事実、セリス様のお父上に従って闘った人たちの子供が、運命なのか引き寄せられて、この軍の主力は出来上がっている。そして、そのなかで、思いを通わせるものが多くなってきていた。
 セティ様が宝物と読んではばからないティニーはアーサーの妹だし、レスターの妹ラナは、セリス様からぞっこん可愛がられている。それに何より、ナンナはリーフ様から未来の王妃に、とまで約束されたのだ。
 そういう彼女達にくらべて、エルナは少し口が悪いぐらいでほんとに際立ったところがないコだけど、顔だちもそこそこ可愛いと思ったし、それこそ、ティルナノグにいたころの僕にとっては、本当に女神みたいな存在だった。
 ファバルとセティ様が遊んでいる間に、レスターが言った。
「お前はなんて言うか…物好きだね」
「物好き?」
「エルナのことだよ」
「それこそファパルと同じだ、大きなお世話だよ」
「お前はそう言うけどね」
レスターは片目だけをくい、と大きくした。
「あの話、お前だって知ってるだろ」
「信じないよ、あんな話」
エルナになにがあったのか、知ってはいるけど、いつかは考えなくちゃならないけれど、今僕は考えたくなかった。僕の腕のヘズルのしるしをアザと間違えて泣いた、あのエルナが…僕の、エルナだ。
 あのコトについて、僕まで信じてしまうと、エルナにはもう、頼る瀬がない。親まで信じている、あの話… あれを否定できるのは、僕だけだ。だから僕は、エルナを疑わない。
「まあ、いいけどね」
レスターは少し呆れた顔をしていた。その時
「おお、ここにいたか」
と、オイフェさんが顔を出した。
「アーサーを起こしてくれ。出撃が決まった」
僕達は、おもむろに彼を起こし、部屋の後始末をして、部屋の外に出る。
 僕が部屋を出て、武器庫に向かう方に顔をむけた時、オイフェさんの後ろにいたのだろう、無視できない影が、一瞬、角に消えて行くのが見えた。忙しそうだった。

 ユリアは、もうミレトスにいない。レヴィン様はそうおっしゃった。
「だから我々は、ミレトスから暗黒教徒を廃することに全力をあげる。私の仮説が正しければ、ユリアは、すでにグランベルのどこかにいる」
「レヴィン様、ミレトス海峡を渡る時には、俺に先陣を任せて下さい!」
「それは先の話だ。それに、それはおそらくできない」
「どうして!」
「…ミレトス城に、ユリウスが来ている。…おそらく、彼の命令で行われている『子供狩り』の進ちょく状況を、確認するためだろう」
ユリウスが、と聞いて、ファバルが顔をあげる。
「風、雷、炎、光、これらの系統は、我々の間でも研究が進んで、魔法への適性が弱くとも、修行いかんで魔法をあやつることはできるようになる。
 だが、闇の魔法は、如何せん我々にとっては未知の部分が多い。対策を練らぬうちに飛び出すことは危険すぎる」
レヴィン様のお言葉は、魔法をあやつるものにとっては当然の理論らしかった。
「魔法に慣れないものはこの先厳しい」
みんな、黙ってしまった。アーサーは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 「ユリアみたいな人がいるって言うのは、励みになるのかなぁ」
その夜。ファバルにチェスを教えている間に、彼はこんなことを言った。
「だと思うよ」
「レスターがさ、聞きたがってただろ」
「俺は聞くつもりはないよ」
「俺が気にしている相手は、この軍にはいないよ」
「へえ」
「敵さ」
「…」
ファバルの顔には、面映さと戸惑いが混じっていた。
「この先で、多分会うかも知れない。俺がいることがわかったら、どんな顔するだろう。
 あのヒトが目の前に迫ってきていても、俺は、イチイバルをひきたくないよ」
「お前で説得できないのか?」
「できたら、とっくにここにいる」
「そうか」
「話に聞いたんだけど、お前にもいるんだって?」
「ティルナノグにいるよ、まだ」
「なんでもない、村の女の子なんだ」
「そうだね」
「…うらやましいな」
ファバルは確かにそう呟いた。でも僕は聞いていないことにした。

 夜中、ふと目をさました。
 暗闇の中に、エルナの顔が、ふっと浮かんだ。
 切なかった。
 どうして、こんなに彼女の事ばかり思い出すんだろう。
 涙が出てきた。何のかのいっても、僕は、自分が弱虫だと言うことを思い知らされていた。
 僕は、エルナを見ていることしかできなかった。あの彼女に…何も、できなかった。

 ティルナノグに、僕達が隠れていることを、イザークの当局は早くから勘付いていた。隠してくれる村の人たちのおかげで、なんとか見つけだされずに済んでいた。そう言う村に対して、当局は、随分手荒な方法もとった。
 当局といっても、実際に村にやってくるのは辺境部隊で、そのやることは私掠にかわらない、と、オイフェさんは振り返る。村にやってきては、僕達を探しながら…時には、探すふりをしながら…抵抗しない男からは奪い、抵抗する男は殺し、女達は手当りしだいに、犯された。
 あの時もそうだった。僕達は、使っていない納屋に押し込まれた。オイフェさんや、シャナン王子が、わざと遠くで、兵士と闘っている。
 僕達は、ジッと息を潜めていた。ラナが啜り泣く声だけが、小さく聞こえる。僕はそれを。見つかる原因になりはしないかと、気にかけていた。そこに。
 聞き慣れた叫び声が上がった。
「!」
気の裂け目からもれた光が、ちらちらと乱れる。壁に張り付いていた僕は…見てしまった。
 何かに猛り狂っている風の兵士の手を、振りほどこうとしているのは、他ならない、エルナだった。
「…」
喧噪に消されて、声は聞こえなかった。でも、四方を見回しながら、叫ぶ彼女の口の動きは、…確かに、僕を呼んでいた。
「エルナ、僕はここにいるよ! エルナ!」
壁を割って、そこに行きたかった。あんな兵士にくらべれば、僕の方がずっと剣はうまいはずだ。僕には、ヘズルの血があるんだから。
「エルナ、逃げろ!」
「デルムッド、声を出すな!」
レスターの声がした。僕は壁を叩いた。でも、聞こえなかったし、聞いてもらえなかった。
 エルナは、町の暗がりに、引きずり込まれた。二三人の兵士がその後に、続いた。彼等の足の間から、エルナの靴がほうり出された。

