途中何日かの露営をはさんで着いたターラの町は、今まで通ってきた小さな集落とは違って、町の四面をがっちりと城郭で固めた、鎧われた都市だった。
厚い城壁に開けられた門の中に、吸い込まれるように人が入り、流れるように人が出てゆく。
「賑やかなところね」
と言ったが、彼は
「賑やか過ぎて私にはそれが心配です」
と言う。
「こういった喧騒の中では、刺客や密偵があってもその気配がかき消されますので…」
「お父様の心配だ、がはじまったぁ」
ナンナが私の鞍の上で面白そうに声を上げる。
「やめなさい、なにか考えあってのことなんですから」
と私はその口をふさいだが、彼はそれに苦笑いしただけだった。
「もう、減らず口だけは一人前なんだから」
「えへへ」
「そんな笑い方おやめなさい」
「ごめん、いつも僕達と一緒だから、ナンナも男の子みたいになっちゃったね」
と、後ろでリーフ様が仰る。
「ルー様のせいではありませんわ。フレストのシスターの方の真似をしていれば、自然とお行儀もよくなったでしょうに」
落ち着いたら、この子をきちんと育てなければ。貴婦人にする自信はないけれど、デルムッドにかけられなかった分の手間は、私はこの子に対してかけてあげなくては。
「さあ、中に入りましょう」
前のほうで、声がした。それが更なる災厄のはじまりなのか、それとも天国への最初の一歩なのか、答えは、この町が知っている。
市長様は、まるで私達がここに来ることを予見していたようなことを仰って、敷地にある住まいまで提供してくださると仰る。彼も私も、市長様の部屋の中で、とにかく呆然としているよりなかった。万事が都合のいいことだらけで、私も、何かに鼻をつままれたような心地だ。
でも、市長様に何もやましいことのないことは、私達をかくまうことについて「反骨精神」と仰った、その言葉で十分わかる。アグストリアから遠く離れて、おじい様を見たような、そんな気がした。
おじい様は、元気でいらっしゃるようだ。仕送りについてくるお手紙には、まだまだ余裕が感じられて、
<ターラの町に長くとどまるのであれば、一度顔を見に行きたいものだ。お前から生まれたその天使のようなナンナも一緒に>
そんなことまで仰ってくださる。
「うふふ」
手紙をみて、つい笑ってしまった。
「お母様、笑ってる」
とナンナが私を覗き込んでいた。
「なにか、楽しいことあったの?」
「少しだけね」
そういって、私は、娘の前で、仕送りと一緒に届けられた荷物を開ける。
「アグストリアに、お母様の生まれたおうちがあるのは、もう知ってるわね」
「うん」
「そのおうちには、私のおじい様がいらっしゃるの。ターラに着きましたよとお手紙を差し上げたら、ナンナにと、ほら」
私がまだ子供のころに来ていた服と、お母様の服が、入っていた。
「おじい様は…こんな小さい服までとっておいて下さったのね」
「なぁに?」
「お母様がまだナンナぐらいのときに来ていた服よ…あなたに似合うかしら」
私はその中の一枚を取り出して、ナンナの体に合わせてみる。
「少し大きいかしら?」
「平気だよ、ナンナはすぐ大きくなるから」
「ま」
試しに着てみようというのか、ナンナはためらわず今まで来ていた服をあっさりと脱ぎ、新しい服に手をかける。そこに、扉を叩く音がして、ナンナは服をかぶったまま
「きゃー」
とうろたえた叫びを上げる。扉の向こう側は、入ってこないあたり、あの人でも、リーフ様でもないようだった。
「少し待っててくださる? 片付けますから」
扉の向こうに言い、
「はい」
そんな返答は、少女のものであった。
「父からお客様にご挨拶をとのことで、参上いたしました」
清楚で、どこかしら神々しい雰囲気を持った少女は、自らを市長様の娘と名乗った。
「奥様は高貴なお生まれとうかがっているので、時々通ってお行儀など教わるように、とも」
「ありがとうございます、私をたかくかっていただけて」
私は、そういう言葉の一つ一つにも、教えられただけでは出せない自然のこなしを見た。私が教えることは実はほとんどないのではないのかしら。
「貴女は十分お上品ですわ、リノアン様」
「いえ、まだ…」
リーフ様とそう年も変わらないようにも見えるけれど、さりげない謙遜の仕方も上手だ。
「そういえば、まだ娘は紹介していなかったわね」
私は、とりあえず服を着終えたナンナを呼び寄せて
「娘のナンナと言います、仲良くしてくださいね」
「はい」
リノアン様は相応ににっこりと笑う。
「ナンナ、リノアン様にご挨拶なさい」
と私は促してみるものの、ナンナは私の背に隠れてしまった。
