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KALYPTIKA〜孤島のベラドンナ〜

 目を覚ますと、俺は暖かい砂の上にいた。その前を、蟹が何知らぬ顔で通り過ぎる。視界を縦に裂くように(いや俺は倒れているのだから本当は横のはずだ)、空の青が眩しい。
「…生きているようだ」
思わず、他人ごとのように呟いていた。波音がして、木のかけらでも当たったのか、鈍い衝撃が足にあった。起き上がろうと体に力をこめると、身体中の骨と肉がきしんだ。
 俺…俺「たち」が打ち上げられたのは、随分小さな砂浜だった。とにかく起き上がって、湿った砂の上に呆然とへたり込むと、直ぐそこにまで森の低木が押し寄せていた。
 一転振り返れば、多くの人間…ついさっきまで「人間」、そして仲間だった…が、あるいは俺のように打ち上げられ、あるいは入り江の浅い波間に漂いながら、累々と横たわっている。その中心に、座礁した船が船体を真っ二つにして喫水線のはるか下を波に洗われるままにしていた。

 俺は旅の冒険者だ。特に戦士として人ならぬ異形のものを退治して生計を立てている。
 そもそも一匹狼が身上だったのだが、今回ばかりは知るも知らぬもとりどり数十人にものぼろうかという大パーティに加わることにした。
 確か海での冒険は初めてではなかっただろうか。
 事情はこうだ。大陸や島の間には、幾つもの航路が存在している。その中でももっとも使用されるうちの一本に例の異形のものが出て、シケを呼び船を沈めては水死者を食らうという。しかもその大きさと言うのが並ではなく、津波となって船をまるごと覆えそうなというのだから始末が悪い。誰もがその航路を避けるようになって、物流が滞りぎみの有様だと言う。
 そこで海運ギルド(組合)がその退治をする為の冒険者を募り、俺はそれに乗ったというわけだ。
 ただ物をあっちに流しこっちに流ししているだけでボロいもうけをしている割には、一人当たりの報酬はけちで、もちろん例外に漏れず命の補償はない。だが、わざわざ噂に乗って海にまででくるほど仕事に飢えていた俺の気持ちも考えてみてくれ。干上がるか否かの瀬戸際に、仕事を選ぶ余裕など、はっきり言ってなかったのだ。

 その魔物が出ると言う航路まで、ギルドのある島からは、順調にいけば船で西に二日だという。その間に、俺たちは途中、風神を祀るという島に立ち寄り、旅の安全と冒険の成功を祈願した。帆船は何より風だのみ、その風をつかさどる風神には機嫌良くいてもらわねば、仕事に差し支えがある。期限はないとギルドは言ったが、遅くなればそのぶん報酬を削られるのは経験則でわかっている。
 自らの力のみを頼りにするはずの魔物相手の旅の冒険者の集団にしてはずいぶん抹香臭いことをするものだとその時は思った。しかしひょっとするとあれは、今こうなっていることへの虫の知らせであったのだろうか。それなのに、あの時神官の祈りを右から左に聞き流していた俺が、皮肉にもこうして生き延びている。

 人心地がつくに連れて、この島には人が住んでいるらしいことがわかってきた。三日月のような形と色の砂浜のすみには、ささやかだが木造の桟橋があり、小船がつながれていた。
 空を仰ぐと、この砂浜のような形の三日月が空に残っていた。シケの夜、雲間からみた月より一段と細くなって、たっぷり一日は眠っていたのだろうと俺は考えた。
 そこに、目前の低木をかきわける音がして、俺は反射的に腰に手をやっていたが、愛剣はない。何かの小動物であれば良いが、狼だとしたら、波に漂って体力を消耗仕切った今の俺では防戦もままならない。それでも、そばに流れ着いた流木を、音源に向けて中段に構えた。
 が、やがて低木のあわいから出てきたのは一人の娘だった。驚いた顔をして
「生きているのねっ?」
と言う。久しぶりの鈴のような声が、図らずも俺の脳味噌を芯から震わせた。

 「発見がもう少し早かったら、後二三人、助けられたかも知れないわ。でも、時化が収まるまで、外に出られなくて…」
娘は面を伏せて、いかにも申し訳なさそうに言った。
「でも良かった。あなただけでも生き残ってくれて。この島には私だけ。一人だけじゃこの人たち」
そして、死体の一部が山積みになっているのを見る。
「どうにもならなかったもの」
俺も、その脇に集められた武器の山を見ていた。俺達流れの冒険者に飯と名声を与えてくれる大事な相棒達。
 ふと、一本の杖が目に入った。蔦が数本からみあった厳めしい一品で、座礁した船で、俺と同室になった魔法使いのものだったと思う。
彼は意気揚々と、あの杖を魔物の前にかざすように突き出しながら、新しく覚えたばかりの呪文をその魔物相手に試したくて、ギルドの募集に応じたのだと言う。
 だびに付され、武器と共に土盛りされたその上に、俺はその杖を立てた。愛剣は、あの武器の山の中に幸いして見つかったが刃が少し錆び始めていた。

