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 そうこうしているうちに、アルスターの暴動の火蓋は切られ、庭に出ると、アルスターの方角が、心なしか、煙って見えた。
「街が、焼かれているのかしら」
エスニャ様が私がとったお手をぎゅっと握られる。二人は、状況を確認するために先行していた。
「陛下…」
と、その握られた手に顔を寄せられる。城下のどこかにおられるという王とお姫様が案じられた。そのうち、
「サブリナ様!」
と声がして、馬が一騎かけてくる。私をこう呼ぶのは、シュコランだ。
「シュコラン!」
シュコランが乗っていた馬は、サブリナだった。サブリナなら、誰の言うことも聞くし、あの人の要求にはに必ず応えてくれる。
 それよりも、シュコランと一緒に乗っていたのは、
「ああ、ミランダ!」
アルスターの小さなお姫様だった。おろして差し上げると、エスニャ様はお姫様をもう離さないとも仰らんばかりに抱きしめる
「気を失っておられるだけだと思います」
とシュコランは、城下の様子を説明し、
「王妃様にはおつらい話と思いますが」
と、アルスター王がブルーム暗殺計画の首謀者の一人として、すでに処断がおこわなれたことを報告した。
「ああ、陛下…」
気を失われそうなエスニャ様をお支えし、
「それだけじゃないでしょう?」
と聞くと、シュコランは
「はい…ヒルダ王妃が、エスニャ様との面会を求めています」
と答えた。
「やはり…そういうことなのね」
エスニャ様はそう仰って、
「ミランダをお願いできる? ヒルダがそうしてほしいなら、いかねばなりません」
と私に向き直られる。
「わかりました」
私は武装を確認する。
「シュコラン、セルフィナと一緒に、お姫様と子供達をおねがい」
「はい」
「セルフィナ」
「…はい」
「お留守番ばかりでごめんなさいね。
 でも、出陣した後をまもるのが、一番大切な仕事なのよ」
「…わかっています。
 無事でお帰りくださいね」
「ええ」
私は、サブリナの前にエスニャ様を乗せ、自ら手綱を取った。
 サブリナは、たぶん、自分の主人のところに行こうとしているのだろう。ただもくもくと、私達を乗せて走る。
「アレン伯がご無事であればいいのですが」
「大丈夫でしょう。あの人は、自分の際をよく心得ている人ですから」
そういいながら、サブリナが私を導いてくれた先には、人だかりと、数人が処刑されたあと、そして、彼と、玉座に座った女性。
「ヒルダ…」
エスニャ様が、低くうなられるお声で呟いた。私は、開かぬ人垣に向かって
「アルスター王妃エスニャ様のおなりです」
と言う。私たちの前に道が出来、私は、エスニャ様を支えるようにその上に立った。
「ありがとうございます。
 ここまでで」
「大丈夫ですか?」
「はい、これからは、私がすべきことです」
エスニャ様は毅然と、ヒルダの前に立たれた。しかし、ヒルダはエスニャ様にはさして感心を示さず、
「はは、王妃なんて仕事をしていると、滅多なものでもお目にかかれるものだね」
と言う。
「マスターナイトの格好をした女の子なんて、大陸全土探しても見つからないだろうに、まさか自分から私の前に出てくるなんてねぇ」
「あなたのためになったのではありません」
私はそれだけ返し、その場を退ろうとする。ひかしヒルダはそれを許さなかった。
「そうかい、ならば一つ聞かせておくれではないかい?」
ヒルダは、私を全身ねめ回すように見て、
「いやなに、他愛ないことだよ。グランベル王宮でも有名だった、ちょっとしたゴシップの確認さ。
 手っ取り早く聞くよ、…兄上の腕の中はどんな気分だった?」
私の顔が熱くなる。しかし、それは羞恥ではなかった。
「そんなことを尋ねて、どうなさるつもりなの」
「どうもないよ、純然と興味で聞くんだよ。
 アグストリア一国、兄上との破廉恥な関係のためにめちゃくちゃにしたんだもの、さぞかし、極上だったんだろうね」
私の拳が、真っ白になるほどに握られる。世間では、そんな風に思われていたんだと思うと、過ぎたことなのに、体が震えてくる。どんな返答をしても、ヒルダは言葉通りに受け取らないだろう。頭から、私と兄との間に、既成事実は出来上がっていると決め付けているのに違いないのだから。
「ヒルダ、なんてことを聞くのですか」
「おだまりエスニャ。今あんたは、自分がどういう立場におありなのか、わかっているのかい?
