back

「よかった。俺は一人じゃなかった」
「そうよ。こんなところであなたに出会えるとは、私も思いませんでした」
「俺も。
 でも、国王の妹っていうあんた…じゃない、おば上が、なぜこんなところに。
 開けるよ、事情を話して、出してもらおうよ」
「アレス、それはダメよ。今の私は、身分を隠しているの。もっとも、ブラムセルはお見通しらしいけれども」
「でも」
「アレス」
私は、鉄格子から手をさし伸ばして、アレスの手をしっかりと握った。
「私は、あなたがこうして、無事で元気でいることをこの目で見ただけで、私の背負ってきた仕事は、終わったと思っているわ」
「仕事?」
「そう。私は、あなたは無事お姉様のところで預けられていると聞かされて、安心していたら、不思議な事件が起きて、私がレンスターに行ったころには、もうあなたがいなくなって…」
「ずっと、探していてくれたのか」
「会えることが出来るだけでもいいと思ったわ。
 こんなに大きくなったあなたと、話まで出来るなんて、おもわなかったけれども」
「でもおば上、俺はどうしてレンスターに?」
「そうね…」
私は、私が見てきたアグストリアの動乱を、できるだけ、知っているだけアレスに話してあげたかった。手紙を手元には残してこなかったけど、覚えるほどに読んだその文面を、伝えることはできる。
「あなたは」
そう言いかけて、
「おらチビ、油売ってんじゃねぇ、その部屋の女をだしな」
と言う声がして、私たちはそのほうを見た。
「やっぱりおば上、売られるんだ」
アレスは、当惑した顔を私に向けている。私は、そのアレスを心配させないように、精一杯笑んだ。
「私のことは、何も心配は要らないわ、あの人たちの言うとおりにして」
かしゃん、と、外からかけられた鍵をはずして、アレスが私の手を引いてくれる。
「ブラムセル様がお呼びだ」
男たちが言う。
「はい」
男たちは、私の前後と左右を固めるように歩いている。縄も枷もかけないのは、ブラムセルが傷をつけないように指示でも出しているのだろう。こんな薄い壁、すり抜けて逃げ切ることは訳はないけれども、それをして、どんな得になるだろう。
 アレスが生きていたからと言って安心してはいけない。アレスが生きていたのがわかった今となっては、次の目的地が私を待っている。私は、生きなければいけない。
 が。
「やめろ、その人を連れてゆくな!」
と、アレスの声がした。と同時に、吹き飛ばされそうな威圧感。振り返ると、アレスはずっと背中に括りつけていた魔剣を、鞘を床に投げ落とすように抜き払い、翠色に輝く黒い刀身を私たちに向かって突きつけようとしていた。
「その人を、連れてゆくな!」
アレスがもう一度声を張り上げた。男たちは、アレスの剣幕に多少ははたじろいだものの、
「売り物であろうとなかろうと、ここの女に手を出すのはご法度だと、お前もしってるだろう」
「とうとう色気づきゃがったな、まあそうかりかりするなよ、筆おろしならいい店紹介するぜ」
「そんなんじゃない!
 その人は…その人は…」
アレスは言いながら、震える手で切っ先をなおも突きつけてくる。男たちは意にも介していないだろうが、その抜き身の魔剣の威圧感に、私は立っていられないほどの背中の痛みを感じていた。
「アレス、やめなさい、その剣はこんなところで抜いていい剣ではないのよ!」
「でも…でも…」
私は、這うようにアレスに近寄り、魔剣の鞘を拾い上げた。そして、魔剣を静かに、その中に収める。威圧感はなくなって、また、魔剣はおとなしくなった。
「この剣は、王が振るう剣なのよ。本当に守りたい人のために、抜くものよ。
 私は、もう、たくさんの人に守られているから大丈夫。
 でももし、リーンが危なくなったとしたら、そのときは、この剣を抜いてもいいのよ」
「…おば上…」
アレスの、兄と同じ色の瞳から、大粒の涙が落ちる。私はそれを指でぬぐってから、
「ヘズルのご加護がありますように」
また、男達に囲まれて、諾々と歩いた。

 進んでゆく道は、どんどん、下り階段になってゆく。そのうち、窓もなくなり、湿った特有のにおいがひんやりと漂い始め、地下に入ったことを教えてくれた。
 そして、入らされた部屋には、ブラムセルと、黒衣の男がいた。
「どうですかな、この女などは」
ブラムセルが、ごろごろと笑った。男は、私の周りをためつすがめつして、
「ほお、これはこれは」
などと声を上げている。
「いわくつきですぞ」
ブラムセルは男を招きよせて、なにやら耳打ちをした。
「ほーぅ、この者が」
男は、それこそ高貴な目で私を見た。
「しかし…『アグストリアの至宝』ならば、そのままブラムセル殿がここにおいておけばよいものを」
と言うと、ブラムセルは
「まあ、至宝ではありましょうが、それも一昔前の話。
 それに、私は、女に限れば一度他人のものになったものに興味はありませんからな」
「ほお、それはおもしろい」
「しかし、子をなしてその容色、司教様の『実験』にはまたとない素材と思いますがいかに」
「いや、我らが敵ながら、光の世界がうらやましくなりますな、しかし、闇にも闇のよきところがある。闇の世界に触れて落胆した顔も、また美しかろうて」
黒衣の司教は、ブラムセルが差し出した紙にさらさらと署名をした。
「さて司教様、これでこの女は司教様のものですぞ、いつものように、物資はイードに送り付けさせますゆえに、それはおまけと思って」
おまけ、か。私はつい口をゆがめて苦笑した。
「かたじけない。では…」
黒衣の司教は私の側により、ぶつぶつと何かを呟く。瞬間、私の足元には魔法陣がゆらめき、私の目の前は、ただ青白い光がゆらゆらと照らす部屋にいた。

