拙者、笑うに笑えません
「なあ関平、俺ぁ少しも怒らねぇから、正直に話せ、な」
「は、はい」
「なんてことはねぇ、星彩のことなんだがよ」
「…はひ」
その一言ですくみあがった関平の前で、張飛はぷは、といくぶんならず聞こし召した様子で言う。
「お前にゃ、最近、維紫の部下が回ってきたって聞いたが」
「は」
「手、出したんか」
「はあ!?」
関平が裏返った声を上げた。
「手、手と言うと、あの、もしや」
沸騰したような顔でうわうわ口を開く関平の肩を、趙雲がゆすって
「関平、とにかく落ち着いて」
となだめる。張飛が
「もしやももやしもねぇ、男と女がいて、出す手ったら一つしかねぇや」
と言う。関平はその説明もよく…どころか全然わからなかったが、
「き、金蓮は、…その、拙者も突然で、勿論初めてのことで、どうしていいかわからず」
説明だけはしようとする。張飛は
「へぇぇ」
と、まだ何か言いたいような関平の言葉をさえぎって、
「その娘に出した、一度汚れっちまった手で、星彩も絡め取るつもりらしいな?」
「はあ!?」
関平が裏返った声を上げた。声は上げなかったが、趙雲も目を見張る。そして、
「張飛殿、それは何かの誤解では…」
と言おうとするのを、
「漢と漢の話だ、今は黙っててくれや。第一、お前が口を挟むのか?」
張飛はそれで片付けてかかる。見えないところで話だけ聞いている馬超は、思わずそれに声を上げて笑いかける。
「それはおいといてだ。その、お前に手を出されたって娘がよ、俺んところに来て、お前がその娘をほいと捨てて、星彩に鞍替えしてぇみてぇなことを言ってると、な」
「拙者はそんなことは言っていません!」
大事なところだと関平は思って、そこだけははっきり否定する。
「金蓮にだって、何かわかりませんが、部下以上に思ったりはしてません、それどころか、世話を焼かれすぎて困っているぐらいで…」
遠くで、若い女性の声が小さくした。馬超には、別の物陰に金蓮がいて、空泣きの声を上げているのが見えているのだが。
「…」
ともかく。声は小さいが、場にははっきり聞こえた。張飛はそれが聞こえたのか聞こえないのか、関平の即答ともいえるその勢いに、まだ何か腹蔵しているようだったが、
「関平、まあ今は、お前の言葉を信じるわ。でも星彩はな、ゆくゆくは、劉禅様に娶っていただくかも知れねぇ特別大事な体だ、変な気起こすなよ、俺の蛇矛がだまっちゃねぇぞ。
それと、今泣いた彼女は大事にしてやれや、な」
特別大事な娘のことだ、あまり大きいコトにはしたくないのだろう。張飛はそう言って、もういいぞ、と、追い払うように言った。
「そんな特別大事な娘なら、武技など授けずに、箱に入れてしまっておけと言うのだ」
二人が部屋を出たところで、いささか岡目八目気味に馬超が言った。
「まあそう言われず… 張飛殿が星彩の才を見てのことですから…」
それがともすれば聞こえそうな声だったので、声を低くして趙雲がなだめる。
「とにかく、今日はここだけの話で済みそうだな」
あまりにあっさりと収まりすぎて面白くなさそうに馬超が言うと、
「はい、だといいのですが」
関平はそういいかけて、
「じゃない、ここだけの話ですまさないと。拙者がここで何かにしくじりでもしたら、父上の名と弟達のこれからが」
ぶるぶる、とかぶりを振って言いなおした。
「そうそう、長男にはそれがあるからな、なおさらだ」
馬超は、そこだけには、野次馬根性抜きに同情するらしい。そのうち、
「…張飛殿にそんなことを言ったのは、誰なんだろうな」
と言うことになって、張飛に告げ口して得をするものといえばと、関平にはひらめくように例の顔が浮かんだ。
「金蓮?」
関平が呟くように言った。そして、疑問はたやすく確信に変わる。
「趙雲殿、馬超殿、金蓮を探してください、拙者のところに来るようにと!」
城の中、隠れていられるのも時間の問題と言うものである。興味深そうに話を聞きはするが、決して助け舟は出さない同僚・芙陽に、後宮の中に入ることをやんわりとダメ出されて、そのうち金蓮は、申し訳なさそうな顔の維紫と一緒に出てくる。
「金蓮、話をしなくても、拙者が何のために君をここに呼んだのはわかって
いるな?」
「…わかってますぅ」
金蓮は小さくではあるが返答をする。部屋の中は差し向かいだ。そして扉の向こうでは、戻るに戻れないのと、それが心配なのと、野次馬根性の三人が聞き耳を立てている。
「星彩様をお部屋に入れていたのは関平様じゃないですか、それ見たら私、もうなんだかわからなくなっちゃって…」
「…張飛殿は、拙者が星彩に何かしようと思ってると、誤解されている。
誠実であることを人に認めさせるには何日も掛かるけど、不誠実であることを人に広めるのは一日あれば十分だ。
上官の拙者を不実の男にした、この責任を君はどう取る?」
「き、金蓮…」