「ごめんなさい、まだお行儀がなってなくて。あなたが遊び相手になって、少しでもそのお上品なところをまねしてもらいたいわ」
「私も、お子様方のお遊び相手をと、父に言われてきました。差し支えなければ、今からでもよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわよ」
二つ返事するのに、ナンナは私の後ろから
「ルー様もいる?」
と言う。
「はい、御一緒ですよ」
リノアン様はそう仰りながら、ナンナに手を差し出した。私は、ナンナの背中を押して、その手を握らせる。リノアンは、ちょん、と膝を折って、ナンナの手を取って、部屋を出て行った。
小一時間ほどして、ナンナは、ずいぶんつまらなそうな顔をして帰ってくる。今のナンナに合うように、服を縫い縮めなどしていた私は、そのあまりの仏頂面に、驚いてしまった。
「お帰りなさい…どうしたの、そんなふくれた顔をして」
と聞くや、ナンナはその場も構わず大泣きを始める。その後ろのほうで、
「ナンナ?」
と問いながら扉を叩く音がした。リーフ様のお声だ。それに反応して、ナンナの鳴き声が一段と高くなる。どうも原因は当のリーフ様にあるようだ。私は、一時でもナンナに泣き止むように合図をし、扉を開けた。
「あら、ルー様」
「ナンナ、いる? リノアンと一緒に遊んでいたら、突然こっちに帰ってきちゃったんだ」
「まあ、どうしたのかしら」
「それがわかんなくて」
「じゃあ、私がナンナから話を聞きましょう」
私は、直接お話したい雰囲気のリーフ様を押しやるように扉を閉め、しゃくりあげるナンナの声がつづいている寝室のほうに入った。
「どうしたのかしら、なき虫さん」
と、そのわきにかけて声をかける。長いこと返答はなかったが、やがて
「ルー様が…」
「ルー様が?」
「リノアンとばっかり遊ぶの。
リノアンはかわいいね、リノアンはきれいだねって」
「まあ」
「リノアンが、ルー様とっちゃったの。ナンナ、ひとりぼっちなの…」
そういいながら、また涙がちになってくるナンナを起こし上げ、抱き上げて、
「悪いルー様だこと、これから先、もしかしたらリノアン様より綺麗になるかもしれないナンナを置いてきぼりにするなんて」
「お母様、ルー様怒るの?」
「さあ、どうしましょうか」
私がナンナの顔色を伺うと、ナンナは
「いやいや、お母様、ルー様おこっちゃいや」
と言う。
「それは私の仕事ではないから、…そうね、後でお父様に少しだけ注意していただきましょうか。
ね、ナンナ」
「なぁに?」
「リノアン様みたいに、おしとやかになりたいって、思った?」
と聞いてみると、以外と言うか案の定と言うか、ナンナはうん、とうなずく。
「なら、お行儀のお稽古をしましょう。すてきなプリンセスになって、ルー様をびっくりさせましょうね」
「うん」
途中でやめるのはなしよ、と私達は指切りをした。
ナンナにとって、それだけ、リノアンの存在が強烈過ぎたのだ。リーフ様はいつでも自分のすぐ側にいて当然だとおもっていたのに。
おそらく、リーフ様にとっても、リノアンが物珍しくておいでなのだろう。それがただ物珍しいだけで終わるなら、ナンナはそれでよいのだが。
でも、私は、ナンナのこの言い出しについてはまだ早いとは少しも思わなかった。他人から道を示されたのではなく、自分から言い出したのだから。
「うふふ」
我ながら不思議な心持ちだった。
私は今、何年先になるかもわからないのに、リーフ様の後宮のことを心配している。ナンナがお行儀に熱心なのが珍しいと言った彼に、私はそんなことを言ってみた。案の定、彼は変な顔をする。
「私が吹き込んだと思っているでしょう」
と言うと、彼は何も言わないが目でそうだとでも言いたそうな顔をした。
「彼女の意志よ」
「彼女の意志?」
彼はやはり腑に落ちなさそうなおうむ返しをした。
「そうよ。彼女は自分の口から言わなかったけれども、お行儀が良くなりたいの?という私の質問にうなずいたの」
「それは…」
「あなたはいつまでも、ナンナをお人形さんか、私が嫉妬しない小さな恋人みたいに思ってるのでしょうけど。
ナンナはいつまでも、あのままのナンナじゃないわ。
私がいつまでもお城の中でおとなしくしているお姫さまじゃなかったようにね」
「おとなしくしておられたのですか」
「してたわよ、あなたの知らないところでね」
記憶の限り、ナンナの年ごろあたりは、私はまだマディノしかしらなくて、おじい様とお母様のもとでおとなしくお行儀を習っていたはずだ。もっとも、そんな姿なんて、この人にはついぞ見せたことなんてないけど。
