話を整理すると、こういうことらしい。
アゼルと似たような悩み事のあるフィンのために、キュアンがマディノの城から行きがけの駄賃にかっさらってきた(「戦利品といいたまえ」)イザーク語の房事指南書の類の本を、教えるか読ませるかのために、彼はアイラにその翻訳を頼んで、出来上がってきたから早速その中身を見てみようじゃないか。と。
「何しろこの男は」
フィンのローブを引きずるように場に連れ戻すキュアンは、
「自己鍛錬の経験を含めた男の生理現象に全く無頓着で」
ぐさっ
「ノリと勢いで愛しの姫を寝台に上げたはいいが」
どきっ
「するべきことを何も知らず、挙句に向こうに教えられて」
ざくっ
「いたそうとしたその直後に暴発したという苦い経験があってな」
ばっさり。
「あのぅ…フィン、泣いてますよ」
アゼルが、部屋の隅を指す。キュアンがつかんでいた空のローブの向こう側、フィンは部屋のすみで面々に背中を向けて打ちひしがれている。
「生真面目を通り越して、よろしくない言葉が上につくほどの真面目だったのが裏目に出たな」
「生真面目でいいと仰ったのはキュアン様ではありませんか」
「俺は時期を見計らって多少は不真面目になれといったはずだ」
フィンの必死の声を、キュアンは一言で断じて、
「そのために、アイラ姫にまで恥ずかしい思いをさせてしまったのだからな。
これで首尾よくいってもらわないと、俺は天国のエルトになんと言ってわびればいいかわからん」
「…王女は、その兄上を失われた喪失感からまだ抜け出せないでおられるのですよ。
今はその心の傷を癒すべきと、私は思いますが」
ローブを付け直して、フィンは憮然と言う。
「ふぅん」
おそらく、その王女のもとに行くのであろう、すた、と面々に向けた背中に、レックスが言う。
「そうやって大義名分つけて手をこまねくから、風がふいて桶屋が儲かる理屈でアイラが苦労したわけか」
「そ、それは…
後でアイラ王女の所にもお伺いして」
「貴女のおかげで首尾よくできましたとでも報告するのか、それは真面目じゃなく、バカっていうんだ」
「だな」
キュアンが、言いたいことを全部言ってくれたと満足そうな顔をする。
「そのうち、ほんとに誰かにもってかれるぞ」
レックスの方が機嫌悪そうに、椅子に座りなおした。そのとき、
「あれ? 悪いところに来ちまいましたかね」
と、扉からひょこりと出てきた顔がある。キュアンがその顔を見て、
「ベオウルフか、どうした?」
「奥様がお呼びなんで…」
「エスリンか…たぶん、他愛ない話だろう。
今は、それに付き合う気分じゃないな」
キュアンは言って、ベオウルフに中に入るように手招きをする。
「何でしょう」
「いや、用と言うほどのものではない。
たまには上もなく下もなく、そういう話もいいかと思ってね」
キュアンは言って、一緒についてきたらしきメイドに帰るよう言い、
「さあ、少々多いが役者は揃った」
と手を叩く。ベオウルフが
「一体何が始まるんです?」
困った声を上げる。それはレックスやアゼルも同じらしく、変なことに巻き込まれたぞ、とでも言いたそうな顔をした。キュアンは、そういう外野を見てみぬ振りをして、
「清く正しいプリンセスへのチェックメイト講座だよ」
と言った。
「何だ、そういうことか」
「ちなみにこの講座は、アゼル君の技術向上講座もかねている」
「あ、あはは」
自分に話を振られては、アゼルも笑うしかない。
「楽しそうですね、キュアン様」
「楽しいぞ?」
結局、退路をベオウルフにふさがれる形になって、フィンは実に忌々しそうな声を出した。
顛末を説明されて、ベオウルフは一人腹を抱えて笑っている。
「なんだ少年、アレからまだ何もなしかよ、そりゃ姫さん怒るわ」
「ん、なんだベオウルフ、話を聞いていたのか」
「まあ、少しは。こっちで仕切り直できしたかと思ってほうっておいたら、姫さんの顔がだんだん恨みがましくなっていくもんで、気にはしていたんでさ」
「女性の方が耳が早いからなぁ」
「結局そうやって、最後は皆さんで私をお笑いになるんでしょう」
というフィンの声は、もう悲痛そのものだ。
「もう放っておいてください、私は明日にも、礼拝堂で純潔の誓いを立てに行きますから」
彼らしくない開き直りだ、いや、居直りとでも言うか。アゼルは
「僕も君を笑えないよ、下手の一言で僕を否定されちゃったんだからね」
