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 こんなサラサの行動はどうにもおかしい。しかし、普段の彼女のあまりの無邪気な言動に、いったい何の事情が隠されているのか、追求もせずに、数日たった。その間に、俺は、サラサといわゆる「深い仲」になっていた。
 彼女の過去などもちろん俺に聞く義理はなかったが、彼女の物腰は十分に語ったと思う。とにかく俺は罪深き花盗人に鳴らずに済んだ。
 大きな島に渡った。あの男はまだあの酒場にいて、
「運がいいな」
と言った。
「船も面子もそろったぜ。いつでも出せる。
船乗りに話をしたら、みんな身内や仲間がやられたと言って、退治できるなら手伝いたいと言ってきた」
「すまない」
俺は男とがっちり握手して、善は急げと明朝の出発を約束した。

「本当にカリプソと戦うのね」
サラサは静かに、しかし重く聞いた。晩になって俺は、出発に向けて、静かに集中を高めていた。そのために、今夜は彼女に触れてはいない。
「やめた方がいいわ。絶対に勝てないから」
「そんなことはわからない」
「…女の信念は強いわよ。
 そんな剣一本で破れるものですか」
「カリプソは、海で生活するここ一帯の人間にとってはマイナスの存在でしかない。
 それにたかが一回失敗したからといって、諦めてしまっては名前大事の冒険者としては自身の誇りにも関わる」
「そんなホコリ、掃き出しちゃいなさいよ」
サラサの投げやりな言い方が、俺に刺のように突き刺さり、集中を乱した。
「君はこのままカリプソをのさばらしておけと言うのか?」

「海の魔物は、海の冒険者に任せておけばいいのよ。お門違いなんて、てこずるだけよ」
「そんなことはないぞ!」
「あなたを思っていってるのよ」
勢い、荒く投げた言葉に返したサラサの言葉は、一瞬にして俺のいらだちを拭い去った。
「…え?」
すぐには声が出なかった。聞き返していた。彼女は笑っていた。情事の時見せる嫣然とした笑みだった。

 サラサは、床のムートンにあぐらを書いている俺の膝にもたれかかる。
「私は、あなたを殺したくないのよ」
また言った。
「海の女はね、海を愛し、かつ憎むわ。全てを与え、そして奪うから。
 私の大事な人は皆海で死んだ。でも…」
いつのまにか浮かんでいた涙が、彼女の頬を伝っていた。俺はほかにはどうにも慰めようがなくなって、サラサを腕で押し包んでしまった。
 しかし、どんな手立てで止められようとも、カリプソ退治への道はもう開かれてしまっている。
「…すまない、しかしこれは、意義あることなのだ」
「…じゃあ、ちゃんと帰ってくるって約束して」
言外の思惑まで伝わってきて、俺は弱みと愚息を握られたような気分になってきた。サラサはもう笑っていた。

 淡白を自認していたので、持て余したことなぞついぞなかったが、ここのところ我ながら、サラサの求めに連夜応じているのには妙な気分だった。
 この時も、そんなことをしている時間と場合ではないと思ってはいたが、…何も言わずにおこう。
 サラサは、しばらく声を押し殺すように俺の愛撫を受けていたが、とうとう
「…あぅ」
と声を上げ悶える。その体はあくまでも細く、しかしはっきりと肉づいて、生きてる彫刻のようでもあった。俺に応える彼女の指の優しさに、俺のヘソの下は痛いほどだった。

 そのうち、サラサは全身を桜色にして、息を荒げながら、ムートンの上に悠然と仰向いて、おのが膝を心開きがちに押さえながらささやくような声で被さる俺を乞うた。
「…こわれそう…」

 無我夢中の中、俺の背に爪を立てて、声高に言った彼女の言葉は、忘れられない。
「私を殺して」
感極まってあらぬことを口走る女がいることは耳にしたことはあったが、喘ぎにしては余りにも物騒だったし、しっかりとした声だったので、俺は動きを止めて、何の感情にか、潤んだ目で俺を見るサラサの目を見つめ返して、
「そんなこと、言うな」
諭すように、唇で口を塞いだ。
「ん」
その間も、何か言いたそうに喉を鳴らして、サラサはなおも言う。
「でも、私、きっと、あなたを、殺してしまう…そんなの、いや」
 彼女の言っている言葉を俺は信じなかった。
 かえって、気勢をそぐ言葉に腹を立ててさえいた。二人の間は、もう一分の余りもなく繋がっていたが、何かにためらうようにも見えた彼女を戒めるように、彼女に向かって差し伸べた指に力を込める。
「!」
サラサの体は一瞬震えて、俺の指をむさぼるように、背を反らし、腰を擦り付け、鼻で鳴いた。

 夜明けが無性に早く思われた。
「私がくれたお守り、大事にしてね」
穏やかなサラサの声が半ば眠っていた俺の目を覚まさせた。
「きっと、風神様が守ってくださるから」
「そうだといいな」
俺も返す。今度ばかりは、俺も、信心をあてにしてみようと思っていた。ただし、この太陽が、後一時間、今の場所で留まってくれるように。

