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「スカサハ?」
とある夜半のことだった。寝入りかけた彼の耳に、ラクチェの声がする。
「…ん?」
反応しようと身じろいた拍子に、妹が潜り込んできたらしい、そんな質量感に思わずガバっと起き上がる。
「ラクチェ、どうした…」
「ごめん、今夜だけいさせて」
「今夜だけって…」
二人寝は数年も前、とっくに卒業したはずだ。しかも今のスカサハの部屋だって、一人部屋ではない。相部屋の人間の気配を探りながら言う。
「朝になる前に戻れよ、疑われる」
「何を?」
「何をって…」
つい言葉に詰まったスカサハに、ラクチェの追撃。
「ヨハルヴァの部屋ならいいんだ?」
「…」
思わず、いつぞやの出来事を思い出した。おそらくラクチェも、それを念頭にしてそう混ぜ返すのだろう、
「ねぇ」
布団に突っ伏して、くぐもった声がする。
「私がヨハルヴァを好きになるのって、だめなの?」
「だめというか…」
答えを切り出しはしたものの、どう話していいものか。眠気が抜けないことも手伝って、うまい言葉にならない。
「その…」
「今日、グラオリッターの人に言われたの。自分の身がかわいければ、王子に近づくなって」
言葉の主がいつかの隊長であろうことも、スカサハには容易に想像できた。
「スカサハ」
「何?」
「私達、望まれてうまれてきたんだよね」
「当たり前だ。エーディンだってそういうじゃないか」
「エーディンが、私達を安心させようって、うそついてるとか、そういうことはない?」
「エーディンを疑うのか?」
「私だって疑いたくないわよ。でもね… 周りがあんまりうるさくて…」
「…」
スカサハは、ふう、と、大きいため息をついた。こういった向きには元来鷹揚であったはずのラクチェも敏感にならざるを得ないのだ。多感な時期にはよくあるささやかな感情の交わり、門外漢の損得で割り切ってはならないはずのことが、対立する二つの勢力にまたがるというだけの理由で、破綻の危機にさらされている。
「ラクチェらしくないな。雑音ぐらいほっとけよ」
「でも」
「そういうやつらは、そのうち馬にでも蹴られて痛い目見るさ」
「ー…」
ラクチェは、納得していない風情だ。布団に頭まで潜り込んで、真っ暗の中、さわさわとしたラクチェの髪の感触だけがする。
「俺の仕事も、そろそろ終わりかな」
口の中で、むぐむぐといってみる。ラクチェは虫の居所の悪いまま、眠ってしまったようだ。

 その中、スカサハの耳にこんな情報が届く。
「ラクチェを?」
「はい、ヨハルヴァ王子が直々に、私にそう。家中のものが狙っているにより、注意を、と」
ドタールの眉間に、深いしわが刻まれている。
「どうかお目を離さぬように、ということでございました」
「わかった」
とスカサハはうなずく。ラクチェは今エーディンのそばにいるはず、敬けんな騎士なら尼僧の前で刃傷ざたは起こすまいことは確信できた。
「スカサハ様」
「何、ドタールさん」
「私、いささか、勘違いをしていたようです。ヨハルヴァ王子にお会いして、なんといいますかな、若い頃を懐かしくなりました」
ドタールは、やや相好を崩したような顔をした。スカサハも釣られて、
「まあ、あのラクチェを気に入るくらいのやつだもんな…」
といっていたそのとき、わっという喚声が上がる。そして、小さく金切り声。
「?」
「何か、ありましたかな」
ドタールが言ったとき、スカサハは、わき腹の辺が急に熱くなってきたのを感じる。ドタールにけどられない様にそっと手を当てたが、何があったかはとっさに把握した。
「遅かったみたいだ…」

 ちょうど食事時だったのだろう、城の中の廊下はそこそこに人が多く、しかも何があったのか知りたいやじ馬が十重二十重に立ちふさがっていた。
「ちょっと、ちょっとごめん!」
いいながら、人込みをかき分ける。人垣が切れたとき、足にかちりと感触がある。見下ろすと、ラクチェがなくしたはずの短剣が、刀身を赤く染めて転がってる。果たしてラクチェは、スカサハが熱さを感じたカ所と同じわき腹を、真っ赤に染まった手で押さえながら、うずくまっていた。
 話を聞いたのか、反対側からヨハルヴァが人だかりを泳いでくる。足下に現れたラクチェを一瞥するなり
「馬鹿やろう、だれだ、こんなことをしたのはっ!」
四方に凄みを聞かせる。その間に、スカサハはラクチェを立ち上がらせようとするが、ラクチェはそれを首を振って拒んだ。
「平気…立てる」
足を踏み締める。押さえた手の指の間から、新しい血がにじみ出て、ラクチェは「つうっ」と声をあげた。そして、目を開ける。
「さしたのは…だれ?」
ヨハルヴァは、把握していることを言いたくなさそうに、首を振った。
「そう」
ラクチェが、ず、と足を引いた。傷がつれるのだろう。片方の足を引きずるようにして、歩き出そうとする。人がきが、左右に別れて、彼女の背中を見送る。
 ラクチェは男達を振り向かなかった。血のついたナイフをそこに残して。

