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BOYS'SICK
おしゃべりなセキレイたち

 セイレーン。
 雪もかぶらないほど海風に近いこの城は、今、にわかにだが、ささやかに活気を取り戻している。
 王妃ラーナが、この城に客人を迎えたのだ。それも、何十人とない、流浪の旅団一つ。
 はじめ、その旅団の面々は、悲痛な面持ちであった。信じていた国におわれ、いまは寄る辺のない身…
 しかし、そんなことなど、忘れてしまうほど、この城は暖かく彼らを受け入れた。
 暖かすぎて、めまいがしそうなほどに。

 旅団の面々は、そのほとんどが、いずれもシレジアでもそれなりに重く扱わねばならない他国の高貴な子弟である。そういう身分のものたちを、恥ずかしくなく出迎える部屋はいくつでもあったが、その一室の中。
「あれ? もう帰っちゃうんだ?」
と、寝台の中で声がする。掛け布団からするすると、柔らかく波打つ銀色が動いて、いままさに出ようとしていた恋人を見咎めた。
「帰るよ。だって、本当は、また君にとられたチェス盤とりに来ただけなんだから」
極上の赤を光にすかしたような瞳が、そうやって答える。
「だーってぇ、はやくアゼルにおいつきたいんだもん」
銀の髪をくるりと結いなおして、ティルテュはむくれた顔をする。
「教えてもらいたくっても、アゼルはなかなか教えてくれないし」
「あれ、僕そんな薄情なことをしたっけ」
「してるわよ。教えてもらいたくて、盤もって来て待ってるのに、チェスじゃなくてこんなことになっちゃうんだもん…
 変よ」
「文句言う前にさぁ…服、着てよ」
アゼルは振り返りにくそうに苦笑いをする。しかし、裸で文句を並べられるほど、この城はどこも暖かいのだ。
「目のやりどころないから」
「もうっ」
ティルテュはやけっぱちのように、投げられていた服を着なおして、
「確かにさ、アゼルはチェス上手だよ。
 でもさ、言わせてもらうけと、」
と、後はゲームを始めるだけに駒を並べたチェス盤から駒を全部しまい、盤ごとアゼルに押し付ける。
「ベッドの中は、逆ね」
「え」
盤を両手に持って、アゼルはぽかん、とした。
「だって、それは仕方ないよ、…まだ、君とは、数えられるぐらいしか」
「まあたしかに、ちょっとお遊びがすぎた私に、こんなことを言われるのもシャクでしょうけど」
ティルテュはにんまり、と笑って、
「もう少し、勉強したほうがいいよ」

 帰り道、アゼルはその言葉を咀嚼できかねていた。
 確かに、初めて同士だと思っていたティルテュは、後になって「実は…」と、些少の火遊びがあったことを告白してきた。別に、彼女ほどのコなら、そんなこともあっても驚きはしないが、その彼女が「もう少し、勉強したほうがいいよ」とことさらに言うのは何故?
「僕、下手なのかな」
ぼつりとつぶやいてみる。
「でも、下手も何もないよ、チェスで言えば、ティルテュほどの腕前しかないんだ」
そしてそう自分に発破をかけて、アゼルはまた廊下を歩き出す。
 目指すは会議室だ。あそこなら、誰か、この煮え切らない気分をどうにかしてくれる人がいるだろう。

 「はーはっはぁ」
会議室に入るなり、聞きなれた笑い声がした。
「はまったな、さあ、どうする?」
会議室といっても、軍議などする必要もないのだから、椅子も机も片隅に重ねてよけられて、使いたいものが使いたいだけ出して使うようになっている。
 そして、数個乱雑におかれた机の一つで、ちょうど、チェスの勝負が行われていた。
 いや、勝負と言うよりは、指南と言うか、一方的に遊んでいるというか。自分の駒をどう動かしていいものやら、困っている相手を放り投げるようにして、
「おや、アゼル君じゃないか」
と言ったのはさっきの笑い声の主でもある。
「すまない、君の敵手は今訓練中だ」
と横をちらりと見て、それからアゼルをみて、
「顔色が悪いな。風邪でも引いたかな?」
と言った。
「あ、僕のことならお構いなくキュアン様。風邪を引いているわけでもないし、僕は僕でひとりでやってますから」
アゼルはそう答えて、近くの机に盤を置き、駒を取り出す。こうしていると、ヴェルトマーの城の中で、自分に手ほどきをしてくれた兄を思い出すけれど、今ははるかに遠い。今にきっと上手くなるからと、あつらえてくれた盤と駒なのに。
「はぁ」
ため息をついた。そして、隣で行われている勝負を見てみる。
 キュアンの駒の配置は絶妙だ。相手になっているフィンは、どこから攻めていいのか、珍しく眉根を寄せて、ためつすがめつしている。一見しただけのアゼルでも、どこからこの配置を崩せるか、すぐにはわかりそうもなかった。
「君ならどこから攻める?」
キュアンにそう聞かれたが、アゼルはすぐに、それは無理と言う代わりに首を振った。
「でも、こんな訓練が続くようじゃ、じきにフィンにも追い抜かれるかも知れない」
「さあどうだろう。これが終わったら、君も少し見てあげようか」
「あ、ありがとうございます」
駒をそろえては見たものの、動かすこともできず、たださっきのティルテュの言葉が頭に回る。
「…何がいけないんだろう」
そんな呟きを、キュアンは聞き逃さなかったらしい。椅子を移してきて、
「どうやら、悩みは盤の上にはなさそうだね」
と言う。
「助けになろうか?」
「あ、でも、フィンは?」
「あのままじゃ、小一時間はかかるだろうさ。一つだけ隙間を作ってあるんだがな。見つけられないようじゃ、まだまだアゼル君の相手には十分だと思うよ」
「はぁ…」
しかし、アゼルは話を向けられても、切り出しにくい話題に迷った。ああいうティルテュをうならせる何か方法はありますかと、こんな場所でいえたものか。
 しかしキュアンは、人生の年季の分だけ、察しがいい。
「悩みはティルテュ嬢のことかな」
といきなり図星を射抜かれて、「は、はい」と返答してしまう。
「でも何故おわかりに?」
「エスリンはあまり話にはしないが、別の方向から聞こえてきたからね。最近特に仲がよくなったらしいじゃないか、おめでとう」
「あ、ありがとうございます。
 でも」
「おや、もうケンカでも?」
やんわりとした笑みを崩さないキュアンに、アゼルはふと、相談ができるかもしれないと思った。
「…聞いていただけますか」
「いいよ」

