拙者、笑うに笑えません

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  星のジュブナイル  

 自分も何がしかの官職を拝命して、専用の仕事場もあるというのに、どうして自分はその仕事場で、息をひそめていなければいけないんだろう。
 廊下からは見えない壁の陰に隠れて、関平はそんなことを思っていた。
「あれぇ?」
追いかけてきていた声が、自分の部屋の前のあたりで戸惑うように変わる。
「さっき、ここまでいらしたような気がしたのにぃ」
お願いだから、気がつかないでくれ。関平が念じていると、そのかいがあったのかなかったのか、声は実に興味ありそうなふりで
「この部屋にいる人にきいてみようっと」
うわぁぁぁ。関平の口から泡を食ったようなこえがひそかに漏れた。
「あのぉ…」
「はひ、なんでひょーか」
とりあえず、鼻を摘んで声色を作る。
「こちらに、関平様のお部屋があったとおもうのですがぁ…」
「はひぇ、そうでひたかにぇ」
「私、お仕事の手伝いをしなくてはいけないので、お探ししているんですけどぉ…
 関平様のお部屋、どちらか教えていただけないでしょうかぁ…」
「か、かんへーはにゃのおへにゃは、…へっひゃもここにきてあひゃいので」
「ん? …せっしゃ?」
言葉、四駆も及ばず。
「やっぱり、間違っていなかったぁ」
ひょこりと顔が出てくる。
 関平様ぁ、こんなところにいらしたんじゃないですかぁ」
つかつかと部屋に入り、つけられた部下・金蓮が片目をつむった。
「関平様ったら、意外に子供っぽいんですねぇ。かくれんぼですかぁ?」
「違う、君がいると仕事にならないからだ」
「どうして仕事にならないんですかぁ?」
「どうしてって…」
関平はもぐもぐとする。仕事の上では慣れておかなければならない部下なのに、いると気が散る、なんて、理由にはなるまい。
「とにかく、金蓮」
関平は金蓮をさあさあと背中を押して
「拙者が必要なときには呼ぶから、どこかで控えていてくれないかな」
「ええ、でも、だって」
金蓮がぷう、とつまらない顔をしたところで、
「あら」
と声がした。
「関平…何しているの?」
「せ、せ、星彩…」
星彩の涼やかな目が、二人を見ていた。

 正直、関平はまずいところを見られた、と思う。しかし金蓮はそんなことも思っていないようで。
「星彩様、関平様って、面白い方ですねぇ」
星彩にもてらいなく口をきく。
「お仕事がいやだからって、さっきから私とかくれんぼなんですよぉ」
「本当? 関平」
と、わずかに首をかしげる星彩に、そのまま吹き飛びそうにぶんぶんと首を横に振る。
「そ、そんなことしないよ、ただ、拙者は一人で集中したかっただけで」
「絶対お邪魔なんかしませんからぁ」
金蓮は全く、その場所を動こうとしない。
「それに、お疲れになったら、お茶の一杯でも欲しくなるでしょうし、お夜食だって欲しくなるでしょうし」
「そう言うのは、全部拙者一人で出来るから」
そういう雑用は父・関羽の仕事の手伝いでたらふくやってきたのだ、自分のことができないはずがない。が、
「いいじゃない、集中したいのでしょう?」
以外と言うか案の定と言うか、星彩の言葉に、関平はぱくぱくと返す言葉がない。
「気が散るようなことを全部してくれるって言うんだから、声が届くところに
でも控えさせておきなさいよ」
「ほらほら、星彩様もそう仰ってくださるんですから、ね?」
「…」
関平はなにやら、唇を噛んだような複雑な顔をして、ぶい、と、二人を無視して中に入り、処理予定の書簡を全部抱えて出てくる。
「…どこに行くの、関平?」
「父上の部屋だ。父上と拙者の他は、はいっていい人が決まってるから」
今日はもういいよ金蓮。関平はそう言って、すったすったと二人をおいてその方向に向かってしまった。

 金蓮が
「もう、私がいるのがそんなにおいやなのかしらぁ」
と、いささかならず不満そうに呟くと
「いいじゃない。大手を振ってこれからの時間ヒマがあくのよ」
星彩には聞こえていたらしい。
「そう…ヒマといえば、私ちょうど、手合わせの相手が欲しかったの」
「え、わたしが、星彩様のですかぁ」
「ええ…イヤ?」
金蓮の声は裏返っていたが、星彩の口ぶりはまったく動じた様子もない。むしろ、
「あなたも維紫殿のところで卒伯までやったのなら、少しぐらい骨のある相手が出来るわよね?」
その星彩の顔は、これと獲物を見定めた目に見えて、金蓮は抵抗もできず、そのままずるずると引っ張られるよりなかった。