運悪く悪い癖が悪い方向に転がっても、一度は自分が手塩にかけた部下だ、維紫は部屋の外で話を聞いて、わなないている。
「お前が震えて解決する問題じゃないだろう」
馬超がそれに突っ込む。
「金蓮はもともと私のところにいたのですよ、私があそこまでを育てたのですよ、私にも責任が」
「…お前に責任があるなら、それを見ていただけの私にも責任が発生する」
趙雲が言う。いわゆる、タテ社会の悲哀である。
そして金蓮は悪びれもせず、寧ろ関平と差し向かいが嬉しそうな様子で
「簡単なことだと、思いますよぉ」
と言った。
「星彩様が大切で、手なんか出せないって思ってらっしゃるなら、実際なさりたいことは…私にされればいいんですから」
爆弾発言。もっとも、この時代に爆弾はなさそうでありそうでないが、とにかく、扉の反対側の維紫を動転させるには十分な破壊力だった。
「もうだめ、金蓮の責任は私の責任です、中に」
もがく維紫を大の男二人かがりでとめている間に、
ぱしっ
乾いた張り手の音がした。部屋の中では金蓮が、ほほをおさえている。
「自分を大切にしろ」
「でも関平様」
「星彩が思い通りにならないからといって、君を憂さ晴らしの道具にするなんて、それこそできない」
関平は歯軋るように言う。
「そんな拙者を、星彩には見せたくないんだ」
「…」
「君の仕事場は拙者の下だ。戻ってくるように」
「…関平様…」
維紫が部屋の前でへたり込む。その後ろで、
「さすが拙者のこれと見込んだ息子よ」
そんな声に三人が振り返ると、関羽が、蓄えたヒゲを撫でてそこにいる。
「話は聞いたが、解決の方向にあると見た。よい試練となろう」
「…」
声の出ない三人に、関羽は
「あれには、拙者には何も言わずとよい、すべて心得たと言い置いてくれ」
といって、泰然と歩いて去っていった。
張飛は、酒の上で半分ぐれぇは覚えてねぇ、と言いながら、星彩のとりなしを聞いたらしく
「星彩のことになるとだめな親父だ、全く」
屈託ない苦笑いをして、
「なに、雲長の兄者も昔は相当ちぎっては投げちぎっては投げしたんだ、兄者みたいになりてぇんなら、その辺も見習わねぇとな」
関平の肩をばしばし叩いた。関平は、とりあえずの誤解は解けて安心した反面、父上の「ちぎっては投げちぎっては投げ」は見習わないようにしようと思うのだった。
「正直、あんな風に関平様が仰るなんて、思わなかったんですぅ」
とは、金蓮の言葉である。
もしかしたら金蓮まだ城から出さなければならないのかと思っていた維紫に、
「本当に本当に本当に心配したんだから」
そういわれての返答だった。
「私、芙陽にも言われたんですけど、『太く短く』なんです。熱くなるのも早いけどさめるのも早くて」
それは維紫にもわかっている。聞きたいのはその話ではなく、と維紫が言おうとすると、
「関平様は本当に、関大将軍みたいになりたいんですね」
金蓮が、珍しく、悟ったようなコトを言った。
「そのことも、星彩様のことも、全部にまっすぐで。そう言うところから、目が離せなくて、当分私、さめそうにないです。邪魔なんてとてもとても…
だから、安心してくださいねぇ」
もしかしたら「太く短く」あることに飽きたのかも知れない。
おそらくは金蓮の追走は無駄かもわからないが、それもいいと思えるようになった分だけ、金蓮にもこれは一つの通る道だったようだ。
「元に戻ることを、関平様はお許しになったけれども」
維紫が少しく脱力しながら言った。
「ご迷惑にならないように。立てて差し上げるのも大切よ」
「はぁい。大姐をお手本にすれば成功間違いなしですよねっ」
その言葉には、さしもの維紫も、「ちょっと違うような…」と思ったとかどうとか。
一方。
「コトが大きくならなくて、本当に良かった」
二将軍の前で、関平はため息をつくように言った。二将軍はなんとなく、そのため息に同情する。コトが荒立って蛇矛が出てくるようになったら、最悪蜀の社稷の内部崩壊に直結するデリケートな問題だったのだからなおさらである。
「でも、星彩は諦めないつもりなんだろう?」
馬超が尋ねると、関平は
「諦めるも何も、星彩をモノのように取り合いするようなことは、拙者はしたくありません」
という。
「出来ることといえば、拙者が星彩に望まれるようになることだけです」
「もし、どうにも手の届かないようなことになったら?」
「諦めます」
「悟ってるな」
「それが関平ですよ」
趙雲が言うと、
「いや、そんなことは…」
関平は照れ紛れに後ろ頭をかいた。しかし馬超は面白くなさそうに
「手が届かないなら奪うって言う方法もあるんだぞ」
「そ、そんなこと出来ませんよ」
「張飛殿の奥方は、張飛殿が夏侯家から奪ってきたのだからな、意趣返しだ」
「意趣を返す方向が違うのでは」
趙雲はそれに真面目に突っ込み、関平はぱかん、と口をひらいた。
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