ラクチェは、自分の血に、複雑な紆余曲折があると知ったときに、一体どういう顔をするだろうか。それをしらせて、おそらくは彼女も、相応に思案するだろう、しかし、その思案させることすらためらわせるほど、彼女は無邪気だった。
そのラクチェが、珍しく眉根を寄せた顔で、スカサハに近寄ってくる。
「スカサハ、スカサハ、どうしよう」
「何?」
「あの剣、なくなっちゃった」
「は?」
いかにお淑やかに縁遠いラクチェでも、物をすぐなくすほど、無神経なわけではない。おそらく一二日の間は探し続けて打ち明けてくれたはずだ。
「ちゃんと探したのか?」
「もちろんよ」
「武器庫の中は?他の短剣とまぜてしまったとか」
「そんなことしないわ、まぜたってすぐ分かるもの」
そういいながら、もう一度確認をしようと武器庫に足が進む。
「ヨハルヴァ、見つかった?」
戸をあけて、ラクチェが中に声をかけると
「まったく、ほこりだらけだぜ」
とヨハルヴァが出てくる。つまり、だ。自分より先に、この男には大事を知らせていたことになる。
「ずいぶん奥まで入っていたんだな、顔が真っ黒だ」
「まあな」
ヨハルヴァは、ともすればあきれたようなスカサハの言葉に分かっているのかいないのかひょうひょうとした顔で答え、心配そうなラクチェの顔に
「誰かがとって隠したかと思って、壊れた剣の箱までさらってみたがよ…収穫なしだった、とんだくたびれ儲けだぜ」
と言う。
「…そう」
「な、ラクチェ、あきらめろよ」
「でも」
「お前のおふくろさんの形見の品同然って言うのは分かる。でもな、いわれのある剣は身代わりにになるって、このへんじゃ言うんだろ? お前に何か起きる前に、身代わりになって消えたんだよ」
「…」
ラクチェが顔を伏せた。
「兄貴がまた、何か見繕って送って来るさ。な?」
「…」
ヨハルヴァは、ふう、とため息をついて、
「後はたのむわ」
とスカサハに言い、すたすたときびすを返してしまう。
「あ」
どんな思惑が有るにせよ、ラクチェの為に骨折ってくれた、それにたいし何か言ってねぎらおうとスカサハが声をかけたその時
「うわっ」
曲がり角に消えかけたヨハルヴァの声と、何かの物音、数人の遠ざかる足音。
「ヨハルヴァ!!」
二人はついと駆け出して、腕をおさえて倒れこんだヨハルヴァを囲む。
「大丈夫?」
言いかけたラクチェがはっと息をのむ。赤いものが、とっさにのばされた彼女の指を染めていた。
「ヨハルヴァ、怪我させた奴のこと、覚えてる?」
「覚えてねぇよ…見たことねぇ顔だ」
「ラクチェ、それより先にラナだ、ラナ呼んでこい!」
ラクチェを走らせ、スカサハはヨハルヴァを立たせる。
「災難だったな」
「まあな」
ヨハルヴァが、おさえた手をずらし、傷の具合を見た。
「まあ、出合い頭でどっちもびっくりしたのが幸いだったぜ、避けてなかったらやばいところに刺さってた」
淡々と言うヨハルヴァ。スカサハは、想像の赴くままを探るように声をかけていた。
「嫌にあっさりしてるじゃないか」
「まあな、いつかこうなることを予想していなかったわけじゃあない」
彼の返答は、あくまで淡々としていた。
「イザークの屋台骨しょってたつ未来の姫君にちょっかいかけてるんだ、有名税ってやつだよ」
そういう間にも、ラクチェがラナをつれて戻ってくる。それ以上の話はできなかった。
「あらあら、呉越同舟とは珍しいこと」
と、ヨハルヴァを見舞うスカサハに居合わせたエーデインはころころころ、と笑った。
「何とぞ兄上にはってところっスよ」
と、答えるヨハルヴァにもくったくがない。
「ヨハルヴァ王子、傷の具合はもうよろしくて?」
「あとは二三日、動かさなけりゃ、完全にもとに戻ると思うっスよ。ラナのライブはよくききます」
「あらそう。娘にはそう伝えておきます」
エーディンは、二人のそばにつと腰を下ろし、
「…イザークの義勇兵が何人か、行方不明になったと言うことよ」
と、世間話でもするように言った。
「おそらく、ドズル勢力と行動を共にすることがゆるせない者達のしたことなのでしょうね」
「高司祭殿もそう思いますか」
と、ヨハルヴァの声もいつになく神妙だった。
「ことさらに被害者づらをするつもりはないッスけどね、…こう、行動で見せられると、なんつうか…萎えるっすね」
「イザークは、聖オードの建国以来、王とその一族を神のように敬う気風が根強いと聞きます…その尊ぶべき一族が他国に侵略され十有余年…解放と言う今の事実をもっと確かなものにするために、急ぎ『侵略者』を排したい…
かつて自分たちを不当に支配していたものたちと方を並べる、できない相談と思っているひとも決してすくなくないでしょう」
「…」
尼僧の風体からは思いもよらないその洞察に、残る二人はあいづちの言葉もでなかった。
「ドタールさんの、指示ですか?」
スカサハが、思い立ったように言った。しかしエーディンは頭をふる。
「いえいえ、ドタール様は、例の数名については、イザークの名をいたずらにおとしめるものだと、怒髪天の勢いで断じておられました」
