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翡翠の導き


 八十二世アルマージ王朝の半ばのことであるから、ユイーツ統一歴に直せば四五〇年代の話になる。
 モノ大陸の中央に位置する、大陸随一の古い歴史をもつアテレアサは、現在は国土の位置を利用した貿易大国であるが、その反面で、伝統の文化を守っている。
 なかでも、大地母神リンズ・アーヤを中心にした神の体系は、人々の生活に密着していることもあって、聖教分離となって久しいこの時代も、国策として神殿の保護にやぶさかではなかった。
 ナテレアサの大地母神リンズ・アーヤの筆頭神官は、「国の巫女」と呼ばれ、とくに事情のない限り二十五〜三十年に一度、王の一族と名士の子女のうち妙齢のものから複数の立候補をうけて選抜される。
 王都ナレテアサにあるリンズ・アーヤ大神殿から、「国の巫女」改選の通達が王宮の陪臣各家にあったのは、初夏の頃だった。
「さあ!」
われこそは名家としのぎをあわせるナレテアサの各家は、一族から妙齢の娘を探しはじめる。「国の巫女」にその娘が選ばれれば、「国の巫女」を輩した名家として箔がぐんとつくのだから。

 それは、ナテレアサでは双璧の一角となる名家フォーチュナーであっても例外ではなく…

 「…お嬢様、ご当主様がおいでになっておられますが」
当主の訪問を受けたのは、ルーナ・シアトリス・フォーチュナー。第二傍流サルディス家の一人娘で、当主ジャーヌスにはハトコにあたる。
 その美しい容姿には気品と愛嬌と風格に溢れ、とくに身の丈ほどある黒髪は、近郷に知らぬものはないと言われたほどで、「黒き髪の」と言われたら、それはそのまま彼女の代名詞となっている。
 さて。ルーナは当主ジャーヌスがやって来たというので、何事かと小首を傾げた。
「ジャーヌス様が? お通しなさい」
程無くして、
「黒き髪のルーナ、貴女にいいお話を持って参りましたぞ!」
とジャーヌスが入って来た。普段はおかしいくらい神妙な彼のあまりの陽気さに、ルーナの口元も思わずほころんだ。
「…どうかなさいまして?そんなにお喜びになって。私に縁談ですか?」
「いやいや、貴女にやたらな男を近づけようものならば、遠国にいらっしゃるサルディス殿に恨まれてしまう。
それよりルーナ、神に奉仕するおつもりはないか?」
「え?」
「これをご覧なさい」
ジャーヌスは件の通達を見せた。
「『国の巫女』に?」
「貴女も知ってのとおり、『国の巫女』といえば、神殿には不可欠の重い存在。貴女だけでなく、家のためにもこれは大変な名誉です。貴女のご器量なら申し分ない。
 しかし、一つだけ貴女を『国の巫女』にすると残念なことがありますよ」
「何ですの?」
「シアトリス殿は、貴女を国一番の貴婦人にして、最高の御縁を当てたいと常々おっしゃっておられる。『国の巫女』になるということは、解任まで、そのおからだの清いところを守っていただかなくなてなりません。
 一族として、貴女をだれか一人の男のものにするのは忍びないが、かといってだれにも嫁がせないのも可哀想で…」
「いいえ、ジャーヌス様」
しかしルーナはいともあっさりと言った。
「国の栄えに私一人の嫁ぎ遅れなど、何の妨げになりましょう。母もかつては『国の巫女』を望んだと聞きました。母ができなかったことを、私が引き継ぎたく思います。
そのお話、お受け致しますわ」

 そして、数日後の王宮主宰の舞踏会。
 それまでのざわめきを静めて、口を開いたのは、フォーチュナーと王宮の勢力を二分するウィンダランドの主人、ハイポラーテス・ヴァリアスであった。
「今日、私の第二婦人ネフェレの息子が騎士の資格を得た。まだまだ右も左もわからんが、ここはひとつ、よろしく付き合っていただけぬか」
しばらくして、回りから拍手が沸き上がった。その拍手に迎えられて、真新しい騎士の衣装に身を包んだ少年がハイポラーテス・ヴァリアスの隣に俯きがちに進んで来た。
「…エオル・オーアリーオーンじゃ」
「…」
少年エオルは黙って一礼した。ハイポラーテスは、ぎこちない息子の作法に、しょうのないやつだな、と暖かい一言つぶやいて
「とにかく、よろしく指導の程を、騎士の皆々方」
と、息子を騎士の中においた。

