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 修行の地に旅立つ前に、王宮で、当代の「国の巫女」にまみえる儀式がある。候補者に選ばれた女性はいずれも劣らぬ名花ばかり。中でも、ルーナと、かの王族につながるフェライア姫の、こぼれるような風格には、早くも、「国の巫女」には、二人のどちらかになるだろうという噂を持ち上がらせた。フェライアは、ルーナにも、他の候補者にも一瞥をくれることもなく、「国の巫女」の出現を待っている。そのわきに、彼女を支えるバルバロッサとその父が佇んでいる。
 ルーナには、例によってジャーヌス、そして、彼女の母シアトリスがいた。
「よいですか、ルーナ?」
その母が、念を押すように、娘に言った。
「全て、昨日説明を受けた通りに。そしてくれぐれも、あなたはこのサルディス家のみならぬフォーチュナー一族の栄華も担っているということも、常に心にかけておおきなさい」
ルーナはそれに対して、
「はい」
とだけ返事をした。そして、視線だけを左右して、一つの姿を探した。しかし、求めていた姿はなかった。
 ウィンダランドは、この国の巫女候補にふさわしい娘を持っていなかったのだ。本来神殿関係者のみで行う儀式でもあるし、候補を輩出できたフォチュナーの意気揚々とした顔を見るのも気分のいいことではない。そういうことなのだろうか。あの騎士は、自分が本当にいいたかったことを、受け取ってくれただろうか。それだけが気にかかる。母や周りは、自分が晴れ晴れとはお世辞にも言い切れない顔をしているのを、式典への緊張だと思って、気づかってくれている。それがふたを開ければ、こんなことを気にしていると分かったら…
 聖職者然とした清楚ないでたちの「国の巫女」は、居並ぶ候補者達を、
「どなたが私の後になっても、実に頼もしさを感じるかたたちですこと」
と、目を細めていた。
 選ばれてよりこの方、その清純さを守る「国の巫女」。いずれ名家の子女なのだ、選ばれなければ相応に、縁を手にして嫁ぐこともあっただろう。この方が、自分たちのだれかにその勤めを託した後には…縁は再び微笑もうか?
 もし自分が選ばれたとして…勤めの果てた後、自分に縁はあろうか?
 そんなことを、考えていた。

 メレアグリアは、王都から離れること馬で半日、古くより山のふもとにある、大地母神が見い出し、人々にその効能と方法を教えたという湯治の町として、多くの湯治宿や名家の別荘が立ち並ぶ、普段は実に閑静でお祭り騒ぎには縁のない町だ。
 その湯治町が、にわかに沸き立つ。「国の巫女」候補生の修行地に選ばれることは、その町にとっても、大いに名誉であり、また宣伝にもなるものだ。
 首都の王宮から一日以上かけて(それこそ古式にのっとり通常の二倍近い時間をかけて)メレアグリアにはいったルーナの一行は、聞いていたとは随分違う町の様子に言葉を出しあぐねた。
「…随分、賑やかな所ですね」
と、ルーナのとなりで若い侍女のジル・カーラが言う。ルーナは
「そうね」
と答えはしたものの、あまり興味の無さそうに、馬車の壁に持たれるようにして、姿を隠す帳ごしに、外の様子をうかがっていた。いくら賑やかになったところで、そして湯治をしたところで、自分のこのわだかまるようなうずくような心はなおせないだろう、そう思っていたかどうか。
 馬車が人だかりの前で止まる。「国の巫女」の候補者は、手技用と潔斎が完了するまで異性の前には出ない、だから、里長からの言葉も、中がうかがえないようにしてある馬車の中で聞いた。
「遠いところからよく来てくださった、麗しい乙女よ。貴女がこのメレアグリアにおいでになるのを、町の皆でお待ちしておりました。ここで恙無くお過ごしくださるよう、そして、この町のためにも、立派な巫女様におなりなさるよう、お祈り申し上げます」
「…ありがとうございます。励みます」
ルーナは、それだけしかいえなかった。