祈るように組んだ手に視点が落ちる。
「目的は同じであっても、そこまでに辿る道は一つではない…
ドタール様はひとができていらっしゃいます、抑えることを苦にはされないでしょう。
でも、若い人たちは…」
窓の外の鳥の声がよく聞こえた。エーディンが、呟くように言った。
「大きな何かの流れの前には、イザークもドズルも小さい存在だと…気が付いているひとは、ほとんどいないでしょうね」
エーディンが口を閉ざし、三人はしばらく沈黙してしまう。神妙な青年二人の顔を見て、彼女は
「ほらほら二人とも、そう怖い顔をするものではないわ。
それを変えてゆくのが、私たちのするべきことではなくて?」
「そうだね」
「そうッスね」
言われて笑おうとした二人の唇は、まだ何となく震えているようにもみえる。エーディンは二人を笑いながらみつつ部屋を出ようとした。その時。
「王子!」
彼女をもう一度部屋の中に押し込むようにしながら、お仕着せの数人が入ってくる。そのいでたちは、ヨハルヴァがヨハンから預かった駐屯グラオリッターのものだった。
「大事はございませんか、王子」
と隊長格の一人が泡をくって枕元に駆け寄ってくる。
「大げさにするなよ、ちょっと腕を切られただけだ」
「つねづねもうしあげていたでしょう、ここではやたらにお一人にならぬようにと」
「お前らがついてたらラクチェが怖がるんだよ」
「王子のお身のためを思えばこそです、グラオリッターはドズル精鋭の騎士団ですぞ」
「そのグラオリッターを、イザークのためにと俺に預けたのは兄貴だぞ」
「ヨハン王子のお言葉ももっともですが、精鋭のグラオリッターは元来、嗣子のブリアン王子直下とされております、ブリアン王子は常より、弟王子お二人にかなりのご懸念を抱かれておいで」
「ああ、たしかにな。ブリアン兄貴からみれば俺たち二人はふがいないだろう」
始まった隊長の説教に、ヨハルヴァはうんざりといったていでそっぽを向く。
「僻地にて長くお育ちである故に、蛮族のものどもと必要以上に慣れはされますまいかと」
「なに?」
そっぽを向いたはずのヨハルヴァが、聞き捨てならない部分に向き直った。
「イザークは、土着の蛮族と馴れ自らその威厳を血におとした愚か者と解釈しております。
現に去る年に、その蛮族の進言にほだされてバーハラ王国に侵攻を企てもいたしました。それを粛正されようとしたのが時の王太子クルト様、一連の動乱のその源はイザークにあり、それを知らぬ王子ではございますまい」
「お前ら、ここはイザークだぞ、言葉を選べ。イザークは独自の文化を持ったれっきとした大国だ。今はドズルの支配からも独立したんだからな、忘れるなよ」
「蛮族に性根からゆがめられた神器に連なるその誇りを、光の竜の聖者ヘイムの御名のもとに正しうすることが、なぜとがめられねばならぬのです。
王子、本来は王子方お二人が、イザークでのその任を仰せつかっていたのではありませんか、それを」
隊長はそこまで言って、スカサハの顔をことさらに見た。
「土地の小娘一人に翻弄されなされ、あげくに手傷を負われる…嘆かわしいにもほどのあるお振る舞いですぞ」
「おい」
ヨハルヴァの声に、ただならない怒りがにじみ出す。
「それはラクチェのことか? そこのスカサハが彼女の身内って知ってて、今の言葉は言ったな?
二人はドズルともまんざら無関係じゃないんだ」
「いずれカタリやもしれませんぞ。この反乱を成功させんとして、祭り上げたとも考えられます。母親がイザーク王女と百歩譲り信じたところとして、…体を持ってその庇護に預からんと企てたクチでありましょう。蛮族の女がいかにも考えそうなことです、保身のために」
隊長の言葉が突然止まった。ヨハルヴァが、傍らの小机にあった水さしを、彼に向かって投げていたのだ。水が派手に飛び散り、水さしは隊長の顔に強かに打ち当たり、石の床に金属的な音をたてて転がった。
「出ていけ。ここでの指揮官は俺だ」
殺気をかみ殺したヨハルヴァの声が、文字どおり水を打ったなか、地を這うように響き、スカサハはもろもろの衝撃に声もあげらなかった。
隊長は、血と水の流れるその顔にハンカチを当てようとしたエーディンを手で制し、部下に何ごとか無言で命じたあと、ぐるりときびすを返した。
「…ごめんな」
ヨハルヴァが、おそらく隊長の「失言」にだろう、そう言った。
聞けばそのあと、ヨハルヴァの傍らには常にグラオリッターの姿があり、誰もそのそばに寄せつけない状態が続いていると言う。ラクチェは、原因の一部に自分があるらしいことを何となく聞いたのだろう、スカサハが見るだに可哀相なほどの落ち込みようである。
「だんだん『恋する乙女』らしくなってゆくわね、ラクチェは」
と、エーディンが笑うが、どうにも微妙すぎてスカサハはそれに笑っていいものかどうか分からない。
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