たんっ
小気味のいい音がして、矢が手製の的に当たる。でも、
「やっぱり、少し腕が落ちたわ」
私は、的に刺さった矢を見る。前ならもっと中心を狙えたはずなんだけど。
「のんびり奥様暮らしは程々がよさそうね」
そう呟きながらもとの場所に戻り、次の矢を番える。が、その視野の中にふら、と人影がはいる。
「シュコラン、どいて! 串刺しになるわよ!」
と言うと、
「ひゃあ」
と声がして、人影は消える。でも私は、もうその矢を射る気にはなれなくなって、
「シュコラン、危ないじゃない」
弓を下ろした。
「す、すみません、でも、まさかサブリナ様が弓までお使いになるなんて」
「おかしい? 弓騎士だって、いるのよ」
「わかってます。
でも、レンスターにはほとんどいませんよ、皆槍騎士です」
「そうでしょうね。ノヴァ様の嘉したまう地ですから」
「そうですよ、ご領主様はとりわけノヴァ様のお気に召された方だと、もっぱらお城でも言われてます」
「まあ」
こう口が回るシュコランと、双子の兄弟ブランの、どこを見て区別がつかないと、あの人は言うのかしら。
「一体全体、サブリナ様はとんなご修行を今までされてきたのですか? この間も、庭に掃きためた落ち葉をファイアの魔法で焼いておしまいになったり」
「ま、そんなことあったかしら」
「ありましたよ」
そういわれたけれども、私は本当のことは言わなかった。
「出来そうなことは何でも試してみなさい、って育てられたからかしら」
「はぁ」
「それよりもシュコラン、今日は何かあるの?
館があわただしいようだけど」
「あ、サブリナ様はお聞きになっていませんでしたか。
今日からリーフ様をお預かりすることになって、その準備かと思います」
「あら、リーフ様が」
私はつい声を上げていた。
「大きくおなりでしょうね、いくつになられたのかしら」
「はい、もう三つになられました」
「三つ!」
私はまた声を上げていた。私の記憶の中のリーフ様は、まだ一つぐらいで、セリス様と並んで眠っているような、そんな光景ばかりだったから、立った年月の長さが思い起こされる。
「…でもあの人、ブラン一人だけ連れてお城に行ったけれど、大丈夫なのかしら、帰りは、リーフ様が一緒なんでしょう?」
「はい、でも、お世話のものがつくと思いますので、サブリナ様のお手は煩わせないと思いますよ」
「…そう。
でも、私がお世話しなくていいのかしら。普通の暮らしを覚えるよう、ここにいらっしゃるのではないの?」
「わからないことばかり聞かないでくださいサブリナ様」
「あ、そうね、ごめんなさい」
「ご領主様は夕方にお戻りになられます。
次のご登城までリーフ様をお預かりすると、僕の聞いているのはこれだけです」
騎士として君主に当たるあの人をまだ「ご領主様」と呼ぶのもシュコランのまだぬけないクセだ。
「あら、もしかしたらそろそろ帰ってきそう?
