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 アリッサの領主館は、俯瞰すれば□型の外観を持つ一つの砦のようなものだった。その外壁は王宮の城壁もかくやと思うほど強固で、平らでだだっ広い殺風景な中に、城門が一つ、ぽっかりと口を開いていた。行政の中心たる建物はその強固な外壁に守られて、外の喧噪とは完全に別たれた庭園の中にたたずんでいる。入り口から、官吏が忙しそうに往来しているのが見えた。
「ここは、砦なのね」
ルーナは壁を見上げてそうつぶやいた。というのも、アリッサは、首都ナテレアサと真南に接するところにある。加えて全国を走る数多い街道の中の、南方を網羅して来た幾本かは、この南の要であるアリッサで合流し、北の首都つまり国政の中枢へと一気に上ることができるのである。
 便利と言えば便利だが、同時に大穴でもあった。このことは歴史が証明している。
今を逆上ることざっと10年ほど前、海を渡り大陸から大陸へと、略奪と凌辱の限りを尽くしていく海賊の一派が、ワダツミ海沿岸の諸都市を脅かしたことがあった。しかし、ナテレアサの軍は、このアリッサの砦で、南の各地を蹂躙してきた海賊をここで食い止めたのだ。美しい庭園も、いざというときには兵糧を調達する畑にもなるのだろう。
 ルーナがその領主の館についたのは、長い日も落ちて、辺りが桃色から紫色に変わろうという頃だった。
門を閉めようかと言い合っていた二人の兵士は、弟子を伴った女導師が馬から降りて門のほうに向かって来るので、条件反射のごとく持っていた棒を彼女の前に交叉した。ルーナは一瞬目を見開いたが、マントから顔だけを覗かせたところでその顔を見た兵士の一人が、なんだかあきれたような顔をして腰の大きな貝笛を取り出した。
 深い音が響き、交叉を解かれた棒の間から門の中に入ると、50m向こうの館の中から官吏と神官が出てきた。官吏のいでたちを見るなり、ルーナは、その官吏の位が相当高いことがわかった。おそらく、領主の補佐をしているのかもしれない」
 その二人と面と向かい合った所で、ルーナは彼等の前に跪き、身分証明となる免許状を差し出した。
「メレアグリアをその始まりとして、諸国を巡りましてここアリッサまで参りました。
導師のルーナ・マルフィールと申します」
神官が免許状を受け取り、内容を良く改める。
「遠路はるばるよう参られた、麗しい導師よ」
しかし続く言葉は
「領主は一月は戻られん。上屋敷に詰めておられる。悪いことは言わん、帰りなされ」
言葉の中に、自分に対しての同情を感じ取ったルーナは、
「ですが、こちらのご領主をお探しの方が、あまり私に似ていたものですから。他人の空似というにはあまりに気になりまして…」
少し訝しげに尋ねると、今度は官吏が言った。
「確かに、その通達によってここに送られてきた貴女ら導師は、この数年でかなりの数に上る。
 しかし…」
言いよどむ先も、ルーナはしっかりわかっていた。
「こちらの領主様のことも、だいたい伺っております。出来れば、同胞なる導師たちのためにも、領主様には立ち直っていただきたく」
「はあ…」
官吏と神官は顔を見合わせた。この導師が最後の…つまり領主の出している条件に完全に一致していればいいが。そんな雰囲気を漂わせていた。
将軍と魔法僧は弟子を伴った麗しい導師をいたく哀れみ、彼女らの今宵の宿を案じ、離れに部屋を誂えるから一晩身体を癒されよ、とのこと。宿を決めていたヌバターマは一応その申し出を断ったが、日没後に領主の館を訪れた導師は貴い客として扱うという巷の不文律にも手伝わされて、とうとう勧め倒されて留まらざるを得なくなった。
 通された部屋は、導師の宿泊用にあつらえられているのか、こざっぱりとして快適そうだった。旅装をときしばらくくつろいでいると、
「お湯の用意が整ってございます。どうぞ、暑いうちに、旅の疲れをお流しくださいませ」
と侍女の声がする。ルーナはその声にしたがって、部屋に繋がる風呂に入っていった。
 風呂場の控えでかしこまっている侍女の顔に見覚えがあるなと思いながら服を脱ぎ始めると、その侍女は
「お手伝い致します」
と聞いたような声で近づいてきて、、背の止め具を外した。
「あ、ありがとうございます」
ルーナはそうとしか答えようがなかったのだが、その侍女が前に回ってきてルーナの身体を見るなり突然涙を流し出した。
「どうしました?」
と聞こうとして、ルーナははっとする。のぞき込んだ侍女の顔は、見覚えがあるなんてものではなかったのだ。
「『見返り翡翠』…本当にお嬢様なのですね」
「…ジル!」
親友とも呼べる主従は、堅く抱きあって再会をよろこんだ。

 昔にもどったような気持ちで湯を使い、夕飯を済ませた後で、ルーナはジルの部屋を尋ね当て、訪れた。
「どうして、ここにいるの?」
というルーナの問いに、
「はい、こちらはメディアが以前仕えていたとかで、こちらならきっとお嬢様と出会えるからと…」
「そう」
きっと、自分を特定するという目的にここにいるものだろう。そしてジルは、バルバロッサはルーナを迎え入れるつもりがあること、メディアはそのための事前調査のために遣わされたことなど、話せることは話した。
「それでも、バルバロッサ様は、私を見つけ出せずに、導師の女性達を、罪になると知りつつ?」
と聞くと、ジルはやや時間を置いてうなずいた。
「あなた、『見返り翡翠』のことをどうして早く話さなかったの。そうすれば、不幸な人たちは少なかったかもしれないのに」
つい咎めるような口ぶりになる。しかしジルは
「…せっかく家に捕らわれぬお嬢様になったのに、その自由を楽しみもしないでまだ館の中に捕らわれの身になるなんて、お嬢様が不憫です」
という。
「私より、何も知らないでバルバロッサに抱かれた娘達を不憫に思いなさいな」
「お嬢様も同じ目に会われるのですよ。どうかお嬢様、明日早速にもここをお発ち下さい。『見返り翡翠』のためにも」
「私は帰らない」
「お嬢様!」
ジルが乾いた声をあげる。
「帰らないというより、帰れないところにきたの。
大丈夫よジル。私これでも旅をしている間にずいぶん強くなったのよ」
ルーナはそう言って片目を瞑った。

