エーディンは、初めて聞く長い昔話の後に、こう言った。
「アイラが出来なかったことを、あなた達が叶えなさい。
オードと、ネールと、二つの血に、幸せを」
「…うん」
「嫌な予感がするの。…だから、私はリボーのお城を離れられなかった。
ラクチェを守ってあげて。
スカサハ、できるわね? ヨハルヴァにもいってあげて」
「わかった」
ヨハルヴァは、スカサハの話を聞いた、目を丸どころか、点にした。
「…うそだろ、それじゃ、俺とお前ら…ラクチェも…」
「嘘じゃないよ。俺達は親父同志が兄弟だ。まさか、俺も、お前がイトコなんて、最初は信じなかったけどね」
「そうか、やっぱりな」
ヨハルヴァは、ひとり得心したかおをした。
「道理で、他人のようには思えなかった訳だ。
大切なこと教えてくれて、ありがとうな、スカサハ」
そして、手で軽く挨拶した後、ひょいっと、どこかにいってしまう。
「ヨハ…」
呼び止めようとしたが、もういなかった。スカサハは、つい肩を竦めた。
リボーの城に、来客があった。
かつて主人であったイザーク城に、預けられている王子ヨハンである。
「兄貴、ほんとに来たんかよ」
と、ヨハルヴァは苦々しくなり切れない顔をする。ヨハンは呵々大笑して、弟の肩をばしばし叩いた。
「まあそういうなヨハルヴァ君、兄は君が心配なだけだ」
そして、出迎えたセリスにうやうやしく立礼する。
「弟と面会したい、このヨハンわがままをお聞き入れいただき、恐悦の至りにございます。
愚弟は皇子のもとで役に立っておりますでしょうか」
「ええ」
セリスは、屈託なくそれにかえす。
「愚弟とは謙遜なお言葉、ヨハルヴァは今や我々にとってかけがえのない同志です」
その方法は微妙に違うが、使用する言葉に臆面がない所で、この二人は実に似たものどうしである。
「王子がいらっしゃると聞きましたので、主だったもののみですが、くつろげる所を用意させました。
こちらに」
城の一室に、ささやかに宴席が設けられていた。そこに、ティルナノグの子供達や、解放軍の主だった当たりが集まっている。イザークからの志願兵や、ヨハンがセリスに託したグラオリッター、それぞれの部隊長の顔もあり、…当然、ドタールの姿もあり、彼はドズル兄弟らの顔を苦々しく見つめていた。
ヨハンが、グラオリッターらに向かって、得意の弁説を振るう。
「よいか皆のもの、ドズルの犯した罪は一朝一夕に雪ぎ得るものではない。新しきイザークは、まことイザークびとと神剣により守られよう。
罪は償わねばならぬ。解放軍に加わり、その手助けをすることにより、その許しをこうのだ。
なにより、よいか、イザークの血の産み出し剣の妖精ラクチェを悲しませてはならぬ。
愛と正義とラクチェのために、弟の指揮下、ますます励んでくれ」
「ヨハン、お願いだから、私を引き合いに出すのは勘弁してくれる?」
たまらず、ラクチェが赤くなって裾を引く。しかし、ヨハンは至極当然の顔をする
「なんの、身こそ遠くに離れはするが、私は君を支え続けることに吝かではない。
ヨハルヴァに聞いた。私の妻にならぬのは淋しいが、代わりに義妹にはなるというではないか。
なにより、君と私はおなじ血を受け継いでいる。
君にもドズルの血があろうとは、神の配剤のなんと悪戯なことか」
「ヨハン!」
「兄貴!」
スカサハやヨハルヴァも、この饒舌を止めようと立ち上がる。ラクチェは、もとより…目を点にしている。ヨハルヴァがそれを聞かされた時と、同じ顔をしているのだ。
「これこそ、私の望む、ドズルとイザーク、穏やかな融和のなによりの象徴ではないか。イザーク古老の話に、武勲と美貌二つの道に誉れ高い君の母上も、お聞きお呼びになればさぞ」
ガタン!!