いけないいけない、『奥様』に戻らなくちゃ」
私は、弓矢を肩にかけて、自分の部屋に急ぐ。
ブランの先触れが来て、間もなく、馬車一台を引き連れた彼が帰ってくる。
「戻りました」
「お帰りなさい」
他愛なく帰宅の挨拶を交わして、
「リーフ様は?」
と聞くと
「今いらっしゃいますよ」
と、自分の後ろをさす。お遊び相手らしい女の子の手を取って、館の石段を一つ一つ登ってこられる。私は思わず駆け寄って
「リーフ様」
と抱き上げてしまった。
「お久しぶりです、こんな大きくなられて」
きょとん、としたリーフ様は、あの人のほうを向いて
「あっち、ゆくぅ」
と声を上げられる。
「あら」
彼に返すと、そのほうがなじむらしく、おとなしく抱き上げられたままになっている。彼が
「恥ずかしがってはいけませんよ、ここにおられる間は、この方がお母様の代わりですから」
と諭すように言うと、リーフ様は
「おかあさま?」
と首を傾げられた。
「そう思っていただけるなら嬉しいですわ」
私はそれだけ言った。
「お世話の人はどちらに?」
と聞くと、彼が手でそのほうをさす。城付きらしい侍女の姿が二三人と、女の子が一人。
「セルフィナ?」
「はい」
私が声をかけると、髪を二つに分けてかわいらしく結った女の子はそう答える。女の子、と言うのはもう失礼かもしれない。少し大人びた雰囲気が感じられた。
「この間のお式で、ブーケを受け取ってくれたわね」
「あ、…はい」
「よいことがあればいいわね」
「…はい」
セルフィナは面はゆそうに答えた。
リーフ様は、ご夕食の後、私とセルフィナと、フローラを相手に遊んでいたのが、突然、ことん、と、ぜんまいが切れたように動かなくなってしまわれる。
「きゃ」
とフローラは声を上げ、セルフィナも驚いたようだったけど、
「大丈夫」
私はリーフ様を抱き上げて言った。
「小さな子は、こうやって眠ることがよくあるのよ」
そういえば、もうそろそろ眠ってもいい刻限だった。二人に休むように言い、私は、彼の部屋までリーフ様を連れてゆくことにする。
「ああ、重かった」
そういいながら、寝台にリーフ様を寝かせる。制服をくつろげて眠るでもなくいたらしい彼は、意識を取り戻したのか
「リーフ様はおやすみですか」
と言った。
「ええ、遊んでいる間にこっとりと。今夜はここでおねむにして差し上げようと思って」
「さようですか」
と彼は言うが、目がなんとなくさびしそうだった。
「どうしたの、そんなさびしそうな顔をして」
「さびしそう? 私がですか?」
「ええ」
さびしそうと言うより、期待を裏切られた目、といったほうがいいかもしれない。私は複雑な顔をした彼をおいて、服を替えにいった。
戻ってくると、彼も後は寝るだけの格好になっていて、ちょうど、リーフ様をはさむような形になる。
すやすやと眠っておられるリーフ様に、ティルナノグにおいてきたデルムッドの面影が重なって、
「小さな子供は、みんな、お日様のにおいがするのね」
寝台に身を深くうずめながら、私はふとつぶやいた。
「ティルナノグにいた間は、ずっとこうしてあの子と眠ってた。
いつか、離れなくちゃいけないときが来るから、その間だけでも、と思って」
「…」
彼は私の顔をやや覗き込むようにして、私の話を聞いている。
「少し、来るのが早かったかもしれないと、後悔はしているの。きっと、次に会うときは、私のことなんて、忘れてるわ」
「忘れないうちに、迎えに行かせましょうか」
「そうねぇ…」
私は考えた。この暮らしがしばらく続くなら、そうも考えたい。でも、王宮のカルフ王に、少し暗い影が見えた。もしかしたら、近いうちに、また何かありそうかもしれない。
「もう少し、考えさせて」
「わかりました」
そのとき、扉がなった。
「リーフさまはこちらですか?」
お世話の人だ。私が身をもたげようとすると、あの人が先に
「こちらにおられますよ」
と言う。そして、リーフさまを軽々と抱き上げて、お世話の人に渡してしまう。
「ここにいらっしゃってもよかったのに」
とつい言ってしまうと、
「世話すべきものがいるのですから、お任せすべきです。いくら慣れているとは仰っても」
