
恋して恋する乙女というものは、時に大胆になるものである。ルーナはメディアに手紙を預け、メディアはどう手配したのか、その手紙を確実に届けさせた。
手紙の着いた先は、果たして、ウィンダランドの本拠地である副都ドゥカリオス。しんみりとした緊張に満ちた中、エオルは
「ウィンダランドのエオル様ですね」
という、窓の下の声に身を乗り出した。
「誰だ。今、この屋敷には誰も近づけなくなっているはずだぞ」
「はい、お父上は今明日をもしれぬ病の床におられること、重々知っております。ですが、私の命じられたこの使いも、確実に果たされぬコトには、いずれあなた様には人を一人…」
使者のおどろしい物言いに、エオルはどきっとする。
「俺、誰かに恨まれているのか?」
そう思う方がエオルにすれば自然だった。二十歳にもならない自分が、いずれウィンダランドの当主としてすべてを背負って立つのだ。若すぎると危惧する声も多い。ましてや、一族でないモノからすれば、若造の当主など名家故の戯れと解するコトもできるだろう。
とまれ使者は
「さあ、そう言った複雑なことは、とんとわかりませぬ。私はただ、このお手紙の送り主様のために、きっとこちらにお届けするよう言われただけですから」
といい、エオルに手紙を握らせた。
「お休みになる前にでも、お人払いをかけて、きっとひとりでお読みなされよ」
その言下に込められた機微を、エオルが察するまもなく、使者はどこへともなくいなくなってしまった。
「…なんだろう」
使者の言うように、後は眠るだけとなってから、おもむろに手紙の封をとく。交際の申し込みは、あれからすっかりこなくなっていた。エオルと同じ日に宮廷社交界にデビューした、遠縁の娘というエナが、母ネフェレの手によりエオルの婚約者と知らしめられたからである。それを承知で改めて手紙をよこすなど、ふつうはしそうにない。やはり誰かに政治的恨みでもかったのだろうか…誰に相談すればよかろう、そんなことを考えながら手紙を開き、その書き出しに驚いた。
〜お愛しい騎士様 お手紙を差し上げる罪深さを赦し、またお手紙を差し上げた勇気をどうか容れてくださいまし〜
そう言う書き出しにも驚いたが、何より筆跡に驚く。思わず懐から、もらってこの方肌身を話さなかった手紙を取り出していた。
寸分違わぬ、踊るような伸びやかな、繊細な筆跡。メレアグリアにいるルーナが、どういうつてを発見したものか、ここまで手紙を託してきたのだ。全身がふるえた。
連絡の取れなくなったこの何十日という間の切なさを、せつせつと訴えるルーナからの恋文は、
〜今の私は、国の巫女になる喜びと、あなた様に沿いたい切なさとが相まって、言葉に耐えぬ苦しみとなって、我が身をさいなんでおります。
どうか過日のことが最後と思われず、私に希望をくださいまし。〜
あらがいがたい魅惑的な香りさせ感じさせる。
〜国の巫女の候補生は異性は手紙たりとも御法度、重々承知しております。ですが、すべてをなげうって、あなたとのかかわりを持ちたいというこの私の気持ち、あなた様ならきっとわかっていただけますね〜
面はゆいというか、薄ら寒いというか、エオルの心境はじつに複雑だった。自分が、この巫女の玉子の修業すらおろそかにさせかねない存在だということがにわかには信じられなかった。
「…巫女になる道を、選んだんじゃないのか?」
そう、誰に聞かせるともなく言っていた。巫女と関係することは赦されざる罪、それはエオルもわかっている。
「しかし…」
明るみに出たら、自分の人生を自ら破壊してしまう。その危険を顧みず、ルーナは自分とのかかわりを求めている。本来いちばんに尊重されるべき「お互いの気持ち」。自分たちの身の上でいちばんないがしろにされそうなものを尊重する、激しい切ない気持ち。それをルーナと共有していたことに、エオルは、涙を落としそうなほどに感動していた。
考慮しばし。エオルはペンをとった。
募るばかりの思いをつらつらとしたためた熱い手紙は人知れずメレアグリアとドゥカリオスを往復していた。二つの街はさほど遠い距離に有るわけではない。馬を飛ばせば半日もかからない、そんな距離にいるのに会うことも出来ない。二人はそのもどかしさを手紙に込めて、何日と空けずに送りあった。エオルの父・ハイポラーテスがなくなったときは、ルーナもその手紙を読んで涙し、リンズ・アーヤの大神殿でで鎮魂の祈りを捧げた。
