突きかかってくる馬超の槍を、維紫は「竜胆」を地面に刺し、その上に伸び上がるように跳躍してよけた。そして、地に突きざまに抜いた「竜胆」をハスに払い上げた。ややあって、がらん、と槍の落ちる音。わざと馬超が払われやすく槍を持っていたと、見るものが見れば気がつくだろう。しかし一連の動きは、素人目には、全く自然に写った。
「勝者、維雷姫!」
そう声が上がり、どよ、と場が動く。維紫隊の面々は勿論、他軍団の兵卒も、模擬戦とはいえ限りなく実戦の一騎打ちに近い状況で、五虎大将のひとりが負けたという事実に、動揺が隠せないようだ。しかしそのどよめきも、一転歓声に変わる。
拱手しあい、それぞれのほうに戻る。維紫は「竜胆」をささげもち、
「ご配慮、ありがとうございます。おかげで将軍のお名を汚すことなくすみました」
と言う。趙雲はそれを受け取って、槍立てに立てる。かわりに、兵卒の槍を持った。
「あの、将軍は『竜胆』をお使いにならないのですか」
そんな趙雲に、恐る恐る言うと、趙雲は維紫を振り向かず、
「部下の卒伯達に伝えておいてくれ」
「は、はい」
「髪はお前がするように、もっときつく結ってくれと」
「…わかりました」
「第十の勝負!」
馬超軍団から主だった副将はみな出てしまった。武器の質を落としたといっても、趙雲と互角にわたりあえるものがいるのだろうか。
「馬超軍団より…」
姜維の声が一息置く間に、しん、と場が沈まる。
「馬令初!」
「え」
両軍団の面々は、本人以外を除いて、ぽかん、とした顔をする。馬令初…馬魁は、その視線がわかったのだろうか、鉄騎尖を手に、
「お、おてやわらかに…」
みたいなことをもぐもぐ言う。
「趙雲軍団より、将軍・趙子龍!」
歓声と言うより、その声はどよめきに近かった。名前もあがったことのない、あがってもろくな噂を聞かない、そんな人物と一身胆の名将が相対峙する必然性が見当たらないのである。維紫は思わず隣の陣に飛び込んで、
「馬将軍、これは一体」
「ん?」
自軍でも驚いているものが少なくない中で、一人だけにやっとしている馬超は
「言っただろう、余興があると」
と言った。
「なお、実力の均衡化をねらい、馬令初は鉄騎尖の装備を許可、趙子龍には兵卒の槍に装備を制限するものとする!」
その武器制限で、いよいよ場がざわついてくる。
「相手が鉄騎尖に、こちらは兵卒の槍か…」
と、副将のひとりが言う。
「相当不利ではなかろうか、『竜胆』が連なる直槍でなければ、将軍独特のあの動きは無理だ」
「いえ」
維紫は副将たちの言葉を否定する。
「不利を覚悟の選択かもしれません。うまくは言えませんが…」
副将たちは維紫の言葉を待つ。
「今の私の勝ちは、『竜胆』に勝たせてもらった、そんな感じがするのです」
「なるほど、…それにだ、どんな武器を持たされたとて、我らの将軍が馬魁ごときに負けるはずがない」
副将たちの意見は一致した。後は、この勝負の行方を見守るだけだ。
黒光りする鉄騎尖に対して、兵卒の槍はあまりにも貧相だ。周囲のざわめきはやまない。
「趙将軍、わざと負けるつもりか?」
「しかし、負けてどうなる?」
「そうだな、負けてもいいところなんか少しもないな」
「最後に将軍自ら茶番でもなされるか?」
維紫の頭の上からそんな声が聞こえる。
「そんなことありません」
維紫は頭の上の声に言い返していた。
「茶番ではありません、将軍はなにかをお考えなんです」
何かを…ともすれば泣き崩れそうな維紫を、副将は黙ってみていることしか出来ず、やっと馬超が
「これも勝負のうちだ。趙将軍が何も考えていないことがないだろう。
もう少し、出世してから言うものは言うことだ」
と言い、
「雑音は気にするな」
維紫を隣に落ち着かせる。
「…あまり泣くな、俺に無双乱舞が飛んできそうでかなわん」
「はい」
こういう場所では維紫はすぐに泣き止むものである。少し離れた場で、対戦相手同士の拱手が終わり、開戦の歓声が上がった。
「で、で、ではまゐる!」
