いつか胸をはって
 

  エルナは、僕の腕にある影を始めてみた時、
「ねえ、けがしたの? どこかにぶつけたの? けんかしたの?」
そういいながら、涙をポロポロとこぼした。
 それから、彼女のその心をずっとこのままにしたいと思った。

 僕の腕にある影は、もちろん、喧嘩や怪我が原因ではなくて、僕の中に流れている血が、そうさせたのだ。
 僕の中には、いにしえの聖戦士のひとり、「魔剣の使い手」ヘズルの血が流れているらしい。
 僕には実のところ、その実感がない。
 僕は、エルナにその事を話していない。
 僕本人が、嘘じゃないかとさえ思う程なのだから。

 大陸全土に徐々に圧力をひろげてゆくグランベル帝国、その実態を調査する先遣隊に選ばれた事を伝えると、エルナは
「そう、いってらっしゃい」
と言った。あまりにもあっさりとしたその返答に、
「…いやがってほしかった?」
とまた言う。
「でも、決まっちゃたことを、私がどうこう言っても始まらないものね」
笑った顔がさびしそうだった。村では誰にも衒いない口をきく子だと善かれ悪しかれ評価される子だけれど、口の割に寂しそうな顔をされると、僕はどうしていいか分からなくなる。
「…ごめん」
やっと出た言葉も、こんなものだ。
「どうしてデルムッドがあやまる必要があるの」
「いきたくない気持ちがある事は否定しない。僕は剣もうまくないし、セリス様や他のみんなにくらべてもずっと年下だし」
「だからでしょ? オイフェさんは、そういうあなたに自身をつけてもらいたいはずだし、大体役立たずだったら最初から当てになんてされないわ」
「それは、そうだけど」
「ほら!」
僕がうつむくと、エルナは指で僕の顎を天に向かって押し上げる。
「そんな顔しない!」
「でも」
「ここはオード様の国だから、あなたが持っているヘズル様の血のことは、私には良く分からないわ。でも、御先祖様が見たら、きっといい顔しない顔よ、今のデルムッドは」
「…うん」
エルナが、僕のほほに手を当てた。
「いい色だわ。夜明けの青ね」
「?」
「あなたの瞳。その色、…大好き」
僕のことをいわれた気がした。いや、瞳の色のことにして、僕のことを言ったに違いない。
 彼女の顔が近付いてきて、何も、見えなくなった。

 ペルルークの街で何日めかの平和な朝、僕…いや俺はひさしぶりにエルナの夢を見た。
あのあとすぐ旅立って、帰ってそのまま戦闘して、村にもよらずじまいになっていたから、彼女とはかれこれ二年近く顔をあわせていない事になる。
 連絡もとれていない。俺達は常に移動している上に、野盗まがいの暗黒教徒も出没するとかで、商業用の道路も麻痺しているという事態である。
 入ってみたミレトス半島も、話に聞く自由都市というのは名前ばかりで、何かが暗く淀んで、今一つ活気に力がなかった。
 それでも天気はそこそこによかった。
 街に出て、彼女のために何か買っておいてもいいかもな、と、漠然と思った。
 もっとも、俺にはリーフ様みたいに、真珠仕立てのティアラをあつらえてあげられるような余裕なんてないけれど。

 ペルルーク城の適当な屋上に出ると、アルテナ様が御自分の竜に鞍をつけておられた。
「アルテナ様、どちらかに遠乗りですか」
と声をかけると、ご本人はいたく真面目なお顔を
「だといいのだけれど」
と、竜の向こうから出される。
「お願い、少し、この子を押さえててくれない? こんな朝に乗る事がなくて気が立ってるの」
「いいですよ」
押さえながら、聞く。
「なにか、あったのですか」
「ええ」
アルテナ様は少し顔を曇らせて
「ユリアが、いなくなったらしいの」
と言った。
「ユリアが?」
「あら、アーサーがあんなに大騒ぎしたのおぼえていないの」
「覚えてないですね」
アルテナ様は
「のんきなこと」
とややからかいぎみに肩を竦められた。
「ラドス城方面に言ってみるわ。セリス様にそう伝えて」
そして、竜にさっそうと乗られる。
「それと、アーサーが帰ってきたら、落ち着いて休むように伝えておいて。そばを通ったら、彼の周りがぱちぱちいっていたから」
「はい。アルテナ様、おきをつけて」
「ありがとう。 …エオル、南に!」