知られれば、それは神殿への侮辱であり、巫女への狼藉であり、また、宮廷のうわさ好きの人々に取っては甘露を舌に乗せるような話題である。ウィンダランドとフォーチュナー、相いれられぬ二つの家にそれぞれうまれたばかりに、一目も会うことが出来ないその切なさ。
季節はいつしか、暑い夏にさしかかっていた。しかし二人は、太陽の日差し以上に熱く焦がれあっていた。
「ウィンダランドの当主殿がなくなったそうな」
メレアグロス夫人が、占いの依頼の中に入っていた時候の挨拶を指でたどりながら言った。
「フォーチュナーのものには喜びではないのかの。なにせ、ついだ当主はまだ17、くちばしの黄色いもいいところじゃ。そんな若造につがせるとは、ウィンダランドも大変なんじゃの」
「そうですわね」
とジルも相づちを打つ。
「お人は悪くなさそうですけれども、どうもお母様に甘やかされたふうで、頼りなさそうに見受けましたわ」
「それにしても解せぬの。
ウィンダランドの当主…ハイポラーテスとかいうたかな。ルーナを迎える前に会うた時は、こうすぐにも死にそうな顔はしておらなんだのにのぉ」
「それこそ、陰謀というものでしょう、当主ご夫人のネフェレ様は気性が激しく欲に素直な方とききます、ご子息が早く当主になれるように、と…」
「ジル、おぬしなかなかうがつのぉ」
夫人とジルの健やかな笑いがしばらく部屋に響いたが、
「ジル、お黙りなさいっ」
とルーナの一喝が飛んだ。
「は、はいっ」
ジルは慌てて口をつぐむ。
「なくなったことには変わりがないのよ、なくなれば、どんな人間も等しく大地母神リンズ・アーヤ様の元にゆくの。そうでしょう、師匠様?
それを、なくなった方と、ご遺族を笑うだなんて、不謹慎にも程があるわ」
「も、申し訳有りません」
すると、夫人が手紙を畳んで言う。
「なになにルーナ、話のそもそもの切り出しはわしじゃ。ジルはそれに付き合うたまで、そう目くじらを立てるな」
「…はい」
「この話はもう終わりにしよう」
「はい」
夫人は、何事かつぶやきながら、水晶玉を眺めていた。それは、いつもの風景であったから、ルーナはふう、とため息をついて、窓の外を見やっていた。全開の窓からそれほど冷えてはいないが弱く風が入り、広げて有る本のページをぱらぱらとめくってゆく。しかしルーナは、それをとめようとせず、髪を風に遊ばせるままにしていた。
そう言えば、今日はメディアからの使いが来るだろう日だ。封筒こそ、彼女あてになっているものの、届けられる手紙の中身は、エオルの滴るばかりの情熱に満ちている。その熱に触れると、自分の体も熱くなるようで、ルーナはいかんともしがたい思いに捕らわれていた。
しかし、そんな彼女にとってのささやかな幸せも、長くは続かないように見えた。
「お嬢様」
ジルが、控えめに語りかける。
「なに?」
「先程、お休みの用意を致しておりましたら、こんなものが」
ジルが差し出したのは、届いたばかりの手紙。ルーナの肌がさーっと白くなった。
「あ、ああ、それね」
それでも、笑いを引きつらせながら、ジルを納得させようとしてみる。
「彼女の家、神官を代々しているでしょう? いろいろな人のお話を聞くのは悪いことじゃないから」
「はぁ」
それでもジルはいぶかしそうにしている。
「お嬢様の枕の下に、あまりに大事そうにして有りましたから、つい」
「え?」
「申し訳有りません、シアトリス奥様から、お嬢様に…その…万が一、巫女様への道を外されることのないように、何かあればお止めするよう、堅く言いつけられておりまして…」
「そういうことなの」
メーナはため息をつく。自分があきらめた夢を、娘に託しているのだ。娘にかけた夢が破られないようにするには、姉妹同然に育ってきたジルに、主人たる娘を拘束させるようなことを言い含めることもあるだろう。しかし、そのときのルーナも意地になっていた。
「いいことジル、あなたの主人は私?それともお母様?」
ルーナの強い言葉に、ジルがはっとする。
「そ、それは…」
「あのね、私はあなたを信頼しているの。姉妹同然に育ってきて、何でもいえる間柄だと思ってるわ」