 あの夕方にルーナを出迎えた官吏トラム・ベラルは、やはりバルバロッサの側近として彼のいない間の内政を取りしきる高級官吏であった。控えめで気立てのいい奥方との間に娘が1人。ルーナがあこがれていた生活を具現したような一家である。聞かれるままに身の上を当たり障り無く説明し、ジルが以前仕えていた家の令嬢だとも知ったトラムは、そのままルーナを娘の個人教師として取り立ててくれたのだ。娘は、残してきたアルキュオーネより少し年上で良くしゃべり良く笑う、かわいらしいお嬢様だった。
 トラムの館で、ルーナとジル、そしてイェリコは、一家に打ち解け、じつに穏やかに過ごした。預けてあるアルキュオーネをここに呼んでもいいかもしれない。そんなことを考え始めたとき、バルバロッサが帰ってきたという知らせが届いた。

 帰還するその足で、バルバロッサはトラムの屋敷にやって来た。バルバロッサとトラムも、兄弟同然に育った間柄なのだ、トラムのほうも、夜分遅い来訪を嫌がることは無い。
 ルーナはその家の娘を寝かし付けるのに精一杯であったのだが、頭のどこかでは、自分が彼の前に姿を出してはことが厄介になるな、と思っていた。
 二人は中庭に誂えさせた席で、将軍から領主不在の間のことを事務的に聞いた後は、世間話を始める。
「お父様のお客様って、誰? 見に行っていい?」
と娘が寝もやらずルーナに甘えて、ともすれば父の元にちょっかいを出そうと聞いてくるが、ルーナは
「お嬢様、早くお休みにならないと、明日起きられなくなりますよ」
と、あくまでも優しく言い諭す。
「お父様は領主様と難しいお話をしておいでです、さあ」
そう言って、娘を部屋に押し込もうとする。娘は
「バルバロッサおにいちゃまがきてるのね」
といい、ルーナの脇をすり抜けた。じつに軽やかな足取りで庭までの廊下を駆けた娘は
「おにいちゃま」
と、バルバロッサのもとに走ってゆく。
「おかえりなさいおにいちゃま、おみやげは?」
無邪気に言う娘をね話をとめて バルバロッサはなれた手つきで抱き上げた。
「ちゃんとあるぞ、今日は仕事場においてあるからあとでトラムに持たせよう」
じつに、温和な表情だった。子供が好きなのだろう。しかしルーナは余計な考えはひとまず頭の中に隠し、庭の出入り口から
「お嬢様、お休みの時間ですよ」
と声をかけた。
「まだ眠くないもの。ルーナはあっちいってて」
娘は無邪気にそれを一蹴する。バルバロッサの顔が変わったのが遠目にもわかった。いぶかしげにトラムを見る。
「導師を雇ったのか」
「はい、例の通達を見てやってきたというのですが、領主がご不在では何とも判断が下しがたく、騎士メレアグロス家に縁があるという話も有り、ならばこのまま雇ってしまおうと…
 軽率かとは思いましたが…」
「お前らしくないことをするな、トラム」
バルバロッサは、娘を下ろす。
「通達できた導師は全て一旦俺に見せろと一月前に言ったはずだ」
「は」
「詮議が終わるまで預かるが、異存はないか」
「…ご随意に」
トラムに呼ばれ、ルーナはゆっくりと中庭に出てきた。バルバロッサは、神妙な顔で
「アリッサ領主、バルバロッサ・シーグフリード・カスタロイである。
…通達を見てここへと参ったと聞いた表を上げられよ」
と言う。ルーナは言われるままに顔をあげた。怒っているような世を拗ねているような、切れ長の黒い瞳が彼女を見下ろしている。彼が探しているのは自分なのだと確信できればこそ、視線をそらすようなことも無かった。

 バルバロッサは顔を上げた導師の顔を見て、直感していた。通達を出して数年、同じような顔を見飽きるほど見て来たが、粧いを是としない導師でこのような匂い立つ顔には出会っていない。
「通達の関係でこの街を訪れた導師は、一度は詮議を受けねば自由に行動できぬと、トラムは説明しなかったようだな」
「…はい」
「そういうわけだ。詮議が終わるまで、領主館にとどまっていただくが、異存はないな」
「…はい」
「そういうわけだ、トラム」
ルーナの素直な態度を見て、バルバロッサはくっと目を細めた、そして、立たせたルーナをいとも軽々抱き上げる。
「!」
「トラムはだませても、俺までだませると思っていたのか?」
より近づいたルーナの耳元に、バルバロッサが言う。
「夜遅くにすまない。また明日、領主館で会おう」
そしてトラムに言って彼はルーナを抱き上げたままその場を去る。トラムの娘は何事かと言った様子でキョトン、としていたが、やおら領主が導師を抱きかかえて行ってしまうと
「おにいちゃまぁ、ルーナを返してぇ! ちゃんといいこにするからぁぁぁ!」
と泣き出した。


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