 しかし、夜明けの光は遠慮なく床の上にまで満ち、にわか叙情詩人の俺は戦士に戻らねばならない。
 島の入り江まで、船が迎えに出てきてくれた。俺の後を、サラサが三歩遅れてついてくる。甲板から男が見下ろしていた。
「大将、夜明けの珈琲もろくろく飲ませねぇで悪ぃな」
冗談のつもりだろうが俺は笑えない。
 俺が船に乗り込むと、帆が、高く上げられた。
 目指す現場に対しては、風は順風、帆は一杯に膨らみ思ったより早く入り江を出る。
 俺は思わず船尾まで移り、砂浜で、少し恨めしそうな顔で船を見送るサラサの姿が見えなくなるまで動けなかった。

 「そろそろカリプソの縄張りだぞ」
ある船乗りが言った。すると、今まで雲一つなかった青空が、一転にわかにかき曇り、激しい雨と乱気流が船を襲う。
「何だあれは!」
別の船乗りが行く手の何かを指さした。島と島にはさまれた海路の、行く手を阻むように、大きな影がそびえている。
「カリプソか!」
一行がどよめきたった。やがて影は実体を結び、まさに大津波を思わせる大きな水の壁のような姿が浮かび上がる。
「バリスタ用意!」
帆を下ろし、錨を投げ込み、カリプソに平行にした船体側面に用意された十数機のバリスタ(注)に矢がいっせいに番えられた。
 矢が何本も、カリプソ目掛けて間一文字に飛んでいくが、命中したふうに見えても特に向こうにダメージはなく、やがてカリプソと船の間の海面がむくりと持ち上がってきた。

「津波だ! みんな船につかまれ!」
指示が全員に伝わったか確かめる間もなく、持ち上がった海面が船に襲いかかった。バケツをひっくり返したようなとか、天地が逆転したとか、そんな形容ではとうてい表現し尽くせぬ量の海水を頭上から叩き付けられて、一行の中にはそのまま流されるものもあった。
 俺は立ち上がり、すぐ水晶玉を放り上げ
「キッシュ!」
と口訣を唱える。玉は緑に輝き始め、やがて一つの筋となりカリプソにまで届いた。
「持ちこたえてくれ…」
玉は、カリプソの魔力を吸い始めた。魔力は魔法を具現するために消費されるエネルギーである。水晶玉にもカリプソにも共通する。だから俺は魔力が著しく低くなれば、カリプソも津波は起こせまいとふんだのだ。

 しかし、限界より多くの魔力を吸い込んだとしたら、玉は砕けて玉の魔力までカリプソに帰ってしまうことになる。そうなると面倒だ。その寸前までに「キッシュ」の状態を保たせる。タイミングの問題といえた。
「お前さん、なかなか器用なことをしてくれるなあ。並の戦士じゃないな」
「冗談につきあう暇はないぞ。言いたいことはさっさと言え」
「…こいつに銀はきかねぇかな」
男が呟いた。
「あるのか?」
「ああ、大枚はたいて用意させたぜ、メッキでいいならよ」
 銀は魔物にとっては清浄すぎて害になる。本当はミスリルと言う魔力を持つ純度の高い銀がいいが、探してすぐ見つかるものではないし、仕方がなかろう。
 それでも、メッキの銀の矢は、カリプソに突き刺さり、邪気の紫色の波紋が幾重もカリプソの体を彩った。
「きいたか」
「たぶんな」
俺は男に曖昧に返して、「キッシュ」の糸が切れて落ちてきた水晶玉を受け取った。玉には魔力がみなぎり、ほのかに熱かった。

 「船をもっと近づけてくれ、カリプソを直接斬る!」
「合点!」
船は、カリプソに並行のままじりじりと動き出した。カリプソの頭は、なかなか見えなかった。が、石を投げても当たるぐらいにまで近づけた。大きなエイに似ていると思った。
「ミレム」
小声で、魔法付与の口訣を呟いた。そうしても、こんな剣一本でカリプソに大きなダメージを与えられるとはとうてい思っていなかった。
「お前も行くよな」
男に振り返り、彼の剣をひったくり口訣を与えると、示し合わせたように同時に飛び上がり、俺達は大上段に振りかざした剣を叩き付けた。紫の煙が切り口からゆらゆらと立ち上る。だが案の定致命傷にはいたらない。
 背後から再び矢の掃射がある。空中の俺達に当たるように掠めて、カリプソに向かってゆく。男が怒鳴った。
「気をつけろぃ!」
普通の矢では、何十本と射たところで無駄なんだ。俺も怒鳴りたかったが、そうせずにはいられない船員の心境を察して何も言わなかった。
「あのメッキの矢はまだあるか!」
「後一回分ぐらいしかねーな!」
「全部射させてくれ」
最後の銀の矢がカリプソの体の中に消えていく。すると、積もり積もったダメージに耐え兼ねたか、とうとう全身から紫色の煙を吹き上げて、カリプソが縮み始めた。再び、海面が盛り上がるが、津波にさせるほどの魔力も残っていないらしい。
「でやっ!」
もう一度カリプソに剣を叩き付ける。表面はだいぶヌルヌルして、効かなくはないようだが、剣の衝撃は半分消されてしまっているらしい。剣はほとんど無意味だ。
「銀がほしい」
呟いた俺は、ふと、自分の胸元に輝くものがあるのに気がついた。
 風神の護符だ。純度はそう高くないが、銀であることに間違いはない。掌に収まる小さいメダルではあったが、メッキより効果があるはずだ。護符を握ったまま、俺はしばらくためらっていた。あれに投げつければ、勝負はもっと早くつく。
『しかし…』
 別れ際のサラサの顔がふとちらついて、鎖をひき契るささやかな力も出てこなかった。
 変にためらっている間に、カリプソの悲鳴がした。
「ギギギャアアアア」
烏が百羽ぐらい集まったような断末魔があたりに轟いて、カリプソが急に縮んでいく。その体に、小さく光るものが何個も飛んで行く。振り向くと、船員たちが、胸の護符をひきちぎってカリプソに投げつけていたのだ。
「お前さんのは飛ばしちゃいけないぜ」
後ろで男が呟いた。カリプソの体が急に傾いて、そこに見える砂浜に倒れ込むように見えた。それを追い船が走り始めるのももどかしく、俺は海に飛び込んだ。

