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 もうすぐ、ここに入られなくなりそうな気がする。
 そんなことを思いながら、私は手紙を書いていた。
 宛先はアルスター。
 一度、そこの王妃様に出会ったことがあった。銀色の髪をした若い王妃様は、私がアグストリアで生まれ、(本当は自分だけど)プリンセスについてシレジアまで行ったことがあると話すと、
「まあ、それでは妹をごらんになりましたわね」
と仰った。
「妹様ですか?」
「ええ、ティルテュというの。お祖母様が御手元から離さずにしていらっしゃったから、私はあまり顔を合わせることがありませんでしたけれども、クロード神父のお供でブラギの塔まで行ったという話を聞いて…少し心配していたのですよ」
私は、あまり深いことまで立ち入らずに、それからのティルテュの話をした。
「では、ティルテュは今もシレジアにいるのですね」
「私が知りうる限りでは…」
「ああよかった。もう一人の小さなエスニャといい、お父様のためになんて苦労を」
アルスター王妃であるエスニャ様は、聖印を切って天を仰がれた。
 そういう話題の少しかみ合うあたりから、私と王妃エスニャ様とはそこそこ昵懇の間柄になった。時々手紙を交わすこともあり、このレンスターの陥落のすぐあと、私に手紙が届いた。私の書いている手紙は、その返事でもある。
 王妃エスニャ様は、産後である私を気づかってくださって、できる限りアルスターで私とナンナを保護したいと、ありがたくも仰ってくださっていた。すでにあちらは、万一のことを考えて、お城の外の別邸にいらっしゃるという。
「今はそちらの仰るままに、アルスターに身を寄せられたほうがよろしいと思います」
彼は、お手紙を見て言った。
「リーフ様のこともございますし…」
「あなたはこないの?」
「はぁ」
「町を守る? 紋章からゲイボルグを消させたりして、何かたくらんでいるみたいだけど」
「主を求める騎士の体裁で、身を隠そうと思っています」
「別々になるの?」
「やむを得ません。私が誰かわかってしまえば、そのままリーフ様と王女を危険にさらすことになります」
「だめよ。一緒じゃないと」
「ですが」
「私のために言うのではないの。リーフ様のために言うの。あなたは今、リーフ様を守れる、たった一人の人なのよ。
 逆を言えば、私やナンナはその後でいいの。リーフ様を一番に考えて」
彼は複雑な顔をした。
「エスニャ様だって、あなたも一緒ならきっと心強く思ってくださるわ」
「そうでしょうか」
「そうよ」
有無を言わさない勢いで、私たちは、何かがあったら、アルスターの王妃エスニャ様を頼ることに決めた。

 でも、事態は、私たちが思っていたより、早く回ってしまっている。
 アルスターで、「フリージ連合王国」の建国が宣言された。王妃エスニャ様の弟に当たるブルーム公子が、よりによってアルスターでその国王として即位した事情は、察するにあまりある。
「アルスターの城下町から少し離れた王妃様の別邸は」
と、私の手紙を届けてくれたブランが言う。
「アルスター兵の服装ではない兵士が守っておりました」
「フリージの兵ね」
他国に嫁いだお身内の命を盾にして、建国と即位を強行にしたに違いなかった。
「連合王国、というからには、アルスター以外のところも、併合されたと考えていいのかしら」
「一族のものが調べた結果では、トラキア以外の半島北部の各王国は、アルスターを宗主にした所属国となった模様です」
と、彼が言う。
「ということは、この街も連合王国の中ね」
「はい」
そのことで。彼が書類を見せる。
「監査官?」
「この街のような、王の直轄でない諸侯の領地を検分して、取り立てられる税の量などを見るのだと思います」
「それはわかるわ」
「あと、リーフ様をお隠しになっているかどうかを調べるという意図もあるのでしょう」
「…そうね、リーフ様を押し立てて、たて突かれたら困るものね」
「王子さんのこともだがよ」
執務室で、話を聞いていたベオウルフが言った。
「少年よ、自分のことも考えなきゃまずいのと違うか。
 『レンスターの青き槍騎士』のままじゃ、自分で自分の首を絞めるぜ」
「どういうことですか」
「そんなたいそうな二つ名を持つ騎士なら、真っ先に王子さんをかくまってやしないかと疑われるってことさ」
「…ああ」
「納得いったか? いったら、対策を考えるんだな」
「ゲイボルグの文様を紋章から消したのは、ある意味正解かもね。平凡な、領土にしがみつく騎士のふりをして、やり過ごすのも手よ。