大変な物音だった。兄弟と双子の、喜劇のようなやり取りに相好を崩しかけていた場が、その物音に向き直る。
変わって訪れた沈黙の中、ドタールが座っていた椅子だけが、ぽつんとあいていた。ややあって、まばらなため息が聞こえた。
「…困ったことにならなければよいですな。ドタール殿は生っ粋のイザーク家中、…ドズルと等位に融和することには…抵抗がありましょう」
オイフェの声。エーディンが、聖印をきった。
「神様…アイラ…どうか…」
スカサハは、反射的にドタールを追っていた。
「ドタールさん、ドタールさん、まってよ」
ドタールは、その呼び掛けにか、廊下の真ん中でビタっととまって、グルっと振り向いた。
「スカサハ様は、御存じだったのですね」
何を?といいかけて、「御存じ」の中身だということにすぐいきあたったスカサハは、
「…まあね」
と、これいじょうもなくあっさりと答えるよりなかった。
「ラクチェ様は…結局、あの王子をお選びになるのですか」
「それは、ラクチェがきめることだから」
「エーディン殿もそう申されましたな」
その声も、苦々しい。
「お二人は、オードの偉大な血を持ち、神剣をあずかりたまうシャナン殿下の支えとなって、共にイザークを中興せねばなりません。
それが、ドズルに懐柔されて、なんとされますか」
「懐柔なんかじゃない」
「しかし」
ドタールの血走ったような目を、スカサハは、今度ばかりは見据える。いや、身も知らぬ父親譲りのガンをたれるといった方がいいかも知れない。
「ドズルの勢力をイザークから追い出すのは、今の解放軍の力なら、ひょっとしたら、無理なことじゃないかも知れない。
でもそれじゃ、根本的な解決にはならないから、イザークとドズルは一緒にいるんだ」
「スカサハ様たちは、長らく辺境においでになっておられたからか、ことの深刻さを今だご理解いただけないようですな」
脂汗の滲んだような声が帰ってくる。
「誇り高きイザークは、スカサハ様達がティルナノグにおられただけと同じ程の長い時間、ドズルの手の者に辱められて参りました。私は、そのあまりの有り様を、つぶさに拝見致しております。
今さら融和など…どても、出来ぬ相談、イザーク民もそう思っております、ドズルの関わるものは、すべてイザークより排除せねばなりません!
シャナン殿下に、やはり強く進言して…」
「ドタールさん」
ドタールの言葉が、自分の中で煮えたぎる。ティルナノグでドズル辺境部隊から被った数々の負の記憶は、スカサハにだって残っている。
でも、怒りに任せるのが方法ではないと、くり返し教えられてきた。
スカサハが生きてきただけの長い時間、それは、この国で二つの血が融けゆくには短い時間では、あるかも知れない。
でも。
「もし、ドタールさんのいう通りにならなきゃならないとしたら…俺もラクチェも、ここを出ていかなくちゃならない」
「なぜですか」
「…ヨハンの話を聞いていたはずだ」
「あの饒舌王子のいうことなど、耳にあわぬものは半分も聞いておりません、お二人はあの王子らにたぶらかされているだけでございます」
「ちがう。そうじゃない」
スカサハは、腕にある聖痕を突き付ける。ドタール唸るような声。
「これは、オードのしるし、でございますな」
「そう、これは?」
つづいて、もろ肌を脱ぐ。鳩尾にある聖痕をさす。
「俺とラクチェは、二つ聖痕を持っている。あいつには、まだ出ていないけど… こっちのは、ネールの印だ」
まじまじと、ドタールはそれを見た。
「いや…まさか…そんなことなど…」
気の抜けたような声だ。ドタールは、何か恐ろしいものを見たような顔をして、転びそうな勢いで走り去っていった。
エーディンは、スカサハのそれまでの話を聞いて、ため息のように言った。
「そう、見せてしまったのね」
と言った。
「ドタール様、分かってくださればねいいわね」
「…たぶん、わからないよ」
スカサハの声は、苦しい。
「今まで、ずっと、イザークの為にいきてきたひとだし。それが突然、俺達に二つの血があるなんて…悪い冗談だって、思ってるに違いないよ」
「私も、そう思います。
そして、ドタール様程大袈裟じゃなくても、イザークの多くの人が、そう思っていることも。
嫌な思いを、させたわね」
「ううん」
「…スカサハ」
「なに?」
「そうやって考え込んでいる顔、お父様にそっくりよ」
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