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ジャーヌスは少しだけ変な顔をした。
「聞いてどうします? 母上にお話なさいますか」
「いえ…お母様はきっと反対なさるでしょうから…私、内緒に、あの方にお礼がしたくて」
「なるほど」
「なにか、あの方のお好みとか、お聞きになっていませんか?」
ルーナの潤んだような瞳に、キラリとなにかが輝く。ジャーヌスはしばらく思案顔をした後、
「ええ、いいですよ」
と、あっさり返事をした。
「後で手はずなど整えましょうから、お待ちなさい」
「はい、有り難うございます!」
ルーナがこっこりと微笑んだ時、ジャーヌスが声をつまらせた。
「うっ」
「あ、申し訳ありません、私ったら、足を…」

 舞踏会が終わって数日、「国の巫女」へは、何十人という応募があった。そして厳選された数人の女性が、候補生として、巫女の修行に出ることが許される。
 首都ナテレアサの邸宅街。
「『国の巫女』に妾がなれなければ、父は王族の血を持ちながらいよいよ宮廷に縁とおいおかたとなってしまわれよう。
 父は国王ネル・フラン陛下の従兄ぞ、なぜ、廷臣一同こぞって、父より地位も名誉も遠ざけるのじゃ?
 宮廷にあって、国王王妃の側には王族がまず侍ってしかるべきじゃ、しかしどうだ、先日の舞踏会、双璧か何かは知らぬが、成り上がり者がかためよって」
「御心痛、お察しします」
「剣の騎士」バルバロッサは、目前で憤まんやるかたなさそうな若い貴婦人の愚痴を軽い礼をとりながら聞いている。
「そのご情熱が天を動かされたのでございましょうな、フェライア姫、『国の巫女』候補生決定、おめでとうございます。
 カスタロイが何年と、お世話致した甲斐がありました。父も喜んでおります」
「候補生になっただけで喜ぶでない。最後に妾が一人残らなければならぬのじゃ」
「は」
「他の者など、妾の足下にも及ばぬ、美も教養も。
 だが、フォーチュナーのルーナ・シアトリスだけは捨ておけぬのじゃ。フォーチュナーが総出で後押しをしてくると、押し切られてしまう…」
「は、我々もそれには危惧をいたしております。微力とは思われましょうが、精いっぱいのお手伝いは…」
「カスタロイ」
「は」
フェライア姫は、手許にある本をぱん、と叩いた。
「いぜんお前に貰ったこのまじないの本…効くと思うか?」
「は?」
「このまま手をこまねくわけにはいかぬ…見ておれ…どんな手を使うても、国の巫女にわらわが選ばれようぞ」
バルバロッサは、つい、はははは、と笑った。
「なにがおかしい」
「これは、大変失礼を致しました。
 ですが、…リンズ・アーヤの定めたもうた理に反する呪いの類い、『国の巫女』たらんとする姫があやつると、もし表ざたになった場合… 姫のお心づもりを、姫御自身で台なしにされるお振るまい、いかがかと」
「!」
ファライア姫は、言葉を石つぶてのように紡ぎながら、机の上の本を、ぱんぱんぱんぱん、といかにも腹立たしそうに叩いた。
「では、どうすればよいのじゃ、カスタロイ、妾に手を汚させぬというからには、お前に何か考えがあろうの?」
「御心配なく。…姫と私との間には、既に利害の一致を見ております」
バルバロッサは、意味の深そうな笑いをもらした。
「利害?」
というフェライアの言葉には、なんの答えもなく、
「さて、姫には何のお気兼ねもなく、国の巫女への道をまい進されたく」

 そういう密談があったとかなかったとか、とにかくそれから暫くして。
「手紙?」
と、エオルは歴史書から顔を上げずに、従者からの言葉を聞いた。
「俺にか?」
「はい。差出しの方のお名前はおっしゃりませんでした。お手紙を御覧になれば分かると」
「なんだろうな… そこにおいてくれ」