 自警団も、他の領地との、作物や土地に関しての係争に備えてと言ってしまえば、だまされるわ」
「はぁ」
彼は、納得していなさそうだった。
「やってみて。あなたの対応が、この街の未来を決めるの。
 そして、アルスターに行くの。このやり過ごしは、一回しかきかないから」
「一族を見捨てることにはなりませんでしょうか」
「見捨てると思わせないのが、それこそあなたの仕事でしょう」
慣れないことをさせられる、不安そうな彼を、突き放してでもそうしなければならなかった。もう、監査官は、すぐそこまで来ているのだ。

 彼がうまくはぐらかしてくれたおかげで、監査官にはほとんど危ぶまれることなかった。
 そして今彼は、一族の人を集めて、因果を含めている最中だ。
 彼の代わりに、荷物をまとめ、サブリナを引き出す。
「月が出てねぇか…」
ベオウルフが天を仰いだ。その隣で、セルフィナが、リーフ様の手を取り立っている。その足下の籠の中には、まだ何もわからないナンナがいる。リーフ様は、お珍しいのか、籠の中のナンナをしきりに気にしていらっしゃる。
「荷物は私の馬にまとめて付けましょう」
私はそういった。
「ベオウルフ、セルフィナを乗せてあげて。セルフィナは、ナンナをお願い。しっかり抱いていてね」
「…はい」
セルフィナは、けげんそうにベオウルフを見た。
「大丈夫よ、見た目よりずっといい人だから」
私はそれにくすりと笑ってしまう。
「多分あの人が、リーフ様を離したがらないと思うの。だからそうするだけよ」
「奥様」
とかけられた声に振り向くと、フローラが立っている。
「お嬢様の荷物は、これで全部ですか?」
「そうよ、ありがとう。お手伝いしてくれた人によろしくね」
「…私、奥様がいらっしゃらないと、寂しいです」
「私も寂しいわ。あなたの花嫁姿を見てあげられないなんて。折角、仲よくなったのにね」
「…ご領主様と一緒に、必ずお戻りください。何年でも、このお屋敷で待ち続けます」
「ありがとう。
 あの人の言う通り、本当にきれいで、優しいこころだこと」
フローラはうつむいて、涙をせきかねているようだった。そのうち、何人ともない一族の人を後につけながら、彼が館から出てくる。
「準備はいいわよ」
「ありがとうございます」
彼は神妙に言った。
「リーフ様をお願い」
「はい」
最後の確認を始めたときに、奥様、と声がかかる。
「何ですか?」
「先程ご領主から伺ったのですが、奥様はもしや…」
私は彼を見た。彼はうなずく。向き直って、私は一同に言った。
「今まで、身の上をたばかっていたこと、皆さまにはなんと言っておわびすればよいものかわかりません。
 それなのに、出自を明らかにしないまま、私をこの街においてくださったこと、感謝いたします。
 私の素性のわからないままであったことで、この人を責めないでくださいまし。私のためにあえて口にしないことで、こちらのご迷惑にならないように計らってくれていただけなのです。
 私の生まれは西方アグストリア…ノディオンです。グラーニェ様を姉と仰ぎ、短い間ながら授けてくださった恩愛に報いるために、甥を探しにはずなのですが…
 この人は、私がまだノディオンにあったころから、私を体一つで守ってきてくれた人。この人への思いも、また真実です。
 ですから私も、この人と一緒に、アレンを出ます」
「奥様…」
嘆息が、細々と聞こえた。
「最後の別れではありません。この人も私も、きっと戻ってきます。何年かかってでも。
 今はもう、このアレンの街が、私の帰るべき場所ですから」
そのとき、かっとひづめの音がして、双子の従騎士が飛び出してきた。
「お供いたします」
と言うけれど、彼は
「おまえ達二人は、ほかの仲間とともに残って、街を守りなさい」
と言った。それに私もうなずいて、
「シュコラン」
特に片方に声をかけた。
「特にあなたは、ここにいなくてはいけません。
 フローラに、これ以上悲しい思いをさせてはだめ」
「さ、サブリナ様」
シュコランが困惑した声を上げる。
「あら、わかってないとでも思った?」
私はつい笑みを漏らした。一族の前でそんなことを言われて、多分に戸惑っているだろう二人を見て
「一と一は、二ではないのよ。
 私は、この人と一緒だから、限りない勇気を出すことができるの。
 今までも、これからも」
そう言った。
「行きましょう」
あの人の声がした。

 アルスターの城下町には、比較的すんなり入ることができた。子供がいるから、と、宿で大きい部屋を取ってもらい、
