。
「あんた、そのコと関わる気なのかい?」
マスターは眉をしかめる。
「通りを歩いてて肩がぶつかるのもなんとやらだ。見殺しにしちゃ夢見が悪い」
「はあ。
 酒でないのねぇ…ミルクぐらいかね」
「それでいいや」
少女はきょとんとして、自分の前にマグが出されてゆくのを見ている。
「おごりだ、一杯やっときな」
酒をすすめるようにベオウルフが言う。少女は彼の顔をちらりと見た後マスターに言った。
「ねぇ、オレンジピールを刻んだカスタードのタルトはある?」
聞き慣れぬ言葉にマスターは目を点にする。
「ぬな?」
「ないの?」
「…お嬢ちゃん」
笑っていいのやら呆れるべきなのか、分からない顔でベオウルフが言う。
「あんた、ここをどこだと思ってる。おとなしくそいつをやってくれ。そしたら家の場所を教えるんだ」
「それは言えないわ」
少女はミルクをくっと空にしてから言った。
「おかわり」
「…は?」
「出してくれ」
動転しかけているマスターをなだめるように言ってから、ベオウルフは少女に
「どうして、教えてくれねぇの」
と言った。
「行ったらあなた、私を送りに行くのでしょ?」
「当たり前だ。いつまでもあんたの相手ができるほど俺はヒマじゃねぇ」
「さっき、仕事が見付からないって言ってなくて?」
「…」
ベオウルフはそっぽをむいた。どこでどんな教育を受けてきたのやら、少女の口は達者だ。そして彼はその達者な口にけおされるままに、少女を改めて眺め回してみる。はじめ見た通り、風体は道行きである。だがその身なりといい、顔かたちと言い、これからだんだん物騒になってゆく界隈に一人でほうり出すにはいろいろな意味で危険すぎる。年だって、精々十二三だろう。だが、後数年後が楽しみだな、と、彼はいらない事まで考える。
「なにか?」
気が付くと、少女が呆然としているベオウルフを怪訝そうに覗き込んでいる。
「うわぁ」
「で、あなたどうするの? 私を家に帰すの?」
「どうせ、そう言ってもあんたはイヤがるだろう」
「そうね、おこられるのは私もまっぴらよ。黙って出てきたし」
「はあ?」
トドメを食らった気分だ。よりによって、家出少女を拾ってしまった。
「ああ、そうかい」
そうとしか返せなくなった。少女のペースに飲み込まれてしまう。
「で、どこに行くつもりなんだい」
「ノディオン」
「ノディオン? どうしてまた」
「私、あそこのお姫様なんですって」
「はあ?」
マスターが裏返った声を上げた。たまらずベオウルフは、少女を抱え上げると、勝手知ったる上の階にある自分がいつも使っている部屋に飛び込む。
「…おぢょうちゃん、世の中には言っていいウソと悪いウソがあるって、親御さんには教わらなかったのかい?」
わなわなといいとがめても、
「嘘じゃなくてよ」
少女は平然としたものである。
「私も、ついこの間知ったのですけれども」
「はあ」
「お母さまのところにお手紙がりましたの。ノディオンの王様と言う方からのお手紙で、お母さまと私にノディオンに来てもらって、一緒に暮らしたいのだそうよ。
 お母さまに聞いたら、今のノディオンの王様は、私の、お母さまが違うお兄様なんですって」
「へえ」
たしかに、そんな話を旅の途中聞いた事がある。ノディオンに代替わりがあって、新しい王は若いが相当に頭がきれて、アグストリアの王を束ねる盟主が、自分の子供より可愛がっているらしい、と。
「それで私考えましたの。私、お母さまより他に家族ができるのは、お兄様が初めてなの。それで、私達と一緒に暮らしたいと言うお兄様って、どんな方なのかしら、と、思って」
「…へぇ」
「物語に出てくる騎士様みたいに素敵な方だったらいいな、と思って」
ベオウルフの脳裏に、白馬にさっそうと乗ってアーミン毛皮の襟をした真っ赤なマントをなびかせた美貌の王子が走り回る錯覚が起きた。そして、語る少女の瞳は、やはり相応にうっとりとする。
「…」
彼女なりに、相当な信念のもとに決行された家出なのだろう。しかも右も左も知らない人間だらけにも関わらず臆するところがかけらもない。いい意味で恐いもの知らずなのか悪い意味でそうなのかはまだはかりかねるが、この芯の強さは天下一品として差し支えないだろう。なだめすかした程度じゃ、大人しく家に戻るとも思えない。
「…なぁ」
「なに?」
「あんたが持ってる金貨一枚で、雇われてもいいぜ、俺」
「ほんとうによろしいの?」
「しょうがねぇやな、乗りかかった船だ」
「ありがとう、嬉しい!」
少女はぱっと華やかに笑って、ベオウルフの胸板にためらわず飛び込む。
「!」
ベオウルフは彼女を剥がしながら後ずさる。
「あ、あのな、お嬢ちゃん、今日知り合ったばっかりの男にそういうことしちゃ、おっかさんが泣くぞ…」
「どうして?」
「どうしても!」