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 「すぐわかるよ、背中に大きな剣を背負ってるの」
と、リーンは意外なことを言う。この子の年ごろなら、確かに両手剣などは肩から下げなければ、立ち動きもかなうまい。
 二人で視線を見巡らしていると、
「いた、いたよ」
リーンが声をあげた。
「アレスぅ、こっちだよ」
「アレス?」
その気配が近づいてくるのが、背中の痛みでわかる。やがて、私達の前に現れたアレスは、
「なんだ、リーンかよ。油売ってていいのか?」
と言った。
「うん。この人がね、お駄賃いっぱいくれたから、夕方の鐘まで遊んでいいって、親方が」
「へぇ」
と、アレスは私の顔を見た。その瞳の色も、髪の色も、全く、兄と同じだった。
「この子が、あなたの特別なお友達?」
と尋ねると、リーンは少し照れるようなしぐさで
「…うん」
と答える。しかしアレスは
「なんだよ、時々酒場でお前の踊り見てるだけだぞ、俺は」
と言う。
「でも酒場のお客さん、時々私のおしり触ったりするから嫌いなの」
「立ち話もなんでしょう、ここに座ってらっしゃい」
私は、二人を点在しているベンチの一つに座らせた。
 こんなにあっさりとアレスに会えるなんて。
 私は、何かの夢の中にいるのかしら。

 二人に、屋台で買ったお菓子をつまませながら、
「あなた、すごい剣をもって歩いているのね、危なくないの?」
私は素性をしらせずに、アレスにそっとはなしかけてみた。
「危なくないよ、抜こうとしても、まだ俺には抜けないし。
 でも、これはお前のだから、何があっても持っていろっていわれて、重いけど、こうしているよりないんだ」
「それは、あなたのお父様かお母様が言ったの?」
そう尋ねると、アレスはかぶりをふった。
「ブラムセル」
「私、あのおじさんだいっきらい。ごほうびをあげるっていって、すごいいやらしい顔するの」
「じゃあアレス、あなたはブラムセルとかいう、この街の領主様に雇われているの?」
と私が尋ねると、アレスはそうでもなさそうな顔をした。
「俺を拾ってくれたシャバローが、ブラムセルに雇われた。その時ブラムセルは、俺の持っている剣を見て、それは世界のどこにもない剣で、使えるようになったら雇ってやるから、それまで大切に取っておけって」
「拾われた?」
「うん。
 ダーナに捨てられていたんだ。剣と一緒に。ジャバローは最初、剣だけ持っていこうと思ったらしい。そしたら俺が泣き出して止まらなくて、結局俺も…ってことらしい」
「まあ」
私はくす、と笑った。神器と継承者が常にともにあることはわかっていたけれど、持ち主が小さいとそんなこともあるのだわ。
「でも、今のあなたの話からすると、まるでブラムセルはその剣を欲しがっているみたいね」
「そうかもしれない。あいつは、何でも欲しがるヤツらしいから…」
アレスはたんたんという。
「でも俺は」
でもすぐ語気を改めて、
「ブラムセルにも、ジャバローにも、この剣を渡すつもりはない。
 これは俺の剣なんだから」
「そうよね、もともとあなたが持っていたものですものね」
私はアレスに合わせながらうなずいた。そうよ、アレス、その剣はあなただけのもの。ほんの一、二歳のころに、あなたにその剣を継がせた私を、あなたはもう覚えていないでしょうけれども。
「まだ、俺にこの剣は抜けない。でも、使えるようになったら、しなくちゃいけないことがある」
アレスはそういった。しかしリーンは横で眉をひそめる。
「だめよアレス、知らない人にまでそんなことを言って回ったりしたら」
「変なこと?」
私はついけげんな顔をした。二人がそれぞれ、その内容を話そうとしたとき、その話しを遮るように、夕刻の鐘が鳴る。
「あ」
私達は、ほとんど同時に声を上げていた。リーンが真っ先に立ち上がる。
「帰らないと、親方に怒られちゃう」
「俺もだ、戻らないと」
「そんな時間だったのね。つまらない長話でごめんなさい」
「とんでもありません。お菓子、ごちそうさまでした」
リーンはちょこんと私に頭を下げた。
「ほら、アレスも」
と促されて、アレスは照れるように会釈だけする。ほほ笑ましい二人に、私もつい笑みを誘われた。
「いえいえ。
 私はしばらくこの街にいるつもりだから、何かの折に会えればいいわね」
「はい、その時もよろしくお願いします」
リーンとアレスは、途中まで行く道が同じなのだろう。連れ立って、夕方の雑踏の中に消えていった。