「ありがとうございます。ですが、私は少々恐ろしくなって参りました。
いえ、その、…あまりに、神学のお話にしては…あの…」
ジルも好奇心には勝てなかった口か。ならば話は早い。ルナは畳みかけるように言う。
「ならばジル、このことは、誰にも言わないで。私と、あなたと、メディアだけの秘密。
いいこと、誰かに言いでもしたら…」
「はい、誓って、お嬢様の秘密はお守りいたします」
ジルは深々と腰を折った。少々強引な展開になったが、ルナはそれでやっと安心した。この親友ともいえる侍女を味方に付けたこと、それが何よりの理由だった。
一方、ウィンダランドでは、当主をなくした喪の期間を過ごして、新しい当主をどう擁立するかという話になっていた。
定石で言えば、当主の実の息子であるエオルが、ということになる。しかし、その若さが障害となって、エオルにとっては叔父、あるいは複数ある傍流の当主という人間を台頭することを許してしまっていた。母ネフェレはそれらを牽制し、あくまで嫡男とされるエオルを擁立し続けることに奔走し、エオル本人は王宮と、王都の中にあてがわれた自宅ともその行き帰り以外の外出を厳しく禁じられていた。
しかしエオルは、そのように行動に制限を付けられても、少しも心安らぐことなどなかった。母が、自分を盾にして、一族を掌握しようとしているのは、もはや確信とも言っていいほどだった。ウィンダランドの名前を出すだけで、多くの物資と金銭が動く。父の葬式も華々しかった。しかし、エオルに手を取られて悲劇の貴婦人ぶりを見せていた割には、母ネフェレの目には涙もなかった。そして、時間がたつほどに、まことしやかに流れてゆく噂。
「ウィンダランドの当主は、奥方が息子を当主にしたいばかりにやっかい払いさせられたらしい」
「軽い毒を日々の食事と薬に混ぜられていたそうだ。塵も積もれば、か」
エオルはその噂を真っ向から否定し続けていた。しかし、父の死因も知らない自分に、それ以上の説得力はなく、本当に、これで自分はいいのだろうかと思うこともたびたびになっていた。
揺らぐとき、机の小さな引き出しに隠したルーナの手紙を読む。誰かの示した道を、だだ歩くだけでいいのか。そう迷いを見せる彼女の言葉の一つ一つに、エオルは自分を重ねていた。
いつものように、手紙が届いて数日後、エオルが返事を書いたのを見計らうように、手紙の使者が窓の下にやってくる。
「俺に出来るのは、これだけなのだろうか」
というエオルに、部屋の明かりから避けるように使者が
「これだけとは」
「自分で進む道を決められない彼女に、ただ手紙で慰めることしかできないのかな、と」
「これは、『宮廷の双璧』ともうたわれるウィンダランドの若棟梁が、なんと頼りないことをおっしゃるのやら」
使者はふふふふ、と、低く笑った。声だけ聴いている分には、性別もわからない。
「思いを通わす二人にとっては、家の壁や道義の壁など、あってないようなもの、長くこの恋文の使者をやっておりますと、そのお二人にその壁を越えられる勇気が有るかどうか、自然とわかるようになりまする」
誘い出すような言葉だったが、エオルはそれは気がつかなかった。
「俺はどうなんだ?」
「はい」
エオルの問いに、使者はこういった。
「十分、見込みは有りましょうな。きっと先様も、エオル様のお手により、縛られる運命より脱されたいとお思いでございましょう」
「神殿から彼女を連れ出せとでも?」
エオルは、どきん、と、心臓が鳴るのを押さえるように、胸にこぶしを押し当てた。
「ふふ、それではさすがに趣というものがございません、たまさか成功されて、先様をどこにかくまいなさいますとしても、このお屋敷にはお母上様が、ドゥカリオスのお屋敷には未来の奥様がおいでと伺っておりますが」
「ああ、そうだな」
「お手伝いを致しましょうか」
「え?」
エオルは、使者の心遣いに感じ入ったようで、しばらくうなった後、
「わかった、頼まれてくれ」
といい、
「いつも手紙の仲介をしてもらっている礼だと思ってとってくれ」
使者の前に金貨を投げた。
「おやおや、これほどいただける程のことでないというのに…」
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