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  飲み師、酒におぼれる  

 「甘寧よ」
と、呂蒙がしみじみと言い出したのは確か数日ぐらい前の話だったか、
「お前の部下か知り合いか、とにかく殺しても死なんようなのを何人か見繕って俺の屋敷に来てくれんか」
「んあ?」
甘寧は、その言い口があまりにしみじみとしているのに若干引きつつも、
「そりゃ、俺が一声かけりゃすぐ集まるのは、江賊にも軍にもいるがよ」
そう返答すると、
「射った後の矢のように、行ってそれっきりの奴では困るのだ」
呂蒙はそう言い、
「なに、難しく考えんでもいい、何日かしたら宴をはるからな。そのときまで覚えていてくれれば十分だ」
と付け加え、「頼んだぞ」と、最後に、甘寧の肩をぽん、と叩いた。

「おっさんのあの真面目くさった顔と言い…何かの作戦の前フリか?」
甘寧はそう思い、どちらかといえばはしこいのを見繕って、案内されたとおりの期日に呂蒙の屋敷の戸を叩く。
 使用人に案内されながら、
「おっさん、連れてきたがよ」
と甘寧は底まで言って、「んあ?」と片眉を吊り上げた。
「遅いっつの、始めさせてもらってるぜ?」
席には呂蒙のほかにも、杯をかかげてにやり笑いする凌統がいて、二人に挟まれるようにして、阿美が
「あ、甘将軍、お久しぶりぃ」
と手を振った。阿美のような年の女性がすることではおおよそないが、呂蒙はそれには目をつぶっているようだ。
「おっさん、声かけたの、俺だけじゃなかったのかよ?」
「確かに、俺はお前には声をかけたのだが」
「なぜか今日になって俺まで招待されちゃったわけ。残念だね、甘寧殿」
「残念も何も」
甘寧は用意された空席にどっかと腰をかけ、
「俺は、おっさんがたっての頼みだって言うんで面子集めてきたんだ、いきなり誘われてほいほいやってくる身軽なのとはわけがちがうんでぇ」
ぷす、と湯気を噴き加減に言う。
「ひょっとして、ケンカ売ってる? 今俺気前いいから買っちゃうぜ?」
「ああ上等だ、表出ろ!」
二人がそうなったとき、「喝!」と呂蒙が声を上げた。
「お前達は、いさかうのに時も場所も選ばんのか。それでは道端の犬と変わらんぞ」
道端の犬、といわれては面目も何もない。しぶしぶと二人は座りなおす。
 ようやく、酒肴が運ばれ、宴らしくなってきた。

 そもそも、なぜこの面子になったのか。
「阿美よ」
話は少しさかのぼる。宴の主役として、相応に装った阿美に、呂蒙は厳かに言う。
黙って座っていれば、阿美も決して悪い部類ではないのだが。
「わかっていると思うが、これはお前のために良縁を見つけたいという、俺の精一杯のできることだ」
「…うん」
呂蒙の言下の思惑が少しならずわかるだけに、亜美もおとなしく頷く。
「甘寧に頼んで、相手になりそうな者を集めてもらっている。
 あれの部下なら、精兵も多く、戦においても帰還率が高い。お前の目にかなうものがいるかはわからぬが、まあ、見るだけ見てくれ」
すると阿美はきょとん、として、
「甘将軍が来るなら、凌将軍は来る?」
と言う。
「凌統は…今日は呼んではいないが」
呂蒙がそう返答すると、阿美はふい、とあさっての方向を向いて
「つまんなーい」
と言った。
「選択肢を増やせる立場だと思っているのか?」
呂蒙の反応は苦いものだ。しかし、一度ならず離縁と言う目にあった阿美だが、それは夫の戦死という不可抗力のせいで、阿美本人のせいではない。それでも、モノを言うにも時と場所と立場がある。
「でもぉ」
「でももストもない」
「あ、そう」
明後日にやった視線をつと呂蒙の方に戻して、阿美はほい、と投げるように言った。
「凌将軍がいないんじゃ、今日は出ない」

