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 程なくして、入ってきた二人から、変な話を聞いた。
「ブルームを排斥?」
「はい」
彼がそううなずいて、
「話によれば、アルスターの実権を握っているのは、ブルーム王の妻で、国王の名前で城下を厳しく統制しているとか」
「あんまりひどく続いたり、ここまで迷惑が広がったりすると、あの街はかなりやばいぞ」
と、ベオウルフがそれに付け足す。
「なるほど…納得行ったわ」
「何が、でしょうか」
「エスニャ様がお話になるブルームの話と、アルスターの城下がそんなに厳しく統制されて、このお屋敷の中にまでフリージの魔導師が入り込んでいる理由よ」
たぶんブルームは、手を打つ前に自ら身を引いたエスニャ様を、それ以上どうこうするつもりはないのだろう。だが、ブルームの妻・ヒルダがそれを許さなかった。城下で慕われているということは、何かあったときに担ぎあげられるということだ。それを恐れて、旧アルスター国王とそのお嬢様は城下のどこかに幽閉されている。
 旧王家をないがしろにし、自分達こそが新体制と厳しい統制をして、アルスターの城下がそのまま黙っているはずもないだろう。いつかきっと、あの街は大変なことになりそうな気がする。
「その通りです」
私の憶測に、二人は大きくうなずいた。
「出来れば、とめないといけません。アルスターでこういうことが起こると、他の国の同様な事態を恐れて、さらに統制が厳しくなります」
統制が厳しくなる。それはつまり、いざと言うときの反乱の手をあげることさえ忘れてしまいかねないということで…
「そうね、でも、私達はそれにかかわることは出来ないわ。
 作戦本部になんてなったら最後、私達はエスニャ様のご恩をあだで返すことになるのよ」
「わかってます」
「俺が時々街を回って、話を聞いてきるだけはするか」
「できれば、お願いできる?」
「ああ、造作もねぇさ」
私達のすがるような視線に、ベオウルフは後ろ頭に手をやって答えた。
「姫さんの頼みが断れるかよ」

 一年ぐらいは、本当に、これが逃避行なのかと思うほど静かだった。
 エスニャ様に、来し方をお話して差し上げて、セルフィナに弓を教え、そして日増しに、手で伸べるように、ナンナとリーフ様は大きくなる。
「無事生きていれば、あの子も」
と、エスニャ様はナンナを腕にしてくださいながら仰る。
「この小さなプリンセスよりも、大きいはず」
「…」
誰の腕に抱かれるのも頓着しないナンナは、エスニャ様のさびしそうなお顔を、じっと見ている。
「娘がお慰みになれば幸いですわ」
私は、そうとしか言えなかった。城下のどこに幽閉されているかもわからない国王とお姫様は、無事であろうか。それを案じて休まらない気持ちは、私にも分かる。
「グラーニェ様も」
と、エスニャ様が仰る
「こんなお気持ちで…待っておられたのでしょうね」
「はい、おそらくは」
その思い一つだけになってしまわれたのだ、お姉様は。
「私は、分に過ぎた果報ものです。あのころにノディオンを飛び出すこともでき、そのために、いまここでこうして、娘まで得ているなんて」
「神がそれをお許しになったからですよ」
と、エスニャ様が仰る。
「きっとあなたは、私達より一歩ほど浮いたところにいらっしゃる」
「え?」
「それだけ、神の御心に叶っているということ。あなたがノディオンを出て、ご自分の足で歩き、そしてご伴侶を得て未来をなすことは、神と聖ヘズルとの、すべてそうせよとの思し召しなのですよ」
「…」
私は、うつむくよりすることが出来なかった。その思し召しがつらいとはいえなかった。
「暗いお顔はおよしなさいな、プリンセス」
エスニャ様は仰って、私にナンナを渡してくださる。そこに
「おかあさま」
と、リーフ様がいらっしゃる。
「馬に乗っても、いい?」
尋ねて下さるのに、私はつい顔を緩めて
「どうぞ。誰と行きますか?」
「ベオウルフ」
「じゃあ、危ない乗り方をしないでって、お願いしてね」
「はぁい」
ぱたぱたと下におりてゆく足音を、追うように外を見ると、確かにベオウルフが庭で馬を引かせて待っているようだった。
「リーフ様は、あなたをお母様と呼ばれるの?」
「主人が直そうとしても直らないので…聞き分けができるまではそのように、と」
「無理もありませんわ、実のお母様のことなど、もう忘れておいでなんでしょう」
「そうなっていないことを祈るばかりです」
「レンスター再興のあかつきには、この小さなプリンセスを、リーフ様に?」
エスニャ様が、ふとそう笑まれた。
「どうでしょう…ナンナにそうしていいか尋ねたいにしても、まだこんなに小さくては」
綿毛のような金色の髪は、柔らかくくせになって、ナンナは、天使が羽根を忘れてきたようなかわいらしさだった。エスニャ様を暗に監視しているらしきメイドたちも、その愛らしさには無条件で顔がほころぶようだ。あの人の正体が気取られない限りは、私達は、エスニャ様を頼って身を寄せた、近くの小領地の一家でいられる。

