拙者、笑うに笑えません

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 同じ質問を、今度は趙雲にぶつけてみると、やはり趙雲もきょとん、として、
「特に何も。彼女は優れた副将で、優れた副官だと思っている」
という。異性の部下だというのに、困ってる様子はかけらもない。
「趙雲殿のように割り切れればいいのですが」
関平はやはり指をうにうにとしつつ
「拙者はどうも…」
蜀の原型となる面々が、まだ流浪の旅団であった頃を遊び場に生きてきた関平には、話に聞くのとは少し違う城の中に、戸惑っていることは確かだ。
 それだけならまだいい。文官としての部下につけられたのが、あの金蓮。彼女の性格を知っている趙雲は、維紫が自分の提案のままに金蓮に希望を聞いての異動とはいえ、ここは読みを誤ったな、と思う。しかも、金蓮の悪い癖の出ているときに星彩に遭遇とは、関平が困り果てているのもうなずける。名は雲でも体は木石ならずだ。
「確かに、金蓮が二六時中張り付くような状況では、星彩とは顔を合わせにくいだろうな」
と言うと、関平は
「!」
声にならない声を上げて、
「そ、そ、それは」
と言葉を詰まらせた。

 何せ、男女七つにして席を同じくせず、の時代である。
 ある日のこと、張飛の妻・夏侯氏は、
「しばらくあの子とは遊べないのよ、わかって?」
といって、娘の影さえ見せなくなった。しかし、ある日突然、張飛がつれてきて
「じゃ趙雲よぅ、いっちょ頼むわ!」
そんな感じでもう一度出会った彼女は、名前のままの清冽な輝きを身に添えて帰ってきたように見えたのだ
 見なかった間、彼女はどんな風に変わってしまったろうか。そんなことを考えていた矢先の再会が、関平の中で、星彩がある種特別になってゆく過程のは、ありがちとはいえ、誰もそれを責めることでは無いだろう。
 ともかく。
「維紫殿にも言ったのですが、拙者、金蓮はどうも苦手のようです」
関平は、きっぱりと言い切った。
「そうか、君がそこまで言うなら仕方ない」
趙雲はしばらく考える。
「まだやり直しがきこうから、金蓮には一度離れさせれるよう、私から言っておこう」
その言葉に、関平はほぉ、と、やっと安心したらしきため息をついた。

 当然、しばらく関平の補佐をするに及ばず、の言葉を受けた金連は
「これって、罰ですかぁ? 関平様を困らせた」
維紫の仕事場でぶう、と膨れている。
「そうじゃないのよ、わかって、金蓮」
維紫も金蓮の機嫌を取るのが精一杯のようだ。
「関平様は、今は城仕えのことをそつなくこなすことが一番のお仕事なの。あなたの一所懸命はわかるけれども… お城の中についてはあなたが先輩みたいなものだし、慣れるまで、ほんのすこしだから。
 それに、次の卒伯候補に上がってくる子を指導する手が足りなくて」
「それなら、芙陽を戻せばいいじゃないですかぁ、あの子だって、卒伯出身ですよ」
確かに、芙陽を卒伯に戻せばいいのだが、彼女は彼女で、後宮のほうが水が合うようで戻すのはかわいそうだ。まさか耀夏を行ったばかりで帰って来いというわけにも行かず、まして春鶯は行った先が手放すまい。
結局、関平がもてあましている金蓮が妥当、と言うことになってしまう。
「まだ進路を決めていない卒伯だってまだ残っているし、もしかしたら、あなたの持ち前を発揮する場所が、ほかに出るかも知れないし…」
「大姐の意地悪っ」
しかし、金蓮に頭からそう抵抗され、
「意地悪っていわれても…」
維紫は眉根を寄せた。軍を外れたときと同じ呼び方をされたのにも突っ込めない。
「どうせ私は蓮っ葉で、関平様には似合いませんよ」
ぷすん、と金蓮が湯気を噴く。もはやどっちが目上かわかったものではない。
「大姐、私絶対関平様、諦めませんからね」
彼女はそう言って、ふい、と出て行ってしまった。