 邸宅はしばらくの間、にわかに訪れた新しい主人のために、準備すら整わない有り様であった。家財道具が持ち込まれ、新しく使用人が雇われ、それはルーナが巫女修業を始めても、すぐにはおさまりそうなものではなかった。
 この邸宅はじつに広かった。使われている浴室の湯も、敷地内で掘り出されたものだし、邸宅から直接、近接するリンズ・アーヤ大神殿へ回廊が設置されている。この土地一帯に名を与えたメレアグロス一族が、王国に忠節を誓う廷臣であると同時に、由緒有る神官の家系でもあったという歴史を裏付けるものと言えるだろう。もっとも、この家は近年に絶えて、今は最後の当主の未亡人が、邸宅と敷地を管理させていた。
 その未亡人は、「国の巫女」を経験した後この家に嫁いだが、成り行き上継嗣に恵まれなかったという話である。普段はほかの町でつましく暮らしていたが、本人の身柄も、「国の巫女」を指導する立場として、邸宅にもどっていた。
 そんなものだから、ルーナのスケジュールは多忙を極めた。何しろ、決められた期日までに、「国の巫女」に必要なすべてを習得していなければならないからである。
 神学を基礎から教え込まれ、歴史や哲学を一通りさらい、礼儀作法に神官的礼拝の方法も教えられる。指導役のメレアグロス夫人は、実にかくしゃくたる勢いで、自分のもとすべての知識・教養・作法をルーナに差しだそうとし、ルーナも、それに答えようと賢明に学んだ。二人の間に、親しい師弟の間柄が出来るのは、時間の問題だったとしてもいいだろう。
 夫人は趣味に占いを嗜んでいた。趣味の範囲だと謙遜する割には、よく当たるという噂が宮廷にも届いている。学問の間に、夫人が依頼の手紙を片手に水晶玉をのぞいている姿も、ルーナには見慣れたモノだった。

 さて。その学問の合間に、侍女ジル・カーラが部屋に入ってくる。国の巫女の候補生には、法律で決められた侍女の数があり、先日来定員を埋める分の募集を続けて、簡単な選考の結果決まったと言うことなのだ。
「これも国の巫女の格式を整えるためでございます。身元の方はしっかりと調べられております故、心配は何もないと思います」
と、ジルがいい、新しい侍女を一人一人紹介していく。そして、
「こちらがメディア・キルカス。私とともに、お嬢様のお身の周りの世話をいたします」
と、中でもやや小柄の娘を指した。並ぶ面々の中でも一番顔立ちが整っている。
「よろしくお願いいたします」
メディアは伏せがちの瞳をあげて、ルーナに一礼した。
「どこの生まれ?」
とルーナが聞くと、メディアは
「モイライアスの神官の家に生まれました」
と言う。モイライアスといえば、北の方の町で、ナテレアサでも美人をよく輩するところだと、ルーナはどうでもいいことを思っていた。
「よろしくお願いますね。わからないことはジルに聞いてください」
と、新しい侍女達に言うと、彼女らは一つ礼をして、去ってゆく。メディアとジルはその場に残っている。ジルが言った。
「お勉強はおすみですか?」
隣でメレアグリア夫人が言う。
「いんや、まだまだじゃぞ。まだ私の授けたいことの何分の一も終えておらぬ。時間は限られておるのじゃ、はよう続きをさせてもらえぬかの」
ジルは
「それは失礼をいたしました」
と一礼し、
「では、お茶を用意いたしますね。メディア、一緒に用意いたしましょう。お嬢様のお好みを覚えていただかないと」
「はい」
メディアも、ジルにあわせて下がってゆく。
「どうも、愛想にかける娘じゃの」
夫人が、歴史書のページを繰りながら言った。
「緊張しているのだと思いますよ」
ルーナはおおように答え、
「師匠様、続きを教えていただけますか」
と、白い紙を取り出した。

