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 アイラの侍女がひとり、
「今日はこちらのお肉をいただきました」
と、塊を見せる。
「ピンク色だ」
とティルテュが言った。少し遠目から見たらピンクにも見えるのだが、実際には違う。
「これは、赤みと脂身が程よく混ざり合った色で、焼くと脂の部分がぬけて、大変やわらかく召し上がれます」
と、侍女が説明を加える。もちろん、ここにいる面々だけでは食べきれるわけもなく、後はセイレーンへの土産になるのだろう。
「他にも、御用農場からお野菜をいただきました、こちらも、新鮮なものばかりです、お試しくださいませ」
「ねえねえ、味付けは?」
ティルテュが尋ねる。すると侍女たちが手分けをして、小さな皿を並べ始めた。
「タレは二つご用意いたしました、赤いほうは、豆を醗酵させて、薬味と香辛料をあわせました。白いほうは、香味野菜と胡椒が主になっています。別につけたものは、香りが強いので、お好みであわせてくださいませ」
一気に説明されても、アイラ以外の人間にはわかるわけもなく、食べやすい大きさに切られた肉が小気味いい音で焼ける間に、自分の舌で試すことになる。
「うわっ」
何かを指で試したレックスが声を上げた。
「何だこれ、めちゃくちゃ辛いぞ、チリか?」
「それだけではないが、チリは大量に入っているぞ」
隣でアイラが言う。
「最初から言ってくれ」
「いきなりそれから試すからだ。タレに混ぜるものなのに」
「じゃあこれは何だろう」
レックスの二の轍を踏むまいと、今度は鼻で別のオプション調味料を試したアゼルが、
「これ、ガーリックだ」
と言った。
「はい、生をすりおろしてあります、熱い時期に体を健やかにいたします」
焼けた肉を取り分けながら、侍女が説明をする。
「ガーリックは、食べ過ぎたら後が大変だよね…」
「うん、大変だよね」
ティルテュが相槌を打つ。少し離れてレックスが
「二人で食ったらおあいこだ」
と笑って言った。
「おあいこって…二人だけでずっといるわけでもないのに」
「アゼル、こっちの赤いタレも、少しガーリックのにおいがするよ」
「じゃあ、赤いタレはよけよう」
白いタレは、少し木の実のような香ばしさがある。
「すごい、お肉柔らかい」
思わずエスニャが声をあげて、視線が集中するのを感じて、「あら」と赤らんだ。
「でも、本当にやわらかい」
ラケシスもうなっている。肉そのものに脂の味がして、
「塩コショウだけでもいいわ」
と呟いたほどだ。レックスは順応度が高いのか、もう見知った侍女を相手に笑いなどしながら次々と肉を平らげてゆく。アイラが
「野菜も食べろ、野菜も」
とたしなめる声がした。そして視線を移すと、エスニャとディアンもそれなりに楽しそうにしているし、ティルテュたちにいたっては、
「手が伸びない? じゃあとってあげる… ほら、口をあけて」
と、見ているとバカにしか見えない仲むつまじさである。それに比べれば、自分たちはおとなしいものだ。もっとも、最初の目的がそれではなかったのだから、突然予定に組み込まれて戸惑っているのかもしれない。
「そういえば」
そう言う中で、ラケシスが呟いた。
「差し向かいで何か食べるのって、初めてね」
「そういえばそうですね」
「うれしい?」
といわれて、フィンの手が止まる
「い、今ここで、それを申し上げろと?」
「まさか」
ラケシスはうふ、と笑った。しかし、この笑いの後が始末におえないのを、フィンは経験則で知っている。
 案の定、ラケシスは、タレをからめた肉を一切れ目の前に差し出してくる
「あーん、して」
子供にものを食べさせでもするようなしぐさだ。斜め後ろから視線が刺さってくるし、たまたま目が合ったレックスはそのまま知らん振りをするし、
「はやく、タレが落ちちゃうから」
ままよ、とばかりにばくっと、それに食いついた。それはまるで釣りえさにかかった魚のような反応だったが、ラケシスはいかにも満足したかのような顔で、
「おいしい?」
と聞いてくる。その一切れに限り、どこに入ったかわかるはずもなく、
「…結構でした」
と言うよりなかった。

