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「何したんだ、あいつ?」
バルコニーから身を乗り出して、その様子をもっと詳しく見ようと、シグルドは木の枝の中に顔を突っ込む。暗くてよくわからないが、エスリンの耳が、心なしか赤く見える。
「よく、見えないな」
さらに枝をかきわけ、その様子を見ようとしたとき、シグルドは、ぐい、と首根っこを引き戻され、おまけにすぱこーん、と何かに脳天を叩かれた。
 目の奥の火花が収まって、中をよく見ると、宴ははや終わる気配を見せて、屋敷の外はこれから帰ろうとしている人々の声がする。
 そのあとから、叩かれた頭がうずいて
「いててててて」
と、頭を押さえたシグルドの真正面に、鞘に収めた聖剣を杖のように持つバイロンが、ぐわ、と押し付けるような雰囲気でにらみつけている。
「なんですか、父上、ご神器を粗末にするとバチが」
「罰当たりはお前だ、この出っ歯の亀め」
「出っ歯の亀?」
「意味などわからずとも良い、自分の部屋に戻れ」
バイロンは、聖剣で、出入り口の方角を指した。

 「いてて」
人生盛りは過ぎたと言えどもマスターナイトの一振りだ、聖剣で打ち据えられた頭にこぶができた。シグルドは、その頭を冷やしながら、ぶつぶつと呟く。
「あんなにお元気なら、跡継ぎの心配などまだ先のお話だろうのに」
礼服がわりの士官学校の制服のまま、部屋の寝台に大の字に寝転がる。
「エスリンがあんなことになって、父上はいっそ私の分もと、まとめてお考えなのではないのかな。
 でも私は、あつらえられた縁談など真っ平だ」
どこかで、自分だけをと待っている人がいるかもしれない。士官学校を卒業したら、その人を探したい。半ばシグルドは本気で考えている。
 堅苦しい制服を脱いで、くつろいだ格好で横になると、一気に眠気がやってくる。
 疲れた。明日のことは明日考えよう。シグルドは、ひとつ盛大にあくびをして、眠りの淵にそろそろと下りてゆく。

 士官学校の夏期休暇は、真夏の間いっぱいだから、予想以上に長い。
「不公平だ」
と、またシグルドが言う。キュアンがそばで
「不公平なことはあるものか」
と言う。
「何で私にだけ、座学の教官から課題が出るんだ」
「とりもなおさず、『ご祝儀進級』だったと言うことだろう」
「ご祝儀進級?」
「本来なら進級できなかったところを、何かの事情で一応進級にしておく、と」
キュアンはそう説明して、
「シグルド、手が止まっているぞ」
と、机の縁をこん、と叩いた。
「君も、まるで頭が回らないわけではないのに、どうしてこう特別扱いになるのかな」
「教官に聞いてくれ」
「休暇前の模擬戦闘会で一等だったおかげで、寄宿舎からの外出禁止は免れたんだ、それは喜んだほうがいいと、私は思うけどね」
「…」
シグルドはそれでも不満ありそうに、ペンの先をインクの中につけたり出したりしている。
「そんな渋い顔をするものではないよ」
「しかし」
「面白い話をしようか」
シグルドの隣で、彼の座学の教科書を読みながらいたキュアンが、本を閉じて言った。
「面白い話?」
「何級か下に、アグストリア・ハイライン王家のエリオット王子がいるのは知っているだろう?」
「ああ…あのエリオット」
「寄宿舎から外出禁止だそうだ」
一瞬、二人は沈黙して、それから大笑いになる。
「ほ、本当かその話は」
「本当だとも、エルトがそう言ってた」
何か口にしようとするとそのまま噴出してしまいかねない顔で、キュアンが言うには、あのエリオットは、教練での評価は最初から期待されていないからそれとして、座学の試験に教科書を持参してきたという。それが教官の目に留まって…ということらしい。
「さすがの私でも、試験に教科書はもって行かなかったぞ」
「だからエリオットなんだ」
「キュアン、何故あんなエリオットが士官学校にいるんだろう」
「…自分より下の話になるととたんに元気だな」
キュアンは今度は苦笑いをする。ちょうど小休止の用意を、エスリンが持ってきたところだった。
「あの、キュアン様」
と、エスリンが(シグルドから見ればらしからぬ)上目遣いをする。
「お菓子焼いてみたのですけど、いかがですか?」
しかしその手は、先にその焼き菓子に伸びてきたシグルドの手を、ばしっ、と叩いている。
「いてっ」
「…キュアン様が先」
そう言う妹の視線は、有無を言わさない。しょうがなくシグルドは、分け前が自分の前に来るまでを待つことにする。
「その話ならシグルドから聞いているよ、いい腕前しているそうじゃないか」
「ありがとうございます、でもやっぱり、直接お試しいただきたくて」
「いいよ」
キュアンが、その焼き菓子をひとつつまんだ。じっと、まるで試験の結果でも聞くような顔のエスリンに、
「なるほど、兄上のお墨付きが出るだけの事はある」
「おいしいですか?」
「これがそのうち、ちょくちょく食べられるようになるのはうれしいな」
「やった!」
やっとエスリンは年相応に、その場で飛び上がって喜ぶ。
「知ってるかシグルド?」
と、課題の紙がいっぱいに広がっているその上に、焼き菓子の皿を置きながら
「煮詰まった頭には、甘いものが一番らしいぞ」