 「いやあ、参った参った」
と、帰ってきたベオウルフたちを出迎えると、
「城下に入る前に門衛つかまえて、
『おじさんたちはここでなにしてるの?』
『おうちにはいつかえるの?』
ときたもんだ。
 たいしたタマだ」
と、疲れた顔で言う。私はついそれを笑ってしまった。
「いつも、ありがとう。
 あなたのおかげで、リーフ様が怪しまれないで、普通の暮らしを学べているのだもの」
「そういうことにしとくか。
 ガキのお守りってな、思ったより大変だな。
 少年は?」
「まだ書庫じゃないかしら」
「奴も不自由だろうな。下手にどこにも出られないんじゃあ、そのうち本の虫になっちまうぜ」
「私も注意しているつもりなんだけど…」
「まあなんだ、ちょと込み入った話が出てきたんでなぁ」
「込み入った話?」
「ここじゃはなせねぇな。書庫いくか」

 「青白いなぁ、たまには日に当たれ」
と混ぜ返すベオウルフに、彼は胡乱なまなざしだけで返した。自分の正体が、リーフ様の正体が、いつ知られるかわからないと気遣うあまり、彼はこの頃、外に出て槍を振るうこともしない。
「聞いてますよ、リーフ様を町まで連れて行ったそうですね」
「平気さ、あやしまれることは何もしてねぇ…自分からはな」
ベオウルフは言って、
「ホラ、お前宛に、アレンの街から手紙だぜ」
と、封筒を目の前に置く。
「アレンの? まさか」
「本当よ、ほら、わざとへんな書き方をしているけれど、…これはブランの字よ」
彼は封を切り、中を読む。その顔に、見る見る冷や汗が滲んでくる。
「何てことだ」
「どした」
「アルスターの民衆が、本格的にブルーム王を排斥しようとしているらしい」
「おいおい、それはちょっとまずいんじゃないか」
「その中に、アルスターの遺臣やレンスターの若い騎士が混ざって、あわよくばマンスター地方そのものを奪回しようと…」
今にそれを急いでも、何の得することもないことは、ここにいた私達はすぐにわかった。しかし、民衆にはきっと通じないだろう。
「もう、リーフ様を城下町にお連れできないわね」
「そうだな…」
「エスニャ王妃には、このことを?」
と彼が顔を上げると、ベオウルフは
「手紙なんぞ渡されても、俺には読めねぇ。わかってたとしてもそんな王妃様卒倒請け合いのネタ、お前達に話さんで話せるか」
と言う。
「わかりました。エスニャ王妃には、私から報告を」
彼は立ち上がり、つかつかつか、と自分から書庫を出て行った。
「まあ、奴が本の虫にならんですんだことはいいんだが…まずい話になってきたな」
「そうね」
私達も書庫を出た。そのとき、すうっと私は意識を失った。

 意識を失っていたのは、ほんの数秒らしい。
「姫さん、大丈夫か」
ベオウルフが揺り起こしてくれたのだ。
「たぶん、大丈夫…」
立ち上がったけれど、くらりとして、
「いわんこっちゃない」
結局抱き上げられてしまう。
「姫さんも気の使いすぎだ。
 とりあえず部屋に送るから、寝ておけ」