裏返った声の馬魁の気鋭が上がり、鉄騎尖を真横に抱え突進してくる。そのあと、普通なら敵前で旋回させ払い飛ばすのが、馬を使わない場合の鉄騎尖の自然な流れだ。
「え?」
しかし、馬魁は目の前に趙雲がいないのに、ぽかん、とする。その頭上で声がした。
「ここだ」
趙雲は、寸前で高く跳躍していた。完全武装の馬魁の兜の頭に片足を載せ、鎧の背に槍の石突をつきたてる。
「あぐぁ」
穂先だったら、十分な致命傷である。しかし、手加減されても石突の一撃は、馬魁からしばらく呼吸を奪うには十分な力だった。呼吸を整える間、趙雲は動かない。やがて馬魁は
「な、なにをされるか、真っ当に勝負されよ!」
無防備に背中をさらしていた上体から向き直り、馬魁は鉄騎尖をまっすぐ、趙雲の頭に振り落とす。趙雲はこれを、槍の柄で受けた。一見、まともな打ち込みに見える。鉄騎尖の重さと趙雲の腕力の勝負だ。馬魁は自然と歯を食いしばるが、趙雲はそんなこともしない。
「今の打ち込みは結構、しかし」
それどころか、指導じみたことを言いながら、馬魁の踏み込んでいる足を払う。
「実際の戦場では、敵は一人ではないことを忘れるな」
かろうじて穂先を地に立て転倒を免れた馬魁に、趙雲は一度、挑発するように指で招く。相次ぐ突き出しをすさってよけ、払い上げを軌跡に沿うように跳躍して避け、なぎ払いをとめる。
「鉄騎尖の基本の使い方は心得ているようだな」
「馬令初、そしられようとも、馬超軍の将、だ」
「なるほど」
趙雲の三白眼がにわかに細まる。とめていた鉄騎尖をはらい、柄で数度、馬魁の胴に打ち込む。
「ならば、馬将軍の軍の恥辱となるような振る舞いは、許されぬものではないな」
石突で兜の額を突くと、馬魁の頭があっさりと現れる。額の横のほうにある傷を確認して、趙雲は
「…ふむ」
と納得した声を上げる。
「武装を整えよ。勝負は五十合までだ。最後の一合までゆくりなく、その鉄騎尖の威力を見させてもらおう」
ここまでにいたって、馬魁は汗みどろ…しかも半ばは冷や汗…だというのに、同じ戦装束の趙雲は息すら切らせていない。
悲喜劇の幕開けである。
「虎はたとえ獲物が一匹のウサギであっても」
鋼鉄槍の柄に器用に手足をからめてだれた足を休ませつつ馬超が言う。
「狩るに決して手加減などせぬというな」
「…はぁ」
「今の趙雲殿は逆だな」
「逆、ですか」
「最後の一合まで、致命傷に値する一撃を加えるつもりはないらしい」
見た限り、趙雲は槍の穂先を一度も使っていないのだ。石突と柄だけで、鉄騎尖に互角以上に対峙している。それでも、鉄騎尖の威力を考えると… 維紫が見ながら手もみしているのを見て、馬超はそんな緊張してみるほどのモノでもなかろうに、と呟いて、
「そういえば維紫よ、お前の副官は、なかなか小気味いいのがそろっていておもしろいな。
おかげで興味深いことがわかった」
「あ、あの、私のいない間に、彼女達が何か馬将軍に失礼を…」
維紫が、ちょっと上を見上げ、趙雲に声援を送る卒伯達を見やると、馬超は
「いや。お前の周りで起こったあれこれの出来事を、彼女らの証言とそろえてあの馬魁のバカに突きつけてやったら、一切合財口を割った」
そう言った。
「…はぁ」
合点の言っていない顔をする維紫に、馬超はやはり「ぼんやりもここまで来ると放っておけんな」と思う。
「お前の仕事部屋あたりで間者らしい気配があったとか、お前の持ち物がなくなったりしたことがあっただろう」
「は、はい」
「馬魁の仕業だ。ご丁寧に、お前の気を引きたかったと、動機まで述べ立ててくれた。
先だっての手合わせも、お前と立会いがしたかったから、負けを承知で指名したと」
「…まあ」
そこでやっと、維紫の目じりが染まる。
「馬魁様…ちゃんと仰ってくれれば、私も考えましたのに」
その言葉には、明らかに、たとえ馬魁でも手順さえ踏めばまんざらでもないような響きがあった。
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