前へor戻る

 ルーナの身の上に、突然風が吹く。彼女の部屋に、豪華な調度品が続々と運ばれて来るのだ。
 見る見る美しく彩られて行く部屋に居場所を無くしたようにぽつねんと立ちながら、ルーナは「一体これはどうしたことよ」
と呟いたが、ジルには勿論、メディアにも、、これが一体どんなことなのかわからなかった。
 しかし、他の場所に詰めている侍女の話では、ルーナがとうとうバルバロッサの正夫人として公表される方向に、話が進んでいるらしいとのこと。
 初めのうちは、またバルバロッサの気まぐれで、子供に甘いものでも与える感覚で行われたことではないかと勘ぐっていたジルも、重ね重ね噂を聞き続けているうちに、この話はどうやら冗談ではないらしいと思えて来た。
 そして、ジルがその話をすると、
「まだ黙っているつもりだったが…、女とは耳聡いものだな」
バルバロッサはははは、と照れる様子もなく笑い、それから
「何ぞ、不満でもあるか」
と尋ねてきた。
「…私はお嬢様ではございませんから、その質問には答えかねます」
とジルは答える。
「ですが、お嬢様のお立場をよくよく勘案くださってのお計らいなら、私にはこれ以上の感謝も表しようも無く」
「なに、気にするな」
バルバロッサはとても機嫌がよさそうだった。そして
「ルーナにはきちんと俺から話す。なるべく秘密理にして、皆を驚かせたいからな。
それまではのらりくらりとしておいてくれ」
ジルはそれに涙を流さんばかりの喜びの顔で承知して、足早に去って行った。

 しかし、貴賎に係わらず人のすることには、異議を持つ者はいるもので、バルバロッサのこの仕儀にも、異を唱えるものが現れた。
 よりによって、腹心の部下トラムが、であった。
「アリッサ様のことはもうお忘れですか」
と彼はバルバロッサに食ってかかった。けんか腰になることはしない。しかし、トラムの気迫も、バルバロッサの意欲と同じように余人の介入する隙を見せなかった。
「アリッサ様を失われた時のあの悲しさをもうお忘れですか」
「何を取り乱して。忘れる訳がないではないか」
それに対して、バルバロッサは冷静至極に答える。
「アリッサはアリッサ、ルーナはルーナだ。いつまでも後家よろしく一人の女に固執しておれるか」
「アリッサ様は自ら妻にと望んだ方ではないですか」
「ルーナもそうだぞ」
「ルーナ殿はまだ、導師免許状にある、結婚の条件を満たしておりません。これまでも、女性の導師について領主の重ねられた罪については、神殿がいよいよだまっておれないと」
このトラムの言葉もバルバロッサは笑ってあしらった。
「そんなものか、多少不貞なるが男の甲斐性とも思うが。実際親父には二人いた。それと同じだ」
「どうしてもあのルーナ殿をお迎えするというのなら、せめてフォーチュナーに連絡をお取りください。それが筋というものです」
これにはバルバロッサもぴくっと表情を硬くする。
「知っていたのか」
「伊達に公に交わってはおりません。
 病気療養を名目にメレアグリアにとどまって居られたルーナ殿は突然行方をくらまされ、フォーチュナーはルーナ嬢を探すのに八方手を尽くしました。葬儀を行わないだけで、半ば命もないと思われているとか。
 そういうことからも、領主が彼女の発見のことをフォーチュナーにおつなぎ申した上で縁談を持ち込めば、領主は姻族として、決して悪いようにはなりますまい」
「なるほど。お前らしい考え方だ。穏便に、丸くことを治めようとしている」
バルバロッサはにやりと笑った。
「しかしトラムよ」
「はい」
「俺にそのつもりは毛頭ないぞ」
「どうしてです」
「俺が欲しいのはそんなモノではないからな」
「…とは?」
トラムが解せぬ、と言いたそうな顔をすると、バルバロッサは
「わからんか」
と言った。
「俺が欲しかったのはルーナそのものだ、他に何があるという」
「それは」
反論の余地を失ったのか、トラムは急に黙った。バルバロッサは、言葉を繰ろうと視線を泳がすトラムに呵々大笑した。
「なるほど。そういうことかトラム」
「どういうことですか」
「お前、ルーナにほれたか。そして、お前なら、フォーチュナーに連絡をとると、そういうことなのだな」
「…そう解釈されても結構です」
トラムは目じりを染めて、否定とも肯定ともつかない返答をした。
「お前がルーナの肩を持つ理由はわかった。
 これは細君には言わずに置こう。しょせん、かなわない望みなのだからな」
「…ありがとうございます」
「すまんな、トラム」
バルバロッサは、トラムの肩をぽん、とたたいた。
「どんな事情があるにせよ、俺のことを思っての言葉なのだから、それはそれとして受け取っておこう。
 しかしな、覚えておけよ。俺はルーナのために人を殺した。
俺からルーナを奪いたければそれ以上のことをしてみるがいい」
そう言い捨てて笑い去るバルバロッサの後ろ姿を、トラムは複雑な顔で見送った。

