
それからしばらくして。ルーナが、イェリコのいるトラムの屋敷を訪れていたとき、トラムが領主館が帰ってきた。いや、私服に着替えなかったから、もどってきたというべきだろう。
「トラム様、一体どうされました?」
その複雑な表情をルーナが問うと、
「ルーナ殿、領主館で領主がお待ちのようだ」
と言った。
「今日、領主館に務める役人が、民からの税を着服したことが分かった。それも一人や二人のことではない。その額もかなりに上る。領主はこの不祥事に随分ご立腹であった。
そしてルーナ殿をつれてもどるように命じられたのだが…同情するぞ」
彼もやはり、ジルの愚痴をどのような筋かで聞き及んだのだろう。迎えに来た向上のついでに、つい心境が言葉になる。
「お言葉ありがとうございます。でも私には、領主のなさることを拒む権利はありません。私のことはどうかお気になさらず」
「それは、そうだが」
トラムは、じつに複雑な顔をしていた。
とにかく領主館にもどると、ジルが
「到着より三十分の間にご準備を済まされるように、とのことでございました」
と言い、ルーナを引いてゆく。この昼日中からこんなコトをするとは、よほど晴らしたい鬱憤があるのだろう。ルーナは内心あきれながら、準備にはいってゆく。
後ろから、トラムの声が小さく
「同情するぞ」
と聞こえた。
ルーナが夜用の絹物を纏って領主…バルバロッサの部屋にやって来れば、彼はこれまた昼日中からメディアに用意させて一杯傾けていた。
彼はルーナとは背を向けていたが、かすかな物音とメディアの態度にその訪れを察したらしい、横目でルーナを見た。
「大体30分…よくしたものだ」
とバルバロッサは言って、メディアとジルに退がるように言った。実はバルバロッサの部屋への道々、ルーナは彼の無理やり隠された人情に働きかけることを決めた。しかしそんな彼女の胸のうちも知らないバルバロッサは、自分の後ろで立っているルーナに空のグラスを見せて
「お前もやるか?」
と尋ねた。ルーナは
「いえ」
と拒んだが、彼はあえて彼女に強要せず、のみならず
「ならば俺も止めにしよう」
とテーブルにグラスを置いた。
「待ち兼ねているようだからな」
とも言った。今まで彼には何を言われてもそう動じなかったルーナも流石にこの言葉には難色を示し、ふと眉をひそめた。
「冗談だ」
とバルバロッサは笑う。
「今日はこのまま夜が明けるまでお前だけを相手にしたくてな」
「なにかございました?」
とルーナが試しに聞いてみるが、
「それはお前の知ることじゃない」
と、バルバロッサの返答はすげないものである。
「それに、内政の話はこんな雰囲気にはふさわしくない」
そしていつものごとくルーナを抱き寄せようとした所を、ルーナはふいと身を交わした。
「いつになくつれないあしらいだな、機嫌が悪いのか」
バルバロッサがふふっと笑う。さらに腕を伸ばしルーナの腕をつかむと有無を言わせず自分の胸のうちに包みこんだ。
「今日のおれはいささか気が立っているのでな、思わせぶりをするとあとがひどいぞ」
と耳元でささやくと、ルーナは
「どうしてこの身に貴方が拒めましょう」
と返した。
「…御心のままに」
「いい答えだ」
バルバロッサはニヤリとしたまま寝台にルーナをころがし、無造作に組み伏せた。
激しい一時が過ぎた後、息を整えてルーナが尋ねる。
「私とこうしております時、何をお考えでらっしゃいます?」
「お前以外のことはなにも考えていない。
…当然じゃないか。俺が求めていた理想を腕にしているんだぞ」
バルバロッサはそう言ったが、ルーナはころころころ、とそれを笑った。
「心が外にある私などよりも、あの方のお肌のほうが遥かに暖こうございましょうに…」
バルバロッサは眉毛一本程も表情も崩さなかったが、漆黒の瞳の奥の色の揺らめきがあった。
「ご存命でらっしゃれば、ちょうど私と同じほど。しかも二十歳にも満たぬお年頃のコトでは、今の私とは比べものにならぬほど華奢でらしたはず」
今度は、バルバロッサも表情の動きをあらわにして
「…誰から聞いた」
と尋ねた。ルーナは
「さあ」
と白ばっくれる。
「ケティ・ダビーナからだな」
「どうでしょう」
「ごまかすんじゃない!」
ついに彼は声を荒げた。
「今ここでアリッサの事を知るのは、俺と、奴と、トラムぐらいなものだ!」
「領主」
ルーナはさっさと自分から身体を離して、
「ご自分に正直におなりなさいまし」
それから剥ぎ取られた絹物を纏い直した。
「あの方を第一として、思い出を後生大事にあの館の中に閉じ込めておきながら、私のような根無し草をこの寝台に招き寄せてよろしいのですか?」
「お前を慰みものと思うはずはない。いずれは然るべきようにする」
バルバロッサもルーナの差し向かいにあぐらをかいた。
「ならば私の前の数多くの導師嬢はあの方にどうご説明なさりますの?」
「そんなことは知らない」
「まあお冷たい」
バルバロッサはむっとして言い返す。
「お前に関しては、いずれ然るべきようにする。ジルにそう誓った!