 「ここは、どこ?」
私はつい聞いていた。
「イードかしら?」
「そんな物騒なところに、大事な実験の素材を投げ込むバカはおらぬよ」
光にくみする輩は知るまいが、と、黒衣の司教は言う。
「イードに暗黒教団のすべてがあると思うのは間違いもはなはだしい。暗黒教団の中枢はもっと別の場所にあり、イードはただ、暗黒教徒が集まっている場所にすぎん」
いや、集められているといったほうが正確か。黒衣の司教は、あっさりと、教団の中のことを私に言う。私も興味ををそそられて、
「集められているって、誰の指示で?」
すると、黒衣の司教はうなるような低い笑いをして
「知りたいかね?」
と言った。
「知ったら、きっと天と地がひっくり返るような困惑の快感を得ることが出来るぞ」
「じゃあ、やめるわ」
私はあっさり引き下がった。ただでさえ辛気臭いところでこれ以上気の滅入る話は聞きたくなかった。
「そのほうがよい。利口な奴だ」
黒衣の司教は、こんどはくくく、と声を上げて笑った。
「ここは砂漠にある私の隠れ場所だよ。
 宝箱は、こういうところにこそ隠さねば」
「宝箱、ね。お世辞でも嬉しいわ」
社交儀礼のつもりで、私は精一杯笑んでみた。

 暗黒教団にくみする人間は、皆暗黒神に心酔して、血も涙もなくなったようなものばかりだと思っていた。しかし私を買ったこの黒衣の司教は、最低限、人間として私を扱ってくれる。もしかしたら、どこにでも一人はいる変わり者にたまたま当たっただけかもしれないけれど。
 黒衣の司教は、問わず語りに言う。
「暗黒神にささげる魔法を極めようとしているのだ、イードのような雑踏では、集中が出来ん」
「どんな魔法?」
「お前がそれを知る必要はない。むしろお前は喜ぶべきだ」
「…どうして」
「その魔法は…
 いや、やはり、知らぬがよかろう」
そのときだけ、彼の言葉の歯切れは悪かった。
「しかしお前にはいまだエーギルがみなぎっておる。私の魔法も、きっと成功しよう」
 私が、その魔法が何であるかを知ったのは、何日かして、満ちた月が冴え冴えと照らす夜のことだった。
「よい月夜だ」
黒衣の司教はそういって、私の手を引く。大小の建物に、青白い月が濃く陰影をおとして、町の中にはない不思議な神秘さを漂わせていた。誰かに見せてあげたいような、神秘さと、荘厳さ。
「綺麗…」
呟くと、
「そう、その景色をよく、目に刻んでおくがよい」
水のかれたオアシスの跡。ここは、水脈を失って、見捨てられた町なのかしら、その町の、大きい建物の中に、私は手を引かれて入った。
 おそらく、小さくても、教会として使われていた建物に思えた。でも、見捨てられた教会には何もなく、祭壇として使われていたのだろう、石の壇だけが残されてあって、私は、彫刻がまとうような布をまとって、そこに横になるよう指示された。
「目をつむっておれよ」
と黒衣の司教は言い、私の髪の流れや衣装のひだなどを整えているよう感じがした。
 その指が触れる感触が全くしなくなったとき、私はうっすらと目を開けた。顔を動かさないように視線だけで左右を見ると、黒衣の司教は、杖を立てて、何にかの祈りをはじめた。
<ロプトウス、普き闇の御主、御身の業なす我に祝福と力を。
 汝、生命の輪から外れ出でるべし。御主の嘉する闇と静寂の中に身を移し、とこしえの眠りを与えん。
 生きながらの眠りが御主の御名の前に、平らかに、安らかであるよう…>
 瞬間、私はぱん、とという音と一緒に、上にはじき出されていた。落ちるかと思って目を閉じたけど、私の体は落ちない。下を見ると、私は、目を閉じたままそこにいる。でも、私はそれに触ることが出来なかった。触ろうとしても、手はすり抜けてしまうし、元の体に戻ろうとしても、またはじき飛ばされてしまう。
 これが、この黒衣の司教の魔法なの? 彼は私を四方八方からためつすがめつし、
「…一分の傷も過ちもない。わがストーンの魔法、ここに極まれり、か。
 誰にみせようかの、いやいやこのままおいておくとしようかの。
 いや、マンフロイ大司教にお見せになったら、別の意味で喜ばれようか。
 アグストリアの至宝、まさに美しいままの長き眠りよ…」
黒衣の司教は、私が見えているように顔を上げた。
「いつか、見捨てられた砂漠の都市のお前を見出して、ピグマリオンがごとき祈りを捧げてくれればよいがの」

 「私」は、ゆっくりと、建物の屋根をすり抜けて、上にあがってゆく。町のどんな灯りも届かない中空にあがってゆく。
 ゆらゆらとしたその動きが、私を眠りに誘う。逆らうことは出来なかった。


 …少しだけ、ほんの少しだけ、眠ろう。
 …おやすみなさい…


next
home