 数時間後、歴史書を読み上げたエオルが、しぶしぶ、というのがふさわしいゆっくりさで、くだんの手紙を手にとっていた。
 母ネフェレの検閲を受けた上での、交際の申し込みの手紙なら、あの社交界の頃から何通か受け取った。すべてに断りの返事を出したことは、母には内緒にしていたのだが。しかし、今度の手紙は、封があけられていなかった。手紙を封じる鑞におされた紋章は…
「…フォーチュナー?」
つむぎ車の紋章は、自分たちが国の命運を司るというフォーチュナーの信念でもある。それとして、エオルには、一種予感のようなものがはしっていた。
「あの令嬢だ」
手紙を貰うような縁のあるフォーチュナーの女性は、後にも先にも一人しか、心当たりはなかった。案の定、絹糸のような細い流暢な文字が、聞いたこともない彼女の声を写すように、エオルの目に飛び込んできていた。
<領袖ジャーヌス様よりのご案内を受け、この手紙をしたためております。前日のお礼をどうしても差し上げたく、席を設けて下さるようお願いしました。来る日にお目にかかることをお待ちしております>
ルーナ。最後の署名は確かにそう書いてあった。「国の巫女」候補にあがった女性だ、と、エオルはまずそれを思い出した。「国の巫女」といえば、候補といえどその身を清らかに保つことには細心の注意を払われているはずだ。一族以外の男に会うつもりがあるなど、公になったとなったらどうなるか。まして彼女はフォーチュナーの…
 そこまで考えて、エオルはふるふる、と頭を振った。彼女は政争をするために自分に会いたいのではない、と思ったからだった。この間のこと、礼を言う暇がなかったのを気にしたのだろうと。だから、彼女の気の済むようにすればよい、と。

 「先日のルーナの件で、君も母上からなにやらいわれたとは思うが」
 あやまたず、あのルーナの手紙を追い掛けるようにして、ジャーヌスから仕事用の別邸へ招待されたエオルは、ほぼ即答の勢いで承諾し、はたしてその週末、王都にあるそのジャーヌスの屋敷にいた。
「気にすることはないよ。知ってのとおり、ウィンダランドとフォーチュナーには、確かに長い確執はあるが、本当は仲はいいはずなのだ。女達は、王宮のサロンで王妃の隣を争っているようだがね」
ジャーヌスは、至極簡単に、両家の情勢を分析する。エオルは、うまく言葉が出てこない。なれない屋敷に呼ばれた緊張感もあり、引きつるような顔をしているエオルを、そばにいたジャーヌスの奥方が笑ってみている。
「本当に、まだ可愛らしいと申し上げてもいいほどに」
そう、奥方は顔を緩めている。確かに、一領地を預けられる騎士といっても、エオルはやっと十七歳。不安になりそうなあどけない表情も残っている。その奥方は、ジャーヌスに目配せされ、にっこりうなずいて、別室にはいってゆく。
「まあ、緊張することはないよ。一応、父上からも君のことは頼まれているのだし君は今日ここには、王宮の情勢を学びにきていることになっているのだから」
「あ…はい」
「不意の面会がひとつあったとしても、おかしい話ではないでしょう」
「あ?」
エオルが口を開けている間に、奥方が帰ってくる。どうやら、小休止のお茶の準備をしていたものらしい。その辺りの用意を一式もたされた人物が、後についてくる。
「いらっしゃい、ルーナ」
ジャーヌスは、とりたてて大げさにせず、奥方に続いてきた人物を、あっさりと呼び、エオルのそばに立たせた。
「先日あなたに助けられた、ルーナですよ」
「…この、方が」
いつか最初に会ったときは、ベールの下で顔だちも分からなかった。しかし、黒髪をたっぷりと流した、嘘のように艶やかな女性は、うつむきがちの顔でエオルに一礼する。
「せがみ倒されたのですよ」
と、ジャーヌスがいう。
「礼を受けて下さい。そうでないと、彼女の気が済まない」
「え、あ?」
エオルはまだ言葉が出なかった。ルーナがゆっくりと膝を折る。
「この間は、ありがとうございました」
緊張している声は、細いがそれでもしっかりとのびて、豊かに響いた。
「それと、…先様を。悪く思わないで下さいましね、話を伺いまして」
具体的に話を振られて、やっとエオル頭の中が回転をはじめる。
「はい、それは、もちろん。
 酒さえなければあれほど好人物もないと、…そう評価されている人物ですから」
「よかった」
ルーナはふ、と笑みをもらした。
「そう言って下さる方で、安心しました。
 私あれから、ずいぶん母に説教を受けましたけれども、…見も知らなかった私をああして助けて下さる方に、悪い方はないと思っていました…その通りで、よかった」
どう返答しようか、と、エオルは周囲をさらっと見回した。ジャーヌスと奥方はどこにいったものか…姿がない。視線を落とすと、テーブルの上の紙には、ジャーヌスの字で
「信用していますよ」
と、意味深に書かれてあった。