 限りなく良心的に解釈すれば、ブラムセルは魔剣の重要性を知った上で、アレスをそのジャバローという傭兵ごと保護してくれているのだろうか。しかし、リーンもアレスもブラムセルを良くは思っていないようだった。
 それが、おそらく彼の本性なんだろう。帰る道々、ブラムセルのことを聞いて回ったら、よりにもよって聖地に捧げられる寄付の上前を適当にハネて、ともすれば酒色におぼれがちらしい。辺境の無能な政務官がいかにもやりそうなことだ。
 そんな雇い主でも、主人となったからには従っていなければならないのは傭兵の常と、理解はしているつもりだけれども、この後、アレスが魔剣を使えるようになっても、それをまるでただの一芸のように見なして、魔剣のためだけにアレスがブラムセルのもとで飼い殺されてゆくなんて、血脈の一員として、到底許せることではなかった。
 見た限り、長い旅にも耐えられそうだった。あの子を何とかここから連れ出して、隠れていようかしら、そんなすぐには出来なさそうなことまで考えながら、宿へもう少しというところで、見るからに怪しそうな男が数人、私の周りを取り囲んだ。
「昼間はうちの小さいのが世話になったな、ありがとよ」
という言葉を聞く限り、アレスを預かっているシャバローの仲間なんだろう。
「街の中で領主様のことをいろいろ聞いていたが、なにをかぎまわってるんだい?」
「何でもないわ、ちょっとこの街の話を聞いていただけよ」
「しかし、あんたみたいな別嬪が一人旅とは、ちょいと危なくないかい?」
「好きで一人でいるわけじゃないの。仲間さえ見つけたら、こんな街さっさと離れるわ」
「まあ、その別嬪さんを心配してな、その辺の宿じゃ危ないから連れてこいってお方がいるんでな」
「…ブラムセルのこと?」
「話がわかってりゃ早ぇや」
薄暗い道の真ん中で、男が一人あごを動かした。私は抵抗する間もなくからめとられ、身あてをくらって、気を失った。

 目を覚ますと、あの一悶着は夢だったのかと思うほど、上質な宿の部屋のような部屋にいた。
 外を見ようとして、私は左右を見巡らす。窓があった。でもその窓には鉄格子が仕掛けてあって、体裁はどうであれ、そこが牢に違いないことを、私はいやがうえにも知らされる。
 衣装さえも、場末の商売女のような品のかけらもないドレスを着せられていて、この状況はどうしたものかしらと考えていると、
「あ、やっぱり」
と声がした。鉄格子の物見がついた扉の向こうに、アレスの顔が見えた。
「夕方、すごくきれいな人が捕まってきたって聞いたから、あんたじゃないかと思って…」
「ありがとう、心配してくれるのね」
私は、この子の隠された優しさに、つんと胸を痛くする。これが、お母様が昔見た、小さい頃の兄に重なるのだとしたら、この子はこの殺伐とした中で、なんてきれいな心を保っていられるのだろう。
「私は、ジャバローの仲間らしい人にここに連れてこられたの。
 私はこれから、ブラムセルに会わされるの?」
「ここに来る女の人は、多分そうだと思う。その後ここで暮らす人もいるけど、そのままいなくなる人もいる…」
そう彼が答えるそばから、
「おらチビ、お話は終わりだ」
と声がする。聞いた声があるところからすると、私をここまでさらってきたものも、含まれているようだ。
「へーぇ、たいした別嬪だ」
「アレスもとうとう色気づいたか?」
男達の声は、アレスをからかうように笑って、
「おら姐ちゃん、出番だぜ」
と、開けられた戸から先に私を促す。私はアレスをすれ違いながらふと見た。苦しそうな顔で、私を見送ってくれていた。