と言うが、聞いた耳ではないようだ。
「あまり話を極端にしないで、これからの話を聞いてからでも、いいんじゃない?」
「そうだ。
そうしてもらわないと、アイラの苦労が無駄になる」
周りからそういわれて、フィンはしょうがなく、適当に椅子を引きずり寄せる。
「まず言っとくが、俺もお前を笑うつもりなんかないぞ。
一度でも体を許すという、女性の勇気を知っている身としてはな」
キュアンの言葉に、レックスがうんうん、と頷く。
「うまくいかなかった自分を恥じる気分もわからないではない。だが、一度の失敗で引っ込むお前か? 違うだろう」
「…」
「さあ、真面目な話はおしまいだ」
キュアンがにやりと、つづられた紙束を取り出す。
「女性の耳が早いというなら、われわれもそれに追いつかねば」
「ふむ、『房事とは、小において子をなし家庭を円満にし、大において国民を増やし国力を増強し、さらに大なるものは、王統の保持の基なるべし』
…アイラ姫は何年前のグランベル語を習っておられたんだ」
「普段の口調がああですからねぇ」
「まあ、コレぐらい硬いほうが講義らしくていい。
『第一に、両性の同意なくしては、房事たるとは言えず、その意思に偏りあるは、罪なくして罰を与えるに似たり』
このへんは緒論だな、もう少し先に行くか」
キュアンはパラパラと紙束をめくり
「ふむ。
『おおよそ、なりなりてなりあまりたるもの、その形のありよう目につきやすきものなれば、なりなりてなりたらざるもの、なりたらざるがゆえにうちにこもりて、見ること難し。
図のしかしかを見よ』」
「わからねぇですね、そのなりなりてなんたらってのは」
ベオウルフが首をひねると、アゼルは
「完全にできあがったけれども、余ってしまったものっていう意味だけど、この場合は男のことかな、そっちはよく見ることはできるけど、完全に出来上がったけど足りないところ…女性だね、足りないからこそ内側にあってよく見えない、って」
「坊ちゃん達は学がありなさるねぇ」
そんなことを言いながら、広げられた原本の指示された図を見る。が、面々の顔はなんか煮え切らない顔をした。
「なんか、違う」
「違うっスね」
「この本の図表を描いたものは、本物を見て描いたのか?」
ベオウルフも、その図を覗き込んだが、たしかに、言われてみれば違うかもしれない。もっとも、本物など、最近拝んだのはいつだか忘れたが。それでも、目をそむけてしまっているフィンを見つけて、
「見とけ、本は食いつきゃしねぇから」
と、頭をがっちりおさえた。
「本物は食いつくがな」
と冗談を言う間にも、面々は図のあちこちを指して、ここはどうだ、そこはこんなだ、と言い合う。しまいには、城にある図書室から医学書を持ち出してくる。
「ああ、こっちの方がもっと本物らしい」
キュアンがにや、と笑った
「さて。
『図にあるはおおよそにて、皆が皆同じ形にはあらず、いささかの形の違いを取り上げて笑うは、各々がなり余れるものの形の大小を笑うに似たり、よくよく慎むべし』
つまり、比べるなってことだな」
「比べるも何も、問題は形じゃないっスからね」
「そのとおり」
その後、その「なり足らざるもの」の各部名称についての話が続く。この各部名称についてのそれぞれの印象については、ここでは筆を控えることにしよう。
「まあ、本に書いてなくともわかることだとは思うが」
キュアンは図の一点をさし、
「ここが神秘の入口だ」
と言った。
「そして神秘の出口でもある。
想像できるか? ここから赤ん坊が出て来るんだぞ」
「いやあ、まだ実感はないっスねぇ」
レックスがうなった。
「体そのものすら、真っ暗の中ほとんど手探りですから、あいつの場合」
「まあ、イザーク一級の淑女ならそうだろう。まあ、春を楽しみにしよう。
そろそろ耳も目も慣れたか?フィン」
キュアンが脇の部下にそう問いかけるが、すでに固まっているような気がしないでもない。
「仕方ない、生真面目を許した俺の責任もある」
しみじみ言って、正気を促すと、フィンはにわかに目の焦点を取り戻して
「何でしょうか」
と言った。
「あまり気絶をしてくれるなよ、頼むから。
ここからが一番大切なんだからな」
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