大体お前はお前のおかれている立場をわかっていないようだな。
俺がお前を然るべきように計らうまでは、誰が何と言おうと、お前はこの俺の囲われ者だ。つまり、お前は、俺の胸ひとつでアリッサ…いや全国中に正体をばらされても、今日を限りに俺に殺されても文句は何一つ言えぬ身なんだぞ!」
「いずれ然るべきようになさる私を殺すなど、貴方にできよう筈もありません」
ルーナはたいして驚いてもいない様子で言う。
「領主は実は心優しい方でらっしやるとか。討った夷族の子供達が道途に飢凍することに心を痛めておられますとか」
「あの婆ぁが喋ったな」
「領主」
ぶつぶつとケティ・ダビーナに毒づくバルバロッサに、ルーナは毅然と顔を上げて言った。
「私を殺すならば、そのかわりとしてこのお邸からお解き放ちください!」
「俺に本来の性格を呼び戻させるためにお前にここから出てウィンダランドの若造の足も無い幽霊の足跡でも辿れと言えというのか!」
「そうです。
…貴方が亡きアリッサ様に焦がれて止まず、その寂しさを隠すように幾人もの女の上をば通り過ぎられるのならば、私も同じように、亡き…いえ本当は生きていると信じたい…あの方に焦がれて止まず、この身を導師として清きを守って来ました。
私の心は、あの方のお亡くなりになられてからこの幾年の間、あの方の足元に跪いております。
このような状況に慣れ果ててからこんなことを申しましても戯れ言と言われてしまえばそれまですが、私は今の今までも、貴方をお愛しいと思ったことはただの一度もございません。
貴方が誠の心を隠して私の誠の心を捕らえようとしても、それは無理なことですわ」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、バルバロッサはルーナの体を、再びたぐるように抱き締める。
この人も本当は、いえない痛みに耐えているんだ。そう同情してしまう自分が、ルーナは許せなかった。
バルバロッサは、有無を言わせない勢いでルーナと唇を絡める。
「女には二通りあると気がついただけだ」
激しさとは打って変わって、じっくりと、ルーナの体を堪能しながらバルバロッサは言う。
「確かにアリッサを、俺は最も愛すると言って恥じない。お前の言うとおり、華奢で、儚げで、少しでも強く抱き締めでもすればそのままこわれてゆきそうな女だった。
彼女は俺の胸の内にいつまでも生きる。彼女は俺で俺は彼女だ。誰にも犯させなどしない。…だが、お前は違うぞ。
お前は、いわばアリッサとはまるで対極にある女だ。大胆で、神秘的で、身体の隅から隅まで探検し、征服する価値のある女だ。
お前を手に入れる野に、手段など選ぶ余裕はなかった。
あの日、社交界で俺を止めたエオルは、あの時から俺の敵になったんだ」
バルバロッサは、ルーナの胸の、見返り翡翠に歯を立てた。
「くうっ」
ルーナが痛みに顔をゆがめる。唇が離れて、しばらく赤く残っていた歯の形は、見る間に消えて、蒼だけがさえざえと残る。
「お前がエオルとうわさになり、『国の巫女』となれなくする。それは計算のうちだった。まさかうわさが本当で、お前があれの子を産むことになったのが、誤算だっただけだ」
ルーナに差し伸べられた手に力が入る。
「ああっ」
ルーナの体がはねた。
「俺は、あれが邪魔だっただけだ。正当な理由があればどうでも良かったんだ。
あれがきえれば、お前はひとりになる。家からも放逐され、頼るところを探す。
わかるか、俺が個々まで冷徹に、お前を求めなければならない理由が。
お前のせいだ。お前がアリッサのことなんて、どうでも良くさせるほどの女じゃなかったら、俺はここまで落ちたりはしなかったんだっ!」
その言葉を、ルーナは朦朧とした意識と迫り来る官能の中で聞いた。
聞いてしまったバルバロッサの言葉は、ルーナがずっと知りたかったことだった。ルーナはつう、と涙を落とす。しかし、バルバロッサは、もうそれに気をとめる余裕もなく、ルーナの体に溺れていた。
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