 竜を見送って、部屋が面している中庭に戻ってくると、アレス様が先に日溜まりにおられた。ユリアのことを言おうとすると、
「今頃知ったのか。城はもうその話しでもちきりだぞ」
まだ眠気が完全にとれておられないようで、アレス様はめい目しておられた目を片目だけ開けられた。
「アーサーから状況聞いたとたんに、オイフェとシャナンの顔が真っ青になってなぁ」
「は?」
「特にシャナンはもういても立ってもいられない有り様でアーサーと一緒に街に飛び出したよ。
 なんでも、セリスのおふくろさんがいなくなった状況に似てるらしいんだとさ」
「はぁ」
たしかに、レヴィン様と、ガネーシャの街で合流してから、ユリアという少女に、オイフェさんはデジャヴュというものを覚えずにはいられなかったらしい。アレス様はそういうことも含みながら、
「いろいろ、事情があるらしいからな、あのユリアには。こういう事が今まで起きなかったのが不思議なくらいだろ」
そんな会話のうちに、何かが転がった音と、
「いてっ」
というアーサーの声が近付いてくる。来る途中何かにつまずいたらしい。
「アーサー、帰ってたのか」
「かえって来たんじゃない、朝飯食いに来ただけだ。腹が減ったらなんにも出来ないからな」
アーサーはそうぶっきらぼうに言って、俺の傍らに腰をかけた。
「あいつ、どこ行っちまったんだろう」
「ラナのレスキューに反応しない位置にいるってことだけは、確かだな」
「アルテナ様が落ち着けと言っておられたぞ。朝飯食べて少し寝たらどうだ?」
「…ったく、他人の不幸を楽しそうに」
アーサーは肩を竦めた後、
「半分以上は、俺のせいなんだ」
と言った。
「お前の?」
と相づちをうつと、
「ユリアが消えたのは、どう考えても夜明け直前から、日の出前後なんだ。あいつ早起きだから、誘拐されるとしたら、朝起きて外に出た時だ」
「朝方って、なんでお前がそんなことを知ってる?」
「…」
アーサーはしばらく言い淀んだ。
「俺が、一番最後まで、ユリアと一緒にいたからな」
「はあ?」
俺は、もたれ掛かっていた壁から跳ねるように背中を離した。
「どういうことだよ」
「どうもこうもない、俺は、夜中過ぎまでユリアと一緒にいたんだ」
俺が呆然としている間、アレス様は何か事情を掴んだような顔をされる。アーサーはその顔をちらりと見てから、「しょうがねぇな」というようにうなだれて、ぽつぽつと語る。
「最初あった時から、他人の気がしなかった。あいつ、なかなか自分の考えを言わないから、最初は何考えてるのか分からなかったけれど、トラキアに入ってから、俺の方が言おうと思ってたことを先に言ってきた。ここ(ミレトス)で、しばらく留まろうってことになって、これからさき、何があるか分からないから、やることだけはやっとこうなって、約束してたんだ」
「何を」
「要は、ユリアと深い関係になろうと」
面映いことをズバリと言われて、アーサーは後頭部の髪をかいた。
「ゆうべのあいつ、ほんとに綺麗だった。真っ赤になって、震えてて。
そのうち、泣き出した。
『どこの誰か、自分でも分からない私なのに、その私を、解放軍のみんなは本当に心配してくれる、あなたみたいに愛してくれる人がいる』
それまで俺、自分の体持て余していたんだけど、あいつの涙見てたら…」
アーサーの目からも、ぽつりと涙が落ちた。
「それ以上、何も出来なくなった」
極上の赤を陽にすかしたような瞳から、落ちた涙を、アーサーは乱暴に拭った。
「もう夜中も大分過ぎてて、あいつは朝までいてもいいって言ったけど、自分の部屋に帰ったんだ」
「で、朝になったらユリアがいない」
「あのまま、ユリアのところに、いればよかった。あいつをどっかに連れ去ろうとするやつがいたら、取っ捕まえることもできたのに」
アーサーの拳が握られる。また涙を堪えかねてうなだれたアーサーを、俺は自分の肩にもたれかけさせた。
 しばらくして、アーサーは俺の肩に当てていた額を離した。
「シャナン王子とセリス様が捜索を続けてくれてる。
 俺、もうすこし寝るわ」

