ムウは高く飛び上がり、念動力で風穴から弾き出されたボロボロの星矢を捕まえた。
彼だけでもジャミールに連れ戻り、傷を癒させながら自分の計画に乗ってもらうように仕向けるつもりだった。
しかし、その後ろで貴鬼が闖入者だと騒ぐので、やむを得ず、近くの海岸に降り立つ。
すぐに、後を追って来た闖入者の降りる気配。
「そこまでの行いをするのはやはり貴方か」
ミスティは、星矢を抱えたムウ達に近寄る。
「…聖衣の修復だけを、おとなしくしていれば良いものを、その青銅に手を貸して、貴方に何の利があると」
「道理の見えぬお前達に言った所でわかるものか」
ムウはそれに表情も変えずに返す。
「その青銅をお渡しいただきたい」
「いやだと言ったら?」
二人の間に、しばらくの平行線。しかし、そこに魔鈴がやって来る。
「…後の三人は、ちゃんと追わせただろうな」
とミスティが尋ねると、魔鈴は「勿論」と答え、
「事が終わるまで、そんなに時間は掛からないだろうね」
と言った。
「そうか」
ミスティは返して、
「いよいよお前の番だ」
と魔鈴に言った。
「昨日言ったな。星矢の止めはお前が刺すと」
その魔鈴が星矢に下した拳は、彼女の手が星矢の心臓を抉ったと疑う余地もないように見えたが、ムウはその拳を、魔鈴が自分の計画に乗ることにした意思表示と見た。
だから敢えてその拳を見せかけと言わなかった。
そして、「これはミスティもわかっている」と思った。
ならば、彼を使って、星矢の力をもう少し観察ができようというものだ。
さて、ミスティは、魔鈴に意味ありげな一瞥を投げた後でムウの方に向き直る。
「ムウ、長年の造反に加えてこの度の余計な手出し、どう説明されるおつもりか。言い逃れできようもないようだが」
ムウは答えない。しかしその沈黙は、突然破られた。
次々と、白銀聖闘士が、仕留めた青銅を抱えて帰って来る。
夜が明けかかるころには、4人分の墓標が砂浜に刺さっていた。
これで今回の任務はすべて終了となる。
ところがミスティが他の4人には、先に帰れと言う。
ムウは、自分への糾弾が中途半端に終わったことをいいことに、まだ一段高い離れた場所で字面どおり高みの見物と洒落込んでいた。
心の中で、面白いことになってきたぞ、とわくわくしていた。
案の定星矢は死んでおらず、ミスティの挑発に弾けるように応じた。
そして何やかやの紆余曲折を経て、本当にミスティを倒してしまった。
「なるほど」
ムウは感心した声を上げて、
「貴鬼、ジャミールに戻りますよ」
と言った。
「まだまだ不安な箇所も多いのですが、そこはもはや実戦で身につけなくてはならない段階に入っています。
彼ならば、どうかこうか迷いながらでもいい聖闘士になると思いますよ」
さて、それからのことはしばらく省略して、魔鈴は伸びた星矢をみて、師匠等の言っていた「女神は日本にいる」のことを思い出した。
一度は逆さ釣りになって潮を被る憂き目を見た魔鈴ではあったが、その後のアステリオンとの一件のことで聖域に警戒される存在になるであろうことは一目瞭然だった。
その彼等のことはここの連絡員に任せておくとして、魔鈴は、星矢に例のことの自覚を促すべくメッセージを残して、その場を去ることにした。
すると、砂浜を少し離れた場所に、シャイナが立っていた。どうやら気配をたどってここまで来たものらしい。
「もう、そっちの仕事は終わったのかい?」
と魔鈴が尋ねるが、シャイナは
「星矢はまだ生きているな?」
と言った。
「あの子達、思ったよりすごいらしくてね、私以外みんなやられてしまった」
魔鈴はそれに軽く答えたが、シャイナが
「星矢の命、私がもらってもいいな」
と改まって来たのにきょとん、とした。
「…どうして私に一々許可を求めるんだい」
と魔鈴は答える。
「縁あって、私はあの子の師匠にはなったけれど、保護者になったわけじゃない。勝手にしろ」
シャイナは安心したように擦れ違って行ったが、魔鈴は
「本当に殺せるかねえ」
と、師匠の言葉を思い出して呟いた。
魔鈴が聖域に復命するはずが勿論ない。ムウの誘った高みの見物に乗るのも悪くない、と思った。
さて。
ムウはジャミールへ戻り、ゆっくりこれからを見守ってみようと思った。