「私とリーフ様、セルフィナとナンナが先行します」
私は紙に計画表を書く。
「女と子供だけの方が、怪しまれないでしょう」
「なるほど」
「あちらでエスニャ様にお話しするの。わかってくださると思うわ。そのあとで、あなた達が入るの。
 周りを守っているフリージの兵の目をごまかすなら、別別のほうがいいでしょう」
「うまくいきゃあいいがな」
ベオウルフが言う。
「うまくいかせるの」
私はそういいきった。でも、根拠なんてない。やってみてだめなら、また別の方向を考える。私たちには、皮肉だけど、それが出来る時間があるのだもの。
 セルフィナとリーフ様にすこし上等な服を見繕って、私はアレンから持ってきたドレス(何かあったら売るための動産でもある)をまとい、私は馬上の人になる。怪しまれたらいけないから、剣もおいてゆく。
「いきますね」
二人にそう言い置いて、私は散歩でもするように、城下を出ていった。
 「奥様」
と、セルフィナが言う。
「本当に、私達は無事にお屋敷に入れるのでしょうか」
「入れるわよ」
私は、根拠のない自信のあふれるままに言った。
「ブルーム王が、エスニャ様にどれだけの自由を許しているかによりますけどね」
やがて、木立に囲まれた、それらしいお屋敷が見えてくる。私達は馬を止め、案内を乞うた。フリージ家のお仕着せを着た兵士に、アルスターの適当な諸侯の土地をいい、
「エスニャ様の無聊をお慰めするために、お話などお聞かせしようとここに上がりました」
と言うと、兵士はすっかり本気にして、私たちを門の中に通す。
 お屋敷の中には、おそらくブルーム王が差し向けたらしき魔力を帯びた女性が、メイドの格好で数人いるようで、
「まことに失礼ですが、お身を改めさせてくださいませ」
と言う。セルフィナがぴくり、と身をすくませる気配を後ろで感じて、
「堂々となさい」
と言った。メイドに身をやつした魔導師たちは、それこそ、ナンナを包んでいたおくるみの中まで調べ、
「失礼をいたしました、エスニャ様のところに案内いたします」
と、一人が先に立った。
 王妃エスニャ様は、とても懐かしそうに私を出迎えてくださった。そして、小さなナンナを腕にされて、
「ああ、娘を生んだばかりのころをおもいだしますわ」
と仰る。
「こんな乳飲み子がエスニャ様のお慰みになるとは、もったいないことです」
私はそう答え、早速話を切り出した。
「エスニャ様、こうして伺ったのは他でもなく、私と娘とをこちらにてお預かりいただける、そのお言葉にあつかましくも甘えさせていただこうと思ったのですが」
エスニャ様は、ナンナをあやされながら、部屋をゆっくりと歩かれる。
「レンスターのお話は聞きましてよ。ご主人のことも」
「今のあの人は主を失ったも同然、エスニャ様さえご迷惑でなかったら…」
「迷惑なことがあるものですか」
エスニャ様はそう仰って、セルフィナと手遊びをしているリーフ様をご覧になった。
「アレン伯は未来への種をお預かりしているはず」
「はい」
「私がどこまで力になれるかわかりませんが…
 おかくまいすることでしたら、造作もありませんことよ、ノディオンのプリンセス」
「え」
私は、うつむきがちな顔を上げていた
「何故私のことを」
「ティルテュが一度、シレジアから便りをくれたことがあって…便りの通りのお姿をしていたから、おそらく、と」
エスニャ様はそう笑まれて
「私は、ブルームがアルスターに入る前に、夫の計らいでこの屋敷に入りました。
 王妃としての実権は失いましたが、ブルームは私をここにいてよいといってくれました。あの子は、身内思いの、根は優しい子なのです。
 むしろ、唾棄すべきは、その妻となったヒルダ」
その後、あからさまに眉根を寄せられた。ナンナが、その気配に声を上げて身じろぐ。
「ああ、怖がらせてしまったわね、小さなプリンセス」
エスニャ様はほんのりと笑みを戻されて、
「そうそう、娘が使っていた着替えを差し上げますわ。小さなプリンセスにどうぞ」
と仰る。でも、エスニャ様のお顔は、とても曇っておられた。きっと、お嬢様のことを思い出されたに違いない。
「すみません、あつかましい上に、こんなことまで」
「いいのですよ、もう娘にはいらないのですから」
エスニャ様はそう仰って、
「ご主人様をお迎えできるようはからいましょう。どの宿にご逗留?」
と、紙とペンを引き寄せつつ尋ねられた。


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