 こうなるまでの事情を、求められるままに娘に話すと、彼女は
「ここは風神様の島からは東南に二日ばかり離れてるわ」
と目を丸くした。
「東南  それじゃ、魔物の出る場所とはアサッテの方角だ」
風神の島はギルドの島と現場のちょうど中間にあたる。死体の量からして、俺達を襲った時化は魔物のものではなさそうだと踏んでいた。
「時期的に時化が多いの。…運が悪かったんだわ」
娘はそう慰めてくれるが、俺がその時渋い顔をしていたのはそれだけが理由ではない。
 いったいこれから、どうギルドと連絡を取るべきかと考えた。しかしそうしたところでどうなる。ギルドにしてみれば、魔物退治はあくまで一つの試みであって、海路の一本封じても、混乱は今のうちで多少手狭にはなるが長い目で見れば大した影響ではないと言う判断であろう。たとえ成功しても、一人当たりは雀の涙でも、数十人分からの報酬を難癖つけて出し渋るのも明らかだ。第二陣の派遣なぞもってのほかだ。
 しかし、現に怪物は現れ、海路沿いの漁民には大した脅威になっている。
 こんな俺の考えをとくとくと娘に説明し、人がいる島までつれていってくれるように娘に頼んだ。所が、反対に
「まずは二三日、ゆっくり休んだほうがいいわ。海の冒険には慣れていないのでしょ 」
こう言われた。
「休んでいる暇はないのだ」
俺は言い返そうとしたが、それを制するように腹が鳴る。娘は急に笑いだし
「ほらね」
と俺の手を取った。
「私の家に来てよ。潮だらけの服も体も洗わなくちゃ」

 彼女の家までの短い道の間に、娘はサラサと名乗り、事情あって人里離れて暮らしていると言う。
「立ち入ったことは聞かないで。どうしても知りたいなら、自分からいつか言うから」
俺としては命の恩人に無礼を働くつもりはない。とにかく桟橋にあった小船で三十分の所に、もう少し大きな、ちゃんとした町がある島があるので、生活には困らないそうだ。
「ちょうど今日は船を出す日なのよ。
 …でもあなたはここで休んでいてね。すぐ帰ってくるから」
まるで子供を諭すような物言いだったが、俺は芯から悪い気が起こらなかった。

 島の真中の林を縫う小川で、服と体の塩抜きをして、家から拝借した毛布を腰に巻いただけの姿で日光浴をしている間に、サラサが両手一杯の荷物を抱えて帰ってきた。そして手助けしようと近づく俺の姿に、「きゃ」と声を挙げて荷物を取り落とす。こちらとしては日用品をすべて流された一張羅を干しているのだから、これ以上はどうにもならない。顔を押さえてそっぽを向いたサラサに、俺まで気恥ずかしくなりながら、取り落とされた荷物を持ち、家に入る。
「ごめんなさい。男の人のそんな姿を見たの初めてだったから」
と彼女は頭を下げる。
「いや、こんな無遠慮な格好をしていた俺も悪い」
「仕方ないわ。身一つなんだもの…
はい」
そして、荷物の中から手渡された服一式。
「寸法合うかしら」
幸いにも、俺は人より少し縦があるだけなので、袖裾を少し我慢すればなんとか着られた。いつもの服も、乾けば着られる。島に行く機会があったら、自分で買い直してもいい。
「…上から下まで揃えるの、恥ずかしかったのよ」
と言うサラサの顔は桜色に染まっている。俺はなんだか首の後ろがかゆくなってきた。

 このまま個人行動として魔物に迫るにも、別の旅に移るにも、まったく失われた装備をふたたび揃える必要を感じ、少し気持ちが焦ってき始めた。剣の刃先が赤く粉をふいているのを椅子に座りながら眺める。
 救われてから数日が経って、俺はサラサと一緒に、町のある島に行った。
 まず鍛冶屋に剣を研ぎに出し、できあがる間、各々買い出しをすることになった。サラサは金のことは心配するなと言ったが、そこまで世話になるのは気が重く、酒場に寄って、仕事待ちの冒険者と情報を交換したり、掛金付きの決闘ごっこに飛び入って買い出し用の小銭を稼いだりしていた。