 そういえば、あの雅四娘の件で、趙雲の朝議出仕の邪魔を仕掛けた面々の中に名前の挙がっていた一人が金蓮だった。
 雅四娘が結局、軍規違反で放逐され城から出されたことがそうとうお灸になったらしく、それからは真面目に年季と功績を挙げてきたから、彼女はまだ城にいられるわけで、誰彼と視線が一定しないのは、維紫にはない、それが普通の少女の行動の一例なのだろうと思っていた。
 維紫は、自分に相談をもちかけて来た時の関平の顔と、これまで聞いた話をふと思い出す。軍の中が住まいの彼女だとて、いつまでぬるま湯の中にいるわけでない。金蓮のような部下がいるおかげで、入る情報もあるのだ。
「そういえば関平様は…」

 「ふう、終わった…」
 政治向きの書簡には書き方がある。関平は、文官に用意してもらった雛形に合わせてようよう、他の将軍達に比べたらまだまだ、という量ではあるが書簡を書き上げて息をついた。
「関平? 入っていい?」
それを待っていたかのように声がかかる。星彩だ。
「あ、ああ、もう終わったから、そこにいてくれ、拙者が出る」
倍量になった書簡を、筆記具と一緒に持ち上げて、関平は関羽の部屋から出る。
「…すごい量」
 星彩は、関平の腕の中の書簡の量に目を丸くした。
 彼女はまだ、正式に蜀の文官でも武官でもない。いわば、張飛が「桃園兄弟特権」で城に出入りさせて武技や兵法を学ばせている、特殊な存在だった。
「でも、父上や他の将軍は一人ではもてないほど書くんだ。拙者もそれに早く近づきたい」
「そう」
「筆のほうを持っている時間が長いなんて、初めてだ。手首が痛い」
関平は、本来の自分の部屋に戻り…金蓮のいないことを確認してから…書簡を所定の場所に置いた。そうしておけば、しかるべき官吏がやってきて、書簡はしかるべく処理される。
 後の私物を元に納めながら
「そ、それより星彩」
一挙手一投足を後ろから見られているような緊張感に、うっすら背中に冷や汗を感じつつ振り向くと、案の定星彩はじっと関平の動きを見ているようだった。しかしただ単純に、興味本位という風情だ。
「どうした? いくら拙者でも、一人でこんなところにいたら張飛殿が」
「関平のところならいいって、父上が」
と言う星彩は、戦装束ではない普段の服で、差し向かいの、ギクシャクと座った関平に
「あの副官はあれからどうなったの?」
と尋ねた。
「ちょっと手ひどいけど、しばらくもとの維紫殿のところに戻ってもらっている」
「そう」
星彩は、その答えだけで満足したようだった。
「それより関平、手、出して」
「手?」
「そう」
何気なく差し出した手を、星彩の両手が包む。
「うは」
関平はその声を呑んだ。武器の握りで硬くなっている上に、慣れない机仕事で墨がついた手なのに、星彩は嫌がらずに触っている。
「な、何を」
「さっき手首が痛いといったでしょう? 放っておくと、筆どころか、武器も握れなくなるから…」
彼女は、ゆっくりと、関平の手のひらや指や腕の筋をほぐし始めた。
「い、いいよ、そんなこと」
「遠慮しないで。父上にもしてるし」
ちがう、そういうんじゃないんだ。関平はううう、と、また言うことを呑んだ。