 うす明るく、無駄に広い悪趣味な部屋に、私は老婆を一人控えさせた状態で、ブラムセルの前まで歩かされる。
「ほっほ、さすが本物は歩き方もちがうの」
という声は低くだみだみとして、酒のせいか、ろれつがやや怪しいようにも聞こえる。控えていた老婆が
「しかしご主人様、巷の噂とは裏腹に、一人ならず子を産んだ跡が見受けられますが」
と、ブラムセルを伺うように言う。多分彼は、楽しむなら汚れのない乙女と限っているのだろう。
「ほう、子をなしてもその美しさか」
ブラムセルはにやりと笑った。
「なになに、生娘でのうても一向に構わぬ、ちょうど今日はお客人のあるによって、その方に会わせたらよかろう」
ブラムセルが手をさっとはらって、私はその前をさがらされた。
 まさか、私の出自がまるで隠されることなく広まっていて、気を失っている間に、そんなことまで調べられていたなんて。一昔前の私なら、気がついた時点で自決を選びたくなるほどの屈辱だった。
 浅ましいこと、ああして、自分のおもちゃと売りものとに分けていって…私は、売り物となったのね。
 最初いた部屋に連れ戻されると、アレスがまだそこにいた。
「ありがとう、待っていてくれたの?」
と尋ねると、
「今は、俺が見張りの時間なんだ、こういう仕事は、誰にも回ってくる」
彼はたんたんとそう答えた。
「でも、俺が見張りでいる間に、あんたが帰ってきてよかった。
 聞きたいことがいっぱいあるんだ」
そして改まられて、私はついきょとん、として、
「私に?」
と聞き直す。
「あんたは、何か知ってるんじゃないかと思って」
「何を?」
「俺の両親のこととか…この剣のこととか」
私は拍子抜けした。知っているとばかり思っていた。でも、彼の記憶は、かなり断片的で、しかし、その一つ一つが、微妙な齟齬をうんでいた。
「あなたはどう聞かされているの?」
そうたずれると、アレスはしばらく黙ってから、
「この剣は…おやじの形見で…そのおやじっていうのが、西の方にある国の国王で…あ、これは人には言うなって言われてるから秘密な…あとは、この辺は特別な仕組みがあって、俺が使えるときになるまで、俺本人にも抜けないようになっている。
 そんなぐらいかな」
「よくわかりました。やはりあなたはアレス王子」
「え、俺が、王子?」
アレスはきょとん、とした。私は、また自分を自分の代弁者として、アレスに説明することがあるようだった。
「お妃様…お母様のご都合でレンスターに逃れられていたのですが、ふとした事件がもとで行方がわからなくなって…お身内の方がずっと探しておられたのですよ」
「…俺を?」
アレスは、まだ納得がいっていないようだった。父が国王だと言われても、きっとご落胤のたぐいのように自分を思っていたのだろう。
「王子がおもちの剣は、この聖地ダーナの砦で下されたご神器の一つ、魔剣ミストルティン。
 お父上は獅子王とたたえられる、アグストリア・ノディオンのエルトシャン陛下。
 アレス王子は世にも知らしめられたその陛下のお子様、魔剣があなたのおそばにあるのは、当たり前のことなのですよ」
「…エルトシャン。
 それが、おやじの名前なのか」
「そうです」
「で、俺が王子だから…跡継ぎとして、おやじのかたきを取れっていわれつづけていたのか」
アレスは一人で納得していたけれど、今度は私がなんの話かわからずに、彼の思考が止まるのを、待っているよりなかった。
 ジャバローに拾われる以前のことは、あまり覚えていないと、アレスは言う。
「もう十年の前のことだから…ほとんど…うろ覚えになってきているんだ」
そう不安そうに言った。でも、そのおぼろげの記憶の中でも、レンスターでのアレスはあまり幸せではなかったようだ。
「今思えば、おふくろのじいさんばあさんなのかな…俺に会うときは、いつも暗い顔だった。そして、いつも誰かのことを悪く言っていた。
 それで、俺にむかって言うんだ。
『お父上は友に見殺しにされた』
『かたきをうちなさい』
って」
「なんてこと…」
私は、驚くよりなかった。たった数歳で、本当ならその怨嗟を抱いてははいけないと教えられなければいけないアレスに、コーマックはなんということを…
「もしそれが本当なら」
アレスは、一つ呼吸をおいてこういった。
「俺はおやじを見殺しにしたその友人とかいうのを相手に、敵を討たないといけないんだなって…」
「お待ちください王子」
私は、扉の鉄格子をぎゅっと握りしめた。
「どなたがどういうご事情で、お父上を見殺しになどなさったのか、そのことはおわかりなのですか?」
「そんなことはわからない。
 でも、じいさんばあさんは、おふくろは、シグルドという男に、無理やりにレンスターに返されたと、毎日泣いていると言った。
 シグルドという男は、おやじをワナにはめて、自分の活路を作るために、邪魔なおふくろと俺をかえしてきたんだって…
 お袋は、そうして泣きながら、心を壊して死んでしまったんだって」
「そんなこと、あるものですか!」
私はつい、いつもの口調に戻っていた。おぼろげな記憶がここまでしっかりとしているのなら、コーマックは一体何をアレスに教えてきたというのかしら。レンスターのアルフィオナ様のサロンで見たあの尊大な夫人の態度まで思い出し、私はつい、声を高くしていた。
「言ってもおそらく信じないでしょう。ですが、そのあたりの事情は、私はよく知っています」
アレスは面食らった顔をしていた、そのあと、おずおずと、
「どうか、したのか?」
と聞いてくる。私は鉄格子のすき間から指でアレスを招き寄せ、
「私は、あなたのお父上の妹なのです」
そう打ち明けた。
「そんな、ばかな」
立て続けに自分の人生を根底から覆すようなことばかり飛び出て、アレスが私の耳打ちにそう答えるのもあるいは妥当な反応だったかもしれなかった。
 でもその時の私は、アレスの反応を見て
「だから、信じなくてもいいのよ。私はあいにくと、あなたにそうと証明できるものを、何一つとして持っていないもの」
アレスは、いっさいの毒気を抜かれた顔をした。その後、急にしんみりとして、
「信じるよ。だって、初めて会った感じしないし… レンスターにいた前の、ほんの少しの記憶だけど、あんたによく似た人が出てきて、すごくきれいで、それを覚えてるんだ」
と言った。


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