 騎士というのは、王宮に使える廷臣の一称号である。ナテレアサに六十四存在する領土の一つを、その名前によっておさめることのできる、名誉ある称号でもある。エオルは先だって「風の騎士」の号を受け、父ハイポラーテスの後をとり、ドゥカリオスなる父の領土をおさめることになる訳だが。
 それはさておき、エオルの回りには騎士の仲間がいる。
「見たかエオル、女ども、皆ぼーっとしてたぜ」
「ああいう中には見境のないものがいるからな、変な女に引っ掛かったりするなよ」
「…」
エオルがなにも言わずにいると
「大丈夫、エオルに限ってそんなことはないだろう。今まで浮いたうわさ一つたてずに、武芸と内政の学習をしてきたんだから」
と援護の言葉も飛んでくる。
「まあ、愛想がないっていうのもどうかとは思うけどね。挨拶に、気のきいた一言もでてこないようじゃ、後で困るぞ。
とはいえ、バルバロッサのようにやれとはいわないけどね…」
騎士達は、祝宴の中、貴婦人の間を渡り歩く騎士を見た。「剣の騎士」の号を持つバルバロッサ・カスタロイ、アリッサという町の領主である。もっとも、現在のいい加減に酒の回った顔から騎士の威厳を伺うことは出来ないだろう…
「酒さえはいらなければ食える男なのに」
騎士達がこの「剣の騎士」を見る目は、そのほかの宮廷人とは違って、やるせなさがこもっている。
「あのことことがよっぽどこたえたんだ」
バルバロッサは、言い寄っては振られているようだ。そんな彼も人ごみに紛れたが、しばらくして、若い娘の叫びが短く聞こえ、人の目はその一点に集中した。

 エオルを含む騎士達は、バルバロッサが何かしでかしたかと、人だかりをかき進んで行く。その中央では、案の定、バルバロッサが娘に言い寄っていた。
彼はその娘の手をとり少しばかり野卑な言葉で何か語りかけているが、娘はヴェールの中に深く顔を隠して彼の言葉に答えようもないほど脅えていた。
「…あのお嬢さん、なかなかいい身分そうだが、侍女の一人もいないとはどうしたことだ」
騎士の一人がいぶかしむ。が、後ろから
「すみません、助けてくれませんか」
と、声がかかってくる。ジャーヌスだ。
「どうしたジャーヌス、とりみだして」
「ルーナがいなくなりました。探していただけますか」
慌てた感じのジャーヌスだったが、騎士の誰かがジャーヌスの視線を床の方に、指で導いた。おびえる娘のヴェールの裾から見え隠れする黒いもの。
「まさか!」
ジャーヌスがいい、「バルバロッサ…!」と飛び出そうとしたその時、一歩早く、隣で影が飛び出した。
『エオル!』
止める間もなくエオルはバルバロッサの所に行き、その肩を掴む。
「…やめないか」
「…」
バルバロッサは、そのエオルの方を見て、「ちっ」と、いかにも不機嫌そうに舌打ちした。
「七光りで叙勲された半人前のおでましかい」
「そんなことは関係ない。まさか、こういう場所の礼儀を知らない卿ではないはずだ。それ以上は卿のためにならない。その手をはなされよ」
一瞬エオルをその切れ長の三白眼でにらみつけたバルバロッサだったが、また
「けっ」
と毒づいて乱暴に娘の腕を放した。そして、またどこかに消えて行く。娘は、解放されたものの、まだ俯いてふるえていた。エオルは、娘のヴェールの乱れを軽く直して
「…同僚の失礼をどうかお許しください、彼には辛い事情があったようなのです、お聞きおよびならどうかお察しして、彼に哀れを」
と、片膝をついた。さきほどの、仏頂面な顔からは比べ物にならない一言に、周囲から細い溜め息が漏れる。娘は何と答えてよいやら分からないらしく、恥ずかしげに俯いたままだ。そこに
「お嬢様!」
と侍女らしき女が走って来る。娘は顔をあげて、侍女の名前を呼んだようだ。
「お嬢様、こんなところにおいででしたか、母上様がお探しです、早くこちらに…」
初老の侍女は、娘の手を引いて人込みにまぎれていってしまう。ジャーヌスは、エオルに、
「すまなかったね、手間をかけさせた。彼女は私の眷属だ。こういうところがはじめてなものだから人込みに酔って迷ったらしい」
と言った。
「彼女の母親にあったことを伝えて、君にちゃんと礼するようにいっておくよ。
 もっとも、彼女にそのつもりがあるなら、だから、期待はしないでほしいがね」
肩を竦めたジャーヌスに、エオルはまた淡々とした顔に戻り、
「いや、当然のことをしたまでだ」
と言って、娘の消えた方向とは反対の方向に進んでいった。