 そのうち、どこで居場所をかぎ付けてきたのかサラサが飛び込んできて、
「何やってるのよお」
と何度目かの「決闘」を始めようとした俺を押しとどめた。そして
「はい」
と何かを手渡す。
「風神様のお守りよ。旅行安全のお守りね」
銀の鎖の先に、掌の半分ほどもある、雲に乗った青年像が掘り込まれた銀のメダルだった。酒場中に冷やかしの口笛が飛び、「決闘」の相手はいい見世物だと掛金を丸ごと俺にくれた。
 その時の俺の機嫌は、必ずしも良いとは言い切れなかったし、もともとこの手のものはまったく信じていなくもあったが、彼女の行為を無駄にもするまいと、その時は何も言わずにおいた。

 酒場で得た情報はざっとこんなものである。
 その魔物は、「カリプソ」と呼ばれている。身内全員を難破で失った女が、船の帰りを待つうちに、魔性の気を蓄えた姿なのだそうだ。
 これは聞いた話だが、心の拠所を失い、程度はどうあれ失望した人間は、そのテの物を呼び込みやすいらしい。そして取り付かれても、器のほうでは追い出すほどの気力は失われているのだから、自然毒気に侵されるのだそうだ。
 つい数日前も、そのカリプソは例の現場…そこが船の難破現場なのだそうだ…に現れ、大きな時化を起こして船を二三隻沈め、思うままに水死者を食らったそうだ。どうも俺が遭った時化は、その時の余波らしい。
 以上の情報を話してくれた同業者は、独自にカリプソ退治をするつもりらしい。
「どうせ、ギルドが依頼主じゃ、しけた仕事になると思ってな」
そう男は笑った。
「お前さんはどうする。ぼちぼち落ち着いたらまた挑戦するかね 」
「もちろん」
そのつもりだ…と俺は言いかけたが、サラサはその袖を引っ張る。男は乾いた笑いをした。
「は・は・は、そこのお嬢さんが離してくれないか。
 でもよお、考えてもみろよ。個人に任せれば、ギルドは、謝礼に色をつけたって、大パーティーにくれるよりかは安上がりだってことを知ってる。だが一人ってのはどうも覚束なくてな。
報酬は文無しのお前さんに七、俺が三。船や漕ぎ手の手配もするぜ。俺ぁ金もいいがスリルもほしい」
交渉はとんとんとあっけないまでに進んだ。
「お前さんの目は本物だ。筋金入りの冒険者だな。俺はお前さんを知らないが、陸に行けばかなりの名打てだろう」
そうまで言われて、断る馬鹿がいるだろうか。
「わかった。ここまで買われちゃ、乗らないわけにもいくまい」
俺もすっかりいい気になったが、しっかりそこの払いはおごらされた。

 しかしサラサは渋い顔をしていた。俺が買い出しをしている間、付かず離れず愚痴る。
「…本当に大丈夫なの  ずいぶん安請け合いに見えたんだけど」
プロの海の男が何人もあっさりと食われているのに。そう言う。
「カリプソもかわいそうよ。好きでそんなモノになったんじゃないでしょうのに。
 可哀想と思わないの  それを殺して良心が痛まない 」
そしてカリプソに同情していた。
「でもなあ、人を食うようではなあ」
「また流されてきても、看病してあげないわよ」
サラサの言い方は、俺の意気を明らかに挫こうとしていた。俺の恐怖心をかきたてて、この話を反故にしようとしているようにも見えた。
「すまんな。魔物に達しては、個人の同情より集団の恐怖に優先した同調で接しているからな」
「いつか死ぬわよ」
「その時はその時」
俺の答えはいたって冷静だった。そう信じている。

 剣は見事に研ぎ上がって帰ってきた。錆以前の刃こぼれや傷まですっかりきれいになって帰ってきた。
「久しぶりにいい切れ味が味わえるな」
俺が呟くのを、サラサはじっと見ていた。