 この姫は、どんな因果であんたと知り合いになったか知らないが、実の兄との間に『血の円環』を作りながら、アグストリア一国丸ごとつぶした、危険な姫様だよ。
 こんな質問に答えるぐらい、何てことないだろう。どうなんだい?」
ヒルダの唇が淫猥にゆがむ。答えを導こうと歩みだしたヒルダの足が、しかし、ぴたりととまった。
「な、何のおつもりだい」
彼が、手に持っていた槍を、ヒルダの鼻先に突きつけていた。
「この先一歩でも動かれたら、この槍がどんな動き方をするか、自分でもはかりかねます」
「新しく主人としてもおかしくない人物に向かって、レンスターの騎士はそんなことをするのかい」
ヒルダの指が赤く染まってくる。焼けた鉄の色にも似たその色は、炎魔法の簡易詠唱に間違いなかった。
「魔法が来るわ」
「ご心配なく。あたらければどうということもありません」
私はとっさに、隠してあるライトニングの魔導書に指を挟んだ。ヒルダみたいに簡易詠唱は出来ないけど、光魔法はどの魔導書にも優位に働く。彼女を傷つけたら、残されたフリージ兵がどう動くかわからないけど、彼が怪我をするぐらいなら、いっそその方がいい。
「アグストリア一国では飽き足らず、今度はその騎士をたぶらかしてレンスターでもつぶしておいでかね?
 その勢いで、トラキアもいっそつぶしてくれたら、楽なんだけどねぇ」
 ヒルダが言い、炎色の手を私達に向かって差し出してくる。熱気が、ゆらゆらと、視界の向こうのヒルダの顔をゆがめていた。
 と。
「お逃げなさい!」
と声がして、エスニャ様が、ヒルダに身当てをされた。周りの空気が痙攣している。雷魔法の気配。そうだ、エスニャ様は、フリージのお出なんだ。
「もうこれ以上、あなたたちを危険な目にはあわせられません!
 逃げなさい、できるだけ、遠くに!」
「お退き、エスニャ!」
乱暴にヒルダの手がエスニャ様の腕をつかみ、くすぶった魔力がエスニャ様の腕を焼いた。
「あうっ」
エスニャ様は、大きな声は上げられなかった、のみならず、
「さあ、はやく、この場を去りなさいっ」
と仰る。
「え、エスニャ様」
戸惑う私の体が、ぐいと後ろにひっぱられる。
「王妃の言うことももっともです。
 ここは退きましょう」
と言う彼の声が、後ろでした。

 シュコランの馬でエスニャ様のお屋敷に戻ると、数騎の騎兵と、シュコラン、そしてセルフィナがいた。でも、アルスターのお姫様の姿はなかった。
「ごめんなさい…奥様、ごめんなさい」
と泣きじゃくるセルフィナをなだめて
「どうしたの?」
と聞くと
「お姫様…守れなくて…」
と言う。
「シュコラン、状況を説明しなさい」
と彼が言う。シュコランも動転しているようで、魔方陣みたいなもので連れて行かれた。と
「きっとレスキューね。術者と対象者に、物理的な距離があっても効力を発する杖魔法だわ」
「ごめんなさい…何もできなくて…」
「いいのよ、セルフィナ」
私は、セルフィナを抱きしめた。
「何も出来なくて仕方ないわ。ミランダ様はまだ小さい方、まして血族なのですからフリージでも荒々しい手は出さないでしょう」
私は、セルフィナの手を取って中に入る。
「リーフ様とナンナは?」
「はい、二人とも中で、ご無事です」
「…よかった」
二人が無事なことを確認して、
「二人の荷物をまとめるの。手伝ってちょうだい。このお屋敷からおいとまするの」
と言った。
 その最中に、
「セルフィナ!」
と彼の声がする。
「いるなら、降りてきなさい、大切な話がある」

 私は、結局、ほとんど一人で二人の荷物を纏め上げ、ついで自分と彼との荷物をまとめ始める。ベオウルフはもとより、自分の馬に乗せられないような財産は持たない信念らしいから、すぐ終わるはずだ。それを括りつけている間に、セルフィナがふらふらと戻ってくる。
「あら、大丈夫?」
「はい…」
「なにか、あったの…?」
「アルスターの市街戦で、父が…怪我をしたそうです。
 命は助かりそうですが…片腕は戻らないだろうって…」
「まあ、ドリアス卿が」
「父に代わって、領地を守らなければなりません。若い騎士たちも、育てなければいけなくなりました。
 私、もう、奥様についていけません…」
泣き腫らした目から大粒の涙を落として、セルフィナは肩を震わせる。
