back

僕(ら)の夏休み


「しかしほんとうに、…嘆かわしいと言うか」
士官学校が、夏の長い休みに入る。この季節になると必ず帰ってくる息子の、その手紙を読んで、公爵バイロンは、やりどころのない複雑な心境を長い長いため息で締めくくる。
「いかがされました、旦那様」
と、隣に控えていた執事が無視しきれずに尋ねると、
「いつものことだ」
バイロンは投げやりに言う。別送されていた、士官学校からの成績表を読み、
「剣術・槍術については問題なし。しかし座学はぎりぎりか」
そう呟く。そして、気が付いたように執事に、
「シグルドからの便りだ。この夏はレンスターの王太子殿下がここにお留まりになる。いつものように準備を」
「…かしこまりました」
「エスリンに、新しい夏物を仕立ててあげるのも、忘れるなよ」

 「ただいま戻りました、父上」
そしてシグルドは、親の心配などどこ吹く風で帰ってくる。
「この夏も、また騒々しくなりそうだな」
バイロンは、それに、苦々しくなりきれない顔でこたえる。少し大事に育てすぎたか。そんなことも思う。
「閣下、今年もお世話になります」
下馬して、簡単に立礼をするキュアンに、
「また息子が無理を言いましたかな」
というと、彼は
「いえ、今年は、私から彼に」
と答える。その内側の機微を感じて、
「然様ですか、ありがとうございます」
バイロンは、深々と、若い王子…そして未来の娘婿…に礼を返し、
「お疲れでしょう、奥に用意をさせておりますので、まずはお休みを」
「ありがとうございます」
「じゃあ私も」
と、その後をついてゆこうとするシグルドの首根っこを、バイロンは
「たわけ」
と捕まえた。
「うげっ」
勢いシグルドはのけぞる形になり、
「何故ですか父上、私だってここまで飛ばして疲れてるんですよ」
「お前、去年のことを、もしや忘れたとはいわぬだろうな」
後ろからバイロンがそう言うのに、
「はて、なにかありましたっけ」
と、飄々と返す。
「もういい、話が進まぬから全部言おう」
バイロンは、そのまま息子の首根っこを掴んで、自分の執務室に、引きずるように連れて行った。

 「去年と言えば、お前」
背後の壁に燦然と輝くティルフィング。それを守るように、執務室の机に座ったバイロンは、
「ありがたくも、キュアン王子がエスリンをお見初め下さって、婚約が成立した年ではないか」
「ああ、そんなこともありましたね」
「お前、少しは焦りがないのか」
「焦りですか」
「そうだ。
 お前はいつまで、あとは老いるだけの私に、このティルフィングを守れと言う?」
バイロンは言いながら、背後にある聖剣を指す。
「何をおっしゃいます、父上はまだまだお元気ではないですか」
「そう言う問題ではないわ」
「ではどういう話なのです」
「いつになったら、私はお前の嫁の顔を拝めるのだ」
やっと話が本題に入る。シグルドはきょとん、として、
「その話は、もう少し先のことにしていただけませんか」
苦笑いともつかない顔をした。
「まだ士官学校も卒業していない身ですよ、まだ半人前の私に、その話は重すぎます」
「重いことなど少しもあるか。
 お前とほとんど年の変わらぬキュアン王子が、ああしてご自分のお相手をみつけておられると言うのに、お前は何をしていたんだ」
バイロンが畳み掛けるように言うと、シグルドは
「士官学校におりました」
という。バイロンはその一言に、盛大に脱力する。
「父上、手紙を読んでくださいましたよね、休暇前の模擬戦闘会で一等をとったんですよ、私のような息子があって、父上は幸せだと、教官もみな」
「わかったわかった、お前に期待した私が馬鹿だった」
シグルドはまだ話したりない風情であったようだが、バイロンは
「自分の部屋に戻って、少し休め。
 夕方には王子をお迎えする舞踏会があるから、その時間は守れよ」
そういって、執務室から、文字通り、シグルドを押し出させた。
扉が閉まるのを確認して、バイロンは聖剣を仰ぐ。
「まったく嘆かわしいことですなぁ…」

 士官学校には卒業までの年を数えたほうが早いほど長くいるシグルドのためにと、シアルフィでこれと見定めた良家の子女は何人もいる。
 王子歓迎のレセプションは表向きのこと、その真の主役はシグルドだと、本人はおそらく…気がついているまい、あの分では。
 今年こそはと気負って装い、公爵嫡子の前で精一杯の媚をにじませながら招待を受けた礼をする子女達を、シグルドは
「彼女たちも、年を追うごとに美しくなりますね、周りが放っておかないだろう」
の言葉でさっくりとかたづけて、あとは、その子女たちの父親を見つけては、武術談義に花を咲かせてしまう。
「…」
バイロンは、用意されていた椅子にかけて、とほほ、とでも言いそうな顔で頭を抱える。
「バイロン卿」
と声がかけられて、ふと顔を上げると、
「何をお悩みですか」
キュアンがいた。

