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 さらに数日後、届けられた手紙には、自らを侍女と名乗る筆跡の便せんが混ぜられていた。
 それによれば、リンズ・アーヤ代神殿の真夏の祭礼が近いという。今年は巫女の修行地になった縁でことさら華々しく催されると言うことだ。邸宅の使用人はごく一部を除いて一日暇を出される、とのこと。じかにお逢いになりたいのなら、その時を置いてほかにはなく、とも。
 そしてルーナの手紙は、エオルと面会できる機会が与えられたことを受け取ってか、これにもまして、凝るほどの想いを訴えていた。

〜一度巫女の道を歩むものに殿方はご法度、姿を見せることのないよう厳しく図られ、そこに有る気配さえ悟られてはならぬものと繰り替えし聞かされております。その厳しい掟に縛られ、今となってはただの女に戻れぬことも恨めしゅうございます。
 貴方様の腕のうちで目を覚ますことを幾度となく夢に見て参りましても朝は空しく…何もかもかなぐり捨てて馳せ参じたいと思いましても、戒めの多い身ではそれもなりません。
一目たりとも会いたいものを…〜

エオルの、手紙を読む手が震える。夜な昼なに物思いに捕らわれるのはなにもルーナだけに限ったことではない。言葉だけの交わりというもどかしさが積もった揚げ句、二人は「次に逢える機会があれば、その時には身と心とを一つに結ぼう」と誓い合っていた。その機会が遠くないその内に巡ってくるのだ。

 この千載一遇の機会を誰かに話してしまいそうになるのを、エオルはぐっと飲み込み続けていた。それが態度にも出ていたのかもしれない。
「一体どうしたというのですかエオル。顔色悪いですよ」
王宮で、ジャーヌスに呼び止められた。呼びかけられた相手が相手なだけに、エオルは一瞬顔が凍る。
「あなたも、お父上が亡くなって、いろいろお有りのようですからしばらく声をかけるのはためらわれたのですが…」
「あ、いや、その…」
彼の心配の向きが、それとは全く違うところにあったといえば、ジャーヌスもきっと拍子抜けするだろう。ただ、彼の中で打算が動く。ルーナに繋がるこの人物に話せば、あるいは巫女になれなかったルーナとともにいられる手だてになるかもしれない。
「私でいいのなら、相談に乗りますよ」
という言葉にも助けられて、エオルはぼそぼそと、ことのいきさつを告げた。