 国王一家の席をちょうど左右に挟むように、いかにもな貴族の一団がまとまっている。
 かたやエオルのウィンダランド、かたやジャーヌスのフォーチュナー。
 ナテレアサの双璧たるこの二つの家は、お互いがお互いを敬して遠ざけることによって、その力関係の微妙な均衡を保っていた。
「おかえりなさい私の騎士」
と、話の輪の中に無言で返ってきたエオルを迎えたのは、彼の母ネフェレ・クラトス。
「エオル、騎士の皆様はあなたに優しくしてくれて? そうでないならいいのよ、存分にウィンダランドの名前を使いなさい、お前はそうしてしかるべき身に生まれてきたのだもの」
「いえ、諸卿も寛容に迎えてくださいました」
「そう、それはよかったこと。
 それはそれとして、エオル?」
「はい」
「…フォーチュナーの娘を今、助けたと聞いたけれども」
「はい」
「…放っておけば良かったものを。あの娘はフォーチュナーが、今度『国の巫女』に差し出すとかいう…」
「そんなこと、関係ありません。困っている人間を助けるのは、人道的なことです」
「…いずれ、お前にもわかることです。
 エオル、お前はウィンダランド当主として…」
ネフェレの口が説教ぽくなってきた時、
「おばさまおばさま」
と飛び込んできた影がある。
「エオル様帰ってきた?」
「あら、エナ。戻ってきたのね。もうとうにお待ちかねよ」
ネフェレは今まで寄せていた眉間をぱっとあかるく離して、
「さあエオル、踊ってあげなさい。エナは初めての舞踏会の初めてのダンスはぜひお前と、と」
といった。エオルは、その言葉を受けて、特に何の感慨もその表情に浮かべることなく、期待に満ちたエナの指をとった。

 同じ頃。
「ジャーヌス様からお話を伺いました。ウィンダランドの男に、助けられたそうね」
と、これも眉間にしわを寄せたのは、シアトリス・アレクサンドラ。ルナの母である。
「よいこと、ルーナ。お前は『国の巫女』として、このサルディス家のみならず、フォーチュナー一族の命運すらも担っているということを、今もこれからも、忘れてはなりません」
ルーナはそれに対して、
「はい」
とだけ返事をした。
「『国の巫女』の代替わりに生まれ合わせたのは、ルーナ、あなたのもちあわせた幸運と言うものです」
「はい」
「…ジャ−ヌス様は軽々しくおっしゃるけれども、ウィンダランドが、我々フォ−チュナーにとってどんな存在なのかは、御存じでない筈がない。
 そこにお前が助けられたなどという借りを作って…
 ルーナ、これから何度となくお城に上がることがあるでしょうけれども、母に離れずにおりなさいね」
「…はい」
ルーナは縮み上がるような声を出した。
「さ、ジャ−ヌス様と踊って差し上げなさい。あのお二人なら安心だわ」
「はい」
ルーナは、そばのジャーヌスが差し出してきた手をとって、おずおずと、踊りの中に消えてゆく。シアトリスは、その娘の姿を晴れ晴れしく眺めながら、翻るようにして呟く。
「娘のこんな晴れの日も知らずに、あのヒトは何処の旅のそらやら」
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