 アルテナ様やフィーによる、空中からの捜索などあったにも関わらず、ユリアの行方は杳として分からなくなった。
 レヴィン様がおっしゃる。
「…暗黒教徒の匂いがする」
「暗黒教徒?」
セリス様の顔からも、焦りと疲労がありありと見て取れる。
「子供狩りだ。
 『ミレトスの嘆き』がふたたび現実になろうとしている」
『子供狩り』、と聞いて、みんなざわざわとざわめきはじめる。小さいころには冗談にお仕置きの種にされたりしたが、それがいよいよ現実として行われているという事態を耳にすると、安穏とはしていられない。げんに、解放軍戦士として集った中には、子供狩りのえじきになりかけたものもいたらしい。
「ただ、引っ掛かるのは、ユリアの年令で子供狩りにあう事はまずないと言う事なのだ。彼女はそろそろ18になる」
レヴィン様はそう腕を組まれた。
「と、いうことは、ユリアがいなくなったのには、別の理由があるってこと?」
セリス様が尋ねる。
「これから先のことは、まだ俺の憶測の域を出ない」
でもレヴィン様はそれ以上の発言をさけられた。
 そこで、暗黒教徒に城を包囲されている事が告げられた。

 僕は、エルナのことを本気で考えていたのだろうか。
 少なくとも、解放軍の中で、そういう相手を見つけたやつらよりは、本気で考えていたと思うし、だから、僕はティルナノグに彼女を残してきた。
 昼も過ぎていたが、アーサーの部屋では、主人がまだ熟睡しているほかに、人陰が見えた。
 もっとも、戦の準備は終わっている。出てきた暗黒教徒は、城下を離れた街道上に展開しているという、偵察に言ったフィーとアルテナ様の報告だった。持っている人間を秘められた魔力で守ると言うミストルティンを持ったアレス王子と、ありったけの対魔法装備をしたセリス様が、たった2騎だったが、先行されておられる。
「大丈夫、僕はまけないよ。…ユリアを、はやく助けてあげないと」
セリス様はそうおっしゃったと言う。つまるところ、僕達にも安全な道が開かれるまで、僕らは待機あるのみ、なのだ。

「いかにユリアが心配とは言え、暗黒教徒に支配されているというこの界隈に、なんの武装もなく飛び出すなど!
 あまりティニーに気を揉ませないでほしいものだな」
子供のような寝顔のアーサーに、ちょうどセティ様が毒づかれているところだった。
「奴が起きたらいいましょうよ、そう言うことは」
 レスターが、いつになくどこかに来ているようなセティ様に肩を竦める。
「たしかに、将来の義理の兄貴がこの有り様じゃ、不安にもなりましょうがね」
「そうじゃない。軍の中での暖帯行動というのは基本ではないのか?」
混ぜ返しに、セティ様は渋い顔をされた。もっとも、アーサーとこの方とは、ふだんは至極仲がいい。そうでなければ、あんなことは言えないものだ。
「ああ、デルムッドいたのか。
 バックギャモンでもしねぇ?」
サイコロなのか、からからという音と一緒にファバルの声がした。
「バックギャモン? いきなりだなぁ」
「レスターから聞いたぞ、すごく強いらしいじゃないか。俺も腕には覚えあるからさ」
「…ああ」
とくに断る理由はなかった。僕とファバル、レスターとセティ様が、かわるがわる対戦することになった。

「なあデルムッド、今度チェス教えろよ」
「チェス?
 お前この間、そんなのは貴族のお遊びだって、いやがってたじゃないか」
「気がかわったんだよ」
よっ ファバルがさいころを振って、コマをすすめる。でも、その手付きには、何となく落ち着きがない。
「何かあるのか?」
「いいから、黙って教えてくれりゃそれでいいの」
背後でふはっと、レスターが堪えた笑いを吹き出した声を出した。
「そうかファバル、お前の意中の人はチェスをするようなコなのか」
「どうしてそういうことになるかなぁ」
ファバルは顔をあげた。
「は?」
「ああ、ファバルさ、気になるコがいるらしいんだけど、中々口を割らなくて」
「そんなのいちいち申告しなきゃならない義務あるのかよ、ねえセティ様」
「まあ、素直に祝福してくれるのなら、別に言い渋りもしなかろうが…」
「バレるより後でイヤな思いしなくていいぞ」
「そういうのに労力遣うんだったら、自分で見つけて自慢するぐらいのことしろよ」
「さあてねぇ」
レスターは笑っていた。パティがシャナンさまにべったりなのが、つまらないらしい。