小綺麗な風体の少女を連れた傭兵ベオウルフの姿は、世が世ならその筋に声をかけられて職務質問の一回もされても文句もでないような有り様に見える。
 とにかく、少女のために別に部屋をとってもらって翌日。
「さてお嬢ちゃん、ノディオンに出発とするかね」
「ええ!」
二人は『イザークの翡翠』亭を後にした。
おそらく、彼女の家元では、この少女が消えた事で上に下にの大騒ぎになっているはずだ。しかし少女が家に帰りたがらない都合上、この場合は到着先に話を通しておくのが賢明に思えた。
 なにより、彼女の話を信用すれば、少女の引き取り先になるのは恐れ多くもノディオン王家だ。王自ら率先して継母と異母妹を迎えようとするその執心の足下を見れば、幾らか礼も弾まれよう。
 打算半分、同情半分といった心境で、マディノの城下町を抜けて街道を南に向かう。
 その道々。
「お嬢ちゃん」
「なに?」
「いつまでも、こう無人格に呼ぶのもなんだ、名前おしえちゃくれねぇかね」
「名前?」
「ああ。それとも、お姫様とでも呼ぶかい?」
少女はすこし考えて、
「そうね、お姫様になるのだから、そう呼ばれることに慣れたほうがいいのかも知れないわね。
 わかったわ、私の事は『お姫様』と呼びなさい」
ベオウルフは、一瞬呆れるように目を開いた後、
「へいへい」
となげやりな返事をした。
「でも本当の名前はラケシスというのよ、覚えておいてね」
「変な名前だな、男みたいだ」
「おじいさまがつけて下さったそうよ。神話や歴史が大好きで、どこか遠いところの女神様と同じ名前にしたのですって」
「へえ」
「あなたの名前は?」
「たいした名前じゃねぇな」
「ああそう、ならいいわ」
「…」
仰々しい名前の前には話題に花も添えられない名前のつもりだ、と言う謙遜表現が少女ラケシスには伝わらなかったようだ。彼は慌てて言い直した。
「俺はベオウルフってんだ、そっちこそ覚えとけ」
「そう」
だがもうラケシスは興味が無さそうだった。そこに、
「すまんが、後をつけさせてもらった」
と声がかかる。
「ん?」
変な話ならもうかかわり合いたかないな、そういう一瞬の希望は叶えられなかった。振り向けば、これまたこざっぱりとした風体の端正な男が一人、馬からおりて立っている。
「何だい」
ベオウルフはつい身構える。反射的に手が腰の剣を抜こうとする。
「お前の向こうがわにいらっしゃる方の事なのだが」
だが、男のその先が早かった。男の腰の剣はすでに抜かれ、その切っ先がベオウルフの鼻面に今にも刺さりそうになる。
「!」
「…その方がどちらの方か、分かっての所行か」
「…はあ?」
剣を鼻面に突き付けられたまま、ベオウルフは変な声を上げてしまった。
「…こいつは」
そして、後ろ指で、横向きに馬に乗ったまま呆然としている少女を指して、
「まあ…俺の…雇い主さ。家出したんだそうだ」
「そこまで言わなくてよろしいわ」
ラケシスは、やおら口を開く。
「降ろして、早く」
馬の上で足をばたつかせる。ベオウルフは、ラケシスの下馬の手伝いをしてから改めて男に向き直った。
「で? つけてきたってどういうことだ」
男は、しばらく考えていたようだったが、やがて口を開く気配を見せた。
「海賊よりもたらされる不等な富により、いよいよ不穏な力を貯えてくるマディノを、イムカ王は危機感を持ってみておられる。
 このままアグストリアの和を乱すような事があれば、最悪の手段に訴えてもやむなし、と」
「ちょっとまて」
だが、とうたらりと口上を述べはじめた男の口を、たまらずベオウルフは塞いでいた。
「お前さんの都合は今はどうでもいいんと違うのか。
 大体、大事そうな仕事を抱えたお貴族様がだぜ? 何で俺にまで用が」
「だから、用があるのはお前本人ではない」