 エスリンは、ちゃっかりと部屋に残って、士官学校の四方山話を楽しそうに聞いている。
「それは、決まってるだろう」
あのエリオットが何故士官学校に? というシグルドの再度の問いに、キュアンはさらっと
「親も本人も見栄っ張りだからだ」
そう言った。
「エルトは性格がら、そう言う話はあまりしないが、ハイラインの、ノディオンへの敵愾心はアグストリア諸侯の中でもぬきんでていると。
 …ああいうアレでナニな王子でも、バーハラ士官学校卒業となれば、ハクもつこうし」
「へぇ」
「エリオットの父上…ボルドー王といったかな…毎年のように、進級ができるよう教官の機嫌をとっているらしい」
「たいしたご苦労だ」
「逆にエルトは、今年がはじめての実家での休暇らしい」
「そうなのか、初めて聞いた」
「専攻が違うからな。私達と違って」
「エルト様って、確かこの夏に立太子されるのですよね」
とエスリンが横から口を出す。
「そうだよ、そのために休暇をとらされた、と彼は言っていた」
「とらされた?」
キュアンのいい口に、エスリンが首をかしげると、それをうけてシグルドは、
「エルトの希望進路はマスターナイトだから」
という。
「マスターナイトっ…て」
エスリンがくるん、と目をしばたく。
「お父様みたいな?」
「父上は違う。長年の忠誠を、アズムール王が評価されて推薦されたものだよ」
「それはわかってます、でも」
「修養を積んでなった例も、ないわけではない」
キュアンが、シグルドが説明しにくそうにしているのを変わりに受けた。
「エスリンにも、素養があればなれるが…どうする?」
「どうする…って」
エスリンは、しばらく考えた後、
「私には無理です。これからキュアン様のところにゆくと言うのに、そんな修行できません」
ぷん、と、てれかくしか、二人から視線を背けるように言った。
「とにかく、厳しい規律の中で、自分を律して、教練と修養を積むのに、士官学校以上に最適な場所はない」
キュアンはそういって、エスリン手製の焼き菓子を、またひとつ口の中に入れた。
「夏季の休暇の間、学校から外出禁止命令さえ出なければ、こうして家にいようがとがめられることではない」
「そうね、現にお兄様は毎年こうしてますし」
「逆に、望めば帰らずにいることもできる。しかし、エルトがその道を選んだ理由は、いくら親友の私達といっても、教えてはくれない」
「…そうなの?」
エスリンがシグルドの方を向く。シグルドは
「キュアンに、言いたいことを全部とられた」
といった。が、やおら向き直って、
「あれの立太子式典って、いつだっけ」
キュアンに尋ねる。キュアンがそれに
「招待状には、彼の誕生日だとあったが。…八月の、何日だったかな」
そう答えると、
「キュアン、耳を貸してくれ」
シグルドは、指で招き寄せた。
「貸してもいいが…ちゃんと返せよ」


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