 エルナには…見えない傷がつけられた。何日も、家から出て来なかった。もう一度、外に出るようにはなったけれど…何かを諦めたような風情が、僕には気にかかった。でも、ティルナノグでは…悲しいことだけど、そう言うことはあまり珍しいことでもない。
 話には、それから先がある。
 もう一度、兵士達がやってきたとき、僕達はやっと、戦闘に参加することを許された。そして、同じように、女の子が襲われそうになっていた。エルナが、その子の前に回って、かばっていた。
「…おねがい。この子をつれて行かないで。
 かわりに、私が」
エルナは確かにそう言った。兵士達は、何ごとか囁きあう。リーダーらしき一人が納得して、エルナの手をぐい、と引いて、どこかに消えて行った。見えていたはずの、僕を、エルナは見ていなかった。
 かえってきたエルナは、女の子達から、尊敬と感謝で迎えられた。でも、大人達は、そうでなかった。女の子を助けるふりをして…兵士達と楽しんだんじゃないか。兵士と会うために、また村を襲わせたのじゃないか、そこまで言われた。
 僕はエルナに、何も聞くことはできなかった。でも。

 「兵士に襲わせたと言うのは、まあ大袈裟にしても、そう考えた方が自然なんだよ、大人にとっては。
 そうでなきゃ、自分から声をかけるなんて、しないだろうに」
レスターはそう言った。
「エルナの心がけは、確かに立派だよ。でも、村全部の女の子は守りきれなかった」
「でも」
「それに、一度そんな目に会えば、普通は次はどこかに身を隠すよ」
「…」
「本当の心は、エルナ本人しか分からない。
 もともと、いろいろ大人に取っ手は可愛くない子だから…その点は、エルナは損をしているよな」
僕はその時だけ、心底レスターが憎らしくなった。
「彼女から直に話を聞かない、そっちのほうが不実だよ」
図星だった。でも、抜いた剣はすぐにはさやにおさめられない。
「もういい。お前には話さない」
僕はぶい、と彼から顔を背けた。その時、レスターは肩を竦めたようだった。

 でもそもそもはじまりの時、僕が雁にそこにいて、エルナを守りきれただろうか?

 ミレトスを落とし、寸でのところでバーハラに送られそうになっている子供達を解放した。
 次はシアルフィ。ひしひしと、なにか予兆に似たものが、解放軍の中にただよう。その場所は、特別な意味があるのだ。でもそれは、別の話。
 戦備を再び整えるまでの間、数日、僕達には休憩が与えられた。
 闘っている間はそうでもないけれど、こういう時は、やっぱりエルナを思い出している。イザークは、まっ先に解放されたけれど、彼女の戦いは、きっとまだ、終わっていない。
「確かに、景気の悪そうな顔だ」
そのとき、そう声をかけられて、振り返ると、レヴィン様がいた。
「レヴィン様」
「いやな、レスターに相談に乗ってやれといわれてな。…どう言うことなんだ?」

 「なるほどね」
酒場に場所をうつして、僕はレヴィン様に、エルナにかんしての事をあらいざらい話してみた。
「ひどい言い方かも知れないが、この御時世では珍しいことじゃないな」
「僕は、どうしたらいいでしょう」
「どうって?」
「エルナに関して言われていることを、僕は信じません。でも、エルナ自身が気にかけて、僕との間に壁を作っているとして」
「デルムッド、そのいい口からして、エルナって娘に、手は出したのか?」
「だしたと言うか、なんと言うか」
「失敗したのか」
「ええ、まあ …とにかく、そう言う彼女に僕は」
「具体的なことは自分で考えろ。俺はヒントしか与えられん」
レヴィン様の言葉は、僕には正直突っぱねられたように聞こえた。
「お前が、お前が思っているように、彼女の唯一の頼る瀬だとしてだな、そのお前が信念ぐらつかせているのが、彼女に知れたら、それこそ彼女は自分を追い詰めてしまう。
 自分の思いに自信を持つ。信じる。それ以上にできることをと、完結していることを言われても、困る」
「そう、ですよね」
僕は、結局、話はもう終わっているのだと、思った。レヴィン様にももう、何もおっしゃることがないというのなら、もう。
「わかりました。有り難うございます。レスターにも、礼を言っておいて下さい。それと、勝手に腹を立てて済まない、とも」
「まあ待て」
僕がかけられた言葉を飲み下して、席を立とうとするまで、何ごとかをずっと考えておられたふうのレヴィン様が呼び止められた。
「成りゆきで俺が口を出したが…本末転倒な気がする。俺より先に相談する相手がいるんじゃないのか」
「?」
「忘れてるだろう」
言われて、思い当たるような気がした。あの人…ねぇ。
「でも、御迷惑じゃないでしょうか」
「迷惑なものか。男親って言うものは、息子と酒でも飲んで、そう言う話題が出てくることを、どこかで待っているもんさ。
 俺の場合、セティは下戸だからな」