星彩は手も指も、武器を扱っているのに柔らかい。
「この分だと肩までこわばってると思う」
のみならず、彼女はそう言って、たぶん肩をほぐそうというのだろう、立ち上がろうとする。
「せ、星彩、そんなことまでしなくていい」
「でも父上にもしてるから…」
「張飛殿にはしてもいいかも知れないけど、拙者にはだめだ」
「何故?」
星彩の目が、いぶかしさに細くなる。関平はしどろもどろに、
「聞い話だから、本当のことかどうか拙者は知らないけど、張飛殿は、劉禅様の後宮に星彩を入れるかもしれない、と」
「…父上が、お酒に負けると確かにそんなことを言うわ。
 だからといって、真に受ける必要なんて、あまり無いと思う」
「あの方のことだ、本当にそうお考えかもしれない。
 それに、拙者も君も、一緒に遊んでいた小さい頃と、もう違う気がするんだ」
「そうかしら」
「君はそうは思わないかもしれない。でも、今は誰もいないけど、今誰かこれを見てたらどうする? そしてその人が、少しひねくれてて、わざと事件のように言ったりしたら」
星彩がわずかに首をかしげた。
「…関平、随分変わった」
「変わった。上背と声以外にも、随分変わった。それに星彩だって、変わっているんだよ」
関平は小さくため息をついた。もう言葉に詰まるところはない。
「戦場で君を守ることは、まだ張飛殿や趙雲殿の方が慣れてる。だから拙者は、違うところで、少しでも君に傷がつかないように、今は努力したい」
関平がすっくりと立った。
「君は拙者のところには来なかった。今日はそういうことで」
先に部屋を出る関平の後姿に、星彩は腑に落ちなさそうに肩をすくめた。

「なるほど…その足で君はここに来たわけか」
趙雲が言った。
「どこに目や耳があるかわかりませんから」
「星彩も、母上があれこれ仰っているようだが、結局張飛殿に押し切られての城出入りだし、私も格別意識はしなかったからな…」
その星彩が意識しないところを、誰ならぬ自分が自制することで補おうと関平はしよう
としているのである。同年代の他の青年に比べ、老成した考えだといえるだろう。
 本当なら、その星彩のことと、金蓮のこれからについて少し話もできればと思っていたが、関平はその話題については飲み込むことにした。趙雲はちょうど来客の最中だったのだ。もっとも、来客といっても、いつものごとく、馬超が他愛なく雑談に来ていただけなのだが。その馬超が、ごく簡単に関平の話を聞いて、
「意中の相手にはその意識全く無く、興味を向けてもらいたくない向きの熱烈な秋波は鬱陶しいか。存外に贅沢な悩みだな」
少しく琴線がくすぐられたような笑いをした。
「しかも張飛殿の大切な娘…趙雲殿もやりにくかったろう」
話を向けられて、趙雲は
「いえ? 星彩は実に教えやすい子でしたよ」
と言う。しかし、それ以上の答えを聞きたいかのような馬超の視線は刺さったままだ。
「雷姫みたいな事は考えませんでしたよ、あいにく」
目配せをそのまま流すように、趙雲も同じ方を向いて答えた。その返答は馬超を満足させなかったらしく、彼は関平に向き直り
「…まず自制をするというその考えは立派だと思う。それだけでコトがすめば上首尾なのだが」
そう言う。
「コトにしたいのがいるのも、また真だ」
「そう言うものですか」
「コトになれば面白い話だからな。容色に関しては鳶が鷹を生んだような張飛殿の娘を、殿と関羽殿のそれぞれ息子が取り合うのだから」
「本人はどう思っているのでしょう」
関平が尋ねると、まず趙雲は肩をすくめた。聞かせるべき意見は無い、と言う様子だ。
「見る限り、星彩には特別な誰かはいないように見えるが…後宮に入るかもしれないとなると話はやや劉禅殿に有利、か。
 関平」
馬超が尋ねた。
「確認するが、星彩に関して自制をするということは、自制するほどの何かを彼女に対して持っていると認識してよいな?」
「は、…はい」
ふむ、と馬超が唸ったとき、三人にとっては聞きなれた足音が、やや急ぎがちに近づいてくる。
「し、将軍、将軍いらっしゃいますか?」
「雷姫か」
「維紫か」
「維紫殿?」
男三人が、入ってきた維紫に一斉に目を向ける。
「関平様、こちらに…って、あ、関平様、いらしていたのですか」
「はぁ」
その短いやり取りの間に、馬超が極わずかににや、とした。
「コトになったな」

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