 砂浜で、紫色の煙を上げながら縮み続けるカリプソに近寄って、うつ伏せた心臓のあたりと見当をつけた場所に剣を突き落とした。カリプソにはもう抵抗する力もなかったのか、紫の煙を噴きながらただ縮み続けるだけだったが、やがて、その姿が別のものに変化した。
 いや、本来の形をとった。
 うつ伏せからゆっくりと上体をもたげたサラサの背から、俺の剣がづるりと抜け落ちた。這いずるように俺に近づいて、胸元まで顔を押し上げて、潮のしたたる風神の護符を愛しそうに撫でる。
「……」
口が開いて、何か言おうとしたらしいが、言葉はもう俺の耳に入ってこなかった。
 サラサの小さな体を支えるように抱きしめた。力の抜けた重みがしっかりと腕に伝わってきた。
          !!」
これが、ずっと気がつきたくなかった見せつけられた結論だった。それまで抱いていた諸々の憶測が慟哭になり突き上げてきて、それからを覚えていない。

 気がついたのは、風神の島の、神殿に隣接した療養所でだった。
 あの男が神官に話したところによると、俺は、しばらくの間哭き続けて手が出せなく、またしばらくなだめてもおどしてもすかしても、サラサの体を離さなかったらしい。
 結局、あの男が俺に身当てをくれて、気絶したところをひき剥がし、俺はこの島に、サラサは彼女の島に、それぞれ送り届けたのだそうだ。
 そして彼女は島でだびに付し、彼女が守っていた一族の墓の近くに埋められたそうだ。

 魔性の者との情事は、快楽が大きい分、人間としての活力を吸収されると言うが、幾晩もその時間を持ちながら戦いに勝ったことを知った神官は目を丸くしていた。
 あの、水晶玉が鳴った朝、一瞬サラサがカリプソではないかとの思いがよぎっていた。そして彼女との濃いひとときの間に、何度か「このまま寝首を」と、剣に手をかけかけたこともあった。
 しかし、サラサの言葉が、それを押しとどめた 
『私を殺して』
彼女は、自身が何者であるかをよくわかっていた。俺が自分にとっては一文の得にもならないことを知っていた、しかし、彼女は、合わせ持った人の心で、俺を助け、愛しんでくれた。この男ならこの世に捕われた愚かな自身を開放してくれると信じていた。彼女は俺によって自身の不条理性を処理してほしかったのだ。
 それを悟りながら、時々に、彼女を討つべきか逡巡し、結局彼女が醜い本性を曝け出し、打たねばならない状況になって初めて剣を向けることができた俺は、自ら決めた信条をしらずしらず自ら歪めているのを知らなかった。
「個人の同情より大勢の恐怖」
 サラサへの心は、たとえ神が味方についたとしても、海の人々の恐怖を凌ぐことができないのに。
 もう何を言っても、言い訳にしかならない。
 一切口をつぐんで陸の人になろう。

 目を覚まして、神官から事情を聞かされたとき、俺はこう言ったそうだ。
「海は、嫌いだ」

 ギルドからの謝礼は、治療代などでほとんど神殿に喜捨した。
 風神の護符は、まだ荷物の底に入っている。寸足らずの服さえも。
 海の噂は陸にも上がり、多忙な俺の剣の切れ味はまた落ちてきた。
 それだけの時間が経ってさえも、時々サラサの細い腕を思い出す。
 海は、嫌いだ。
 

     199510210343PLOT
      199511051804UP
    199512091330REWRITE

○注・バリスタとは○
ここでは石弓(クロスボウ・「ヤガモ」の矢を射った弓・矢は小さいが破壊力に優れる)の大型なものを回転する台につけて、地面や城壁・船に置いて射られるようにしたもの。
参考・『D&Dルールサイクロペディア プレイヤーズ』
                   電撃ゲーム文庫

 


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