 聞き分けんか、やだ、の応酬がしばらくあって、結局、急ぎの使いが飛び、凌統がここにいるというわけだ。
「ご指名か、たいしたご身分だ」
甘寧がまったく冷やかしの声で言った。
「そう言うな甘寧。おそらく、凌統におなじ依頼をしていたら、阿美はお前を呼び出しただろう」
「そういうこと。お兄ちゃん、わかってるじゃない」
「本当はわかりたくないがな」
阿美に悪気がないのならなおさら、悪夢の循環は断ち切らねば。呂蒙は心中でそう呟く。自然と、顔も難しくなってくる。
「小言や愚痴はそれぐらいにしませんか?」
すっかりおいていかれた風情の客人を見やって、まあまあ、と、凌統が瓶子をとる。
「酒は楽しく飲むもんだって、若がいつも仰ってるでしょう、ほら、阿美殿、杯を」
「まあ、手前ぇの意見には同意したくないが、言うとおりだな」(若=権)
凌統が注ぐ酒を気前よく杯に入れながら、阿美はいまさらのように謙遜する。
「やだ、凌将軍たら、軍にいるときみたいに呼んでくださいよぉ」
「いや、護衛武将であるならともかく、それでない間は呂蒙殿の姪御でしょうに」
「なんだ、阿美」
呂蒙が肴に手を出しながら尋ねる。
「凌統のところにいたことがあるのか」
「うん。甘将軍のところにもいたことあるよ。どっちも楽しかった」
「へえ、あんなむさ苦しいところによくいたもんだ」
「お前んとこだって、いっつも女官が見に来てて、ちゃらちゃらしてるじゃねぇか」
「ちゃらちゃらはあんたの鈴だろ?」
「やかましい…ったく」
おっさんがさっき止めなかったら、今度こそ表で殴りあいになるところだ。甘寧は、混ぜ返されたことを忌々しそうに杯の中にぶつけて、
「おっさん」
と呂蒙に向き直って改まった。
「どうしてこんなことになったのか、そろそろ説明の一つぐれぇ、欲しいとこだな」
呂蒙は
「…ああ、そうだな」
と箸をおいた。
「酒が回らぬうちに言っておくか、実は…」
「今日はあたしの新しい旦那様探しなの」
阿美が先回りしてのうのうとのたもうた。二人の目が点になる。
「阿美!」
「嘘じゃないでしょ?」
「いや、そうなんだが」
口が開いたら本性が出てしまうというのに。呂蒙は目で阿美をいさめようとしたが、阿美にそれが通じるはずもない。
「嫁ぎはしたのだが、縁が薄かったのか夫の戦死が相次いでな…身がなかなか定まらんのだ」
呂蒙はもうこの際だとばかりに、あらかたの事情を打ち明ける。
「へーぇ」
甘寧はずず、と一口すすって、
「それで、殺しても死なんような、って、言ったわけだな。
 俺ぁてっきり、何か作戦でもあるんかとばっかり」
「すまんな、事情が事情だけに、今まで言えずにいたのだ」
呂蒙が手を止め、また難しい顔をすると、
「呂蒙殿の姪御なら、相応のところを探して、ちゃんとした話に持っていけないもんですかねぇ」
凌統があごをひねる。父の門跡を継いだ二世武将は、こういうところには敏感に出来ているらしい。
「お父上のことも、若殿は十分ご存知のはずだし…」(若殿:策)
「家がよくっても、戦で簡単に先立たされしまうような方じゃイヤなんですぅ」
阿美が酒の進んで、少し上気した顔で言った。
「…三度目で注文があるというのもなんだが、それが絶対必要条件らしくてな」
呂蒙が横で補足する。
「阿美殿には随分甘いんですね」
凌統がそう言うと、呂蒙はかく、とうなだれるように
「跳ね返りもここまで来ると、最後まで面倒を見なければならん責任を感じてしまってなぁ」
と答える。阿美はあはは、と屈託なく笑い、
「お兄ちゃん、優しいから」
と言った。

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