 ルーナがここまで巫女修行に打ち込んでいるのには、実は理由があった。
 力を一度でも抜いてしまうと、もう立ち戻れなくなりそうだったのだ。
 国の巫女になることは、母を喜ばせ、一族をより高名にし、何より国の安泰を代表して祈るという、この上ない名誉を手にするまたとない機会である。自分はその時代に生まれ合わせ、また候補生として修行できる幸運にも恵まれた。
 それを悲劇ととらえて嘆く自分を、振り払ってしまいたかった。
 この強運のどこが不幸と悲劇というのだろう。
 でも…
 その日の修行をすべて終えて、気がついたら、窓の向こうの闇にため息をついている自分がいる。
 その理由は、誰も知らない。
 …もし、このまま私が「国の巫女」になったら… ルーナの眺める闇の中に、ぽっかりと浮かぶ面影。何十年も巫女として過ごす間、あの人は心変わりせず、私を待っていてくださるだろうか。
 国の巫女は、宮廷のやんごとない筋の結婚の儀式も取り扱う。…ウィンダランドの一族なら、きっと国の巫女に、聖典の中でも結婚にふさわしい一節を読ませるぐらいはするだろう。
 できれば、あの方の隣でそれをきく立場でありたい。それも、何十年もあと、自分の容色が衰えたりしない前に。
我ながら、どうでもいいことに気をもむものだわ。ルーナは我に返ってふふふ、と自嘲の含み笑いをした。しかし、そう自分を笑い飛ばしてみたとして、すでに自分の中で生まれ始めている特別な感情を、無視など出来なかった。
 ここにくる前に、もっと話していればよかった。ほんの数時間、当たり障りのないことを話しただけなのに、どうしてここまであの騎士に心奪われてしまったのだろう。もう一度話す機会が与えられるのならば、どんな話をしよう…
 ルーナは、いつの間にか、ここが清く正しく巫女修行をする場所だと言うことを忘れていた。
「…もういちど、あいたいわ」
ついつぶやいていた。そしてそれを聞くモノがいた。
「お嬢様、何かおっしゃいましたか?」
「え」
現実に引き戻されて、ルーナはびくっと身をすくませた。振り向けば、そこにメディアがたっている。
「おやすみの準備が整いました」
「ありがとう」
窓から離れて、寝室に入ろうとする。すれ違おうとして
「お願い、さっき私が何か言ったことは忘れて」
というと、メディアは
「私には、お嬢様がナニをおっしゃったのかわかりません」
と言う。
「どうでもいいから。お願い、絶対よ」
手を合わせられそうな勢いのルーナに、メディアはあきらかに当惑の顔をしていた。
「何か、お気に障ることがございましたか」
「ううん、そうじゃないの」
「そうならばよろしいのですけど。
 ジル様が、ここにお嬢様がおいでになってから、お顔の色が悪くなる一方だと心配していまして」
それはルーナも聞いていた。連日の修行三昧で、ともすれば夜更かしもしがちだし、食事も忘れそうになることもある。親元にあったときは、母の管理でまず防がれた不摂生が、温室育ちのルーナの健康を脅かしていたのは確かである。
「そう…ごめんなさい。心配をかけるわ。ジルにもそう言って。ちゃんと眠るし、食べるからって」
「はい。そのようにいたします」
メディアは答える。が、やおら彼女の耳元により
「ジル様におっしゃりにくいことは、どうぞ私にお言いつけください」
と言う。この言葉にルーナはぴく、と反応した。
「メディア、やっぱりさっきは…」
「はい、実は」
メディアが、珍しく唇をゆるませた。
「お手紙の出しにくいお友達がいらっしゃるのですね」
「ええ、そうなの。
 でもねメディア、もしかしたら、向こうの人は、私のコトなんて、もう気にしていないのかもしれないわ」
そう行ってルナは、だいたいのコトをメディアに話した。するとメディアは、いかにももっともそうに
「いえいえ、お嬢様のことですもの、先様もきっとお忘れではありませんわ」
と言う。
「どうかお嬢様、このメディアを信頼されてくださいまし、きっとお役に立ちます」
「…そうね」
ルーナは、影に押しやったおかなければならない部分が、ふっと光に照らされたような思いがした。


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