「シグルドも親不孝な」
バイロンの嘆き節を一節聞いて、キュアンはやり場のない笑いをかみ殺すように言った。
「許婚など決めておけばよかったと、今は親馬鹿を反省することしきりです。
 大切に育てすぎましたかな…なにぶん、直系男子が最初に生まれたと、舞い上がっておりましたからな」
「…卿のお考えも一理ありますが、おそらくシグルドは、誰かがあつらえた縁談は、これからも拒否し続けると思いますよ」
キュアンの言葉に、思わずバイロンは、立ち上がり、
「それでは、私にも言えぬあたりに、どこかお心当たりでも?」
と、キュアンに掴みかかるように尋ねるが、キュアンは
「残念ですが」
といい、バイロンは「そうですか…」とまたぐったりとした。
「ただ、シグルドの中で、機が熟していないだけですよ」
キュアンはそれに、なぞかけのように言う。
「とおっしゃりますと?」
「なぜかは私も聞いていませんが、彼は『運命の出会い』のあったときこそその時と、自分を律しているようです」
「運命の出会い、ですと?」
「はい。シグルドの中で何かが納得しない限り、解決し得ない問題なのでしょう」
「まったく…エスリンみたいな少女でもあるまいし、そんな夢みたいなことを言っているヒマが」
バイロンは給仕からひったくるようにワインのグラスを取り、それを一気に飲み干す。
「卿がお焦りになるのもわかります。
 ですが、その件について、余りシグルドを責められぬよう…いつか彼も思いなおすことが、ないでもわかりませんから」
「できるなら、早く改心してもらいたいものですな、こちらとしては」
「私からも、それとなく、言っておきましょうか」
「恐れ入ります殿下…」
「それまでは、私達の子でご辛抱ください、義父上」
冗談でもないような顔をして、キュアンは、背後からエスリンが呼びかける、その声にしたがっていった。

 「退屈だ」
自分に興味ある話が尽きてしまうと、後は何をするでもなく、シグルドはバルコニーのひとつに出て風に当たる。
「…エルトも来ればよかったのに」
と呟いてみる。しかし、そのエルトは、自国で立太子式典があるからと、華麗にその申し出を断ってきた。かといって、呼べそうな友人はみな自分の帰る家がある。
「あーあ…」
椅子に、盛大に手足を投げ出して、無言で無聊をかこっていると、隣のバルコニーに人の気配がする。
「…キュアンじゃないか」
シグルドはバルコニーまで届く木の枝に体を隠すようにして、妹と友人のやり取りがどんなものか、聞いてみることにした。

 そのバルコニーは、ふたりが入ってちょうどいいほどの広さで、キュアンに手をとられながらエスリンが入ると、そこから中へ通じる扉が閉まって、後は二人きりだ。
「去年の話が昨日のようで」
去年までは帰ってくれば後先になって一緒に遊びまわった妹が、友人の前ではしおらしくしているのに、笑いが出掛かってしまう。
「私もびっくりしてるよ、去年は、卿より先に飛び出して、私達を出迎えてくれたのに、今年は奥で待っててくれたなんて」
「本当は、そうしたかったのですけど…とめられてしまったのです。もうお嫁に行くのが決まったのだから、子供しい出迎えはいけません、て」
「それを守ったのだね。去年までならかんしゃくしてそんなことできないと、きっと言ったはず」
「もう、いつまでも私そんな聞き分けのない子供じゃありません」
そうして聞こえてくる笑い声。シグルドにしてみれはば、何であんなじゃじゃ馬がキュアンと、と理解不可能この上ないのだが。
「それよりも、キュアン様」
「何?」
「新しい服…おかしくありませんか?」
「全然」
「こんなに胸元が開いたの、初めてで…」
「仕方ないよ、君はもう子供じゃなくて、貴婦人の仲間入りをしたのだから」
「でも…」
「しょうがないな」
キュアンは、困っているらしきエスリンを前に、薄ら笑いをして隠しを探る。そして、
「つけてあげるから、後ろを向いて」
簡単なペンダントひとつだったエスリンの胸に、いかにもな首飾りがかかる。
「そこの扉のガラスに映してご覧。これで少しは恥ずかしくないだろう」
「わぁ」
おそらくは目を丸くしているエスリンを、キュアンは実に満足そうに見て、
「去年は忙しくて、たいしたものが用意して上げられなかったから」
という。
「その代わり、このペンダントは、私が君と思って持っていてかまわないね?」
「はい」
二人の距離が近くなり、ふと言葉がなくなる。ややあって、
「おっと」
とキュアンが顔を上げた。
「紅がずれてしまった」

next
home