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 夏仕立ての天井のない馬車が、がらごろと山あいの道を行く。
「春に来たときは、ほとんど緑もなかったのに、いつのまにかこんなに緑になってしまったのねぇ」
この馬車に揺られながら、ラケシスが天を仰いだ。谷間の両方から差し伸べられた枝に木の葉が重なって、それは緑のプロムナードを思わせる。
「美しい緑だ」
アイラの声が、馬車の音にまぎれるように聞こえた。
「この間よりいっそう美しい」
というのに、ラケシスが敏感に反応する。
「アイラ、この道通ったの?」
「うむ、この先に御用牧場と御用農場があるだろう、シレジアの。
 連れて行ってもらった」
「そうなんだ。
 ねえねえ、私の馬、元気だった?」
「二頭だけ入っていた柵の、葦毛のほうだったかな」
アイラがそう確認すると、ラケシスがうんうん、と首で返答する。
「元気のようだったぞ、牧場のものにもなついていたようだった」
そう答えながら、アイラは「ぷっ」とふきだしかける。ラケシスはその笑いに何か思い当たる節でもあるのだろう、とたんむくれた顔になり、同乗のティルテュとエスニャ姉妹がきょとん、とする。
「聞いたのね」
「聞いたとも」
アイラの返答にますますラケシスの機嫌がよろしくなくなる。
「何の話?」
ティルテュが身を乗り出して話を聞こうとし、アイラがその話をするのを、別にラケシスはとめなかった。
 おそらく笑い話にでも聞かされたのだろう、興味で交配に立ち会おうとして、失神したという話を。ティルテュはふき出すより先に
「私は自分の馬でもあんまり見たくないかも…」
とうろたえるような声を出した。
「ええ、今は後悔してるわ。
 ああ今でも思い出す、あの黒くってにゅにゅにゅっとして」
「いやなら思い出さなければよかろうに」
アイラは憎みきれない苦笑いをし、ぐるりと身をひねらせて、馬車の後ろについていた馬に乗るレックスに声をかけた。
「後どれほどでつきそうだ?」
「川をわたったから、そのうちつくだろうよ」
レックスはそう答えて、後ろをちらと見た。後ろにも馬車が続いていて、アイラについた侍女たちが和気藹々と話するでもなく、静かに乗りあっている。
「前にも言ったが」
「うむ」
「あれは何とかならないのか」
「何とかなるもならないも、子供を見られるところにいつも置いておくのは親の責任だろう」
「子供って…城の中ならともかく」
「お前にそれを言われる筋合いはない」
アイラはぴしゃ、とレックスの言葉を封じて、
「着いたら、少し休もうか」
と、馬車の面々にそう言った。

 それでなくても、ラケシスは面白くない。
 牧場にいた葦毛…愛馬イグナシオをセイレーンに連れ戻すために出るはずだったのに、何がどうしてこんなに大人数の小旅行のようになってしまったんだろう。
 前日になってその話を聞かされて、
「二人だけではなかったの?」
とたずねるラケシスに、フィンは実に申し分けなそうに、
「はあ、それが…
 レックス公子が何かお考えのようで、別々に済ませることはないからよければ、と」
「で、かまわないって言っちゃったのね。
 もうっ」
ラケシスは座っていた椅子の前の机をこつん、と指で叩いて
「気を使ってくれないと、困るじゃない」
「すみません」
「もっとも、あなたがそういう気が回るようなひとだったら、レックスも話は持ち掛けなかったでしょうけど」
そういうやり取りがあっての今日だった。実はフィンも、愛馬サブリナを牧場に預けている。二頭をそろそろ連れ戻そうという矢先の話だったのだ。二人だけにこだわっていたのは単純なことだ、この姫のわがままである。
 ともかく、馬車が止まり、ぞろぞろと人が降りる。最後にティルテュが、エスニャにささえられて
「よっこらしょ」
と馬車を降りた。彼女もまた、レックスに話を持ちかけてこられたアゼルに、
「動けるうちに見られるものはとことん見ておきたいのぉ」
駄々をこねてついてきたクチである。
「足元に気をつけるんだよ」
とアゼルが手を離さないのに、ティルテュはもうそれを引っ張るようにして
「あ、馬があんなにたくさんいる」
と、その方向に行こうとしている。
「やれやれ、毎度毎度びっくり箱だが、今は本人がびっくり箱なのになぁ」
レックスがやれやれ、という感じで言った。
「差支えがなければ、私がついておりましようか」
と、その後ろでフィンが言うと、
「差支えがおおありだから二人にしとけ」
レックスはそんなことを言った。フィンにしてみれば、預けていた自分の馬を受け取りに来ただけで、それ以上の用事はないのだが。
「何も、早く帰ろうと急ぐことはないさ。ティルテュには、エスニャたちがいるから、俺たちはこっちだ」
ほらほらと、フィンの背中を押し出すようにして、すでにきゃらきゃらと話を進めながら歩いてしまっているアイラとラケシスの後を、二人はついていくことになる。
 柵から、馬のサブリナが、主人のその様子を顔を伸ばしてみていた。