 「ぷふ、もう食べられない」
最初に音を上げたのはティルテュだった。
「あれ、もういいの?」
「うん。もうおなかいっぱい」
ティルテュはそう言いながら胸の下をさする
「それだけだと、またおなかすいちゃうよ」
アゼルが心配そうに言う。
「うん、でも、おなかが邪魔して食べられない」
「そうかぁ…じゃ、ここまでにしておこうか」
ごちそうさま、と二人は席を立って、
「少し休んだらさっきとは、別のほうに歩いてみようか、羊がいるんだって」
「羊? 見る見る」
そんなことをいいながら戻ってゆく。
「あ、私も」
と席を立とうとするエスニャを、アイラが
「エスニャ殿は、もう少しここにおられるがいい」
と言った。
「はい、でも」
「聞けば自らの乳でお子を育てているそうではないか。滋養のあるものを食べておかねば」
「でも、そのお乳の時間かも知れなくて」
「そうか、ならば仕方ない」
「すぐに戻ります」
エスニャは一同に軽く会釈して戻ってゆく。
「アイラはいいの?」
ラケシスが、エスニャの後姿を見つつ言った。
「私の分は乳母がやってくれる。一度に二人分の乳は用意できないし、そんなことはしなくていいと」
アイラはそこだけ、少ししんみりといった。
「国がなくなっても姫様だもんなぁ」
レックスがそれにまたしんみりと言った。ラケシスは、国がなくなっても王女扱いは自分も同じなのだが、それを嫌がるようなことを言うと、向かい側が何をいうかわからないので黙っていることにする。
「できない分、うんとかわいがってあげたらいいんじゃないかしら、子供のいない私が言ってもあまり説得力ないけど」
「かわいがってるぜ、俺が」
「レックスが、じゃなくてアイラが、よ」
「そのようにはしている。本当は、子供を抱き上げるのも乳母の仕事といわれているが、レックスがこうしてラクチェを手放さないから、時々かわってもらったり」
アイラは機嫌をとり戻すように言い、
「子供はいいぞ。何より、これまでの殺伐とした気持ちが和んでゆく。
 君は縁がないというが、縁もそのうち味方してくれると思う」
「味方してくれればいいけど」
ラケシスはそれにあいまいな笑みで答えた。若葉マークがようようとれるかどうか、まだまだ勉強中の二人である。そしてレックスが、
「だがな、縁は自分で呼ぶことも出きるって、知ってるか?」
と言った。
「そんなことできるの?」
「下手の弓矢だって当たるときは当たる。そう言うもんだ」
ずるずると、レックスは椅子を引き、ラケシスたちの脇に陣取る。そして、オプションにつけてあったおろしにんにくを、これでもかと、二人のタレの小皿に混ぜ込んだ。
「!」
「精力つけて、場数こなしな。今みたいに来たり来なかったりじゃ、みすみすあたり時逃がしてるもんだぜ」
「あたり時って…」
酔ってもいないのに何を言うのかと、アイラが後ろのほうで頭を抱えた。
「そ、そんなこと、あなたに指図される必要ないわよ」
「言ったのは俺じゃない、例のおっさんだ」
至極まじめな顔のレックスに、二人は処置なしと、ほとんどにんにくのタレで肉を食べるはめになる。
「か、から…」
「これは…」

 食後に、程よく温まった牛乳が出てきて、これで少しは口のにおいもましになるという。
「ほんとにましになるのかしら」
帰り道、愛馬の上でラケシスが呟く。胃袋の中がなんだか焼けるようだ。内臓は出なかったが、とんでもない伏兵に出会った。
「胃が痛くない?」
隣で、サブリナに乗ったフィンが
「…少し」
と言う。たぶん自覚している以上に、自分は壮絶なにおいの呼吸をしているに違いないと思うと、帰ったらそのままものもいわずに部屋に立てこもりたいが、そう言うわけにもいくまい。
「お世話焼きが多くて困るわ」
「全くです」
そして、珍しく二人の意見があった。

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