 「見くびらないでいただけるか!」
エオルの打ち明け話と彼のささやかな望みを知らされたジャーヌスの第一声がこれであった。宮廷の往来であったから、周りの目がざっと二人に殺到する。日ごろ角突き合う二つの家の重鎮が並びあうその光景が珍しいのか、視線はとどまって、二人の次の言動を待っている。二人は、不自然にならない程度に衆目から逃れ、対話を続けた。
「両家の対立を知らぬわけではないでしょう、敵家の、しかも許婚のある男に、一族の宝とも言うべき娘を嫁がせるなど、一族に何と言われるか。しかも、国の巫女になれなかったらなど、そんな条件ものめません」
さすがにジャーヌスの声も苦り切っている。
「お父上が亡くなって、ウィンダランドの中が乱れている、そのせいなのですか。
 エオル、もう少しお考えなさい。私には、あなたが正気の沙汰とはどうしても思えないのです」
打ち明け話を済ませたエオルの顔は、闊達な彼のものにもどっていた。
「俺は、いたって正気だとおもう。一族の問題もきっと何とかなる。大それたことかもしれないけど、…俺とルーナが、和解の道を指し示せないかって…」
「…そういうことなら…」
ジャーヌスは言葉を失って、彼の目をじっと見つめて、それからふう、と溜め息をついた。
「その言葉を、もっと早く、無理にでも、貴方の口から聞くべきでした」
しかし、今となってはもう遅いのです。ルーナは国の巫女の候補生として、清い修業の生活に入ってしまっています。最早神に仕える身も同然、それを妻に望むのは大罪ですよ。王に許しを乞えば許されもしましょうが、神官達が黙っておれないでしょう。最悪、神に冒涜を働くものとしておとしめられてしまうのです。それをゆるしたルーナも同様です。
 親友と眷族がそろって苦渋をなめさせられるのは見ていられません」
「二人がそれぞれ一族から追放されれば、それはそれで願ってもないことだ」
「それに」
ジャーヌスはたしなめ声になってくる。
「もしあなた達のことが、宮廷に広まったらどうなりますか。さがないうわさ話はあなた達二人を、それこそ完膚ないまでに傷つけるでしょう。
 いちばんいいのは、このままルーナに国の巫女の道を歩ませることなのです」
エオルは普段穏やかなジャーヌスがこうまで真っ向から反ばくしてきたので驚いた、と同時に彼の言うことにも一理あった、ジャーヌスもフォーチュナー一族の命運を背負って宮廷に上がっているのである。一族に不利な計らいになることに率先して手を染めたりはしなかろう。
「やっぱり、俺、どうかしてるのかな…
 わかったジャーヌス殿、この件は忘れてくれ」
身を縮こませて元来た道を引き返そうとしたエオルを、ジャーヌスは改まって呼び止めた。
「待ってくださいエオル、私の話はまだ終わってはいません」
「何だ?」
「あなたは知らないことでしょうから、お話しておきます。
 ルーナが初めて宮廷のサロンに来たのは、あなたより少し早い十六の時でした。その後彼女は両手にも抱えられないほどの男からの手紙をもらいました。しかし、ルーナの父上であるサルディス殿は、それを全部捨てさせてしまったのです。差し出しは外国からの大使或いはその息子、もと王族であるらしい男、大商人の御曹司、それは凄々たるお歴々でしたよ。それを全部承知の上でサルディス殿はそうさせたのです。
それはなぜかお分かりですか、エオル」
「いや」
ルーナの父になるサルディス家当主のことは、そういう人がいた、ということしか知らない。エオルがかぶりを振ると、ジャーヌスは話を続けた。
「彼の望みはただひとつ、先程あなたの言っていたフォーチュナー・ウィンダランド、両家の平和的融合でした。サルディス殿は人一倍の政争嫌いで、普段は外遊に出ていて、1年のうちのほとんどを旅の空で暮らしているのです。人格者では有りますが変わり者としかうつらないものですから、奥方を始め皆、サルディスどののお考えには、誰も相手をされなかったのです。私も、先日あの方に再会するまで、そのことをすっかり忘れていました。
 再会したあの方に、私は、ルーナ国の巫女として修業させている旨を打ち明けました。サルディス殿が『なんてことをするのだ』と、食ってかかってこなければ、思い出せなかったのですよ。
『旅の空にある不肖の父がそれでも信用ある家人に命じて娘を一分の非もなく育てさせて来たのも、他ならぬウィンダランドの御曹司に嫁がせるためであったのに』
それは彼の考えた両家の和平のための最良の方法でした。じっさい、彼の考えたことは正しかったと今更になって思います。私達が結果邪魔をした形となっても、あなた達はその運命をもっていたということになるのですから。
 剰え、ルーナの母になるシアトリス殿は、才気煥発として、サルディス殿の居られない家をまことに手際よく切り盛りされて居られます。そのかわり、ご夫君の夢語りには、最初から興味がお有りではなかった。娘を放っておいて遊び暮らして、家を顧みぬ夫には、娘の結婚の口出しはさせなかった。言った所で相手にしなかったでしょうが…
 国の巫女の候補となるまでに何度か、シアトリス殿はルーナに、これという縁談を話渡されもしました。しかしいずれも、公表する前に破綻しています。大いなる皮肉というものでしょうかね、シアトリス殿がこれと思った男は全て、サルディス殿の夢にまで見た才色兼備のルーナの器量を受けとめ得る器ではなかった。自分の見込み違いの原因を悟りえなかったシアトリス殿は、もう一つのルーナの道として『国の巫女』再選が見えたとき、ためらわずご自身の娘に指し示されたのです」
長い語りの後、ジャーヌスは、これが何度めかになるかわからない、諦めと後悔の混ざったため息をついた。
「『国の巫女』の何たるかを、サルディス殿も知っている。だからルーナがその候補生となったことで、あの方はご自身の夢を諦められた。
 そんなときに、こうして貴方の口からこうして貴方の想いのたけを聞かされて、やはり二人は運命であったのかと、ルーナを縁づけられぬ身にした自分自身を苛まずにはいられません。
 きっと、これはあなた達に示された運命というものなのでしょう。誰がどんな手段を使ってとめたとしても、早晩家の実質的な融合は、果たされるやもしれません。
 あなた達の行く末が幸多いものであるように。私はそれを祈ることしか出来ないようですね」

 メレアグリアの大祭当日、エオルはドゥカリオスの邸宅にいた。近隣に聞こえた大祭の期日に合わせて、エオルを正当な当主と示す儀式が行われることになているのを、屋敷に着くなり聞かされたが、そんなことはどうでも良かった。
 夜遅くまで街に明かりがともされ、人々は女神の恵みたる温泉にくつろぎ、豊饒を祈る。そして、夜に乗じて恋人達も逢瀬を重ねるのだという…それも大地母神のつかさどるところだからして。
 夕方になれば、夜祭りに出かける人間ために邸宅は日とがいちばん少なくなる。そう言う知らせを受けていたので、エオルは夕方に合わせて屋敷を出ることに決めていた。
「エオル様エオル様、夜にはネフェレおば様がおいでになりますから、それまでにはきっと帰ってきてくださいましね」
この邸宅に預けられている母の遠縁の娘、エオルには婚約者ともなるエナは、早くも女房風を吹かせるように、馬上のエオルに言う。儀式のために行きたい祭礼も我慢しているのだと、エナは念を押すように何度も言い、
「だからエオル様、早く帰ってきてくださいましね」
と、エオルを見送ってくれた。
 エナには悪いことをしているかな。エオルの胸はさすがにちくりと痛んだ。しかし、すぐにそれは消えた。見通しのいい街道に出れば、山のふもとにメレアグリアの温泉街がかすかに見える。この日のために、王都の邸宅から、いちばん早く走る馬を連れたきたのだ。ムチを当てると、ぐいと体が引かれる。あとは、その街に向かって、走ることしか考えなかった。


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