 二人は、陽光に誘われるままに、窓から続くテラスに出ていた。なにくれと、他愛のない話をしつつ、ふと、ルーナが思いつめた顔をした。
「私」
と、改まって話を切り出す。
「『国の巫女』の修行に出る、期日が決まりましたの。だから、その前に、どうしても、きちんとあなたとお話がしたくて」
「その話はジャーヌス殿から伺いました。選ばれた方はいずれも強運の持ち主だと、つくづく感嘆します」
エオルがいうと、ルーナが小さく頭を振った。
「それが…その日が近くなってくるのが…私恐くて」
「恐いなんて… 『国の巫女』に選ばれるのは、ナテレアサの名のある家の女性なら、名誉あることとして一度は夢にも見るもの、それを」
「…」
エオルにせつせつと説明されはするが、ルーナはそれには同意できなさそうに、小さなため息をついた。
「本当に、そう思われまして?」
そうして、ゆっくりと、視線をあげてエオルを見た。人間の言葉にホンネとタテマエがあるのは当然のこと、エオルはすっかりそのホンネを見透かされたような気がして、
「…けれど、少しは… 君のように美しいひとが誰にも見られぬ半生を送るのは忍びないと思う」
慌てて水をこぼしたような声で、そう付け加えてみる。そう思ったのも、また真実ではあるからだ。
「でも私は、弱音を吐くことを許されていないのですわ。フォーチュナーには喜ばしいことですし、母は、結婚する前にあった『国の巫女』への選にもれた経験があって、私にその夢を…」
「そうですか」
今度はエオルの方が黙る番だった。彼女にも彼女なりの苦労なるものがある。それに関しては第三の男がとやかく言える筋合ではない。何も言わずにいるエオルに、切なげな視線を傾けてルーナは言った。
「『国の巫女』の候補生は、それぞれ大地母神さまにゆかり深い場所で、修行と潔斎の生活に入ります。私に示されたのは、東の山脈のふもとにあるメレアグリア。『大巫女』として今もご存命の、先々代の『国の巫女』様のもとで、巫女たる心得を授かります。
 もうメレアグリアに入ってしまえば、異性は父といえども、私が無事巫女になるか、なれずに帰って来るかしない限りこうして直にお会いすることはないでしょう」
「…」
何故、自分にこんな話をルーナはするのか、分かってきたような分からないような顔で聞いていたエオルの隣で、ルーナはす、ときびすを返した。
「私、そろそろおいとまいたします。予定より遅くなって、母が気を揉むのもいけませんから」
「…はい」
「お会いできて、嬉しいですわ。もう、なんの心残りもありません。
 どうか、これからもご健勝に…」
彼女の薄紅色の唇がこう言葉を繰った。瞳が、少し潤んでいるようにもみえた。足音もなく、さっと中に滑り込むようなルーナの後ろ姿。
 そこに、まだ何か残っているような気がして、エオルは実に離れがたかった。


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