 ルーナだって、噂を聞いていない訳はなかった。できれば、このまま噂であってほしいと思った。しかし。容赦なく準備は整えられ、気がついたらその日まで数日も無いという有り様だった。
 ジルは、なぜかよろこんで、準備を何くれと確認している。メディアは相変わらず、何を考えているのかわからない。
 ジルが、整えられた調度品や衣装をみては、
「まあ、ノーアーの天蚕の絹〓」
だの
「お嬢様、シンフォニカの水晶張りの鏡ですわ、懐かしいこと〓」
だの歓声奇声を上げても、ルーナは目を向けることもなく何も言葉を発するでもなく、この私邸に来て以来愛用のシンプルな椅子に座っているだけである。ルーナが、この婚儀に納得していないのは、ジルにも良くわかっていた。
 そのルーナの数日に及ぶだんまりが終わった。
「…ジル」
ジルが何をおっしゃるのだろうとわくわくして応対すると、ルーナの言葉は
「…私はこれでいいのかしら」
という、ジルにとってはなんとも心細いものだった。ジルははあ、と大仰な溜め息をついて
「いいのですよ、これで」
ときっぱり答えた。
「どうして」
「所詮お嬢様のようなお方に、導師のような浮草暮らしは向いておられなかったのですよ。お相手がここの領主であったとしても、こうして新しい落ち着き場所を得られた方が何倍和やかか…」
すると、いままで黙って聞いていたメディアがこれを受けて、
「やたらな男に再び縁付くのなら、その浮草暮らしの方が何倍和やかか。
そう言ったのはどこの誰でしたっけ」
混ぜ返すと、ジルは
「領主はやたらな方じゃないわ」
と返して、
「ひょっとして…いえきっと、お嬢様にはもうひとつ、『運命のゴウトホーン』が隠されているのかもしれないですわ 」
と言った。はいいがしかし、メディアが
「ジル!」
と咎めるより早く、ルーナの手の平が自分の頬に炸裂することは予想できてしかるべきであった。
ルーナはきっと鋭い眼光でジルを見据えながら、着ている服の前を引き裂き、胸元を剥き出して詰め寄った。
「「ジル! よく見なさい! 答えなさい!
いったいどこに、お前の云う『運命のゴウトホーン』があるというの!」
ジルは駟駆も及ばなかった自分の発言に今更ながら青ざめ、ルーナの足元にぬかづいた。
「失言でした! お許しください!
ただ私は、お嬢様がふたたび栄えあるお姿に戻られるのが嬉しかっただけで…!」
「もういいわ」
ルーナはジルから顔を背けた。
「『見返り翡翆』の上から無理やりに『ゴウトホーン』を押されるこの痛みは、お前にはわからないわよ!
退がって! 出て行って!」
そして、駆け出すジルを見送ろうともせずにルーナは崩れ、泣き叫んだ。
そして、それ以来、ジルの姿を見ようとはしなかった。

 その祝言の日は、各地からの有志も集った。ジャーヌスの姿もあるらしいと聞く。
「お喜びになるでしょうね、お嬢様が生きていらっしゃって」
というジルの台詞が、いささかやけくそ気味になっているのは詮のないことであろうが、そう言っていたとメディアが言った。
 髪も美しく結い上げられて、衣装もすっかり着せられて、ルーナは人が違ったような姿になった。
「まだお式には十分時間がございますわ、少しお休みくださいませ。
 私達はこれで」
侍女達一同は、一切の準備を終えて、部屋から出て行く。
 ルーナはそれを見送って、それから部屋の片隅にあるベールと、綺麗な台に据えられたティアラを見た。
 領主の夫人にふさわしい格式のティアラ。私がフォーチュナーのルーナとわかれば…きっと皆安堵するのだろう。そして、噂をはねのけ、行方不明の自分を見いだしたバルバロッサを、幸運の主と讚えるだろう。
「でも、私はこれを戴くことはない」
と、ふとルーナは呟いた。
そして結っていた髪を解く。純白のドレスの上に黒髪が流れる。
「私は終わるの。翡翆色の羽根で波間を馳せてくるあのひとに、この身体を預けるの。
 エオル…待っていて」