彼は私の手をとり、シレジアで使っていた「合図」を描いた。求められてる。夜目にも赤くなってしまったのがわかったのだろうか、彼はすこし唇をもたげたような笑いをし、
「どうせ眠るなら、私達の血を分けた子と」
そのまま、私の体を自分に向かって抱き寄せた。
翌日、町へ、という話になっていたが、多分私達二人が一緒では普通の町の様子は見られないだろうと思って、ブランたちとフローラをつけさせて、私はリーフ様を町に送り出した。
私はそのまま、自主的な教練に入る。弓捌きが前のように戻るまでには、まだかかりそうだ。もっとも、弓がこの先必要なのかしら、とも思う。竜や天馬は、翼を射られると飛行できなくなると聞いてはいるけれど…
そんなことを考えながら、矢を射続けていると、視界の横に、ちらりと見た影がみえた。次の矢を番えるのをやめて、私はそのほうを振り向く。
「お帰りなさい、セルフィナ。早かったのね」
「はい、リーフさまが途中でおねむになってしまわれたので」
「そう」
セルフィナが興味深そうに弓を見ている。
「弓矢を見るのは初めて?」
とたずねると、セルフィナはそんなことはない、といいたそうに頭を振った。
「ただ、」
「何?」
「弓を使っておられるときの奥様のお顔が、とてもお綺麗だったので、つい」
「ま」
私は柄になく赤らんだ。ほかの場面で言われることはあっても、まさかこんなところで言われるなんて。
「セルフィナ、弓を使ってみる?」
「私が、ですか」
「ええ」
「できますか?」
「できますとも」
私は弓の弦をすこしゆるくした。ゆるくなる分引きやすくなる。
「矢を利き手にもつの。…そう。弓を少し上に向けて、胸を広げて…」
ドレス姿のセルフィナには少し無理な姿勢だったけれど、右手を離して、矢は私達と的の間に、さくっと刺さった。
「上手よ、セルフィナ。
私が弓を始めたときよりずっと上手だわ」
私は手を叩いた。本当に上手なのだ。私が弓をはじめたときは、飛ばなかったりしたこともあったもの。
「もう一回やってみる?」
「はいっ」
セルフィナは、明るい笑顔で答えた。普段はおとなしやかだけど、こんなかわいらしい顔をする子なんだと、私は素直に感心する。
「あっ」
次の矢を射ろうとして、セルフィナが声を上げる。
「どうしたの?」
私はうずくまったセルフィナに話しかける。
「弦があたって…」
セルフィナの服の胸の辺りに、弦の当たったような跡があった。
「ああ、気がつかなかったわ」
私は、自分の教練着から胸当てをはずして、セルフィナに着けさせた。服の上からではわからないけど、相応な成長をしているに違いなかった。
「これなら、痛くないわ」
「あ、ありがとうございます」
そんなかわいらしい胸を、弓で傷つけでもしたら、ドリアス卿と未来の旦那様に申し訳がないもの。
リーフ様は、最後の二三日には私にすっかり慣れ、
「おかーさまがいいのぉ」
と、とうとう寝台にまで上っていらした。私の都合が悪い日で、別れ別れで眠るようになっていてよかったと思う。
もしかしたら、私をエスリン様と勘違いしておられないかしら。そんなことをふと思ってみる。私はエスリン様とは顔も髪の色も違うけど、でもリーフさまはどこまでその違いに気がついていらっしゃるのかしら。
私の胸に、顔をうずめるようにして眠るリーフさまの髪をなでながら、私は、やっぱりデルムッドを思い出していた。
どれだけうまく歩けるようになったかしら、言葉は少ししゃべるようになったかしら…
そして、自分の子供の顔をまったく知らないあの人が、リーフ様の養育を任された皮肉にも、複雑な気分だった。
「迎えに行かないと…だめね」
ヘズルの血が絶える前に、私がこの状況に耐えられそうにない。
外に出た。小さな庭にはもう花はなく、そのかわり、ちらちらと、白いものが空から落ちてくる。
「雪…」
でも、レンスターはシレジアよりずっと暖かいから、この雪も、日が昇ってしまえば消えてしまうだろう。
小さいものを大きく見るからくりがあるという。それで雪を観察すると、雪は、小さな花の集まりのように見えるそうだ。六枚の花びらを持った、天から振る花。
大変だけど、楽しそうな冬が始まりそう。そんな予感がした。
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