 ラクチェはしばらく、誰にもあわなかった。傷は、薬で直しているらしい。
 数日振りに、スカサハだけを部屋に通すのを許したラクチェの顔は、これがあのラクチェかと、兄が言葉を失う程白かった。
「ねえ、スカサハ」
「うん」
「オードとネイルの血って、どこが違うと思う?」
「は?」
「ドズルの血を、イザークの血で濁らせるなって、いわれたの、あの時。
 何を見て、あの人たちは違うとか、こっちの方がいいとか言うの? 血なんて、ただ赤いだけじゃない」
「うん…」
スカサハは、何も言えなかった。彼女の言うことは、確かに、これ以上何も言い返しようがない。ただ赤い血の何処をあげつらって、とうとうラクチェが傷付く程のことになってしまった。それでも。
「自分達が頼っているものを、俺達が持っているからだよ」
「たよるもの?」
「そう。あいつらが持ち上げている聖戦士の血は、俺達にとっては、俺達のみなもととも言える。先祖だからね」
「それで?」
「俺達は、もって生まれたものだからその有り難みが今ひとつよくわからない。でも、あいつらにとっては、それぞれ戴くものが唯一最高にも等しいんだよ」
「自分のみなもと…」
ラクチェは顎に指をかけて考える仕種をした。
「私達は、オードとネイルと…二つのみなみとをもっていることに」
「なるよ」
「だから、こんなことに巻き込まれるんだわ。頼んだつもりもないのに」
「そうだね」
スカサハも、それについては同じ意見だったから、頷いた。
「でもねラクチェ、すくなくとも、俺達が生まれてくる事情には、『自分のみなもと』っていう考えは、なかったんだと思う」
「え?」
「グラオリッターの隊長は、母さんが保身のために父さんに体を売ったといった。イザークの兵士の間では、母さんは父さんに無理を強いられて、おれたちを産んだって言われてる。でも実は、どっちも正しくない。俺はそう思う」
スカサハは、妹の心身に成るべく触れないように、あくまで淡々と言った。
「本当のことはおれたちの体が知っているんだから…」
この双児の親が、いかに「自分のみなもと」にこだわらなかったかということを。二つのしるしが、それを何より物語っているということを。
「…」
ラクチェは、長いこと考えていた。黙っていて、口を開いた。
「スカサハ」
「ん?」
「私やっぱり、ヨハルヴァが好き」
「うん」

 くだんの隊長は、この肩書きを更迭され、イザーク城に詰める兵士にされたと、後になって聞いた。
 ラクチェも、あれからすぐシスターからライブの治療を受け、全快した。
 新しい情勢が伝わり、軍はイザークを旅立つ。
「どうぞ、お体には気をつけて、よろしくセリス様のご本懐が遂げられますよう、ご武運をお祈りいたします」
リボー城門まで出てきたドタールは、そう言って頭を下げた。
「ラナとレスターをよろしくね、二人とも」
とエーディン。二人はティルナノーグに戻って、晴耕雨読の暮らしに戻るという。
「むかえにくるからね。絶対」
とラクチェは朗らかに言った。その服の帯に、件の短剣が刺さっている。
「ヨハルヴァ王子、お二方のことをよろしくお願いいたします」
とドタールがいうと
「なになに、守られるのは俺の方だ。こいつらの剣さばきにかなうヤツはそうそういねぇよ」
ヨハルヴァはそうあっさり言って、呵々大笑した。
「偉大なるオードのご加護がありますように」
ドタールが聖印をきる。ヨハルヴァはそれをうけて、
「すまねぇな…ありがとよ」
と、はにかむような顔をした。

 馬の頭を並べて、南へ進んでゆく。ラクチェはスカサハのうしろにまたがって、興味の向くままに視線を動かしている。ヨハルヴァがそのラクチェに
「ほらラクチェ、前の方に行くぞ」
と手を差し出した。ラクチェは
「うん」
いともあっさり答え、差し出された手をとって、ヨハルヴァの馬にひらりと飛び移る。
「俺はスカサハより乗馬うまいんだぜ?訓練は受けてるからよ」
笑い声が、馬の速さと一緒に遠ざかる。スカサハはついため息を一つついて、砂漠近い街道の、どこまでも真っ青な空を仰いだ。空はやがて海に接し、同じ青に溶けている。

をはり
<清原のコメント>
か、かたぎりさん、もうしわけありません…遅くなりました。
自分的に鬼門としてきたイザーク系でしたけど…何とかなったみたいです。
ご笑納くださいませ、これからも、よしなに。
20020602清原因香 拝

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