こっちの水は甘いぞ?


 日本の後宮のモデルは、言うまでもなく中国の後宮です。
 だから、中国のまねをして、後宮に関する役所が調えられました。
 養老律令という当時の法律には、後宮には十二の専門の役所が有り、その役所が手分けして、後宮の維持管理と後宮にいる帝のお世話をすることになっていました。これを「後宮十二司」といったのですが…

後宮十二司(官位相当表は→こちら。読みがなは複数あるものの一つを現代仮名遣いにしてあります。)
・内侍司(ないしのつかさ)…後宮にいる帝に伺候したり、臣下との会話の仲介をしたりする。
・蔵司(くらのつかさ)…後宮の蔵の鍵をあずかり、宝物や帝の衣服の出納を管理する。
・書司(ふみのつかさ)…後宮内の教典・文房四宝・楽器の管理をする。
・薬司(くすりのつかさ)…後宮で使用される薬を管理する。
・兵司(つわもののつかさ)…後宮にある武器の管理をする。
・※司(みかどのつかさ・※は門構えに韋)…後宮の建物の鍵の管理をする
・殿司(とのもりのつかさ)…後宮内の雑貨、消耗品の管理をする。
・掃司(かにもりのつかさ)…後宮内の清掃を担当する。
・水司(もいとりのつかさ)…後宮内の水や飲料の管理、進上を担当する。
・膳司(かしわでのつかさ)…後宮での食事について配膳、毒味を担当する
・酒司(みきのつかさ)…後宮で消費される酒の製造。
・縫司(ぬいのつかさ)…後宮で着用される衣服の縫製などを担当。

 このなかで、源氏物語を読む上では、内侍司だけをチェックしていればまず問題はないでしょう。事実、源氏物語の時代には、すでに内侍司をのぞいた十一の役所は稼働しておらず、その代わりを、宮中に部屋を貰って住み込みで伺候する女官「女房」が勤めるようになっていたのです。女房は実家の家柄に合わせて身分が分けられ、男性と同様の位階をいただいて、伺候する時には服装などにも細かく規程が有ったようです。
 その上で、帝の妻たる姫君達にも、実家からついてきた侍女達が大勢伺候していたわけですから、後宮というのは、一見実に華やかな場所であったわけです。
(よく、後宮の姫君についてきた侍女も女房といったりしますが、厳密には命婦…朝廷から官位を貰った女性でないと女房とは呼ばないようです。房=部屋ですから、男性が宮廷に住み込みで伺候すれば「男房」です。余談ですが。)
 そして、後宮に送られた姫君達の使命はただ一つ、帝の寵愛を受けて、将来帝たる皇子をもうけることですから、そのためにはどうしても、姫君の背後にいる一族は、姫君の元に帝が通うように、心を砕く必要があったわけです。
 そこでどういう手を使ったのかというと、姫君本人に、入内前から教養を仕込んで魅力的な女性に育て上げるのはもちろんのこと、姫君に伺候させる侍女にも、姫君を引き立てるように細心の配慮がされていました。

「帝はん、うちの娘んことに、またはしこいの来ましたで。
 女だてらに漢籍すらすら、なんでも旦那に先立たれて、物語なんどというものを手すさびに暮らしてたっちゅーかわりものですねん。
 物語ゆうても、竹取の翁やうつほなんどというのとはちょっと毛色が違いますねん、なんてゆーたらええんですやろな…なんでも、見たことないようなもん、やっとるようですわ。
 興味ありまっしゃろ? ほな、そろえさせておきますさかいに、ひとつ、明日の晩あたりにはうちの娘のとこ、よろしゅうたのんまっさ…」

 こんな発言はもちろん嘘です。
 でも、紫式部や清少納言といった、「はしこい」侍女たちが、姫君の教養を助けるためにスカウトされ、後宮におくりこまれたというのは、まんざら嘘でない話のようです。
 また、そうして「はしこい」のが集められたことで、後宮で中古文学の花がひらき、かな文字が発達したとも考えられています。(枕草子の、定子と納言のやり取りなど、宮廷文化の華の華じゃないですか。姫君とはしこい侍女は、ああいうやり取りや個人教授で、帝を引きつける教養を養っていたのです)

 風が吹いて桶屋がもうかる話よりは構造は単純ですが、摂関政治ゆえに紫式部が見いだされたのではと考えると、歴史の妙味を感じるのであります。

 源氏物語では、後宮と連動した権勢争いのシーンとして、「絵合」という巻で、源氏(梅壺女御=斎宮女御=秋好中宮)と、頭中将(新弘徽殿女御※・もっともこのとき頭中将はとてもえらくなっていますが)が絵巻あわせで後宮内での権力の白黒つけようというシーンが有ります。あの部分では、冷泉帝が絵を好むというのが事の一端となって、絵や絵巻物というアイテムが帝の関心を梅壺と弘徽殿とどっちにひきつけるかという、見た目優雅ですがかなり根の深い(源氏と頭中の張り合いはここではじまったわけでないし)政争なわけです。結果は、源氏がたに軍配が上がり、梅壺が中宮になるきっかけにもなるわけですが…(源氏は、娘運が非常に悪く、明石の姫君が冷泉帝の次の帝に入内するまで、養女格である所の六条御息所の娘・斎宮の女御や玉鬘を送り込むことで、冷泉帝の後宮におけるイニシアチブをとろうとしていた時期が有ります。)政争といえば源氏と弘徽殿という宮廷が舞台のものばかりの源氏物語の中で、この絵合の巻は、もう一つの戦いを描いているわけなんですね…
 私、あさきゆめみしでしか読んでないわけですが(ちゅどーん)

 ※注…新弘徽殿の女御:頭中と、正妻である弘徽殿太后の妹四の君との間にできた娘。冷泉帝に嫁ぐ際に、伯母・太后にかわり弘徽殿にはいった。太后と区別するために新弘徽殿と呼ぶ。