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 アイラの侍女が、忙しく外を右往左往始める。賓客用の休憩棟からその様子を眺めながら、ティルテュが
「何が始まるの?」
と尋ねる。アイラが
「昼食の準備だが?」
と答えた。
「ここで何が食べられるの? 馬でも食べるの?」
「馬も食べられないことはないが、今日は牛の予定だ」
ラケシスがむぅ、とむっつりした顔をする。
「牛なら、いつも食べてるよ」
「少し趣向を変えるだけだ」
アイラが言い、ティルテュが
「趣向?」
と首をかしげる。
「それは秘密だ」
アイラがあまりに楽しそうなので、ラケシスはすっくりと立って
「ちょっと外に出てくる」
と言い、通り道にいたフィンに、ついと目配せをした。フィンはくつろいでいる面々に、軽く一礼して、その後をついてゆく。
「どうしちゃったの?」
きょとん、とするティルテュに、アイラは
「少し言葉が過ぎた」
と言った。
「この昼食に供する牛の話をしていたら、つい」
「何を言っちゃったの?」
「言ったらおそらく、君も同じような反応をするだろうから、言わない」
アイラはぷすん、と、ガラになく失敗した、と言う顔をしている。
「頼むからこれ以上は気にしないでくれ」
「…わかった」
ティルテュは、まだまだ大儀そうには見えないながらも、ごまかせない大きさのお腹をぽすん、と預けるようにして椅子に座った。

 牧場のものから預かったニンジンを数本ばかり、立て続けに馬に与え、もぎもぎとやっているのをラケシスはぼおっと見ながら、
「人間も野菜や果物だけしか食べられない体ならよかったのにねぇ」
そう呟く。後ろでその言葉を聞いて、フィンが
「はぁ」
と生返事をする。
「私、ジビエもだめだけどアヴァはもっとだめなの。
 ジビエはただかわいそうなだけだから、食べられないことはないけど…アヴァは、同じものが自分の中に入ってると思うとぞっとする」
アヴァとは、ずばり動物の内臓が材料になる料理のことである。
 食べるからには余すところなく食べるのが食材になった動物への礼儀であり、また愛好するものもいるから料理の一ジャンルとして成立しているだが、内臓は嫌いというラケシスに、さすがにフィンは、
「そうなると、王女がお好きなフォアグラも、カモですが内臓ですよ」
とは、つっこめなかった。これまでの戦線で出した食事の中にも、実は少しは混ざっていたことも、黙っていることにする。戦線での食糧は貴重なのだ。
 とにかく、
「アイラ様のお話では、今日それをお出しすると決まっているわけではないとおっしゃっているように感じましたが」
そう返答すると、
「本当に、そうならいいけど」
「好き嫌いはよろしくありませんよ」
「わかってます。
 そんなこと、小さいころ、ばあやから耳が痛くなるほど聞かされたわ」
ラケシスは、擦り寄ってくる愛馬たちの鼻面をぽんぽんとなでる。
「ごめんなさい、ニンジン、あれだけなの」
それを、何とはなしに、こういうところはかわいらしいのだけどなぁ、と見ていたフィンが、少し異様な雰囲気に気がつく。
 異様な雰囲気と言うか、これはきな臭さだ。
「一度中にお戻りください王女、少し周りを見てきます」
といい、くるりと方向転換をするフィンのあとを、
「あ、ちょっと、ちょっとまってよ、私も行く」
ラケシスがすたすた、と小走りに追ってゆく。