 馬のいる場所から少しはなれて、他の動物がいる柵や草原があった。
「すごぉい」
緑一色の草原の中を、羊が群れ、牛がたたずんでいる。
「ラケシスは、ここまでこなかったのか」
「ええ、時間があれば、来たのでしょうけど」
「なるほど」
アイラは深いことは突っ込まないらしい。
「こんな草原を見てると、ついイザークが思い出される。
 街と街の間は、こんな草原と街道があって…民は馬など養いながら暮らしているのだと聞かされていた」
今年もよい草が生えていればいいが。アイラはそんなことを言った。
「人の争いの前に、自然は動じない。そういうものだ」
昔話を断ち切るように、アイラが言う。遅れてきて、双子の片方を抱きかかえているレックスに、
「アイラ、なんかあったの?」
とたずねるが、レックスは
「さて、遅れてきたから何の話だかさっぱり」
そう答えた。が、
「まあ、イザークは草原の国だっていうから、里心でもついたんじゃないの」
当たらずとも遠からずなコトをいい、
「ほらほら、アイラの後をついていきな」
と、今度も彼女の背中を押した。

 今この草原に放してあるのは、乳をとる牛だそうだ、と、アイラは言った。
「詳しいのね」
「この間来たときに教えてもらった。
 あのときは、シャナンと三人で来たのだったかな」
「ああ、珍しくシャナンがついてきたな」
隣接している御用農場に、桜桃を見に行ったそうだ。
「この間、フュリーが持ってきてくれたさくらんぼのことね」
城の中では面白い遊びをしていたというのに、気まぐれで槍の教練をしていて、後になって話に聞いて、もったいないことをしたと取り置かれていた分を食べたのだが、状況は味気なくとも桜桃の味自体はとてもよいものだったと、ラケシスは思い返してみる。
「そう。思いがけずシレジアで味わえたので、世話のものに礼を言ったら、今年最初の瓜を馳走になってな。
 それだけでシャナンはもう大満足という顔だった」
思い出すようにいって、アイラはふわふわ歩きながら思い出し笑いをした。と、ふいに草原の一角をさして、
「ほら、あれだ」
と言う。
「何?」
「あの、黒い牛がいるだろう」
「ええ…」
「肉が美味だ」
「食べたの?」
「いや」
アイラは、二人のうしろをぞろぞろとついてくる数人の侍女たちを指して、
「彼女たちの話だ」
と言った。
「新鮮なものなら、内臓まで食べられるそうだ」
「内臓って…」
ラケシスがひき、と引きつった顔をする。アイラは淡々と
「腸詰は、肉を腸という内臓につめたものではないか、何もそんな顔をすることはない」
「改めてそういわれると…食べる気なくしそう」
「…ややこしい姫君だ」
アイラがそう言う。
「いや、今のお前の話は、ほとんどオドシに近かったぞ」
レックスが苦笑いする。
「ジビエもだめなラケシスに牛の内臓の話は」
「…話題を誤ったか」
二人は、ふいと両耳をふさいであさっての方向を向いたラケシスを見た。ちなみにジビエとは、狩りで獲得した鳥獣が材料になる料理のことである。彼女は、そのジビエに対して、
「だって、さっきまで野原で楽しくしてたウサギや鹿をとって食べちゃうのよ、かわいそうじゃない」
と言ったという。ともあれアイラは、
「昼食もここでと言うことになるが…今の話を聞いた後では無理そうか?」
と念のため尋ねる。ラケシスは、ふさいでいた耳をぱ、と解放して、
「内臓が出ても、私は食べないわよ」
と言った。

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