 アゼルは、先刻あったことを手っ取りばやく打ち明けて、
「ティルテュに悪気はないことはわかってるんです。でも、なんかこう…ひっかかるものがあって」
「なるほどね、勉強してこい、か」
キュアンはうむ、と一つうなった。
「ハナから所作だけは心得ていたんだから、後は経験だけだと思うがね」
「ええ、悪友のおかげでそれは」
アゼルが返すと、
「何だ、悪友ってな俺のことか」
と、その背後で声がして、アゼルの心臓が跳ね上がる。
「おや、レックス、いいところに」
キュアンが大様に出迎えるのを、アゼルはレックスの胸倉をとって、
「れ、レックス、今の話、聞いていなかっただろうな」
「何の話だよ。ティルテュに言い負かされたって、今の話か?」
「聞かれたか…」
アゼルはへなりと腰を落とした。
「何だよ、悪友なら聞かれて困る話じゃぁ一向にないだろう」
「心理的な問題だよ」
「まあ、その話はこの後ゆっくり聞かせてもらうことにして」
レックスは、もっていた紙束を、机の上において、
「アイラからご大層な恋文、届きましたよ」
と言う。
「続きはまた、と」
「ああ、早速やってくれたのか…春すぎには子供ができるのに、変なことを頼んですまなかったと言っておいてくれないかな」
「了解しました」
バーハラの宮廷ではやんちゃでならしたレックスも、キュアンの前ではおとなしい。もっとも、戦場でのこの王子の奮迅ぶりを見れば、ケンカしたら最後だとは思うだろうが。
「それ、なんですか」
アゼルが聞くと、キュアンは、紙束をぺらぺら、とめくって、
「なるほど、興味深い」
とつぶやくように言った。
「なんスか一体?」
と、レックスも覗き込む。
「おや、レックスは見てないのか」
「いや、アイラのやつ、俺が見ると隠すんで」
「さもありなん。
 実は、マディノの禁書庫で、こんな本を見つけてね」
キュアンは、原本らしきものをついと二人の前に押しやる。イザークの紙を綺麗に畳み重ねて、糸で製本してあるもので、表題らしいものもついているが、もちろん、イザーク語なので、二人には読めない。
「中を見ればどんな本かわかるよ。それを承知で、アイラ姫に翻訳を頼んでいたんだから、レックスに見せたがらなかったのもわかろう」
二人はその本を広げてみた。イザーク語は縦に書くとは聞いていたが、文と文との間についている図で、二人はその本の内容を察した。
「たしかにコレは禁書庫ものかも…」
アゼルがつぶやくと、レックスは
「いや、そんな感じはしないな。禁書ってほどじゃない」
そういう。キュアンは
「まあ、こっちにもいろいろ思う所があってね。
 アゼル君の悩み事もある、ちょうどいい」
キュアンは、アゼルのチェス盤の上に、ナイトとクイーンを隣り合わせて置いた。
「コレを教科書にして、チェックメイト講座といこうじゃないか」
そして、また駒を一つ取り上げて、あさっての方向に投げた。
「逃げるな当事者!」
「!」
駒はあやまたず、「標的」の後頭部に当たって、ごつ、と予想外の音を立てた。うずくまる「標的」をにんまりと見て、キュアンは
「…アゼル君の黒駒は黒檀製か、ちょうどよかった」
そういった。

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