「あなたには嫌な言い方かもしれないけれど、私は安心してるわ。
 残ってお父様のお手伝いをすることも、立派なお仕事よ」
「…はい」
「ノヴァ様の加護がありますように」
セルフィナを抱きしめ、短い間にすっかり大人びた体に気がつく。
「私があげた胸当て、もうちょうどよくなったわね」
「…はい」
「信頼できる旦那様を見つけて…二人でドリアス卿をお手伝いして」
「…はい」
向こうのほうで
「セルフィナ、行くぞ!」
と声がした。聞き覚えがある声だった。あの人なら、大丈夫だろう。
「行きなさい」
「奥様…どうか、ご無事で」
「あなたもね」

 あわただしく、別れを終えて、私達はそれぞれ騎乗して、とにかくアルスターを離れる。
「ルー坊ちゃん、おじちゃんは今日は少し速く走るぞ、しっかりつかまってな」
とベオウルフの声がする。ナンナは、彼がローブの中に抱きとめていた。
「リーフ様がベオウルフになついたのは、正解だったみたいね」
「かも知りませんね」
騎乗しながらの会話は短い。あてもない逃避行だ。
「どこまで行けばいいと思う?」
「もしこのままアルスターの手を逃げ切れれば、ターラまで」
「ターラ? 少し遠くない?」
「ターラは、自由都市の中で、一番安定しているところです。うまくいけば、長く腰を落ち着けられるかもしれません」
彼はそういった。しかし。一騎、ものすごい速さで近づいて来るものがある。矢が一本、荷物に刺さった。矢に、紙が巻きつけられている。
「アルスター当局が、…ブルーム暗殺の主格容疑者に指定、追走中?」
「なんてこった」
ベオウルフが舌打ちをした。
「誰かが、急いで知らせてくれたのね」
「急ぎましょう。行く手には川があるはずです。わたりきってしまえばアルスターの勢力範囲外、おいそれと手出しは出来ません」
「余計なおしゃべりは抜きだ、急ごうぜ」
 ぴしっとしぶきがかかる。馬が泡を吹いている。相当疲れているのに、休ませてあげることも出来ない。ごめんなさい。そう呟きながら、これ以上速くなりようもない鞭を入れる。
 気のせいかと思っていた追っ手らしい蹄の音はだいぶ近くに迫っていた。もう夕方。でも、蹄の音が聞こえる距離になっても、何の手出しをしないところからすると、たぶん向こうは、私達が疲れ果てることを待っている。
「川まで、後どれぐらい?」
「馬が疲れてきました、もうすぐのはずなのですか」
「…そう」
「サブリナが喋れれば、後どれぐらいとか教えてくれるんだろうがな」
ベオウルフが混ぜ返す。そのうち、ひずめの音に混じって流れる水の音が聞こえてくる。
「近いみたいね」
「もう少しです。橋を渡ってしまえば」
夕暮れの日差しを弱々しく返す、赤く光る川が見えてきた。しかし、橋はない。思わず、立ち止まってしまった。
「行くしかねぇな」
ベオウルフが言って、川を渡し始める。その後を突いていこうとして、背中にどん、と何かの衝撃があった。
「あ」
落馬して、川の中に頭からつかる。
 冷たい。それよりも、痛い。背中に刺さったのは、たぶん、投げられた槍。そんな距離まで、まさか追っ手が近づいていたなんて。
「女はしとめたか」
「もったいねぇな、美女だったらしいぜ、いけどりゃ楽しめたのに」
「そんなこと言ってる場合か、後は男たちだ」
そんな声を、水音に混じって聞きながら、騎兵達は川を悠然と渡って、やがて行ってしまった。
 落馬したきり、動けなくなっていたのが幸いしたらしい、あまり明るいといえないけれど、月がぼんやりと周りを照らすころになって、私は川岸に這い上がった。
でも、寒さと痛みで、腰から下を川から出すことが出来ない。
 でも、私本人より、心配なことがあった。
 みんな無事かしら。あの人は、リーフ様は…ナンナも、ベオウルフも。私一人でみんなが助かったのなら…私は…
 意識を失いかけたとき、ランタンの灯りと、少年の声が、私を現実に引き戻した。
「おじいさん、いたよ!」
…ああ、私は助かるんだ…
そう思った途端、私の意識がすうっと遠くなる。
「しっかりしなされ、しっかり…今、お助けいたしますから」
と言う声が、遠くで聞こえた。


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