 しばらくあって、ぼろぼろになって帰ってきた金蓮を見て、暇つぶしか、部屋に入り込んでいた芙陽が
「関平様となんかいいことできた?」
とおおように言った。
「この様子見てわからない?」
と言う金蓮の様子は、確かに疲れ果てた様子ではあったが、色っぽい方向の疲れでは明らかになかった。ありていにあったことを説明する金蓮に、
「なぁんだ、朝あったときは『そのうち絶対関平様をトリコにしてみせるから』なんていってたのに〜」
芙陽はのんびり言って、間食の揚げ菓子を進める。それを器の中でがしっと握り
締めて金蓮は、
「もう、これが、がっちがちなのよぉ」
と、奥歯をかみしめるように言う。
「君がいると気が散るから、呼ぶまで他のところにいてくれとか、そんなのばっかし」
「だって関平さま、女の子に敏感なお年頃でしょ〜? 金蓮みたいに見初められたい雰囲気まとって歩いていると、関平様は気後れされちゃうタチなのよ〜きっと」
「そんなこと、言ってもさぁ」
金蓮はどっかと相部屋の牀に座って、
「関平様っていえば、殿が絶大に信頼を置いてらっしゃる『あの』関雲長大将軍の息子さんよぉ? 立派な親御さんがいて、それを見習おうとして、清廉潔白この上ない純な若将軍よぉ? 見初められたら後は左団扇じゃない」
きき生かせるような金蓮の言葉に、
「…関家に入って、左団扇ですむかな〜?」
芙陽はのんびりと、しかしえぐるように返す。のみならず
「それに金蓮、もともと軍に入った動機が不純だから〜」
「ちょ、ちょっと芙陽」
芙陽はニコニコしながら、粉々の揚げ菓子をつまみあげて口にさらさらと流し込み、
「趙将軍目当てに入ったら、大姐がいるんだものね〜」
と笑う。もっともその時は、仕事上の関係しかないと思っていたが、ああまで絶妙な(そして無意識の)距離のとり具合は、金蓮など入り込む隙間もなかったのだ。
「芙陽ったら、私の古傷を…」
金蓮は自分の胸を抑えて、同じように粉々の揚げ菓子を口の中に放りこんで、盛大にむせた。

 一方。
「まあ、金蓮が」
維紫が珍しく難しい顔をした。
「彼女が一生懸命なのもわかるのですが、その熱心さと言うのが、どうも…
 拙者には重いのです」
関平がこぼす。たまたま廊下で鉢合わせになり、金蓮の様子を聞こうとしたら、関平があまりに重いため息をついたので、その理由を聞いたのだが…
「まさか、関平様のお仕事の邪魔になっていたなんて…」
「邪魔、と言うのではなく、なんというか、その」
それは関平にはわかっても、維紫には説明しにくい心境だった。最悪、彼女の配慮を手で払い落とすようなものであるからだ。

 というのも。
 近頃になって、維紫は、今まで大切に育ててきた卒伯たちにそれぞれ、ふさわしいだろうと思うそれぞれの進路を取らせた。
 耀夏は、馬術の向上に期待をかけて馬超に預け、武の道から遠い感覚の芙陽は後宮の女官として、軍から離れた。
 友人にも近い一番の古参だった春鶯は一足先に離れて、気がつけば、送り先のないのが金蓮である。
 まさか、同僚に進路が決まったところで彼女だけそのままと言うわけにも行かない。もっとも、後から昇進してくる卒伯を筆頭としてまとめる仕事もないわけではなかったが、そういう仕事は金連には向いていない、と維紫にしては冷静に判断した。
 さりとて、そのままにもしておけず、直属の上官である趙雲に話をすると、
「一度本人の意向を聞いたがいいだろう、本人の希望でいくところなら、嫌がって問題を起こすこともあるまい」
そういうものだから、ためしに維紫が確認を取ると、金蓮はしばし考えて、
「関平様のお手伝いがしたいです」
と、目をきらきらさせて言ったわけだ。
 関平は、武官としては、父・関羽も一通りその腕を認めているだから、城仕えにあたっては兼任することになる文官の仕事に今は力を入れているところのはずだ。目端の利くところは人一倍の金蓮だから、或いは物慣れない関平を補佐できるかと思っていたのだが…
 維紫は少し難しそうな顔のまま言った。
「私からも、少しは注意をいたしますが」
「ありがとうございます。ただ、拙者に過剰の世話は無用と、それだけでいいので…」
「はい。…ですけれど、今は金蓮は、関平様の部下です。
 上官として、部下に訓諭することも大切なことです。いやな仕事ですが、それが下につくものを持つものの勤めの一つですから」
「忠告いたみいります維紫殿、ですが拙者は、その、金蓮は…ちょっと」
よほどそりが合わないのだろうかそれとも一方的に圧倒されているのか、口ごもる関平に
「そうですか…」
維紫はこくりと首をかしげる。維紫には、よくわかってている。金蓮に悪気はないのだ。ただ、周りにそういう性格のものがいなかったので、関平にはそれに戸惑っているのだろう。
 関平は、しばらく考えているようだった。そして
「あの、維紫殿」
おもむろに維紫に問う。
「はい」
「維紫殿は、拙者が覚えている限りずっと趙雲殿のそばにおられるようですが、不都合など、感じたことはありますか」
維紫はきょとん、とした。
「不都合とは、どういうことをでしょう」
そして、実に純粋な質問で返してくる。
「なんというか、その、えーと」
しかし改まれるとより正鵠を射るに近い質問がしにくく、関平はしばらく指をうにうにとして、
「すみません、今の質問はなかったことにしてください」
と言った。
「…はい」
「時間をとらせてすみませんでした」
こういうところは親の教育が徹底している。関平は慇懃に、目下といっても差し支えないはずの維紫に拱手してすれ違っていった。
「関平様、どうにもお困りのようね」
維紫は質問したいことを全部飲んだ風情の関平を、心配そうに見送った。

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