 宴に入る前に、正式に結婚の儀式が執り行われる。しかし、もうほろ酔い加減になってしまっているバルバロッサが、そばの侍女に聞いた。
「どうした、あいつはまだ来ないのか。客も待ちくたびれてしまうぞ」
侍女は、やはり段取り通りルーナが現れないのにうろたえながら
「はい、い、今しばしかと思われますが、身支度はもう整われた筈を」
「遅い」
バルバロッサは杯を置いて立ち上がった。そして
「すまない、妻が似合わない恥じらいで、客人に無為を過ごさせようとしている。
迎えに参りますので、今しばらくのご辛抱を戴きたい」
 バルバロッサが上機嫌で部屋に入ってくる。ルーナは背を向けて、眠っているようだった。
「こんな時間に眠るなど、なかなか度胸があるな」
軽口をたたいて近寄ろうとしたその時、ルーナの頭は力なくがっくりと崩れた。ただならぬ雰囲気に酔いも醒めて、バルバロッサが駆け寄るが、足元に流れる赤いものを発見するのに大して時間はかからなかった。
 前に回れば、かっくりと力の抜けているルーナの胸元には、短刀が柄まで刺さっている。神殿の印がついているということは、導師の守り刀なのか。だとすれば罪を得た導師としては、然るべくその守り刀を使用したことになる。
「なんだよ、…ルーナ…新手の冗談か」
とバルバロッサは、笑おうとしたが、別の感情の顔は引き釣ってくる。もう、一緒に入って来た婚儀をつかさどる神官が、血相を変えて宴席に駆け込んでいた頃合だったので、ただならぬ事態に使用人や巫女、兵士、客人のいくらかが部屋の中にはいって来たり、戸口に張り付いて中の様子を伺っていたが、バルバロッサはそれにはばかりもせず、血の海の中で男泣きに泣き崩れていた。

客も一人去り、二人去りして、やがてその部屋は勿論のこと、屋敷そのものが静まり返ってしまっていた。
宴の衣装にそのまま喪章を引っかけた使用人やらが慌ただしく右往左往するが、一番奥まったルーナの部屋には、だれもはばかって近寄りもしない。トラムは、婚儀を通り越した葬儀の準備の指揮を執っていたが、時々隠れて涙を拭った。
 バルバロッサは、ずっとルーナのそばにいた。見付けたときにはまだ温かみのあった彼女の身体は、今はもうすっかり冷え切って、柔らかかった肌は強ばり始めている。ルーナの身体を椅子から降ろして床に座ったその膝に抱えているその衣装も、すっかり血に染まっていた。
 何度目か、堅く結ばれたばら色の、形のいいルーナの冷たい唇に口づけた。バルバロッサは、何の返しもない腕の中の、オブジェに戻った物体に、大きな溜め息を漏らして辺りを見回す。と、風に吹かれて、机の紙が飛ばされて来た。捕まえてみれば、それはルーナの書き置きだった。

〜お優しい騎士様
 神聖であるはずのこの日を、汚したことをひらにお許しください。
 浮草の身を喞ってくださいました貴方の様の善意は大変嬉しう思います。
 ですが、お胸の内の奥様が貴方様をのこして世を去り行かれました以上にお悲しみにならないうちに、早々に、私如きはお忘れくださいませ。
 私には、メレアグリアに娘が一人おります。『国の巫女』修業以来のご縁で、メレアグロス夫人が引き続きお世話してくださっておりますが、その好意にいつまでも甘えている訳にはいきません。
 母方に預けるのが道理というものでしょうが、私は既にこの世のものでないと思われているとか。
 さりとて父方に。いってもそれでは虫がよすぎ、あちらの方々の気が済みますまい。
 同じように、貴方様の憎んだ男の娘をとは、本末転倒も甚だしいことでしょう。
 身勝手とわかっておりますが、これに関しては、貴方様のお慈悲しか頼るよすがはございません。
 どうかあの子が、飢え凍えず、そして出生が暴露された時の世間の中傷からも、よくよくお守り願います。
 貴方様と、貴方様の家と、このアリッサに、リンズ・アーヤの益々の御加護のありますことを〜

 バルバロッサはそれを破り捨てようとも想ったが、その手を止めた。
その時ふと風が吹き込み、カーテンと遊んでゆく。窓の外は夜のとばりが薄く下り、深い碧の中に、上ったばかりの月が浮かぶ。
 吸い込まれそうだった。
バルバロッサは今度こそというようにルーナをしっかりと抱き締め、カーテンの無効の虚空に呟いた。
「エオル、お前がここまでさせたんだ!」
ルーナの胸の『見返り翡翆』は、血に濡れながらも、その碧い輝きを無くさずに、はっきりと浮かび上がっている。

終わり


次へ or戻る