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 間者、となれば話は別だ、盗んでゆくネタはたくさんある。最悪、城にいる高名な誰かの首だったりするのだから。
 早速に城をあげての大捜索が行われたが、大山鳴動してねずみ一匹も出ず。
「ほら、やっぱり気のせいだったじゃない」
維紫は、手を煩わせた各方面にこれでもかと腰を折った後、副官達に言った。
副官達は一様に
「すいません」
と頭を下げたが、気配がなくなったのは二三日のことで、また「何か見られてます〜」と言い出す。
「それは物騒だな」
趙雲が部屋に来たついでに、維紫はあったことを説明し、その気配を探ってもらおうとする。
「どうで…しょうか?」
暫し瞑目していた趙雲は、おもむろに維紫の机から文鎮を取って
「そこか!」
と投げる。がさがさっと庭のほうで音がしたが、また無音に戻る。
「手ごたえはあったのだがな」
文鎮の汚れを落としながら趙雲が戻ってくる。
「やはり、間者でしょうか」
「いや、本当の間者なら、卒伯にも気配を悟られるようなことはまずすまい。
むしろ、これは『のぞき』に近いな」
「のぞき!?」
「今戻るときに見たが、あのあたりからは雷姫の部屋の中がよく見える」
用心して、ここを住まい代わりに使うのは控えたほうがよさそうだな。そういわれて
「便利だったんですけど…」
維紫はぽつりとつぶやく。
「だからお前はおっとりぼんやりだといわれるんだ」
趙雲が眉根を寄せた。
「戦場とそうでないところでは、お前は昼と夜ほどに性格が違うからな」
「でも、いただいたお屋敷、ちょっと遠いのですもの」
「そう言う問題じゃない」
まだ持っていた文鎮をこつりと頭に当てられて、
「はい、早起きします…」
維紫はそう言った。

 さて。
「この間の大将戦も、結局勝負つかずだったな」
と、馬超が言った。
「五十合で引き分けと言う申し合わせだったのですから仕方ないですよ」
隣で馬岱が言う。
「もう五十合あればわからないではないか」
「従兄上負けず嫌いなんだから…」
「とにかくだ趙雲殿、再戦を申しみたいがどうだ」
「そういう手合わせは、士気が上がるので、われわれとしても歓迎です」
横で話を聞いていた維紫が、
「馬魁様もでられるのですか?」
と尋ねる。
「アレから多少はみっちり特訓したつもりだが、お前とはたぶん手合わせにもなるまい」
「まさか、楽しみにしております」
「お前には、俺の取って置きの副将を当ててやる、覚悟しておけよ」
「はい」
「…」
維紫の無邪気な返答に、馬超は意気をそがれたのか、
「趙雲殿、維紫はこういう人物だったか?」
と、つい尋ねてしまう。趙雲はなんでもないように、
「職務から外れたら、大概あんなものですが?」
「心配にならないか?」
「なんのことでしょう?」
「…」
馬超は深い思索をするような顔をしたが、ふう、と脱力した顔をして、
「岱を置いていくから、詳しい打ち合わせはそいつとしてくれ、俺は戻る」
くるっと、きびすを返した。
「あ、従兄上それはないですよ!」
と馬岱が追いかけようとしたが、馬超は走り去りでもしたのかもう影もない。

 いわば、元妻帯者のカン、と言うものか。
「鈍感にぼんやりでよくうまくいっているものだ」
自分の仕事部屋に帰りつつ、馬超は一人ごつ。普通、どんなにアレでナニでも、他の男の話を目前でにこやかにする姿を見て、妬くそぶりのかけらもない男など見たことない。
「いや、鈍感だからぼんやりに気がつかないのか、鈍感だからあのぼんやり具合が丁度いいのか、それともぼんやりが好みなのか…」
他人同士のことを考えても、本人たちに聞かなければ結論の出ない話のわけで。
「…もどかしい奴らだ」
自分にとっては、数年前にとっくに通り過ぎた時間を、今ちょうど彼らは歩いているのだから。

 さて。
「あら」
仕事部屋住まいをやめにしようと、維紫が片付けなどしていると
「へんねぇ…朝着ていたはずなのに」
夜着がわりに使っていた衣がなくなっている。帯はあるのに本体がないのは変な話だ。余計ながら、これはいわくつきのものではない。
「そんなに汚れてもいなかったと思ったんだけど…」
 洗濯は基本的には女官の仕事だ。洗濯の現場に行って尋ねても、それとわかるものを洗った覚えもないというし、干してある形跡もない。
「維将軍、それ、私達の間でも時々ありますよ」
荷造りに借り出された副官が言った。
「維将軍ほど大胆なものじゃないですけど、結い紐とか、手巾とか、落としたりしてるわけでもないのになくなるんです」
「共有しているってわけではないわよね?」
「ないですないです、髪結いの道具はみんな別々に持ってます」
「あ、でも」
「何?」
「わざととって、落としてあったことにして、それがきっかけにしてお付き合い…って話はありますねぇ」
きゃあきゃあと副官達が騒ぐ中、女官が客人だというので、維紫はそれを手でとめる。
「どなた?」
「はい、馬魁将軍です」
「馬魁様が?」
副官達が一様に引きつった顔になる。維紫は取り急ぎ整頓中のものを隠させて、
「散らかってますが」
と、馬魁を部屋に入れようとする。副官達はなにやらわたわたとしている。
「落ち着いてなさい」
維紫は目線で言って、
「どうされました、馬魁様」
と、客人にむかって笑んだ。

 お世辞にも、馬魁は男前とはいえない。いろいろ顔の部品に「しくじった」感がある。この時代にない文物で無理やり説明すると、顔を書いたジャガイモといったところか。
「先日の手合わせでは失礼をいたしました」
と一礼する維紫に、
「ああ、いや、気になさらず」
しどろもどろに言い、
「こ、これを」
と差し出す物を維紫が見ると、なくしたと思っていた維紫の衣である。
「馬魁さまが、なぜこれを」
「いや、それが、おかしい話で、私の部屋の近くの木に、ひっかかっておりました。
 猫が、イタズラでもしたのでしょうな、しょうのない、ははは」
軍団の違う維紫と馬魁の部屋は、いわばあっちとこっち並に離れている。副官達はいっせいに「みえみえの嘘だ〜っ」という顔をしたが、維紫は、ぽん、とそれをわたされて、
「ありがとうございます、わざわざ届けてくださいまして」
と一礼した。
「いやいや、この城のこのあたりで、このような優雅な薄紫の衣をお使いになるのは維紫殿だろうと思いましたが…予感は的中したようですな」
馬魁はははは、と笑う。維紫もつられて笑い、やがて
「あら」
と怪訝な顔をする。
「馬魁様、その額…」
額と言うよりこめかみにだいぶ近い場所に、あざのようなあとがあった。
「大丈夫ですか? 痛そうですが」
「いや、これは、その、訓練中に小石が跳ねまして、ははは」
訓練と聞いて、維紫は思い出すようにいう。
「そういえば、また私どもの軍団と手合わせをされるそうですね。
 聞けば馬魁様も上達されたとか、楽しみにしております」
「いやあ」
馬魁はすっかり鼻の下の伸びた顔で
「そういわれると、嫌でも張り切らざるを得ないですなぁ」
と言い、
「当日を楽しみにしていますわ」
そう言う維紫の声とほんやりした笑みにに送られ、空を踏むような足で帰って行った。

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