 そして、しばらくたったある朝、目を覚ますと、家の中にサラサの姿がなかった。
「サラサ!」
 こう言うのも何だが、彼女はなかなかに働きもので、時々朝から林で野草を調達していたり、船を出して島の朝市で買い出しをしていたり、俺が起きたとき家にいないことは初めてのことではなかったので、そう驚かなかったが、家の中をくまなく退がし果てて、溜め息を吐いた瞬間、枕元においてあった水晶玉が突然耳がつんざけるような音を立てた。
「!」
すわ、と剣をとる。一匹狼の冒険では、往々にして剣だけでは間に合わず、水晶玉に封じた魔法を適宜取り出して、防御や攻撃の補助、情報の収集に当てるのが俺のスタイルである。その点で俺は変わり種らしいが、いつまでもそれに頼るようではとこの頃思っていたので、他人に譲った後新調したものの、機会があったときそれもまた譲ってしまった。だから、依頼を受けたときには所持してなく、今手元にあるのは島の道具屋で防具と装備一式を買ったおまけの形で店の親父が押しつけた代物で、島の魔法使いの自信作なのだそうだ。そのわりには、「派手に使うとしばらくはただの荷物になるそうですがね」と頼りないことを言っていたが、俺が辞退するのを無理矢理袋に押し込んだ。
 そんなことは今はどうでもいい。
 この鳴りは魔物の出現を意味する。しかし、空気には、何の邪気も感じられず、いったい水晶玉は何を勘違いしたのだろうと俺は首を傾げた。普通、水晶玉は何の秘密も隠さないのに。
 とにかく水晶玉は、ひとしきり鳴いて急に静まった。林に満ちていたはずの小鳥のさえずりもしばらく聞こえなくなり、それが耳に戻ってきた頃、サラサを探そうと外に通じる扉を明けた。
 そこにサラサが倒れている。俺は剣を放り投げてサラサを抱き上げた。
「どうした!」
彼女は全身濡れ鼠で、しかもほんのりと潮の香がした。意識はしっかりしているようで、すぐ目を明けた。
「…船を、出そうと思って」
「こんな時間にか?」
「非常識な時間じゃないわ。…で、桟橋に上ったら、足を滑らしちゃった」
不意のことなので、半ば溺れつつも、やっと浜まで泳ぎ着いたが、しばらく動けずにいたのだそうだ。
 とりあえず中に入れ、何くれと彼女の体を温めた。
「そう言えば」
水晶玉の中には、回復の呪文も入っていたような。手を伸ばし玉をとり、うつろな目のサラサにかざす。
「ヴィタ・ホロ…」
口訣(呪文)を口にした途端、また先刻の音が部屋いっぱいになった。さっきよりも強いようだ。もちろん、回復の魔法には、こんな激しい反応はない。
「!」
俺は唖然としてサラサを眺めた。彼女は、音がした途端、閉じていた目をかっと見開いて、そしてゆっくり起き上がる。俺は…半ば上擦った声で…
「寝てろ」
と言った。しかし、そう、目を白黒させている俺にやおらすがりついて、俺は何の心の準備もないままに唇を奪われていた。前歯をこじ開けて、何やらぷりぷりしたものが入ってくる。
 力任せに肩を突き放し
「何するんだ!」
と柄になく赤らんだ。
「寝てろ! 海の事故を侮るなと言うのは君の方じゃないか! 暖かくしておかないと風邪でもなんでもひいてしまうぞ」
我ながら、無様なシチュエーションだと思う。声を荒げても、何の脅しにもなりそうになかった。サラサは、俺にわずかに差し伸べた腕をぽとりと蒲団の上に落とし、ほろほろと涙し始めた。
「私…恐い…」
消え入る様なつぶやきを気の毒に思いつつ聞き流し、俺はサラサのそばに座り直した。
「恐い?」
「お祖父さんもお父さんもお兄ちゃんも、身内の男の人は皆海で死んだの。私一人だけでこの島に残されて、私、みんなのお墓を守っていたのよ。
みんなもう戻らないってわかってる。海を恨んでも仕方がないってわかってるなのに…」
その後しばらくは言葉にならなかった。俺は慰める言葉が見つからず、毛布を引っ張り出して、冷えた彼女の肩を覆った。
「そうか」
曖昧に相槌を打つ。そこに、サラサの言葉。
「…このままじゃ、私、あなたまで殺してしまう!」
俺は一瞬動きが止まる。
「そんなことしたくない!
 お願い、海には出ないで!
 陸に帰って!」
体の余計な力がゆっくりと抜けていった。
「…何がどうしたか、俺にはよく分からない。だが、魔物を前にして帰るなんてことはできない」
でも笑いはまだひき釣っていた。
「わかってくれ」
するとサラサは、ふと目の奥に感中のゆらぎのような変化を一瞬見せた後、上半身の諸肌を脱いだ。
「色仕掛けするわよ」
「ご自由に」
俺はこれも、サラサにしては質の悪い冗談だとたかをくくっていた。そして、一段高いところからサラサの出方を見た。真に受けられて面を向かわれれば、自分の浅はかさに気がついて、大人しくなるだろうと思った。が、サラサは俺の服をやおら剥がし、俺は背筋に一瞬走るものを感じた。体の血が一点に集中するに合わせて理性のタガが緩むような気がしてきた。愚息を含んだまま、ちら、と、サラサは俺を見上げてくる。はじめてみせるコケティッシュな眼差しだった。一瞬、溺れるな、と言う負の感情が浮かんだが、すぐ沈んだ。
 音を立てて、何かがキレた。
 


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