「リーフ様は市長様からいろいろ難しい学問を教わっておられるようですけれども」
「…ええ」
「それに似合うだけになりたいと、本人も思い始めているのよ」
「それならばよろしいのですが…
そうか、ナンナが…」
彼はまだ何となく、溜飲の下がりかねる顔をしていた。思っていた通りの反応だった。まだまだナンナは、彼にはかわいい娘でしかない。
たとえばあのかわいらしい頭に、真珠作りのティアラが載る運命にあったとしても。
今になって、この商業都市が、都市として一つの完成した形を持っていることに、私は少しだけ驚いている。
おじい様がマディノの自治都市から派遣されている隊商も、この街を愛用しているようだった。
街が見える窓から、人の影の消えることのないターラの街を見下ろしていると、
「ターラをお気に召されましたか」
と市長様のお声があって、私は言葉に会釈で返した。
「にぎやかで、いいところですね」
「半島の物流の中心と自負しておりますよ」
「だと思います…祖父が見たら、これが自分の理想の形だと思うことでしょう」
「祖父殿ですか」
「はい、マディノの領地を、ターラのような自治都市として、自ら市長様のように采配しているという話ですわ。
ミレトスのように、と言っていましたけれど、ミレトスまで行かずとも、こんな街があったとは」
「いや、ターラは手本にされぬがよろしいと思います」
市長様のお言葉にいつになく自信が感じられなくて、私は
「どうしてですの?」
とつい探るような言葉を出してしまった
「…あ、すみません、聞くつもりなどありません、市長様にしかわからないご苦労がありますものね」
「それは、貴女の祖父殿も同様に抱えておられることでしょうから、今更にあれこれと知ったように申し上げることではありません。
…グランベル帝国の強大な政治力のことは、もうご存知でしょう」
「はい…話にしか聞きませんが、成立したという話はよく覚えているのです、何せ、ナンナが生まれる年のことでしたから」
「それは娘御にもあざなえる縄のような巡り合わせですな」
「あのグランベル帝国が幅を利かせるようになってから、少々商売もやりにくくなりましてね…」
「そうなのですか…」
市長様は、にやり、と笑い。
「あくまでも噂、ですよ。
皇帝は今や宮廷魔導師の傀儡に過ぎず、立太子してまもない王子にはやも二代皇帝を譲るのではないかというもっぱらの…」
と仰る。
「まあ」
しかし、そのお顔もにわかに強ばられる。
「しかもその宮廷魔導師がくせ者で、…どうも、暗黒教団のものらしいと」
「暗黒教団?」
私がアグストリアにいた頃、嫌というほど聞かされた名前だった。世間を騒がせたい輩が、恐怖心をあおるために名乗っていたもの出はないかと自分にいい聞かせていたけれど、
「…本当なのですか?」
「奥様は『子供狩り』をご存知ですか」
「子供狩り?」
「ええ、この街では人身の売買は禁止しているはずなのですが、どうも黙って、子供たちばかり集めてどこへともなく出てゆく船がたまに見受けられるようなのです」
暗黒教団に子供狩りなんて、言うことを聞かない子供へ、冗談のように言い渡すようなものとばかり思っていた。
「お子様を連れになるときは、くれぐれもご注意なされるよう」
「わかりました」
市長様はふう、とため息をつかれた。
「最初は『反骨精神』などと、気丈な物言いも致しましたが、ターラはグランベル帝国に対し弓引かぬ、その約定と引き換えに得た自由なのです」
「…」
「リノアンも、早晩行くところへ行きましょう」
市長様のお顔がいっそう寂しくなられて、私はつい、その理由を、いけないと知りながらも尋ねてしまう。
「いかがされまして?」
「グランベルにくみしているが、このターラはむしろトラキアに近い。
トラキアは、物流の拠点として、このターラを渇望している。
…そして、トラキアのトラバント王には、王子がいる」
「…その方のところに?」
「正式な話はありません。だが拒めば、ターラは竜に食い尽くされるでしょう。あるいは、トラキアとグランベルの間で翻弄されましょう」
「リノアン様、あんなにお小さいのに…」
「娘というものは、そういうものですよ。アリオーン王子が人柄悪からぬ話を聞いて、それだけが希望のよすがです。
…貴女の娘御がうらやましい」
今夜は、私たち親子とで食事など。そう仰って、市長様は私の元を去って行かれた。
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