 アイラの侍女たちが、ほとほと困り果てた風にしていた。
「どうか、されましたか」
とフィンが尋ねると、侍女の一人が、
「いえそれが、お恥ずかしい話で、なかなか火が着かず」
と、くすぶる薪を前にして言う。
「前夜、少し雨が降ったようでしたからね」
「暖炉に入れるなら、少しの雨など何と言うこともないのですが」
「わかりました、火は私が何とかつけておきます。
 皆さんは、他の準備を」
珍しく、フィンが自分から何かをやりだすと言い出した。ラケシスが
「大丈夫なの? できるの?」
と尋ねる。
「要領は心得てますよ。露営や野営で鍛えられてますからね」
フィンは声のかかった方向を振り返りもせずに、こげた薪をわきにのけはじめる。積み重なっている薪の中から、湿っていなさそうなものを抜き取り、焚きつけの木の葉と小枝を重ねた上に置く。
「私は何をしていればいいのよ」
ラケシスはそう思わず尋ねてしまう。フィンは、
「中にお戻りになるか、他の方の準備の様子などご覧になっていてはいかがですか」
と、火口を作りつつ言う。ラケシスはしばらくぽかん、とした。信じられない。この人が、私を放っとくなんて。それが言葉になる前に、ぽっと火が上がった。
「これがうまくいけばいいのですが」
と、フィンがついていた片ひざをあげる。ラケシスが、あきれ返ったのを通り越した声で、
「そんな苦労しなくても、アゼルに頼めば早かったのじゃないかしら」
そう言った。
「あ」
気がついたときはもう遅い。
「私、中に戻る。火の番してなさい」
ラケシスはぷいっ、ときびすを返していってしまった。

 ラケシスが中に戻ると、座はにぎわしい。
「ん?」
彼女が通り過ぎた後、ティルテュが言った。
「なんか、焚き火のにおいがする」
「ええ、焚き火のそばにいたもの」
元の場所に座りながらラケシスが仏頂面をする。
「薪になかなか火がつかなかったのを、手伝ってるみたい」
「昨晩、少し降ったからね」
アゼルがそれを受けていった。
「僕を呼んでくれれば早かったのに」
「気がついたみたいだけど、知らん振りしてきたわ。私より焚き火のほうが大切みたいだから」
「毎度のことながらきついことを」
アイラがたしなめ顔に言う。もっとも、そう言う関係だから回りもまだ知らない二人でいられるわけなのだが。
 ラケシスはその話から離れていたいらしく、
「子供たちは?」
と尋ねる。子供たち、とは、アイラがつれてきた双子と、エスニャのつれてきたアミッドのことである。
「うまい具合に眠りそうなので、ディアン様があちらで二人を見てます」
と、エスニャが言った。ディアンとは、彼女の夫である。
「二人? 三人じゃなくて?」
「ひとりはここだ」
アイラがレックスを指した。レックスは、この御用牧場に来てこのかた、おそらく双子の片方だろう、離していない。
「お前がそうやってラクチェばかりかわいがるから、抱き癖がついて世話のものが困るのではないか」
「そうか? でも俺はラクチェは離さないからな」
「なるほど、レックスが抱っこしてるほうがラクチェなのね」
「まあ、そういうことだ」
レックスはすこしく自慢したいように答え、
「今日は特別、あんたにも抱っこさせてやろうか?」
と、ラケシスに言った。
「私? いいの?」
「その代わり、落とすなよ」
エスニャに助けてもらいながら抱き抱えてみる。ラクチェは、抱きかかえられていれば、それが誰であっても頓着はないらしい。
「わぁ、アイラそっくり」
「半分俺の血が混ざっててもそれだぜ、将来兄貴んとこの甥っ子たちに会えたとして、その反応が楽しみだな」
「お前に甥がいるというのは聞いていない話ではなかったが…なんて先の長い話を」
アイラがまんざらでもないようにそう言ったとき、彼女の侍女が入ってきて、
「準備が整いました、皆様、どうぞお外に」
と言った。

 外で昼食? と、目を丸くした者もいないではなかったが、戦場ならそれが当たり前だったから、たいていは「戦場にいたときみたいだね」などと軽口を叩きつつ外に出る。
 苦心した焚き火はすでに火は落ち、燃え残りのように見えたが、
「炎が上がっていないほうがよいそうなので、そのようにしました」
と、火の番ですっかり顔をほてらせたフィンが言った。そのフィンの前髪に、ラケシスの手が触れる。
「!」
「…髪におコゲ」
それをふい、と投げ捨てて、「私はどこに座る?」と尋ねる。
「は、はい」
そばの椅子を引くと、そつない行儀でラケシスはちょこりと座る。そうしながら、彼女は、今日の食材に、アイラの言った内蔵のようなものはないのか、目をきょろきょろと左右させた。


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