あの、本来討たれ果てるべき青銅の子供達がかえって新星の如く業界を騒がせる結果になった。
しかし彼にも、「あの言葉」を伝えられるにふさわしい人物か、そして時局はどこに微笑むか、そこはまだ確信が立たない。
そう思いつつの数日の間に、彼に勅命が下ってしまった。
『黄金聖衣・牡羊座のムウ儀
上に勅す。白銀聖衣・鷲星座の魔鈴を討つべし。
命に従わず復命もせず同胞をも手にかける、聖闘士にあるまじき不埓な行為ゆえである。
果たしおおせた儀には、上の不服の件、不問になさん。』
しかしムウは、
「馬鹿馬鹿しい」
とそれを破るや、燈火にかざしてしまった。
それからすぐだった。館の中にいた彼は、ネギを背負って来たカモに思える来訪者の気配を察し、すぐ表にいた貴鬼がこけつまろびつ駆け込んで来て
「ムウ様!」
と呼ぶのを、
「わかっている」
と返してひらりと飛び降りた。
ムウは来訪者の前に立ち、に、と笑った。
「貴女のような細腕であの聖衣の墓場を越えて来ようとは。
さしもの亡者達も、貴女の色香には勝てなかったようですね」
と軽口を叩く。しかし来訪者・魔鈴は
「今はアンタの冗談に付き合っている余裕はないんだ」
とつっけんどんに言う。しかし、ムウがからかいたくなるのも道理で、彼女の聖衣には所々ヒビが入り、服も、ほつれとカギ裂きで白い肌が見えている有り様だったのだ。
ムウは突然断りもなしに、念動力で彼女の身体を浮かせた。そして館の貴鬼に
「聖衣は工房へ。そのお嬢さんには私の服でも着せておきなさい」
と言いながら中に押し込んだ。
「あの程度のヒビなら聖衣の自力で修復できる範囲ですが、聞けばあの聖衣は前聖戦以来のものだとか。一度全部を見て、全体的に補強を行っておきましょう」
とムウは言った。
「…本当のところ、貴女が来られるとは思いもよりませんでした」
それから彼は、魔鈴に飲み物を薦める。
「男所帯でたいした気も利かない接待ですが、まあどうぞ」
魔鈴は、今は館の一室の床に座り、1回りは大きいムウの服を借り、上に毛布をすっかり被っていた。仮面まで工房に運ばれてしまったが、顔をそのまま大っぴらにはしておけない苦肉の策であった。そしてその毛布の下から手を伸ばしムウの手から飲み物の器を受け取った。彼は自分の椅子に座り、器を一啜りした。そして、
「実は先日、貴女の抹殺命令を、教皇から戴いてしまいました」
と言った。
「もし果たせば、私のこの小生意気な態度は多めに見ようとも言っていました」
「私を殺すの?」
と、魔鈴が器を床に置くと、ムウはふふ、と含み笑いをして、
「殺されたいですか? 私に」
と逆に尋ねた。魔鈴がふるふると否定すると、
「そうでしょう」
と彼は再び器の中を啜った。
「私だって、不条理な殺しはしたくありません。
だから、今回の勅命も拒否するつもりです」
魔鈴はこのムウの穏やかな顔から立ちのぼる、有無を言わせぬ気迫のようなものに、きょとん、としている。ムウは彼女の様子に、笑みを崩さず諭すように言った。
「当局には、弟子かわいさのあまりにして、女特有の身勝手から来るものと写っている貴女の行為を、私は評価しているのです。
貴女のしていることは、今はともかく、長い目で見れば決して無駄にはならない。なぜならこの後、時流は、貴女や星矢、そして、彼のために文字通り粉骨砕身する紫龍たちのものになるでしょうから」
「星矢達が勝つというの? 当局からあんなに狙われて今にも死にそうなのに?」
と魔鈴が顔を上げると、
「ところで魔鈴、貴女はどうしてここに来ようと思ったのですか?」
とムウに尋ねられた。彼女は神妙に言う。
「アンタなら、何か知っているはずだと思った」
「何を?」
「アンタが前に星矢を庇い、そして今わたしの命を見逃したのには、何か謂れがある筈。その謂れを」
今度はムウがきょとん、とした。しかしすぐに微笑んで
「生憎ですね」
と言った。
「私が、聖域内部までの細かい事情を知っているはずがない。むしろ貴女の方がよっぽど詳しい。
何せ13年間この山に暮らして聖域には近づいたことがないのですからね」
しかし、ここで彼は
「ですが」
と椅子を離れ、床の上の魔鈴の隣に座り直し、
「…どうしても何か知りたいというのなら、スターヒルに登ってみればいいのではないのでしょうか」
と言った。