男はベオウルフの手を顔から剥がしてから言う。そして、彼に半身を隠すようにして事態を見ているラケシスを見た。ラケシスは、どうも、このケッタイな男が、実家に自分を連れ戻しに来た人間だと思っているらしい。
 そして男も、しげしげとラケシスを見た。それから
「…クレイス…様では、ない?」
と呟くように言った。ラケシスの顔はとたん華やぐ。
「クレイスは私のお母さまよ、私はラケシス」
「ラケシス」
彼女の名前を反すうするように男はくり返す。ベオウルフはひとりかやの外になった。
「ねぇ、お家から来たの? あなた」
ラケシスにそう聞かれて、男は呆然とした顔をにわかに引き締めて、
「いえ」
と言う。
「どのような事情か分かりませんが、なぜ、クレイス…様のお嬢様がこんなところに、こんな男と」
「こんな男で悪かったな」
「ねえ」
ラケシスはとと、と男に小走りに駆け寄り、
「お願い、お家やお母さまには言わないで」
と男の手をとった。ベオウルフはその一瞬、男の目が、凪いだ水面に写る月をかき回したように動揺したのを見のがさない。
「お母様がこのことを知ったら、きっとご病気を悪くされてしまうわ。…ね」
ラケシスは男の顔を下からのぞきあげるようにして言う。
「…はい」
男はグウの音もでない雰囲気で呆然と返す。
「で、お貴族様よ」
男の正気を促すようにベオウルフはわざと大きな声を出した。
「本来のお仕事とやらはどうしたね?」
「見るべきものは見ている。
 それに…主君から…事態が深刻になるようであればクレイス…様とお嬢様とを国まで独断で逃れさせてもよしと密命も下っている」
「てことは、あんた、ノディオンのお人かい」
「そうだ」
「そりゃいいや」
なぁ、姫様。ベオウルフはラケシスに言う。
「こうやってお国元の人に出会えたのも何かの縁だ、この人についていきな。
 俺はこのへんでおさらばとするわ」
だがラケシスは
「いや!」
と、彼の腕をぎゅっと握った。
「ノディオンまで一緒にいると言うのがケイヤクでしょう!」
「金貨一枚で都合が良すぎるぜお嬢ちゃん、わるいことは言わねぇから」
「いや! うまれて初めてお城から出たのに、またお城の中で暮らすなんていや!」
「…そうかい」
ベオウルフは額に手を当てた。こういう話には弱い。損得抜きで同情してしまう。
「じゃ姫様、この男を雇いな」
「え?」
「自分の家来として雇うんだよ」
「なぜ?」
「あんたはお姫様だろうが。一人ぐらいおつきがいたってなんのやましい事もない」
ラケシスはベオウルフの腕に縋ったまま、男をジッと見た。男は例の、動じない顔と動揺した目で目の前の二人を見る。
「あなた、名前は?」
「…ウィグラフ」
「ウィグラフ、ノディオンのお姫様の私はあなたより偉い?」
「それは、もう」
「私の家来になりなさい。お金が欲しかったら、ノディオンに帰ってから王様にいただきなさい」
よろしくて? ラケシスの無茶な念押しに、男ウィグラフは即座に
「はっ」
とひざを付いていた。
 自分で言い出しながら、どうにも嫌な予感のとまらないベオウルフだった、が。

 奇妙な一行は、それでもどうにかこうにか、アグストリアの西を南におりてきていた。
 ベオウルフは、夜な夜な、財布の虎の子を眺めてため息を付く。
 この姫様にはほとほと金がかかる。野宿には慣れてくれたが、食事はまだ、旅行きの携帯食に抵抗があるらしい。それはウィグラフにも同じ事が言える。
「結構いけるんだがな」
干し肉のかけらを噛みながら、ベオウルフは前後不覚に寝入っている二人を見る。
「それにしても」
貴族ってものは、育ちが同じだと顔まで似てくるものなんだろうか。たき火の光を同じように照らし返す24金色の髪を見ていると、そばの茂みが鳴ったような気がした。
「!」
剣を抜こうとする。だが、音はそれきりしなくなる。
「疲れてるんかな」
そう言う事にした。そろそろ、ウィグラフを起こす時間だろう。