 手紙には続きがあって、雌伏の時間をもっと持って…もっと具体的にはリーフ様のある程度のご成長を待って…正々堂々と、ブルームと対峙すべきだろうという意見と、その性急な意見とが真っ二つになって、性急な意見を制するのは、まさにリーフ様のご成長を待つ旧レンスター勢がもっぱらだと言う話だった。
「本当は」
夜も遅くなって、寝台の隙間にするりと入り込んできた彼の気配に、私は向き直って言う。
「あなたも行ってその場を収めたくて仕方ないのでしょう」
彼に託されたものがこれほど重くなければ、きっとこの人は真っ先にこの動きの中にとびこんで、民衆を制するほうに回っているはず。
「ですが、私が出たら、リーフ様がここに隠れていらっしゃることがわかってしまいます。
 あの方が、この手のお話に担ぎ上げられるには、早すぎます」
「だから私達が、自分の子供のようにして、護っているのでしょ」
「そうですよ」
意見を戦わせてきたのだろうか、珍しく、その返答は中っ腹にも聞こえた。私は、擦り寄るようにして、彼の腕の中に納まろうとしていた。
「だからといって、あんまりがんばらないで」
そう言おうとしたが、彼の気配がすう、と遠くなる。眠ってしまった彼に、それ以上言葉が見つからなくて、私は、少しだけ寂しくて、その隣で目を閉じた。
 小さな子供達は、安らぎになりえているのかしら。庭にある木陰で、その子供達が賑やかしく、書き取りの練習をしている。セルフィナが先生で、リーフ様とナンナは生徒だ。もっとも、ナンナはまだ字が何かわからないから、絵を描く木炭のかけらで手と顔をところどころ黒くしながら、紙にこすり付けているだけだが。
 ああ、一人忘れていた。生徒には、なぜかベオウルフもいる。
「ベオウルフさん、それじゃお名前が「ベオうルフ」になっちゃいますよ」
「傭兵の契約書にゃこれで十分だったのになぁ」
と苦笑しながら、リーフ様と隣りあわせでペンを動かしているのは、思わず吹き出してしまうほどおかしい。そのベオウルフが振り向いて、
「笑ったな、姫さん」
と恨めしそうに言う。
「笑ったように聞こえた? だとしたらごめんなさい」
「まあ、覚えておくに越したことはねぇからな」
「逆に読めると困ることもあったりするのよ、自分がお尋ね者になっていて、『賞金いくら・生死を問わず』なんて読めたら、いい気分しないんじゃなくて?」
「俺ぁそんな悪事には手を染めたことはねぇよ」
「わかってるわよ」
「…いつまでも小娘みたいに、口は減らねぇんだから」
ベオウルフはペンをひょいと放り投げた。
「あ、まだ終わってないですよ」
「また後で頼むわ」
セルフィナがきょとんとしているのを後ろにして、ベオウルフは、私の隣でうたた寝している彼を
「おら、起きろ」
わき腹のあたりに靴を押し付けて起こした。
「べ、ベオウルフさん!」
セルフィナがそのやり方に高く声を上げるが、私はそれを手で制する。とまれ起き上がった彼の腕をつかんで
「剣の相手をしてくれ」
と言う。
「私でいいのですか?」
「いいどころか、お前も少し剣を覚えろ。いつまでも気楽に槍を振り回していられるともかぎらねぇんだ」
「…そうですね」
彼は淡々といって、
「では、行きましょう」
「そうこなくちゃな」
二人はそうしていってしまった。リーフ様もそれについてしまって、セルフィナの授業は自動的に解散になってしまった。

 「びっくりしました、あんなことするんですもの」
セルフィナは、ベオウルフのしたことを、まだ腹に据えかねているようだった。
「いいのよ、あの二人はそれを許している友人なんだから」
私は言いながら、真っ黒になったナンナの手と顔をぬぐってあげる。
「…本当なら、まだどなたかご主君様のあとについて、ただの騎士としてどこかを流浪していてもおかしくないのに…」
そして、つい口に出てしまう。
「真面目すぎて、評価されすぎて…自分の年齢と影響力とに、大きな隔たりがあるのが、あの人なりにつらいのよ」
「奥様…」
「縁があって、こうして一緒にいるけれど、あの人にとっては、もしかしたら私も、負担になっているのかしらね」
「まさか…」
「ノディオンで出会ったときは、キュアン様が付けてくださった護衛部隊の一人でしかなかったのよ。
そこからずっと、私を守り続けて…」
目に見える光景が、ゆがんできた。
「私は、あの人を守りたくて、ここまできたはずなのに…」
「…」
「私、変ね… なんでこんなことで、涙なんか出てしまうのかしら」
「私」
セルフィナが呟く。
「ずっと、奥様がうらやましかったんです。あんなに素敵な方と結ばれて、なんて幸せなんだろうって。
 でも、奥様を泣かせてしまうなんて、あの方はひどい方ですわ」
「あらセルフィナ」
涙はほんの一しずくだった。それを押さえて、
「そんなこと言わないで。
 あの人は今、アルスターが穏やかじゃないから、それを心配しているだけなの。
 それよりも、セルフィナ?」
「はい」
「ドリアス卿のところには、帰らなくてもいいの?」
私は、彼女を侍女と思っているわけではない。彼女もリーフの家臣であるという本人の主張のままに、ここにいてもらっているだけで、私はそろそろ、彼女を親元に帰してあげることを考えていた。しかしセルフィナは
「私もリーフ様にずっとお供します」
と言うだけだった。
「アルスターに何かあったら、ここも無事ではいられなくなるかもしれないのよ。ここを出て、もっとつらい道を行かなければならないかもしれない。
 まだお嫁の行く先も決まらないあなたに、途中で何かあったら、お父様も…」
「私は、エスリン様や奥様みたいになりたいんです」
セルフィナが、ずいと身を乗り出した。
「旦那様になる方を、頼るだけじゃなくて、支えてあげられる人になりたいんです」
私はきょとん、とした。でも、彼女の心意気は十分に伝わってくる。
「それならもう合格よ、セルフィナ」
そういうセルフィナを軽く抱きしめた。
「あなたほどの人をお嫁に出来る人なら、安心して、あなたに背中を託すでしょう」


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